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「もし、東京五輪が中止になったら…」研究者が“警戒”すること

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い今国会で改正された特措法と感染症法。都道府県知事の営業時間の短縮の命令に従わない事業者や、入院拒否や逃亡をした患者、保健所の調査を拒否した人には行政罰としての「過料」が科されることになった。近現代史学者は「自由や権利を自ら差し出してしまった」と内なる戦前に警鐘を鳴らす

朝日新聞、戦時中の写真めぐり謝罪。「工場に出勤する女子挺身隊」は合成、Twitterに掲載

写真に対し、同じ顔をしている人物が写っていることや、顔が欠けているように見える人がいること、さらには後方の明るさや大きさに不自然な点があることから、指摘や批判が殺到していた。

「命カエシテ」強いられた堕胎、奪われた子どもの命。「ある病」の歴史と向き合った俳優、その警鐘

多くの人々の人生を、自由を、そして子どもたちの命を奪った、国の「ハンセン病」隔離政策。その歴史にカメラを向け続けてきたのが、俳優・石井正則さんです。世界から切り離された13の園で何を見たのか。「国立ハンセン病資料館」で写真展を開いている石井さんに、隔離の記憶について聞いた。

「命落とした兵士のため」日本兵4千人が眠るフィリピンの海のそばに、慰霊碑が建てられた理由

太平洋戦争末期、1944年10月24日〜25日に4千人の日本兵が犠牲になったスリガオ海峡海戦がありました。フィリピンのスリガオでは、慰霊碑が建てられ、毎年地元の人により慰霊式典が開かれています。

中曽根元首相の合同葬に税金9600万円。歴代首相は?自民党はいくら出す?批判もあがったが…

内閣と自民党との合同開催に、ネット上では税金を使うことに対する批判の声も広がった。しかし、総理大臣経験者の「国葬」「国民葬」「合同葬」が営まれるケースはこれまでもあった。戦前の「国葬令」が廃止されているいま、その基準はどこにあるのか?

米大統領選挙まであと2カ月!過去の「全国党大会」の様子を23枚の写真で振り返る

民主党と共和党、各党の大統領候補者を選出する「全国党大会」。過去の全国党大会で、有権者らはどのように候補者を応援していたのか?写真で振り返る。

関東大震災の朝鮮人虐殺、追悼の場で起きたこと。歴史修正、そしてヘイトをめぐって

追悼式典は、都立横網町公園に立つ朝鮮人犠牲者追悼碑前で1974年から毎年、震災のあった9月1日に開かれている。式をめぐっては、2017年から保守系団体「そよ風」などが真横で同時刻に「真実の関東震災追悼祭」を開催。朝鮮人虐殺を否定するような主張をしており、昨年の集会における参加者の発言は東京都に「ヘイトスピーチ」と認定されていた。

ディズニーめぐる通説がくつがえる。舞浜の由来は「マイアミ」ではないと公式見解

ディズニーワールドのあるアメリカ・フロリダ州で有名な「マイアミビーチ」にちなんだものとされてきた「舞浜」の由来。浦安市は昨年、近代神楽である「浦安の舞」が由来であると新たに記した。市史の検証作業のなかで、過去の記載が発見されたという。

「ワシは人殺しだ…」戦争体験者が流した涙、その理由とは

戦争が終わっても、長年にわたり、祖父の友人のなかに潜んでいた「人を殺してしまった」というトラウマーー。こうした「戦時PTSD」(心的外傷後ストレス障害)に悩まされていた元兵士たちは少なくありません。

欠けていた「加害の視点」 NHKが釈明に追われた原爆企画「ひろしまタイムライン」に見る日本の平和報道の問題点

終戦直後の混乱を巡るツイートで批判が相次いだ「ひろしまタイムライン」。NHKが再び釈明し「配慮が不十分だった」と謝罪した。問題点を解説する。

NHK「ひろしまタイムライン」で釈明 「朝鮮人」投稿巡り「ヘイト誘発」と批判

1945年の広島市民の動きと思いをツイートするNHK広島の「1945ひろしまタイムライン」で、朝鮮人を巡るツイートが批判を呼んでいる。NHKは釈明文を出した。

731部隊の戦争証言に「嘘は明白」? 誤った指摘が拡散「大学卒のみの採用」→「少年隊が存在」

731部隊の正式名称は関東軍防疫給水部。中国東北部(旧満州)で、感染症やワクチンなどのほか、細菌の研究をしていたとされる。捕虜を用いた人体実験や生物兵器の開発、細菌戦に関する証言も多く残されてきた。部隊には、14歳でも入ることのできる軍属の組織「少年隊」が存在していたことが、公文書や証言などから明らかになっている。

横浜の知られざる墓地で続く和解の礼拝 受け継がれ続ける元陸軍通訳の志

横浜に英連邦戦死者墓地という、あまり知られていない墓地がある。そこで例年8月、追悼礼拝が開かれる。26年続く礼拝は、戦時中に日本軍の通訳として捕虜の拷問に立ち会い、戦後を和解にかけた男性の思いから始まった。

「なぜあんなにも多くの人が命を落とさなければいけなかったのか」日本人ら思い、今もフィリピンで続く慰霊祭。日系人が語り継ぐ戦争

フィリピンのダバオで毎夏、終戦記念日に合わせて、現地で亡くなった日本人やその子どもたちを追悼する慰霊祭が開かれています。

「戦争に行きたくなかった」。18歳の夏、終戦を迎えた祖父と話した75年前のこと。

終戦になって思ったことは「兵隊行かなくて済んだ」「死ななくて大丈夫なんだ」。第二次世界大戦の時に軍需工場で働いた御年94歳の祖父。当時のことを聞いた。

「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"

12万人以上いたとされる、戦災孤児。戦争によって親を亡くした彼ら、彼女らはいったい「終戦」のあとをどう生きたのか。東京大空襲で家族を失い、親戚をたらい回しにされ、そして上野の地下街にたどり着いた女性の証言を取材した。

「僕は日本兵を殺した」、最期を前に語られる罪悪感や後悔… 「戦争は繰り返してはいけない」と言う前に、知っておくべきこと

「彼らが最期に言いたかったことは、だれが勝者でだれが敗者だったかというような話ではない。たとえ戦争に勝ったとしても、一人ひとりの中には喪失感や罪悪感、後悔があったということなのだと思います」

原爆を見た広島市民の日記、その文章を一連のツイートで注目させた #ひろしまタイムライン の舞台裏

75年前の広島市民の日記をツイートするNHK広島の「#ひろしまタイムライン」がこの夏、大きな話題を呼んだ。斬新な企画の発案者は、原爆報道に携わったことのない20代前半の女性だった。その舞台裏を取材した。

戦争中のお盆も「帰省は自粛」だった? 当時の資料が語る人々の暮らし

「信州戦争資料センター」ではTwitterで積極的に、戦前から戦時中の、庶民の暮らしを伝える貴重な資料を発信している。これまで自費で収集してきた資料は5456点。コロナ禍を生きる私たちにとっては、とても過去のものとは思えないような品もある。

「日本人と認めて」無国籍の高齢者の訴え。あなたが知らないフィリピンでの“戦後”

太平洋戦争によってバラバラになったフィリピンの日系人社会。今でも「日本人と認めて」と願う高齢の残留日本人がいます。映画『日本人の忘れもの』で描かれている思いとは。

長崎にあった「幻の原爆ドーム」は、なぜ撤去されてしまったのか?

長崎にはかつて、「幻の原爆ドーム」とも呼ばれる遺構があった。浦上天主堂だ。原爆の悲惨さを伝える存在として、天主堂の保存を求める声も少なくはなかったが、結果として撤去、再建された。廃墟となった側壁の一部は爆心地に移設されている。

広島の被爆から今日で75年。写真で振り返る、原爆ドームを取り巻く風景。

広島が被爆してからの75年間を、原爆ドームを取り巻く風景とともに振り返ります。

75年前のあの日の広島をツイートしたら #ひろしまタイムライン で学ぶ原爆投下

もし75年前にSNSがあったら。そんな発想を元に実在する3人の広島市民の日記をツイートで紹介するNHKの「#ひろしまタイムライン」が話題となっている。

寄り添う通訳であり、メディアである私 元TBSアナの久保田智子さんが被爆体験の伝承者となったわけ

元テレビアナウンサーが、広島で被爆体験を伝承する活動を続けている。元TBSの久保田智子さんだ。彼女はなぜ、メディアの仕事を離れて歴史を語り継ぐ道を選んだのか。

原爆が落とされた翌日から新聞が伝えたこと。終戦の日までに報じた「完璧な対策」

1945年8月の広島と長崎への原爆投下。その直後に新聞が報じたこと。

「おとうちゃん どうして…」子どもたちの残した原爆の詩が、いま問いかけるもの

戦争を知る世代を中心にした女優たち18人が結成した「夏の会」が朗読劇「夏の雲は忘れない」で読み継いできた、原爆体験者たちの言葉。そこから見えるものとは。

あの日広島で電車を運転していたのは少女たちだった ドラマ化の名作漫画が公開

75年前に原爆が投下された広島で、路面電車の運転台に座っていたのは、10代の少女たちだった。知られざる事実を描いたノンフィクション漫画が公開されている。

戦時中にもいた「自粛警察」 もし75年前にSNSがあったらー広島の人々の思いを載せたツイート更新中【戦後75年・継承を考える】

自粛警察。単身赴任したままの夫を案じる女性。授業にしわ寄せが来る中学生。75年と今で、人々の思いには共通点と、大きな違いの両方があった。NHK広島が原爆を生き延びた実在の市民3人の日記を元にしたツイッターアカウントを開設している。

中止になった五輪を、夢見た少女。元フィギュア全日本女王の戦争とは

戦争で中止になった1940年夏の東京オリンピック。実は、本来であれば同じ年の2月には、札幌で冬季五輪が開催される予定だった。「幻の五輪」に出場できていたかもしれないという、元フィギュアスケート全日本選手権女王の思いとは。

「戦争、身近に感じた場所。解体しないで」広島の若者が声をあげた理由

広島にある「被服支廠」、原爆で被爆した建物です。老朽化などで取り壊し案が進む中、被爆者や若者が反対の声をあげています。

「ガンを克服」「4時間労働」1970年に描かれた2020年が未来すぎる

1970年の大阪万博のパビリオン「三菱未来館」に展示されていた内容が話題を呼んでいます。宇宙から海底、そして未来都市。当時の人たちが夢見た「今年」はどんなものだったのでしょうか?パンフレットから振り返ります。

「桜を見る会」は、なぜ肥大化したのか。残された公文書からわかった事実

反社会的勢力やジャパンライフ元会長など、招待者をめぐる疑惑が深まる「桜を見る会」。国立公文書館に残された資料を辿ると、その歴史が見えてくる。第二次安倍政権になって招待者が激増している理由とは、どこにあるのか。

「桜を見る会」過去の“総理大臣枠“が明らかに。残されていた文書が示す「60」の意味

「桜を見る会」をめぐり、国立公文書館に残されていた決裁文書から、新たな事実が明らかになった。「マルチ商法」としてのちに行政処分を受けたジャパンライフ元会長が「60」という区分で招待されていた点が、安倍晋三首相によるものであるか、野党は追及を強めている。

「生まれる時代は選べない」“おたく”生みの親・中森明夫、半生を語る。

昭和、平成、令和のサブカルチャーを見続けてきた評論家・中森明夫さん。今、「おたく」という言葉にどんな思いを抱いているのだろうか。

「故郷で石を投げられた」反日感情と2つの国のはざまで。戦争に家族を奪われた、男性の思い

日系人男性がフィリピンで経験した太平洋戦争。投降し、捕虜になった男性は反日感情が強い故郷を去り、引き揚げ船で日本へ渡りました。ロング・インタビュー後編。

少年は戦争中、3カ国に家族を殺された。88歳になった今、伝えたいこと

太平洋戦争中、日本とフィリピンの狭間に立たされた少年が体験した戦争。日系人男性へのロング・インタビュー前編。

60年前の「桜を見る会」残されていた名簿が教えてくれること

「マルチ商法」としてのちに行政処分を受けたジャパンライフ元会長や、反社会的勢力が招待されていたことが明らかになっていることから、批判が高まっている「桜を見る会」。2019年の招待者名簿が直後に廃棄されていた一方、60年以上前の名簿が国立公文書館に残されていた。

「政治家の人生は歴史という法廷で裁かれる」と語った元首相の半生

死去した中曽根康弘元首相は「政治家の人生は、その成し得た結果を歴史という法廷において裁かれることでのみ、評価される」とつづっていた。

「戦争は人間のしわざ、戦争は死です」38年前、ローマ教皇が広島で語ったこと

ローマ教皇が「反戦」「平和」「核兵器廃絶」を訴える存在として日本で広く尊敬を集めるようになったのは、38年前にヨハネ・パウロ2世が来日したことがきっかけの一つだろう。

フランシスコ教皇は被爆地で何を語る。38年ぶり来日「ローマ教皇」は「キリストの代理人」

人類の「過ち」の遺産である長崎、そして広島で、フランシスコ教皇は何を語るのだろうか。

安倍首相が単独1位、首相在職2887日 では歴代最短は?

「桜を見る会」をめぐる一連の問題が取り沙汰される中、安倍晋三首相の首相在職日数が11月20日、2887日となり、歴代単独1位となった。在職日数は第1次内閣からの通算。

「ベルリンの壁」崩壊から30年。あの年に演奏された特別な「第九」とは

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が開放されたのは、30年前の11月9日だった。この年のクリスマス。ベルリンでは、壁の崩壊を祝う特別コンサートが開かれた。

嵐が天皇陛下の即位祝う「国民祭典」で歌った「奉祝曲」って? その意外な歴史

20年前はYOSHIKIが、10年前はEXILEが歌った「奉祝曲」。嵐が歌った曲のテーマは、天皇陛下が長年研究されている「水」。作詞は本家の岡田惠和さん、作曲は菅野よう子さん。当日の演奏は辻󠄀井伸行さんが担った。

正しい万歳は「手のひらを内側に」即位礼正殿の儀で拡散、本当は…?

「即位礼正殿の儀」で安倍晋三首相の万歳の仕方を賞賛する形で「手のひらを内側に向けるのが正しい万歳」という言説がTwitterなどで拡散している。これは、1990年代後半に官公庁を騒がせた「万歳三唱令」という偽文書に端を発しているとみられる。

「即位礼正殿の儀」で自衛隊が礼砲 なぜ21発?

天皇陛下が即位を内外に宣言された儀式「即位礼正殿の儀」で、陸上自衛隊の礼砲部隊が安倍晋三首相の万歳三唱のかけ声にあわせて、即位を祝う礼砲21発を発射した。

「即位礼正殿の儀」に登場した「高御座」 東京・京都で一般公開へ

天皇陛下が即位を公に宣言された儀式「即位礼正殿の儀」で、天皇陛下が昇られた玉座「高御座(たかみくら)」と皇后さまの御座「御帳台(みちょうだい)が、12月以降に東京と京都で一般公開される。

即位礼正殿の儀、注目ポイントは「おことば」と「万歳三唱」の発声

天皇の即位を内外に宣言して祝う「即位礼正殿の儀」が、10月22日午後1時から皇居・宮殿で実施される。天皇陛下は「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と呼ばれる装束で、玉座「高御座(たかみくら)」から、即位に際してのおことばを述べられる。

即位礼正殿の儀とは? 平成と令和で違いは?

天皇陛下が、即位を公に宣言する儀式「即位礼正殿の儀」が10月22日に皇居・宮殿で実施される。儀式の内容と「平成」と「令和」の違いをまとめた。

「何のための戦争だったのか」76年前のあの日、学徒出陣を見送った少女が思うこと。

東京オリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場にはかつて、「明治神宮外苑競技場」があった。そこで終戦2年前に開かれたのが「学徒出陣壮行会」。軍歌「海行かば」を合唱し、生徒たちを見送った女子学生はそこで、何を見たのか。

「水や泥で汚れた古文書を捨てないで」歴史研究者の団体が呼びかけ《台風19号》

「一見するとゴミのように見える場合がありますが、地域の貴重な歴史を記録したかけがえのない財産です」

100000000000000ジンバブエドルを発行したムガベ前大統領が死去

37年間にわたって、実質的な「独裁者」としてジンバブエに君臨したロバート・ムガベ前大統領が9月6日に死去した。95歳だった。

「平和ってまぶしいんだ」あの日、13歳の少年が思ったこと。

終戦記念日の8月15日、戦争と平和について書き続けてきた児童文学作家、早乙女勝元さんが、終戦や戦争体験、平和への思いを語りました。

靖国神社と千鳥ヶ淵に来た人に1つの質問をしたら、こんな答えが返ってきた。

令和になって初めての終戦の日。どんな思いで、それぞれの地を訪れたのか。

「日本は吹き溜まりの国」ガンダム生みの親・安彦良和と考える、“この国”のかたち

改元で新たな時代を迎えたいま、「天皇」と「この国」の成り立ちをどう捉えたら良いのか。そのヒントを安彦氏に聞いた。

終戦の玉音放送を現代語にすると...「耐え難いことにも耐え、我慢ならないことにも我慢して…」

1945年8月15日正午、昭和天皇が「終戦の詔書」を朗読した音声、いわゆる「玉音放送」がラジオで全国放送された。国民はこのラジオを通じて「敗戦」を知った。

タピオカと戦争の意外なつながり、知っていますか?

柳田國男の朝食にもなっていたと話題を呼んだ「タピオカ」。明治時代にハイカラな高級食材として西洋から取り入れられ、戦時中には米の代わりになった、その歴史を振り返る。

「人と人はわかり合えない」ガンダム生みの親・安彦良和は語る、人類と歴史の宿命を。【終戦の日】

71歳の安彦氏は、実際の「歴史」とも向き合っている。目下のライフワークは近現代史をテーマにした作品。『虹色のトロツキー』では中国東北部に存在した日本の傀儡国家「満州国」を描いた。連載中の『乾と巽』では「シベリア出兵」に取り組んでいる。

【写真】戦時中、陸軍にあった女性だけの部隊。当時を写した貴重なスナップ

男性の多くが戦地に送られるなか、人員不足を補うためにつくられた、女性だけの陸軍部隊「女子通信隊」。太平洋戦争中、彼女たちはいったいどのような役目を担っていたのか。

戦時中、少女たちが憧れた「女性だけの陸軍部隊」。元隊員が見た「戦争」とは

男性の多くが戦地に送られるなか、人員不足を補うためにつくられた、女性だけの陸軍部隊「女子通信隊」。太平洋戦争中、彼女たちはいったいどのような役目を担っていたのか。

人々が寄せた2390通の戦争体験。この庶民の営みは、歴史書には記されない

雑誌『暮しの手帖』が昨年から今夏にかけて、読者から募った戦争体験の手記を3冊の本にまとめた。創刊71年の家庭雑誌は、なぜ「戦争の記憶」の継承に力を注ぐのか。

戦時中、女性アナになった19歳。なぜ彼女は、終戦前に「敗戦」を知っていたのか

NHKの放送局でラジオアナウンサーをしていた女性たち。東京をB29の空襲が襲うなか、いったい彼女たちどんな日々を過ごしたのか。そして8月15日の玉音放送の放送をどう迎えたのか。当時を知る女性に、話を聞いた。

「東京裁判」で裁かれたのは誰か。戦後74年、今も続く歴史の問いかけ

終戦から74年。平成が終わり、この国は新たな時代を迎えたが、歴史はなおも「あの戦争はなんだったのか」と、私たちに問いかけてくる。

戦争中におじいちゃんの命を銃撃戦から救ったあるものが話題。

戦時中に左胸のポケットに入れていたタバコケースで一命を取り留めたおじいちゃん。平和を願うツイートが話題です。

あの日、長崎で奪われたもの。原爆投下直後の貴重な写真

1945年8月9日。長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」は、一瞬にして多くの命を奪った。人々はその後、どう生きたのか。

戦前なのに…? 柳田国男は朝食に「タピオカ」を食べていた、その真相は

昭和初期に「民間伝承の会」で柳田が発表した内容を口述筆記したもので、歴史や民俗学へのアプローチの仕方やさまざまな考察を紹介している「民間伝承論」に書かれた一節が、ネット上で話題を呼んでいる。

原爆の投下直後、政府が発表した"対策"。かつての新聞を読んだ。

1945年8月の広島と長崎への原爆投下。その直後の読売新聞(旧・読売報知)と朝日新聞の紙面を読み比べた。

「大変です、広島がやられました」原爆投下の一報を知らせた少女、その証言をたどる

8月6日、被曝74年目の「原爆の日」を迎えた。あの日、広島に起きた惨劇をいち早く伝えたのは、14歳の少女だった。

焼け野原になった広島を見つめるカップル 70年越しに写真の真相が明らかに

1946年8月6日撮影とされていたが、詳細はわかっていなかったこの写真。戦時中の広島を舞台にした映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督)の主人公夫婦になぞらえて、「リアルすずさん・周作さんでは」というような声も上がっていたが、「福屋百貨店」から撮影されたものであることが判明した。

「ゲス野郎だった」李鵬元首相の死去に天安門事件の元リーダーが反応

中国の李鵬元首相が7月22日、死去した。23日に新華社が報じた。1989年天安門事件では、民主化運動の弾圧を主張した強硬派だったこともあり、当時の学生リーダーらが訃報に反応した。

社民党、ギリギリで政党要件を維持。でも「復活」は厳しそう。

今回の選挙戦では、吉川元・幹事長、福島瑞穂・副党首が選挙戦を率いた。2人が街頭で有権者に訴えたのは、「崖っぷちの戦い」という言葉と「2%」という数字だ。

【訃報】戦時中に活躍した元アイドル「まっちゃん」こと明日待子さんが死去、99歳

新宿の劇団「ムーラン・ルージュ」でデビューし、山口淑子、原節子らと同時代に元祖アイドルとして活躍。愛称は「まっちゃん」だった。

ダンボール18箱に詰まっていたのは、高畑勲の青春だった。

2018年4月に亡くなったスタジオジブリの高畑勲監督。その創作活動をふり返る展覧会で始まった。展示されるのは、高畑さんに関するアニメーションの資料。その数は1000点にのぼる。新たに発見された資料から見えてくることとは。

人類は見た、この世の終わりを。第一次世界大戦のきっかけ「サラエボ事件」から105年

「6月28日」という日付は、人類の歴史にとって大きな意味を持つ。

「手遅れになる前に目を覚ませ」EU大統領が広島で語ったこと

「世界の未来を左右する立場にいる者が、それが今日でなかったとしても、将来この広島を訪れることには意味があるのです。この重要なシンボルをよく解釈し解読するためにです」

「天皇陛下が友達になってくれた」ある留学生が語る、44年前の思い出

「はじめまして。私はアンドルー・B・アークリーです。オーストラリアから来ました。僕とお友達になっていただけますか」

秘蔵写真でみる「天皇陛下の青春時代」 友人との旅、ビールを酌み交わす姿も

学習院高等科で天皇陛下と友人になったアンドルー・B・アークリーさんのアルバムを中心に、天皇陛下の陛下の青春時代をたどります。

ゴッホが自殺したピストル? オークションで落札、お値段は…

CBSによると、ヴァン・ゴッホ研究所は「この銃とゴッホの死が関連していることを示唆するものは何もない」「悲劇の商品化だ」と非難した。

政治に利用された「女性向け雑誌」 の歴史、そしてインターネット時代の今

講談社のファッション雑誌「ViVi」のサイト上で展開された自民党の広告キャンペーンをきっかけに、メディアと政治の関係が議論になっている。

あの日、世界の命運が決まった。ノルマンディー上陸作戦から75年(画像集)

第二次世界大戦における「ノルマンディー上陸作戦(D-Day)」の開始日から75周年を迎えた6月6日、フランス北西部ノルマンディーで記念式典が開かれた。

安倍首相が単独3位、首相在職2721日 では歴代最短は?

安倍晋三首相の首相在職日数が6月7日、第1次内閣からの通算で2721日となり、歴代単独3位となった。

戦争中、女性は生理をどう過ごしていたのか。明治〜昭和の広告でわかること

脱脂綿を洗って何度も使うリサイクルや、ぼろ布や糠袋での代用が提案されていました。

「まるで香港の九龍城」代々木の東豊書店が6月末で閉店 その姿よ永遠に…(画像集)

入居する「代々木会館」は老朽化が激しくなり、「東京の九龍城砦」「魔窟」との呼び声もある。

【写真】太平洋戦争で沈んだ重巡洋艦「古鷹」 海底に眠る姿をカメラがとらえた

太平洋戦争中、南太平洋で沈んだ旧日本海軍の重巡洋艦「古鷹」が、ソロモン諸島・サボ島沖合の海底1400メートルで見つかった。

重巡洋艦「古鷹」ソロモン諸島沖の海底で発見 太平洋戦争で沈没

太平洋戦争中、南太平洋で沈んだ旧日本海軍の重巡洋艦「古鷹」が、ソロモン諸島・サボ島沖合の海底1400メートルで見つかった。

「畏れ多い気持ちで受け取りました」 新天皇をこの世に送り出した産婦人科医の祝福

上皇后・美智子さまの初めてのお産は、さながら国家プロジェクトでした。徳仁親王の誕生に立ち会った産婦人科医の記憶。

平成から令和に変わるとき、渋谷は雨だった 新しい時代のはじまりの記録

令和に向けたカウントダウン。時代の変わり目に、あったことを記録していきます。

「天皇」になる我が子を慈しみ、母は愛をこめて和歌を詠んだ。

ご出産、沖縄復帰、お子さまの結婚…折に触れて、皇后美智子さまは和歌を詠み続けてきた。

上皇さまから天皇陛下へ、受け継がれた「歴史」との向き合い方

戦後74年、戦争を経験した世代は歴史の表舞台から去りつつある。折に触れて「歴史」を学ぶ大切さを語ってこられた天皇陛下。その姿勢は、皇太子さまにも受け継がれていた。

「皇后」美智子さまが歩まれた平成の30年。友人が見た苦悩と葛藤の日々

四半世紀にわたって、皇后・美智子さまと交流を育んできた末盛千枝子さん。時には「皇后」として苦悩し、思いを巡らされた場面を垣間見たという。

新元号「令和」の出典『万葉集』の序文、ルーツは中国の『文選』と指摘も

「令和」は国書である『万葉集』が典拠とされた。だが、国書に記されている言葉のおおもとをたどれば、中国の古典に由来するものが多い。

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