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頭がなくなった1歳の弟。胴体だけになった妹。家族6人を亡くしたあの夜… 女性が戦争を語り続ける思い

東京大空襲で家族6人を亡くした女性は「世界最大の罪悪は戦争」と語ります。77年目の終戦の日に、東京大空襲・戦災資料センターで子どもらに空襲の記憶を語りました。

参拝者も驚きの声。終戦の日の「靖国神社」ここ数年でこんなにも変わっていた。

2016年からカメラで撮影してきた靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑。人々の様子や空気感の変化を伝える。

戦時中“日本人”として生きた彼女が見た、もうひとつの8月15日。

日本にいた朝鮮半島出身者は1939年には100万人程度だったが、終戦時の1945年には200万人にのぼったとされている。「植民地」出身者として育った女性は、どのような戦時下を過ごしたのか。その証言を聞いた。

「死なないで」出撃する特攻隊に少女は伝えた。「一人の人間だった」と今も語り続ける理由

「音楽が好きで、音楽を涙しながら聴いて……。本当に一人の人間だったんです」。生まれ育った台湾で特攻隊と出撃までの日々を過ごし、「生き残った後悔」を背負った元特攻隊と結婚した中田芳子さんは、そう語ります。

【動画】特攻隊員の“最後の日々”を共に過ごした14歳。彼女が生きた「恐ろしい時代」とは

77年前の8月、日本統治下の台湾で終戦を迎えた中田芳子さん(91)。 当時14歳だった彼女は、出撃の日を待つ特攻隊員たちの最後の日々を共に過ごし、次々と死地へと飛び立つ彼らを見送りました。

特攻隊から預かった白いマフラー。「彼は死なないと思っていた」でも…。あの日14歳だった女性が今語ること

19歳で命を落とした特攻隊の男性に生前、託された遺品。台湾で特攻隊員たちと出撃前の時間を過ごし、次々と飛び立っていく隊員たちを目の当たりにした中田芳子さんは「特攻は愚かしい」と語る。

戦時中に活躍した伝説のアイドル。「まっちゃん」を知っていますか? 明日待子さんが生前、語っていたこと

かつて、新宿の劇場「ムーラン・ルージュ」で、多くのファンを虜にしたアイドルたちがいた。彼女たちは、いかに戦争の時代を生き抜いたのか。そして、何を考えたのか。明日待子さんの貴重な証言から振り返る。

【動画】「母は最後まで手を振っていた」77年前のあの日、原爆で家族5人を亡くした少女が長崎で見たものは

1945年8月9日。長崎に投下された原爆によって、家族5人を亡くした森田富美子さん(93)。 生まれ育った街が瓦礫と化した日の朝、母が言い残した言葉を、森田さんは今でも覚えています。

原爆投下前後の長崎をおさめた貴重な写真。失われたもの、そして復興への歩み

1945年8月9日、長崎市に原子爆弾「ファットマン」が投下されてから77年。瓦礫と化した町から、人々はどのように復興を歩んだのか。被爆前後の貴重な写真から振り返る。

原稿から削られた6文字 原爆の日1週間前に急逝した韓国人被爆者の"遺言"とは

広島の原爆の日の1週間前、ある被爆者の男性が亡くなった。男性のメッセージを収録した映像が平和記念式典の会場で流されたが、広島市の手で6文字削られていた。なぜか。男性が死の淵で言い残したかったことは。

「家族の血のりを身体に…」あの日、原爆で両親と弟を失った16歳の少女。重い口を開いて語ったこと【長崎・被爆77年】

【被爆証言】1945年8月9日、長崎市で7万人以上の命を奪った原子爆弾「ファットマン」。その爆心地からすぐの駒場町に暮らし、16歳にして両親と弟3人を失った女性がいます。少女はあの日、何を見たのか。いま伝えたい思いを聞きました。

焼け野原となった広島で… 原爆投下後の写真が記録した、人々の歩み

広島市に原子爆弾が投下されてから77年。人々はどのように「その後」を歩んだのか。被爆後の写真から振り返る。

「おとうちゃん どうしてわたしを…」子どもたちの残した“原爆の詩”が、いま問いかけるもの。

戦争を知る世代を中心にした女優たち18人が結成した「夏の会」が朗読劇「夏の雲は忘れない」で読み継いできた、原爆体験者たちの言葉。そこから見えるものとは。

「僕は広島で育った広島人」ロシアに侵略された国の大使が考える核兵器のこと

完璧な日本語を操りツイッターで注目を集める駐日ジョージア大使が幼い日に暮らし「第二のふるさと」と呼ぶのは、広島だ。8月6日、広島の平和記念式典に参列する思いを聞いた。

私たちは77年前、恐怖に震える「ウクライナの少女」だった。彼女が、命を落とした人々の名前を読み上げる理由

あの日、東京大空襲で命を落とした10万人にも名前があったーー。犠牲者を追悼するため、1500人余りの名前が読み上げられました。

「火の中を逃げていると、左足をガッと掴まれた」毎年、妹と両親を思い、“お地蔵さま”に手を合わせる理由

3月10日、東京大空襲で東京の町は火の海となりました。住民約800人が命を落とした東京都江東区森下5丁目では毎年、「八百霊地蔵尊」で供養を行っています。

77年前の12月、南海トラフで起きた「消された地震」 被害はなぜ、隠されたのか

東南海地震による死者は1230人(918人との説もある)。全壊家屋は2万6130戸に及んだ。津波の被害も大きく、3129戸の家屋が流出した。三重県の尾鷲で9mの津波を観測している。

「教科書では教えてくれない貴重なお話」孫が祖母の話を投稿、300万回以上再生される

とても現代っぽい、戦争のお話の継承方法です。多くの人に聞いてほしいお話です。

「パラリンピックが五輪化している」専門家が警鐘を鳴らす理由

「パラリンピック」という名称は1964年の東京大会で初めて使用された。1964年の東京パラリンピックは私達の社会に何を残したのか。そして、コロナ禍で開催される今年の東京パラリンピックは何を残すのか。

靖国神社と千鳥ヶ淵でレンズが捉えた変化。人々の様子や空気感は

2016年からカメラで撮影してきた靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑。人々の様子や空気感の変化を伝える。

緊急事態宣言下の「終戦の日」。靖国神社と千鳥ヶ淵、参拝者の人数に大きな変化

8月中旬とは思えない肌寒さとなったこの日、参拝の順番を待つ長蛇の列ができたが、参拝者の実数は少なかった。「密」を避けるために列の間隔を広げたため、長くなったのだ。

「道子、死んじゃダメよ!死なない!」痛みに悶え苦しんだ12歳少女の終戦。残った傷と苦しんだ戦後

終戦3ヶ月前の1945年5月に、東京で空襲に遭った内田道子さん。12歳の少女が見た戦争、そして戦後も続く苦しみとは。

あの戦争が、奪った笑顔。唯一の女性「戦没オリンピアン」が見たベルリン五輪【写真】

「戦没オリンピアン」38人のうち、唯一の女性である女子飛び込み選手の大沢政代さん。姉妹揃って五輪に参加した礼子さんのアルバムなどから、当時の空気を振り返る。

下着に隠されていた、姉妹の写真。戦病死した女性オリンピアンが見た「天国」と「地獄」

1946年、満州からの引き揚げ途中に亡くなった、ある女性。ブラジャーに隠されていた一枚の写真は、ベルリン五輪に出場した姉妹のものだった。唯一の女性「戦没オリンピアン」である、飛び込み選手の大沢政代さんが歩んだ足跡を追った。

あの日、オーストラリアで日本人が集団脱走した理由

オーストラリア内陸部で1944年8月、捕虜として収容されていた日本兵ら500人以上が集団脱走をしようと決起し、200人以上が死亡した。日本人捕虜はなぜ、無謀な脱走を試みたのか。長期取材で掘り起こしたドキュメンタリーが公開された。

誕生日に目にしたのは、まるでマッチ棒のような焼死体。空襲の日、少女は6才になった。いま、次世代に語り継ぐこと

東京大空襲と水戸空襲の記憶を語りつごうと、空襲の体験記を高校生がオンラインイベントで朗読しました。

本当の別れは、忘れてしまうこと。76回目の「原爆の日」にこども代表が世界に発信した平和への誓い

平和記念式典にて、広島市内の小学生20人によって話し合い検討された「平和への誓い」が世界に発信されました。

最後の聖火ランナーになった「原爆の子」。あの日、広島に生まれた彼が背負ったもの

1964年の東京オリンピックで、聖火リレーの最終走者に選ばれた当時早稲田大生の坂井義則さん。1945年8月6日、広島に原爆が投下された直後、広島県内で生まれた彼は、いわば戦後復興と平和の「象徴」だった。その歴史を振り返る。

東京五輪の影響で…?NHKから8月6日の「原爆特番」がなくなる。地上波で43年ぶり【コメント更新】

NHKは1979年以降の例年8月6日に必ず総合チャンネルで、原爆や核兵器、戦争に関する発信を続けてきた。いずれも、「平和記念式典」の中継やニュースとは異なり、ドキュメンタリー番組やドラマなどの特集枠を用いたものだ。

なぜ、東洋の魔女は「非国民」と呼ばれたのか。五輪をめぐる“誹謗中傷”が、彼女たちを追い込んだ

前回の東京オリンピックで伝説となった女子バレー日本代表「東洋の魔女」。菅首相もたびたび言及している彼女たちが、犠牲にしたものとはなんだったのか。大松博文監督や河西昌枝選手、さらに元メンバーや当時の新聞をもとに、振り返る。

「オリンピックの陰で泣く人もいる」2度の五輪のため、2度立ち退きを強いられた男性。その願いとは

東京五輪のメインスタジアム・国立競技場のある、東京都新宿区霞ヶ丘町。戦前からこの町に生まれ育ちながら、1964年の五輪でも、そして今回の五輪でも、競技場建設のために立ち退きを強いられた元住民の男性に、思いを聞きました。

大統領「あれは暴動ではなく虐殺」。100年前に起きたアメリカ史上最悪の人種差別事件

1921年5月31日から6月1日、アメリカ・オクラホマ州タルサで、暴徒化した白人たちが黒人住民を襲撃した。300人以上が死亡したと推定されているが、加害者は誰も逮捕・起訴されていない。長年語られなかったこの事件が起きて、今年で100年になる。

「政治に殺される」話題の宝島社“タケヤリ”広告、実は薙刀? 画像は「ネット上から探し当てた」

この広告で使われている写真が「竹槍」ではなく「薙刀」であるとの指摘があがっている。1941〜44年に撮影されたという説があるが、これは「竹槍訓練」ではなく国民学校における体練の授業の様子を撮影したものとみられる。

科学者になった元日本兵がいま、後悔していること。「神風なんて吹かないと…」

元気象庁気象研究所室長で理学博士の増田善信さん(97)。太平洋戦争中は海軍少尉として「天気予報」の任務に携わっていた歴史の生き証人が語る「科学と戦争」と、現代への警鐘とは。

プライドマーチについて知っておきたい12のこと

ゲイ・プライドやLGBTQプライドの基盤は、1969年のニューヨークで起きた「ストーンウォールの反乱」にある。

【写真で振り返る】アメリカにあった日系人収容所ってどんな感じだったの?

写真家の宮武東洋は、第二次世界大戦中に米政府により日系人強制収容所に送られた。彼は収容された日系アメリカ人の日々を撮影し続けた。

「痛いよ。殺して!」12歳の少女は叫んだ。背中に残る大きな傷跡が訴えるもの

東京大空襲から76年。障害などを負った民間人の空襲被害者に特別給付金50万円を支給する救済法の成立が急がれています。

「私が殺したも同然」「むーちゃん、ごめんね…」女性が涙で悔やむ、18歳の3月10日

東京大空襲から76年。空襲経験者の高齢化が進む中、YouTubeで証言を伝える活動をしている若者がいます。

「国は戦没者を冒涜している」沖縄で広がる抗議、その理由を知っていますか?

沖縄県で進む、米軍普天間基地を名護市辺野古に移設するための埋め立て工事。必要となる土砂採取の候補地に、本島南部があげられ、「戦死者の遺骨が含まれている可能性がある」と反発を呼んでいる。遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の男性はハンガーストライキで抗議の意思を示している。

「もし、東京五輪が中止になったら…」研究者が“警戒”すること

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い今国会で改正された特措法と感染症法。都道府県知事の営業時間の短縮の命令に従わない事業者や、入院拒否や逃亡をした患者、保健所の調査を拒否した人には行政罰としての「過料」が科されることになった。近現代史学者は「自由や権利を自ら差し出してしまった」と内なる戦前に警鐘を鳴らす

朝日新聞、戦時中の写真めぐり謝罪。「工場に出勤する女子挺身隊」は合成、Twitterに掲載

写真に対し、同じ顔をしている人物が写っていることや、顔が欠けているように見える人がいること、さらには後方の明るさや大きさに不自然な点があることから、指摘や批判が殺到していた。

「命カエシテ」強いられた堕胎、奪われた子どもの命。「ある病」の歴史と向き合った俳優、その警鐘

多くの人々の人生を、自由を、そして子どもたちの命を奪った、国の「ハンセン病」隔離政策。その歴史にカメラを向け続けてきたのが、俳優・石井正則さんです。世界から切り離された13の園で何を見たのか。「国立ハンセン病資料館」で写真展を開いている石井さんに、隔離の記憶について聞いた。

「命落とした兵士のため」日本兵4千人が眠るフィリピンの海のそばに、慰霊碑が建てられた理由

太平洋戦争末期、1944年10月24日〜25日に4千人の日本兵が犠牲になったスリガオ海峡海戦がありました。フィリピンのスリガオでは、慰霊碑が建てられ、毎年地元の人により慰霊式典が開かれています。

中曽根元首相の合同葬に税金9600万円。歴代首相は?自民党はいくら出す?批判もあがったが…

内閣と自民党との合同開催に、ネット上では税金を使うことに対する批判の声も広がった。しかし、総理大臣経験者の「国葬」「国民葬」「合同葬」が営まれるケースはこれまでもあった。戦前の「国葬令」が廃止されているいま、その基準はどこにあるのか?

米大統領選挙まであと2カ月!過去の「全国党大会」の様子を23枚の写真で振り返る

民主党と共和党、各党の大統領候補者を選出する「全国党大会」。過去の全国党大会で、有権者らはどのように候補者を応援していたのか?写真で振り返る。

関東大震災の朝鮮人虐殺、追悼の場で起きたこと。歴史修正、そしてヘイトをめぐって

追悼式典は、都立横網町公園に立つ朝鮮人犠牲者追悼碑前で1974年から毎年、震災のあった9月1日に開かれている。式をめぐっては、2017年から保守系団体「そよ風」などが真横で同時刻に「真実の関東震災追悼祭」を開催。朝鮮人虐殺を否定するような主張をしており、昨年の集会における参加者の発言は東京都に「ヘイトスピーチ」と認定されていた。

ディズニーめぐる通説がくつがえる。舞浜の由来は「マイアミ」ではないと公式見解

ディズニーワールドのあるアメリカ・フロリダ州で有名な「マイアミビーチ」にちなんだものとされてきた「舞浜」の由来。浦安市は昨年、近代神楽である「浦安の舞」が由来であると新たに記した。市史の検証作業のなかで、過去の記載が発見されたという。

「ワシは人殺しだ…」戦争体験者が流した涙、その理由とは

戦争が終わっても、長年にわたり、祖父の友人のなかに潜んでいた「人を殺してしまった」というトラウマーー。こうした「戦時PTSD」(心的外傷後ストレス障害)に悩まされていた元兵士たちは少なくありません。

欠けていた「加害の視点」 NHKが釈明に追われた原爆企画「ひろしまタイムライン」に見る日本の平和報道の問題点

終戦直後の混乱を巡るツイートで批判が相次いだ「ひろしまタイムライン」。NHKが再び釈明し「配慮が不十分だった」と謝罪した。問題点を解説する。

NHK「ひろしまタイムライン」で釈明 「朝鮮人」投稿巡り「ヘイト誘発」と批判

1945年の広島市民の動きと思いをツイートするNHK広島の「1945ひろしまタイムライン」で、朝鮮人を巡るツイートが批判を呼んでいる。NHKは釈明文を出した。

731部隊の戦争証言に「嘘は明白」? 誤った指摘が拡散「大学卒のみの採用」→「少年隊が存在」

731部隊の正式名称は関東軍防疫給水部。中国東北部(旧満州)で、感染症やワクチンなどのほか、細菌の研究をしていたとされる。捕虜を用いた人体実験や生物兵器の開発、細菌戦に関する証言も多く残されてきた。部隊には、14歳でも入ることのできる軍属の組織「少年隊」が存在していたことが、公文書や証言などから明らかになっている。

横浜の知られざる墓地で続く和解の礼拝 受け継がれ続ける元陸軍通訳の志

横浜に英連邦戦死者墓地という、あまり知られていない墓地がある。そこで例年8月、追悼礼拝が開かれる。26年続く礼拝は、戦時中に日本軍の通訳として捕虜の拷問に立ち会い、戦後を和解にかけた男性の思いから始まった。

「なぜあんなにも多くの人が命を落とさなければいけなかったのか」日本人ら思い、今もフィリピンで続く慰霊祭。日系人が語り継ぐ戦争

フィリピンのダバオで毎夏、終戦記念日に合わせて、現地で亡くなった日本人やその子どもたちを追悼する慰霊祭が開かれています。

「戦争に行きたくなかった」。18歳の夏、終戦を迎えた祖父と話した75年前のこと。

終戦になって思ったことは「兵隊行かなくて済んだ」「死ななくて大丈夫なんだ」。第二次世界大戦の時に軍需工場で働いた御年94歳の祖父。当時のことを聞いた。

「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"

12万人以上いたとされる、戦災孤児。戦争によって親を亡くした彼ら、彼女らはいったい「終戦」のあとをどう生きたのか。東京大空襲で家族を失い、親戚をたらい回しにされ、そして上野の地下街にたどり着いた女性の証言を取材した。

「僕は日本兵を殺した」、最期を前に語られる罪悪感や後悔… 「戦争は繰り返してはいけない」と言う前に、知っておくべきこと

「彼らが最期に言いたかったことは、だれが勝者でだれが敗者だったかというような話ではない。たとえ戦争に勝ったとしても、一人ひとりの中には喪失感や罪悪感、後悔があったということなのだと思います」

原爆を見た広島市民の日記、その文章を一連のツイートで注目させた #ひろしまタイムライン の舞台裏

75年前の広島市民の日記をツイートするNHK広島の「#ひろしまタイムライン」がこの夏、大きな話題を呼んだ。斬新な企画の発案者は、原爆報道に携わったことのない20代前半の女性だった。その舞台裏を取材した。

戦争中のお盆も「帰省は自粛」だった? 当時の資料が語る人々の暮らし

「信州戦争資料センター」ではTwitterで積極的に、戦前から戦時中の、庶民の暮らしを伝える貴重な資料を発信している。これまで自費で収集してきた資料は5456点。コロナ禍を生きる私たちにとっては、とても過去のものとは思えないような品もある。

「日本人と認めて」無国籍の高齢者の訴え。あなたが知らないフィリピンでの“戦後”

太平洋戦争によってバラバラになったフィリピンの日系人社会。今でも「日本人と認めて」と願う高齢の残留日本人がいます。映画『日本人の忘れもの』で描かれている思いとは。

長崎にあった「幻の原爆ドーム」は、なぜ撤去されてしまったのか?

長崎にはかつて、「幻の原爆ドーム」とも呼ばれる遺構があった。浦上天主堂だ。原爆の悲惨さを伝える存在として、天主堂の保存を求める声も少なくはなかったが、結果として撤去、再建された。廃墟となった側壁の一部は爆心地に移設されている。

広島の被爆から今日で75年。写真で振り返る、原爆ドームを取り巻く風景。

広島が被爆してからの75年間を、原爆ドームを取り巻く風景とともに振り返ります。

75年前のあの日の広島をツイートしたら #ひろしまタイムライン で学ぶ原爆投下

もし75年前にSNSがあったら。そんな発想を元に実在する3人の広島市民の日記をツイートで紹介するNHKの「#ひろしまタイムライン」が話題となっている。

寄り添う通訳であり、メディアである私 元TBSアナの久保田智子さんが被爆体験の伝承者となったわけ

元テレビアナウンサーが、広島で被爆体験を伝承する活動を続けている。元TBSの久保田智子さんだ。彼女はなぜ、メディアの仕事を離れて歴史を語り継ぐ道を選んだのか。

原爆が落とされた翌日から新聞が伝えたこと。終戦の日までに報じた「完璧な対策」

1945年8月の広島と長崎への原爆投下。その直後に新聞が報じたこと。

「おとうちゃん どうして…」子どもたちの残した原爆の詩が、いま問いかけるもの

戦争を知る世代を中心にした女優たち18人が結成した「夏の会」が朗読劇「夏の雲は忘れない」で読み継いできた、原爆体験者たちの言葉。そこから見えるものとは。

あの日広島で電車を運転していたのは少女たちだった ドラマ化の名作漫画が公開

75年前に原爆が投下された広島で、路面電車の運転台に座っていたのは、10代の少女たちだった。知られざる事実を描いたノンフィクション漫画が公開されている。

戦時中にもいた「自粛警察」 もし75年前にSNSがあったらー広島の人々の思いを載せたツイート更新中【戦後75年・継承を考える】

自粛警察。単身赴任したままの夫を案じる女性。授業にしわ寄せが来る中学生。75年と今で、人々の思いには共通点と、大きな違いの両方があった。NHK広島が原爆を生き延びた実在の市民3人の日記を元にしたツイッターアカウントを開設している。

中止になった五輪を、夢見た少女。元フィギュア全日本女王の戦争とは

戦争で中止になった1940年夏の東京オリンピック。実は、本来であれば同じ年の2月には、札幌で冬季五輪が開催される予定だった。「幻の五輪」に出場できていたかもしれないという、元フィギュアスケート全日本選手権女王の思いとは。

「戦争、身近に感じた場所。解体しないで」広島の若者が声をあげた理由

広島にある「被服支廠」、原爆で被爆した建物です。老朽化などで取り壊し案が進む中、被爆者や若者が反対の声をあげています。

「ガンを克服」「4時間労働」1970年に描かれた2020年が未来すぎる

1970年の大阪万博のパビリオン「三菱未来館」に展示されていた内容が話題を呼んでいます。宇宙から海底、そして未来都市。当時の人たちが夢見た「今年」はどんなものだったのでしょうか?パンフレットから振り返ります。

「桜を見る会」は、なぜ肥大化したのか。残された公文書からわかった事実

反社会的勢力やジャパンライフ元会長など、招待者をめぐる疑惑が深まる「桜を見る会」。国立公文書館に残された資料を辿ると、その歴史が見えてくる。第二次安倍政権になって招待者が激増している理由とは、どこにあるのか。

「桜を見る会」過去の“総理大臣枠“が明らかに。残されていた文書が示す「60」の意味

「桜を見る会」をめぐり、国立公文書館に残されていた決裁文書から、新たな事実が明らかになった。「マルチ商法」としてのちに行政処分を受けたジャパンライフ元会長が「60」という区分で招待されていた点が、安倍晋三首相によるものであるか、野党は追及を強めている。

「生まれる時代は選べない」“おたく”生みの親・中森明夫、半生を語る。

昭和、平成、令和のサブカルチャーを見続けてきた評論家・中森明夫さん。今、「おたく」という言葉にどんな思いを抱いているのだろうか。

「故郷で石を投げられた」反日感情と2つの国のはざまで。戦争に家族を奪われた、男性の思い

日系人男性がフィリピンで経験した太平洋戦争。投降し、捕虜になった男性は反日感情が強い故郷を去り、引き揚げ船で日本へ渡りました。ロング・インタビュー後編。

少年は戦争中、3カ国に家族を殺された。88歳になった今、伝えたいこと

太平洋戦争中、日本とフィリピンの狭間に立たされた少年が体験した戦争。日系人男性へのロング・インタビュー前編。

60年前の「桜を見る会」残されていた名簿が教えてくれること

「マルチ商法」としてのちに行政処分を受けたジャパンライフ元会長や、反社会的勢力が招待されていたことが明らかになっていることから、批判が高まっている「桜を見る会」。2019年の招待者名簿が直後に廃棄されていた一方、60年以上前の名簿が国立公文書館に残されていた。

「政治家の人生は歴史という法廷で裁かれる」と語った元首相の半生

死去した中曽根康弘元首相は「政治家の人生は、その成し得た結果を歴史という法廷において裁かれることでのみ、評価される」とつづっていた。

「戦争は人間のしわざ、戦争は死です」38年前、ローマ教皇が広島で語ったこと

ローマ教皇が「反戦」「平和」「核兵器廃絶」を訴える存在として日本で広く尊敬を集めるようになったのは、38年前にヨハネ・パウロ2世が来日したことがきっかけの一つだろう。

フランシスコ教皇は被爆地で何を語る。38年ぶり来日「ローマ教皇」は「キリストの代理人」

人類の「過ち」の遺産である長崎、そして広島で、フランシスコ教皇は何を語るのだろうか。

安倍首相が単独1位、首相在職2887日 では歴代最短は?

「桜を見る会」をめぐる一連の問題が取り沙汰される中、安倍晋三首相の首相在職日数が11月20日、2887日となり、歴代単独1位となった。在職日数は第1次内閣からの通算。

「ベルリンの壁」崩壊から30年。あの年に演奏された特別な「第九」とは

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が開放されたのは、30年前の11月9日だった。この年のクリスマス。ベルリンでは、壁の崩壊を祝う特別コンサートが開かれた。

嵐が天皇陛下の即位祝う「国民祭典」で歌った「奉祝曲」って? その意外な歴史

20年前はYOSHIKIが、10年前はEXILEが歌った「奉祝曲」。嵐が歌った曲のテーマは、天皇陛下が長年研究されている「水」。作詞は本家の岡田惠和さん、作曲は菅野よう子さん。当日の演奏は辻󠄀井伸行さんが担った。

正しい万歳は「手のひらを内側に」即位礼正殿の儀で拡散、本当は…?

「即位礼正殿の儀」で安倍晋三首相の万歳の仕方を賞賛する形で「手のひらを内側に向けるのが正しい万歳」という言説がTwitterなどで拡散している。これは、1990年代後半に官公庁を騒がせた「万歳三唱令」という偽文書に端を発しているとみられる。

「即位礼正殿の儀」で自衛隊が礼砲 なぜ21発?

天皇陛下が即位を内外に宣言された儀式「即位礼正殿の儀」で、陸上自衛隊の礼砲部隊が安倍晋三首相の万歳三唱のかけ声にあわせて、即位を祝う礼砲21発を発射した。

「即位礼正殿の儀」に登場した「高御座」 東京・京都で一般公開へ

天皇陛下が即位を公に宣言された儀式「即位礼正殿の儀」で、天皇陛下が昇られた玉座「高御座(たかみくら)」と皇后さまの御座「御帳台(みちょうだい)が、12月以降に東京と京都で一般公開される。

即位礼正殿の儀、注目ポイントは「おことば」と「万歳三唱」の発声

天皇の即位を内外に宣言して祝う「即位礼正殿の儀」が、10月22日午後1時から皇居・宮殿で実施される。天皇陛下は「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と呼ばれる装束で、玉座「高御座(たかみくら)」から、即位に際してのおことばを述べられる。

即位礼正殿の儀とは? 平成と令和で違いは?

天皇陛下が、即位を公に宣言する儀式「即位礼正殿の儀」が10月22日に皇居・宮殿で実施される。儀式の内容と「平成」と「令和」の違いをまとめた。

「何のための戦争だったのか」76年前のあの日、学徒出陣を見送った少女が思うこと。

東京オリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場にはかつて、「明治神宮外苑競技場」があった。そこで終戦2年前に開かれたのが「学徒出陣壮行会」。軍歌「海行かば」を合唱し、生徒たちを見送った女子学生はそこで、何を見たのか。

「水や泥で汚れた古文書を捨てないで」歴史研究者の団体が呼びかけ《台風19号》

「一見するとゴミのように見える場合がありますが、地域の貴重な歴史を記録したかけがえのない財産です」

「ベトナム人女性をレイプし、切断して楽しむ韓国兵たち」拡散した写真、フェイクの説明を後付けか

広がっている画像は、韓国軍がベトナム戦争時、現地で行った残虐行為という文脈で使用されており、多くは「ライダイハン」や虐殺事件に関するブログ記事や、ツイートに付随して拡散している。

100000000000000ジンバブエドルを発行したムガベ前大統領が死去

37年間にわたって、実質的な「独裁者」としてジンバブエに君臨したロバート・ムガベ前大統領が9月6日に死去した。95歳だった。

「平和ってまぶしいんだ」あの日、13歳の少年が思ったこと。

終戦記念日の8月15日、戦争と平和について書き続けてきた児童文学作家、早乙女勝元さんが、終戦や戦争体験、平和への思いを語りました。

靖国神社と千鳥ヶ淵に来た人に1つの質問をしたら、こんな答えが返ってきた。

令和になって初めての終戦の日。どんな思いで、それぞれの地を訪れたのか。

「日本は吹き溜まりの国」ガンダム生みの親・安彦良和と考える、“この国”のかたち

改元で新たな時代を迎えたいま、「天皇」と「この国」の成り立ちをどう捉えたら良いのか。そのヒントを安彦氏に聞いた。

終戦の玉音放送を現代語にすると...「耐え難いことにも耐え、我慢ならないことにも我慢して…」

1945年8月15日正午、昭和天皇が「終戦の詔書」を朗読した音声、いわゆる「玉音放送」がラジオで全国放送された。国民はこのラジオを通じて「敗戦」を知った。

タピオカと戦争の意外なつながり、知っていますか?

柳田國男の朝食にもなっていたと話題を呼んだ「タピオカ」。明治時代にハイカラな高級食材として西洋から取り入れられ、戦時中には米の代わりになった、その歴史を振り返る。

「人と人はわかり合えない」ガンダム生みの親・安彦良和は語る、人類と歴史の宿命を。【終戦の日】

71歳の安彦氏は、実際の「歴史」とも向き合っている。目下のライフワークは近現代史をテーマにした作品。『虹色のトロツキー』では中国東北部に存在した日本の傀儡国家「満州国」を描いた。連載中の『乾と巽』では「シベリア出兵」に取り組んでいる。

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