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Updated on 2020年8月26日. Posted on 2020年8月14日

原爆を見た広島市民の日記、その文章を一連のツイートで注目させた #ひろしまタイムライン の舞台裏

75年前の広島市民の日記をツイートするNHK広島の「#ひろしまタイムライン」がこの夏、大きな話題を呼んだ。斬新な企画の発案者は、原爆報道に携わったことのない20代前半の女性だった。その舞台裏を取材した。

戦後75年の2020年夏、大きな注目を集めている3つのTwitterアカウントがある。

「もし75年前にSNSがあったら」というコンセプトで、実在する3人の広島市民の日記をもとに、広島に原爆が投下される1945年の動きと市民の思いを日々ツイートするNHK広島放送局の企画「1945ひろしまタイムライン」だ。

NHK広島

被爆した人々の1945年の日記を、毎日ツイートし続ける。そんな3つのアカウントにそれぞれ10万を超えるフォロワーが集まり、ハッシュタグ「#ひろしまタイムライン」を含むツイートは8月6日、20万件に迫った。

「初めて原爆を身近に感じた」という声が集まった異例の企画を発案したのは、当時20代前半の女性スタッフだった。その舞台裏を取材した。

(注)取材はオンラインで行い、写真はNHK広島放送局の提供を受けた。

原爆取材の経験がない若い世代のアイデア

NHK広島放送局は2019年7月、被爆75年に向けた企画を局内で募った。

そこに、「当時の日記を毎日、紹介できないか」という企画案が上がってきた。当時入局3年目のディレクター平尾梨佳さん(25)のアイデアだった。

NHK広島

平尾梨佳ディレクター

平尾さんは広島が初任地で、これまで原爆関連の取材を重ねてきたわけではなかった。「原爆のほかにも、広島にはいろんな伝えるべき話がある。そういうことを中心に仕事をしていました」

しかし、だれからの提案も歓迎という呼びかけに、「せっかくの機会だから考えてみよう」と図書館に行ったという。そこで、中国新聞記者だった大佐古一郎さんが自らの日記をまとめた著書「広島 昭和二十年」を見つけた。

「読んで、面白いと思いました。せっかく日記なのだから、毎日発信したらいいんじゃないか。
『今日の大佐古さん』というミニ番組をつくるような感じでやって行けたらいいんじゃないか、と考えました」

企画案を募集したチーフプロデューサーの上松圭さん(44)は、これまでNHKスペシャルなど数々の番組を手がけてきたベテランだ。

「75年というのは、一つの節目です。そして原爆投下直後、広島では『これから75年間、草木も生えない』と噂されました。その75年が来る。いつもより大きな展開ができないかと、2018年終わりぐらいから考え始めました」と振り返る。

被爆者の平均年齢は83歳を超えている。75年という年月は、被爆という事実への社会一般の関心を遠ざけるとともに、その体験を語り続けてきた人々の高齢化もたらしている。

「あの日」を中心に被爆者の声を聞くという、これまでと同じようなやり方で原爆を伝え続けることは、年々難しくなっている。

「新しいことを考えないといけない。しっかり記録して伝える
ことと、被爆者の方々が話すことができなくなった後のことをも見据え、若い世代に新しい伝え方を考えよう、と呼びかけました」

そこに出てきたのが、ネットとSNSを使いこなしてきた世代である、平尾さんのアイデアだった。

「日記を毎日出すという発想は僕自身にはなくて、面白いと思いました」

「日記には、8月6日のことだけじゃなく、元日から大晦日まで書かれている。日常が原爆投下で一気に変わり、戦争が終わってまた社会が変わっていく。大きなストーリーがそこにある。化学変化が起きるんじゃないかと思いました」と上松さんは振り返る。

局内で、この提案を元に話し合いを続けた。

広島には「8月5日」で終わる日記も残っている。だが、「8月6日に亡くならなかった方を選び、原爆投下から終戦という社会の変化とも向き合って自分の人生をどう生きるか。そこまで描ききりたいなと思った」(上松さん)という。

最終的に、大佐古一郎さんをはじめとする実在の3人の日記をもとに、原爆投下以前の段階から年間を通じてツイートを続け、ツイートの制作過程をもとに番組をつくるという企画がまとまった。

実在する3人の肉声

開設したアカウントは、以下の3つだ。

NHK広島

当時32歳の中国新聞記者だった大佐古一郎さんをモデルにした一郎(@nhk_1945ichiro)

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当時26歳で妊娠中だった主婦今井泰子さんをモデルにしたやすこ(@nhk_1945yasuko)

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当時13歳の中学1年生で、いまも健在の新井俊一郎さん(88)の当時の日記をもとにしたシュン(@nhk_1945shun)

当時を追体験し、その心の動きもツイートに

日記には、その日の動きが書いてあるものの、本人でないと、あるいは通読しないとわかりにくい省略もある。75年後の今を生きる人には理解しくい価値観の違いもある。だから、そのままツイートしても伝わりにくい。解説を加えたりして分かりやすくする必要がある。

次のステップは、だれがどうやって日記をツイート文にしていくか、という点だった。

当初はプロのライターに依頼する案もあったが、伝手を頼って広島にゆかりがある市民に依頼することにした。

平尾さんらスタッフは、「中の人」を探す過程で、広島市の「被爆体験伝承者養成事業」に参加する人々に企画の説明に行った。これは、高齢化が進む被爆者の体験を聴き取り、次世代の「伝承者」として市の認証を受け、体験と思いを受け継いだうえで平和学習の場などで話すという、世代間の継承のための活動だ。

伝承活動のメンバーの1人に、元TBSアナウンサーの久保田智子さんがいた。

NHK広島

ツイートの内容を話し合う久保田智子さん(左)ら

久保田さんは広島県出身。TBS退職後、米コロンビア大学で、市民の口述の歴史を記録する「オーラルヒストリー」を専攻して修士号を取得。あわせて「伝承者」として活動していた。そこで、久保田さんに協力を依頼したという。

一郎さんの「中の人」は、久保田さんら3人。そしてやすこさんは広島にゆかりの女性3人、シュンくんは、年齢が近い高校生5人が担当した。

それぞれ、日記や、本人が書いたその後の手記を読み込んだ上で、親族や勤務先の関係者などへの取材を重ね、「その時、その人はどう思ったか」を想像した。日々の行動の記録である日記に、その時の心の動きなどを重ねてツイートにする作業を続けてきた。

さらに、当時と同じ行動を取り、その身体的な負荷をも体験し、その時の心の動きをもつかもうとした。

2020年3月からツイートの公開を始めた。日記の原文は、特設サイトで確認できるようになっている。

【1945年4月3日】 今日は米の配給の日である。 米がもらえるのである!朝食後久しぶりに配給所に米をとりにいった。 20キロ、多少重かったが弟がいるのであまり重くないフリをした。実際米の重さより米を食べられる楽しみが勝り、いつもより重くなかったかもしれない。 #ひろしまタイムライン

NHK広島

20キロ入りの配給米を担いで歩いたシュンくんが何を思ったかを知るため、高校生らは同じルートで、同じ重さの米袋を担いで歩いた。

NHK広島

市中心部から少し離れた疎開先で原爆のキノコ雲を見た一郎さんの衝撃を追体験するため、同じ場所でキノコ雲の絵を見た。

ツイートは、劇団「烏丸ストロークロック」代表で劇作家・演出家の柳沼昭徳さんが監修を務めている。

柳沼さんは各地で、市民のライフストーリーをもとに演劇を創ってきた。2019年6月には、原爆をテーマにした市民劇『新平和』を広島で上演した。役者として参加した市民が被爆者の話を聴き、それをもとにしたストーリーだ。

上松さんらはこの劇を観て、柳沼さんに監修を依頼した。

「『新平和』は、被爆前から被爆、その後の人生を、しっかり描いている。あ、こんなことあったんだというエピソードを拾っていた。例えば、ある女性が逃げる道中で、初潮を迎える。それを拭う布を探したり井戸で水を汲んだりといった、凄く身体的なエピソードが入っていました」

「こういうことは、映画にもテレビにもなっていない。それが拾えたのは、普通の市民が取材し、それをもとに脚本を作っていくからです。取材した人たちは最初、ステレオタイプな被爆体験の話を聞いてくる。それを柳沼さんが『そうじゃない。同じ身体を持つ人間として感じられる話を拾うようにしよう』と指導することで、ステレオタイプじゃない広島を見つけてこようとする」

「素晴らしいと思いました。『8月6日ってこうだよね』っていうものの、もっと先を伝えていきたい。そこで解像度の高いものを出して行けそうだと思い、監修をお願いしました」

増えていったコメント 「逃げて!」

こうしてつくられたツイートには、フォロワーから次々とコメントが付いた。

7月までは、戦時下の暮らしへのぼやきに対する共感や驚きといった内容が中心だった。

しかし8月6日が近づくとNHKで複数の番組で取り上げられたこともあり、フォロワー数は2−3万人台から10万人以上に急増。この先に起きることを知っているフォロワーから、6日を心配する内容が増えていった。

郊外の農村に集団疎開していたシュンくんが、8月6日に広島市内の自宅に帰省することが許可されると、「行かないで」「どんなに叫んでも届かないのがもどかしい」といったコメントが相次いだ。

【1945年8月4日】 朝食の最中、第一回目の帰省者の発表あり。 なんと! 出動回数の多い者として、僕や西川たちが選ばれた!八月六日に廣島へ発って八日に帰寮せよとのことだ。 朝飯が喉につかえるぐらいの喜びだ。 #ひろしまタイムライン #広島 #もし75年前にSNSがあったら

8月6日、ツイートは20万に迫った

BuzzFeed Japan Newsが分析ツールSocial Insightで調べたところ、「#ひろしまタイムライン」を含むツイートは、7月1日に200台(サンプリング分析による概算)。8月1日でも1000台だったが、原爆投下当日の8月6日には20万近くに急増した。8月13日も3000を超え、8月に入る前とは勢いが違う。

ツイートをしたのは女性が56%を占めた。地域的に見ると、関東が約半分、近畿が約15%、広島県は9%。地元として原爆に特別な思いがある人の多い広島県の枠を超え、全国的な拡がりを見せた。

原爆を巡るツイートが「バズる」。フォロワーが次々とコメントする。この現象を目の当たりにした上松さんは「広島に行っちゃダメというコメントには、驚きました」と振り返る。

「これを見て、『共時性』という言葉が最初は浮かんだのですが、歴史上の人物ではなく、自分もそこにいるように感じてくれたのではないかと思います。ツイートの3人は友だちにも、自分の子どもにもなり得る。例えば織田信長を主人公に同じようなツイート企画をやっても、こうならないのではないかと思います」

そして平尾さんは、こう受け止めた。

「被爆者の方々は、『被爆者』として生まれたわけでも、それだけの側面で生きてきたわけでもない。例えばやすこさんもシュンくんも、長い人生の中の1日に原爆投下があったわけで、それで大きな影響を受けた訳だけれども、その1日だけですべてが回収されるわけではない。『被爆者』としてだけではなく、1人の人間としてその人を見るということを、再確認した感じがします」

疎開の呼びかけは「命の尊重」だと限らない

当時の時代背景と感性で書かれた日記を「現代語訳」することには、いかに想像を張り巡らせたり追体験をしたりしても、一定の限界もある。

例えば、「お国のため」が全てに優先する教育を受けて育ってきた当時の人々の考え方と、「個」を尊重する今の感性との違いを実感することは難しい。

一郎さんは、6月の岡山空襲や7月の呉空襲を取材し、疎開を強く呼びかける記事を書いている。

【1945年6月30日】 「とにかく書こうや。特高は人心が動揺する言うて削るかもしれんが。できるだけ詳しゅう書こうや。あまりにも残酷すぎる」と部長。廣島へ戻る車内で夢中で書く。「死者約千七百名、岡山被災の教訓。疎開に行きすぎはない」。気づけば二百行書いていた。 #ひろしまタイムライン

【1945年7月2日】 防空壕は街に近い横穴ほど死者が多かった。これは壕の奥が吹き抜けで街の炎や煙が吸い込まれたからだ。それでも、土に顔をつけてかすかに呼吸して生き残った人もいたという。どんなに苦しかったことだろう。早く疎開を進めていれば、もっと命は救われた。 #ひろしまタイムライン

これを「命を大切に」という呼びかけだと読み取るのが、戦後75年を生きる私たちの感性だ。これらのツイートは、多くの「いいね」とRTを集めた。

一方、一郎さんのツイート文を作成している久保田さんは、こう語る。

「一郎さんは日本が勝つためにはどうするか、そのために、どう無駄死にを防ぐか、というところまでを考えているんです」

「リツイートが増えるのは、『今の感覚でもそうだよね』というところなんですが、では当時の感覚はどういうものだったのかということも、知ってほしいと思うようになりました。一郎さんの言葉の奥にあるものも、感じてほしいと思います」

75年の時の流れの中で、同じ日本語の言葉の奥に、大きな価値観の違いが潜むようになっているのだ。

久保田さんは今、そこをどう橋渡しすればいいのかを模索しながら、被爆体験の伝承活動を続けている。

「共感」だけで消費されたくはない

シュンくんの場合、モデルの新井俊一郎さんがご存命で、当時の思いを本人に直接尋ねることができる。高校生たちは新井さんと会ったり、LINEでビデオミーティングを開いたりしてやりとりを重ねた。

NHK広島

新井俊一郎さん(左)の話を聞く高校生ら

制作チームの高校生らは5月6日、新井さんの日記を元に、こうツイートした。

「今日も朝からB29がやってきて、楽しみにしていた小谷先生の授業を台無しにしてしまった。近頃は敵機が爆弾も落とさずにただぐるりと廻って去っていくことが多い。本当に遊んでいる訳でもないだろうに、一体何をしているのだろう」

「そもそも、このように他の都市が大規模な爆撃を受けている中で、広島ばかりがいつまでも無事でいられるはずがないのだ。いつか必ず広島も爆撃されるに違いない。それを考えると、夜も落ち着いて眠れないくらいに恐ろしくなってくる」

チームは、B29が爆撃をせず飛んでいるのを見て、「いつ攻撃されるのだろう」と恐ろしかったという話を新井さんから聞いた。そこで「日記には詳しく描かれていないその恐ろしさを表現した」という。

それに新井さんは、こうコメントした。

「『それを考えると、夜もおちおち眠れないほどの恐怖に襲われる。それが敵の狙いなのか』と、私なら書き足します」

つまり、徹底した軍国教育を受けていた当時の少年たちは、日記ですら「恐ろしい」という個人の思いを出すよりも、そこから敵愾心を感じて「お国のため」に自分を奮い立たせることを優先させていた、ということだ。

「最初は高校生も自分も、似ているところ、共感できるところから入ってしまう。それはそれで大事だと思うんですが、すべてが同じじゃないということを、新井さんに言われることで、初めて知りました」と、平尾さんは言う。

「ともすれば『分かるよ』という方向に行ってしまう。しかし、新井さんは当時の日記と経験が『共感』だけで消費されることを、警戒しておられました。それは違うということを指摘して下さった。こういうことを直接、やりとりできるありがたさを感じました」

ツイートはこれからも続く。秋〜冬に特番も

3人のツイートは、8月7日以降も続いている。

本社が壊滅した中国新聞社では、ニュースを口伝えで伝える「口伝隊」を結成し、記者らがメガホンを持って走り回るという、あまり知られていない事実がある。

東日本大震災で壊滅的被害を受けた石巻日日新聞社が手書きの「壁新聞」をつくり、被災者に情報を伝え、励ましたこととも重なる姿だ。

【1945年8月12日】 本社焼け跡では、同僚たちが鉛筆と紙の代わりにメガホンを持ち、ニュースを口伝えで知らせる「口伝隊」として活躍している。被災市民に廣島の現状を伝え励ますため、新聞は発行できなくともやれることがある。 #ひろしまタイムライン #もし75年前にSNSがあったら

そして8月15日、3人は玉音放送を聴いて何を思うのか。そこから、どう行動するのか。

一般的に原爆にまつわる番組や記事は、原爆投下当日に集中してつくられることが多い。

しかし、原爆が落ちたからといって、戦争に負けたからといって、生きている限り、その人の暮らしは続く。そのうえに、75年後の今の日本社会がある。

人々が原爆投下と敗戦の衝撃をどう受け止め、そこで何を感じ、戦後をどう生きたのか。そこまでをSNSで同時に体験し、「自分ごと」として考える。それが、この企画の真の意味だ。

NHKには「原爆を巡る話が、初めて身近になった」という声が若い世代を中心に寄せられているという。「このツイートがあって、戦争関連の番組を見ようという気になった」「これがあったから8月6日、9日を迎える気持ちが去年と全然違った」という声があった。


上松さんは「8月7日に『あ、続くんだね』『これからだね』という声をたくさん頂いたことが嬉しかった。これから8月15日を迎え、戦後、社会と3人の境遇の変化も、もの凄く大きなものがあります。これからも見続けていただければ」と話す。

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上松圭チーフプロデューサー

15日にりゅうちぇるさんらを迎え、改めて全国放送。秋以降にも特番

「ひろしまタイムライン」を巡り、中国地方だけで8月7日に放送された番組「1945ひろしまタイムライン夏」が8月15日午前2時10分からNHK総合で全国放送される。田村淳さん、りゅうちぇるさん、わたなべ麻衣さん、HIPPYさんが出演する。

また、秋から冬にかけて、原爆投下以降の3人のツイートと社会の動きを巡る番組も制作される予定だ。放送日時や詳しい内容は、これから具体化するという。


【取材後記】

筆者(貫洞)は広島の出身だ。原爆には特別な思いがある。周囲には原爆を生き延びた人が多かった。お墓参りに行けば「昭和弐拾年八月六日没」と書かれた墓石が、墓地にずらりと並ぶ。そんな環境で育ったからだ。

前職の新聞社で記者となり、その後BuzzFeed Japanに移ってからを含めて25年以上、海外を含む様々な任地で、原爆を巡る記事を書き続けてきた。

Yoshihiro Kando/BuzzFeed

広島に帰省した際に撮影した原爆ドーム

しかし、原爆にまつわるツイートが大きな盛り上がりを見せるという現象は、初めて目の当たりにした。

原爆に関する記事を書く際、被爆体験をきちんと伝え、その惨禍を繰り返さないよう考えることがまず、重要になる。だから、被爆者の方々に取材する際は、どうしても原爆投下当日の話や、戦後の平和活動、被爆者援護運動で積み重ねてきた思いが中心となる。

そこで抜け落ちるのが、それぞれの人々が当時、どんな思いで戦時下の日々を生き、原爆投下だけでなく敗戦をどう受け止め、戦後をどう生きてきたのかという個の視点であり、ライフストーリー、そしてオーラルヒストリーだ。

一連のツイートの存在を知り、フォローを始めたのは5月頃だった。「斬新だ」と思った。一般的な原爆報道ではなかなかすくい取ることができない、日々の想いを伝える内容が満載だったからだ。

そして8月に入りTwitterで大きな盛り上がりを見せると、それが我がことのように嬉しかったとともに、今まで自らが書いてきた一連の記事のあり方を反省した。

取材者である私はそれまで、原爆を生き延びた方々を「被爆者」という一つの形にはめ込み、その定型の中で報じることを続けてしまっていたのではないか。筆舌に尽くしがたい過酷な体験をした個人に対して、「被爆者」という、今の日本で一定の役割とイメージを背負うことになった立場を演じさせていたのではないかということを、改めて感じたからだ。

戦後75年。戦争、そして原爆を体験した人々の高齢化はもはや、直に「継承」できる歳月の限界に近づきつつある。

従来の原爆報道の枠外から出てきた若いアイデアと、それを受け止めて具体化したNHK広島放送局の方々の努力にまず、率直な敬意を表したい。

そして、BuzzFeed Japan Newsとして、今後もさらに新たな伝え方を考え、読者のみなさんにお届けしたいと思っている。今の日本を、次の「戦前」に変えないために。

Contact Yoshihiro Kando at yoshihiro.kando@buzzfeed.com.

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