• historyjp badge

東京を襲った火の海で、命を落とした人たちの「二重の被害」。今、朝鮮人空襲犠牲者に祈りを捧げる思い

東京・墨田区の東京都慰霊堂で、東京大空襲での朝鮮人犠牲者を追悼する会が開かれました。

1晩で10万人の命が奪われた1945年3月の東京大空襲。犠牲者には、朝鮮半島出身の人々が含まれていた。

東京・下町の工場などで働いていた10〜30代の若者などが多く犠牲になった。忘れてはならない歴史的事実だ。

東京都墨田区にある東京都慰霊堂で3月18日、空襲で被災した朝鮮人犠牲者の追悼会が行われた。

「尊い一人ひとりのいのち、忘れずに記憶する必要」

追悼会は、「東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会」が主催し、今年で17回目になる。

東京大空襲の犠牲者に朝鮮半島出身の人々がいたことを語り継ぎ、追悼することが目的だ。

韓国と北朝鮮双方の遺族団体などのあいさつが代読され、日本の議員らも追悼の言葉を読み上げた。約60人の参加者らは犠牲者に花を手向けた。

日本キリスト教協議会総幹事の金性済牧師は「私たちは、犠牲者への追悼の心を新たにし、追悼会に集いました」と語り、こう述べた。

「今ここに生かされて生きる私たちが、あの歴史の中の不条理の死によって犠牲とされた尊い一人ひとりのいのちを決して忘れずに記憶する必要がある」

「この歴史を心に刻み、そしてその歴史から私たちが真実の和解と平和のために学ばなければならないことが何かを問い、後世に伝えていく使命があります」

東京都慰霊堂は、関東大震災(1923年)の犠牲者の遺骨を納めるために戦前に建てられた霊堂。その後、東京大空襲の犠牲者の遺骨も納められた。その中には朝鮮の人たちの遺骨もある。

「知ってほしい」朝鮮の人々が経験した、二重の被害

追悼会の開催に携わる、朝鮮大学校朝鮮問題研究センター・副センター長で教授の金哲秀さんは、BuzzFeed Newsの取材にこう話した。

「まず、なぜ東京に当時、朝鮮人がいて、なぜ空襲の犠牲になったのかということについて知ってほしいと思います。命を落とした人たちは『二重の被害』を受けました」

「植民地の歴史とその被害、強制連行について考えてほしいです。空襲で大きな被害を受けた下町には工場などが多くあり、朝鮮人の労働者も多く住んでいました。遺族の痛み、苦しみは今も続いていることも知ってほしいと思います」

「東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会」は、朝鮮人被害者についての調査を続けている。金さんは「空襲の被害があった地域の町内会には、ぜひ町内にいた朝鮮人の情報を寄せてほしい。そしてぜひ一緒に追悼してほしいと思います」と語った。

調査が続く犠牲者の名簿。“奪われた”氏名と朝鮮人被災者

東京大空襲で犠牲となった人たちの氏名をめぐっては、日本出身の犠牲者も、政府や都が名簿を公開していないために、明らかになっていない部分が多く残っている。

朝鮮人の空襲被害については、さらに資料が少なく、犠牲者は約1万人ともみられているが、詳細は明らかになっていない。

また、朝鮮人犠牲者の氏名をめぐっては、植民地支配化での「創氏改名」の影響で、調査が難しいという側面もある。

創氏改名とは、日本が朝鮮半島を植民地支配する中で、朝鮮の人たちに日本式の氏名を名乗らせていたこと。

創氏改名の影響で、犠牲者の氏名だけでは朝鮮半島出身者かどうか分からない場合もある。

朝鮮人犠牲者の名簿に記されているのは現在、187人。その名簿にも、日本風の苗字での記載が多く見受けられる。

ここに記録されているのは、「東京大空襲・戦災誌5巻」や、日本政府が韓国側に渡した「被徴用死亡者連名簿」に空襲犠牲者として氏名が記載されていた人たちだ。

被徴用死亡者連名簿に記載されていた約120人ほどは年齢も分かっており、その多くが10〜30代の男性だった。