Reporting To You X
{title}

historyjp

historyjp

「ここは人間の捨て場だった」病を理由に隔離された詩人たち。彼らが社会に投げかけた言葉とは

かつては「らい」と呼ばれたハンセン病。法律に基づき、社会からの隔離政策が進められていきた。差別を受け、故郷に帰ることを許されず、ときに中絶や断種までもを強いられた人たちが、希望を託したものとは。

【動画】「私が殺した。私が殺したんだ」娘たちの死を嘆き続けた母。東京大空襲から78年、あの日の証言

たった数時間で10万人の命を奪った3月10日の東京大空襲。下町に暮らす多くの民間人が犠牲になった。当時「日本人」として生きていた朝鮮半島出身の一家が、体験した「戦争」とは。

「私が娘を殺したんだ…」母と僕が、悔い続けたこと。あの日、2人の妹を失った家族の知られざる被害【東京大空襲】

たった数時間で10万人の命を奪った3月10日の東京大空襲。下町に暮らす多くの民間人が犠牲になった。当時「日本人」として生きていた朝鮮半島出身の一家が、体験した「戦争」とは。

「朝鮮人虐殺の歴史を矮小化する小池知事へ忖度」“歴史認識”への懸念で作品が上映中止に。アーティストが都に直接訴えたこと

関東大震災での朝鮮人虐殺について扱った現代アーティスト・飯山由貴さんの動画作品の東京都人権プラザでの上映が「歴史認識」などへの懸念が伝えられたのち、中止なった問題。「検閲」を都人権部が否定するなか、飯山さんらが訴えたこととは。

「日本人の子だとは言えなかった」元ゲリラ兵の夫に隠した過去。フィリピンに残された彼女の戦後とは

フィリピン人と日本人の間に生まれた日系人の子どもたちは、戦争に翻弄され、「フィリピン残留邦人」となった。日本人の子ということを隠し生きた「戦後」とは。日系人女性へのインタビュー後編。

「朝鮮人虐殺」を扱うアート作品、東京都が上映取りやめ… 歴史認識に「懸念」小池知事の追悼文問題に言及も

関東大震災での朝鮮人虐殺について扱った現代アーティスト・飯山由貴さんの動画作品の東京都人権プラザでの上映が、取りやめになった。都の担当者からは「都ではこの歴史認識について言及していません」などというメールのやりとりがプラザを運営する人権啓発センター側とあったのち、取りやめが決定されていたという。その経緯と背景とは。

「死なないで」出撃する特攻隊に少女は伝えた。「一人の人間だった」と今も語り続ける理由

「音楽が好きで、音楽を涙しながら聴いて……。本当に一人の人間だったんです」。生まれ育った台湾で特攻隊と出撃までの日々を過ごし、「生き残った後悔」を背負った元特攻隊と結婚した中田芳子さんは、そう語ります。

【動画】特攻隊員の“最後の日々”を共に過ごした14歳。彼女が生きた「恐ろしい時代」とは

77年前の8月、日本統治下の台湾で終戦を迎えた中田芳子さん(91)。 当時14歳だった彼女は、出撃の日を待つ特攻隊員たちの最後の日々を共に過ごし、次々と死地へと飛び立つ彼らを見送りました。

特攻隊から預かった白いマフラー。「彼は死なないと思っていた」でも…。あの日14歳だった女性が今語ること

19歳で命を落とした特攻隊の男性に生前、託された遺品。台湾で特攻隊員たちと出撃前の時間を過ごし、次々と飛び立っていく隊員たちを目の当たりにした中田芳子さんは「特攻は愚かしい」と語る。

戦時中に活躍した伝説のアイドル。「まっちゃん」を知っていますか? 明日待子さんが生前、語っていたこと

かつて、新宿の劇場「ムーラン・ルージュ」で、多くのファンを虜にしたアイドルたちがいた。彼女たちは、いかに戦争の時代を生き抜いたのか。そして、何を考えたのか。明日待子さんの貴重な証言から振り返る。

【動画】「母は最後まで手を振っていた」77年前のあの日、原爆で家族5人を亡くした少女が長崎で見たものは

1945年8月9日。長崎に投下された原爆によって、家族5人を亡くした森田富美子さん(93)。 生まれ育った街が瓦礫と化した日の朝、母が言い残した言葉を、森田さんは今でも覚えています。

原稿から削られた6文字 原爆の日1週間前に急逝した韓国人被爆者の"遺言"とは

広島の原爆の日の1週間前、ある被爆者の男性が亡くなった。男性のメッセージを収録した映像が平和記念式典の会場で流されたが、広島市の手で6文字削られていた。なぜか。男性が死の淵で言い残したかったことは。

「家族の血のりを身体に…」あの日、原爆で両親と弟を失った16歳の少女。重い口を開いて語ったこと【長崎・被爆77年】

【被爆証言】1945年8月9日、長崎市で7万人以上の命を奪った原子爆弾「ファットマン」。その爆心地からすぐの駒場町に暮らし、16歳にして両親と弟3人を失った女性がいます。少女はあの日、何を見たのか。いま伝えたい思いを聞きました。

下着に隠されていた、姉妹の写真。戦病死した女性オリンピアンが見た「天国」と「地獄」

1946年、満州からの引き揚げ途中に亡くなった、ある女性。ブラジャーに隠されていた一枚の写真は、ベルリン五輪に出場した姉妹のものだった。唯一の女性「戦没オリンピアン」である、飛び込み選手の大沢政代さんが歩んだ足跡を追った。

あの日、オーストラリアで日本人が集団脱走した理由

オーストラリア内陸部で1944年8月、捕虜として収容されていた日本兵ら500人以上が集団脱走をしようと決起し、200人以上が死亡した。日本人捕虜はなぜ、無謀な脱走を試みたのか。長期取材で掘り起こしたドキュメンタリーが公開された。

最後の聖火ランナーになった「原爆の子」。あの日、広島に生まれた彼が背負ったもの

1964年の東京オリンピックで、聖火リレーの最終走者に選ばれた当時早稲田大生の坂井義則さん。1945年8月6日、広島に原爆が投下された直後、広島県内で生まれた彼は、いわば戦後復興と平和の「象徴」だった。その歴史を振り返る。

東京五輪の影響で…?NHKから8月6日の「原爆特番」がなくなる。地上波で43年ぶり【コメント更新】

NHKは1979年以降の例年8月6日に必ず総合チャンネルで、原爆や核兵器、戦争に関する発信を続けてきた。いずれも、「平和記念式典」の中継やニュースとは異なり、ドキュメンタリー番組やドラマなどの特集枠を用いたものだ。

なぜ、東洋の魔女は「非国民」と呼ばれたのか。五輪をめぐる“誹謗中傷”が、彼女たちを追い込んだ

前回の東京オリンピックで伝説となった女子バレー日本代表「東洋の魔女」。菅首相もたびたび言及している彼女たちが、犠牲にしたものとはなんだったのか。大松博文監督や河西昌枝選手、さらに元メンバーや当時の新聞をもとに、振り返る。

「オリンピックの陰で泣く人もいる」2度の五輪のため、2度立ち退きを強いられた男性。その願いとは

東京五輪のメインスタジアム・国立競技場のある、東京都新宿区霞ヶ丘町。戦前からこの町に生まれ育ちながら、1964年の五輪でも、そして今回の五輪でも、競技場建設のために立ち退きを強いられた元住民の男性に、思いを聞きました。

大統領「あれは暴動ではなく虐殺」。100年前に起きたアメリカ史上最悪の人種差別事件

1921年5月31日から6月1日、アメリカ・オクラホマ州タルサで、暴徒化した白人たちが黒人住民を襲撃した。300人以上が死亡したと推定されているが、加害者は誰も逮捕・起訴されていない。長年語られなかったこの事件が起きて、今年で100年になる。

「政治に殺される」話題の宝島社“タケヤリ”広告、実は薙刀? 画像は「ネット上から探し当てた」

この広告で使われている写真が「竹槍」ではなく「薙刀」であるとの指摘があがっている。1941〜44年に撮影されたという説があるが、これは「竹槍訓練」ではなく国民学校における体練の授業の様子を撮影したものとみられる。

「国は戦没者を冒涜している」沖縄で広がる抗議、その理由を知っていますか?

沖縄県で進む、米軍普天間基地を名護市辺野古に移設するための埋め立て工事。必要となる土砂採取の候補地に、本島南部があげられ、「戦死者の遺骨が含まれている可能性がある」と反発を呼んでいる。遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の男性はハンガーストライキで抗議の意思を示している。

「もし、東京五輪が中止になったら…」研究者が“警戒”すること

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い今国会で改正された特措法と感染症法。都道府県知事の営業時間の短縮の命令に従わない事業者や、入院拒否や逃亡をした患者、保健所の調査を拒否した人には行政罰としての「過料」が科されることになった。近現代史学者は「自由や権利を自ら差し出してしまった」と内なる戦前に警鐘を鳴らす

「命カエシテ」強いられた堕胎、奪われた子どもの命。「ある病」の歴史と向き合った俳優、その警鐘

多くの人々の人生を、自由を、そして子どもたちの命を奪った、国の「ハンセン病」隔離政策。その歴史にカメラを向け続けてきたのが、俳優・石井正則さんです。世界から切り離された13の園で何を見たのか。「国立ハンセン病資料館」で写真展を開いている石井さんに、隔離の記憶について聞いた。

「命落とした兵士のため」日本兵4千人が眠るフィリピンの海のそばに、慰霊碑が建てられた理由

太平洋戦争末期、1944年10月24日〜25日に4千人の日本兵が犠牲になったスリガオ海峡海戦がありました。フィリピンのスリガオでは、慰霊碑が建てられ、毎年地元の人により慰霊式典が開かれています。

中曽根元首相の合同葬に税金9600万円。歴代首相は?自民党はいくら出す?批判もあがったが…

内閣と自民党との合同開催に、ネット上では税金を使うことに対する批判の声も広がった。しかし、総理大臣経験者の「国葬」「国民葬」「合同葬」が営まれるケースはこれまでもあった。戦前の「国葬令」が廃止されているいま、その基準はどこにあるのか?

関東大震災の朝鮮人虐殺、追悼の場で起きたこと。歴史修正、そしてヘイトをめぐって

追悼式典は、都立横網町公園に立つ朝鮮人犠牲者追悼碑前で1974年から毎年、震災のあった9月1日に開かれている。式をめぐっては、2017年から保守系団体「そよ風」などが真横で同時刻に「真実の関東震災追悼祭」を開催。朝鮮人虐殺を否定するような主張をしており、昨年の集会における参加者の発言は東京都に「ヘイトスピーチ」と認定されていた。

ディズニーめぐる通説がくつがえる。舞浜の由来は「マイアミ」ではないと公式見解

ディズニーワールドのあるアメリカ・フロリダ州で有名な「マイアミビーチ」にちなんだものとされてきた「舞浜」の由来。浦安市は昨年、近代神楽である「浦安の舞」が由来であると新たに記した。市史の検証作業のなかで、過去の記載が発見されたという。

「ワシは人殺しだ…」戦争体験者が流した涙、その理由とは

戦争が終わっても、長年にわたり、祖父の友人のなかに潜んでいた「人を殺してしまった」というトラウマーー。こうした「戦時PTSD」(心的外傷後ストレス障害)に悩まされていた元兵士たちは少なくありません。

731部隊の戦争証言に「嘘は明白」? 誤った指摘が拡散「大学卒のみの採用」→「少年隊が存在」

731部隊の正式名称は関東軍防疫給水部。中国東北部(旧満州)で、感染症やワクチンなどのほか、細菌の研究をしていたとされる。捕虜を用いた人体実験や生物兵器の開発、細菌戦に関する証言も多く残されてきた。部隊には、14歳でも入ることのできる軍属の組織「少年隊」が存在していたことが、公文書や証言などから明らかになっている。

横浜の知られざる墓地で続く和解の礼拝 受け継がれ続ける元陸軍通訳の志

横浜に英連邦戦死者墓地という、あまり知られていない墓地がある。そこで例年8月、追悼礼拝が開かれる。26年続く礼拝は、戦時中に日本軍の通訳として捕虜の拷問に立ち会い、戦後を和解にかけた男性の思いから始まった。

「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"

12万人以上いたとされる、戦災孤児。戦争によって親を亡くした彼ら、彼女らはいったい「終戦」のあとをどう生きたのか。東京大空襲で家族を失い、親戚をたらい回しにされ、そして上野の地下街にたどり着いた女性の証言を取材した。

「僕は日本兵を殺した」、最期を前に語られる罪悪感や後悔… 「戦争は繰り返してはいけない」と言う前に、知っておくべきこと

「彼らが最期に言いたかったことは、だれが勝者でだれが敗者だったかというような話ではない。たとえ戦争に勝ったとしても、一人ひとりの中には喪失感や罪悪感、後悔があったということなのだと思います」

原爆を見た広島市民の日記、その文章を一連のツイートで注目させた #ひろしまタイムライン の舞台裏

75年前の広島市民の日記をツイートするNHK広島の「#ひろしまタイムライン」がこの夏、大きな話題を呼んだ。斬新な企画の発案者は、原爆報道に携わったことのない20代前半の女性だった。その舞台裏を取材した。

戦争中のお盆も「帰省は自粛」だった? 当時の資料が語る人々の暮らし

「信州戦争資料センター」ではTwitterで積極的に、戦前から戦時中の、庶民の暮らしを伝える貴重な資料を発信している。これまで自費で収集してきた資料は5456点。コロナ禍を生きる私たちにとっては、とても過去のものとは思えないような品もある。

長崎にあった「幻の原爆ドーム」は、なぜ撤去されてしまったのか?

長崎にはかつて、「幻の原爆ドーム」とも呼ばれる遺構があった。浦上天主堂だ。原爆の悲惨さを伝える存在として、天主堂の保存を求める声も少なくはなかったが、結果として撤去、再建された。廃墟となった側壁の一部は爆心地に移設されている。

戦時中にもいた「自粛警察」 もし75年前にSNSがあったらー広島の人々の思いを載せたツイート更新中【戦後75年・継承を考える】

自粛警察。単身赴任したままの夫を案じる女性。授業にしわ寄せが来る中学生。75年と今で、人々の思いには共通点と、大きな違いの両方があった。NHK広島が原爆を生き延びた実在の市民3人の日記を元にしたツイッターアカウントを開設している。

中止になった五輪を、夢見た少女。元フィギュア全日本女王の戦争とは

戦争で中止になった1940年夏の東京オリンピック。実は、本来であれば同じ年の2月には、札幌で冬季五輪が開催される予定だった。「幻の五輪」に出場できていたかもしれないという、元フィギュアスケート全日本選手権女王の思いとは。

「ガンを克服」「4時間労働」1970年に描かれた2020年が未来すぎる

1970年の大阪万博のパビリオン「三菱未来館」に展示されていた内容が話題を呼んでいます。宇宙から海底、そして未来都市。当時の人たちが夢見た「今年」はどんなものだったのでしょうか?パンフレットから振り返ります。

「桜を見る会」は、なぜ肥大化したのか。残された公文書からわかった事実

反社会的勢力やジャパンライフ元会長など、招待者をめぐる疑惑が深まる「桜を見る会」。国立公文書館に残された資料を辿ると、その歴史が見えてくる。第二次安倍政権になって招待者が激増している理由とは、どこにあるのか。

「桜を見る会」過去の“総理大臣枠“が明らかに。残されていた文書が示す「60」の意味

「桜を見る会」をめぐり、国立公文書館に残されていた決裁文書から、新たな事実が明らかになった。「マルチ商法」としてのちに行政処分を受けたジャパンライフ元会長が「60」という区分で招待されていた点が、安倍晋三首相によるものであるか、野党は追及を強めている。

60年前の「桜を見る会」残されていた名簿が教えてくれること

「マルチ商法」としてのちに行政処分を受けたジャパンライフ元会長や、反社会的勢力が招待されていたことが明らかになっていることから、批判が高まっている「桜を見る会」。2019年の招待者名簿が直後に廃棄されていた一方、60年以上前の名簿が国立公文書館に残されていた。

嵐が天皇陛下の即位祝う「国民祭典」で歌った「奉祝曲」って? その意外な歴史

20年前はYOSHIKIが、10年前はEXILEが歌った「奉祝曲」。嵐が歌った曲のテーマは、天皇陛下が長年研究されている「水」。作詞は本家の岡田惠和さん、作曲は菅野よう子さん。当日の演奏は辻󠄀井伸行さんが担った。

正しい万歳は「手のひらを内側に」即位礼正殿の儀で拡散、本当は…?

「即位礼正殿の儀」で安倍晋三首相の万歳の仕方を賞賛する形で「手のひらを内側に向けるのが正しい万歳」という言説がTwitterなどで拡散している。これは、1990年代後半に官公庁を騒がせた「万歳三唱令」という偽文書に端を発しているとみられる。

back to top