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【写真で振り返る】アメリカにあった日系人収容所ってどんな感じだったの?

写真家の宮武東洋は、第二次世界大戦中に米政府により日系人強制収容所に送られた。彼は収容された日系アメリカ人の日々を撮影し続けた。

真珠湾攻撃をきっかけに、第二次世界大戦を通して続いた、米連邦政府による「日系アメリカ人の強制収容」のことを知っているだろうか?

1942年、写真家として活動していた宮武東洋さんは、カリフォルニア州のマンザナー日系人強制収容所に収監された。

当時このような日系人収容所は、「マンザナー強制収容所」を含め、米国内に10カ所あった。

この記事では、当時の日系アメリカ人の体験を記録した写真をまとめている。

A newspaper headline reads "Ouster of all Japs In California near"

1923年、宮武さんは、ロサンゼルス市のリトル・トーキョーに自身の写真スタジオを開業した。

宮武一家が、マンザナー強制収容所の自宅の居間でくつろぐ写真が残っている。

開業当時、宮武さんは静物の美術写真に情熱を注いでいたと、孫のアラン・ミヤタケさんは話す。

アランさんは現在、祖父の写真スタジオを引き継いでいる。

自らも収監されたとき、日系アメリカ人コミュニティに起きていることを記録するのが写真家としての義務だと、宮武さんは心に決めた。

Mountains in distance and a sign in a desert that reads "Manzanar Unit War Relocation Area"

「収容された1年目のあるとき、祖父は私の父アーチーにカメラを見せ、このようなことが二度と起きないように、この記録を残すことが自分の義務だと言いました」と孫のアランさんは話す。

コロナ渦でアジア系アメリカ人に対する差別が増加しているなか、人種差別の歴史と向き合う必要があるのかもしれない。

この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:五十川勇気 / 編集:BuzzFeed Japan