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「桜を見る会」は、なぜ肥大化したのか。残された公文書からわかった事実

反社会的勢力やジャパンライフ元会長など、招待者をめぐる疑惑が深まる「桜を見る会」。国立公文書館に残された資料を辿ると、その歴史が見えてくる。第二次安倍政権になって招待者が激増している理由とは、どこにあるのか。

招待者に関する様々な疑惑が持ち上がり、批判に晒されている首相主催の「桜を見る会」。

国立公文書館に残されていた過去の資料などをBuzzFeed Newsがまとめたところ、これまで開催されてきたほとんど全ての会の参加人数が明らかになった。

公文書から、改めて「桜を見る会」をめぐる歴史を振り返る。

1952〜2005年までは国立公文書館に残されていた2006年の「桜を見る会」決裁文書から、06年から14年までは官邸サイトなどから、それ以降は関連報道から引用し、BuzzFeed Newsが改めてデータをまとめた。

決裁文書のデータは「入苑者数」というもので、1953年〜2005年までのデータがまとまっている。1952年(第1回、吉田茂首相)と1966年(佐藤栄作首相)が欠落している。記録が保存されていないため、とされている。

また、1960年(岸信介首相)は安保闘争、95年(村山富市首相)は阪神淡路大震災、2011年(菅直人首相)は東日本大震災、12年(野田佳彦首相)は北朝鮮のミサイル対応を理由に中止となっている。

67年前と比べると18.5倍に

1953年の第2回、吉田茂首相の時代の参加者はわずか980人だったが、回を重ねるごとにだんだんと増加。1980年代に入ると、恒常的に5000人を超えるようになっている。

参加者がはじめて1万人の大台に乗ったのは、1996年。橋本龍太郎首相の時代だった。1999年には、小渕恵三首相が11206人と記録を更新。いったんは減少するが、2006年の小泉純一郎首相以降、1万人を超えるようになった。

特にその増加幅が顕著なのは、やはり第二次安倍内閣だ。2012年から12000人とこれまでより多くなり、毎年500〜1000人ずつ増加。2019年には1万8200人となっていた。

66年前と比べると、実に18.5倍以上に肥大化していることがわかる。

過去の名簿を開いてみると

そもそも「桜を見る会」は、1952年に当時の吉田茂首相が戦前に開催されていた「観桜会」を参考に始めたものだ。

国立公文書館には、1953(昭和28)年からの資料のほか、56年(昭和31年)とその翌年の招待名簿など、関連資料が複数存在していた。インターネット上で閲覧できるものもある。

1956年4月18日(水曜日)の「桜を観る会」の名簿によると、鳩山一郎首相(当時)主催の同会で招待をされたのは、4400人。その半分が、招待者の「夫人」という数え方をしている。

つまり、実質的な招待者は2200人になるが、それにしても、この年の参加者数はデータ上は660人と、招待と参加のギャップが大きい。

気象庁によると、この前日から発達した低気圧の影響で関東、東北では大火が相次ぎ、北海道では漁船の遭難や洪水も起き、多くの死者が出ている。とはいえ、その影響は定かではない。

当時の招待者の基準は?

ひるがえって、当時の招待者は誰か。

その範囲は「外交団、皇族、元皇族、各大臣…」とはじまり、最高裁判所長官、衆参両院議長、国会議員や認証官(天皇の認証が必要とされる国家公務員。検事総長や侍従長、特命全権大使など)が並んでいる。

さらに、国立国会図書館長や、警察を管理する国家公安委員、内閣官房長官および各政務次官、法制局長官などの政府関係者が。

いまは官房長官が招待者の最終決定者であり、かつ自らの招待枠もあったことが明らかになっているが、当時は官房長官は招待される側だった、ということがわかるだろう。

その後は、衆参両院事務総長や公正取引委員会、土地調査委員会、学士院、芸術院の関係者、特殊銀行会社の社長、東京都と隣接県の知事や議会議長、さらに横浜市長ーーそして「各界代表」と続く。

では、2005年の場合はどうなっているのか。国立公文書館に残された2006年の決裁文書によると、5年の招待者は以下の通り。これは1956年とも大差はなく、現在の政府答弁とも概ね同様だ。

《皇族、元皇族、各国大公使等、衆参両院議長および副議長、最高裁判所長官、国務大臣、副大臣及び大臣政務官、国会議員、認証官、事務次官等および局長等の一部、都道府県の知事及び議会の議長等の一部、その他各界の代表者等》

肥大化した「各界代表」

にもかかわらず、なぜ人数が大幅に増えているのか。肥大化が指摘されているのは、その他とされている「各界の代表者等」だ。

1956年の「各界代表」は382人(割り当ては400人)で「大体昨年桜を観る会のときの概数とする」とされている。

しかし、2005年は各省庁推薦の各界功績者が1538人。そのほか総理大臣推薦者(含・自民党、公明党)が2420人、官房長官推薦者(含・副官房長官)が314人と別の枠も存在している。

合わせれば4272人で、全体に占めている割合はおよそ半分だ。また、その翌年06年は全体の参加者が1万人を超えた年だが、各界功績者と総理大臣、官房長官推薦枠の合計が5538人となっており、半分以上になっている。

さらに2019年では、「各省庁推薦の功労者ら」が6000人。菅義偉官房長官の説明によると、このほかに、以下のような割り当ても存在するという。

▽安倍首相1000人▽副首相、官房長官、官房副長官1000人▽自民党関係者6000人▽国際貢献や芸術文化などの特別招待者や報道関係者、公明党関係者、元国会議員など1000人

合わせれば1万3千人だ。この中には、「私人」とされている昭恵夫人からの推薦枠もあったという。

公文書が残される意味

長年の歴史を経て、「桜を見る会」が大きく肥大していることが、ここからもわかるだろう。

こうした比較も、過去の文書が「公文書」として残されていたことにほかならない。現代は、どうだろうか。

招待者の名前や属性が記載された招待者名簿は、各省庁などの取りまとめをする内閣府が保存期限を2018年4月にそれまでの「1年」から「1年未満」へと変更

今年に関しては、開催からわずか1ヶ月ほどでシュレッダーにかけられていており、誰がどのように招待されたか、今年のことでもわからないとされている。

たとえば各年ごとの参加者や、招待区分ごとに内訳が記載された決裁も、内閣府側の説明では「現在はとっていない」ために存在しないという。

桜を見る会は単なる「疑惑」に過ぎず、公文書をめぐる大きな問題であるという視点からの議論も、求められている。