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大統領「あれは暴動ではなく虐殺」。100年前に起きたアメリカ史上最悪の人種差別事件

1921年5月31日から6月1日、アメリカ・オクラホマ州タルサで、暴徒化した白人たちが黒人住民を襲撃した。300人以上が死亡したと推定されているが、加害者は誰も逮捕・起訴されていない。長年語られなかったこの事件が起きて、今年で100年になる。

1921年5月31日から6月1日にかけて、のちに「タルサ人種暴動(虐殺)」「グリーンウッドの虐殺」「ブラック・ウォール街の虐殺」と呼ばれる事件が起きた。

アメリカ・オクラホマ州にあるタルサ市グリーンウッド地区で、暴徒化した白人たちが黒人住民を襲撃。黒人住民の住宅や店舗を大量に破壊した。

グリーンウッド地区では、黒人オーナーのビジネスが栄えていた。第一次世界大戦後、黒人の上流階級や中流階級の家庭が集まり、活気にあふれる地域だった。黒人が経営する企業、銀行、学校が軒を連ねる地区の中心部は、その経済力と影響力から「ブラック・ウォール・ストリート」と呼ばれていた。それは、20世紀における黒人コミュニティの成功の道筋を示していた。

この事件は「米国史上最悪の人種差別事件」と称されるにもかかわらず、長年明るみに出ることがなかった。2001年、およそ80年ぶりにオクラホマ当局が調査報告書を発表した。

200ページにわたる報告書によると、事件当時の公式記録での死亡者は39人。しかしこれは死亡報告書が存在する被害者のみの数で、正確な死亡者数は判明していない。

300人以上の黒人住民が殺害され、数千人〜1万人が住居を失ったとも推定されている。

事件の数日前、黒人の靴磨きディック・ローランド(当時19)が、白人のエレベーター係サラ・ペイジ(当時17)に性的暴行をしたとして、白人の店員が告発した。その後警察の調べで、ローランドは誤ってエレベーターに乗ってしまい、つまづいたため落ちないようにペイジの腕をつかんだだけだったと判明している。

しかし、タルサの白人住民たちの間では「性的暴行」という誤った形で情報が広がり、人種差別に動機づけられた暴力行為が街全体で扇動された。

当時、新任の警官たちの監視下だったにもかかわらず、白人の暴徒たちはグリーンウッド地区の建物に放火し、貴重品を盗み、抵抗する人に暴行を加えた。報告書によるとこれらの行為は当時も今も、市や郡、州、連邦のどのレベルにおいても起訴されておらず、暴徒たちは処罰されていない。

Bettmann / Bettmann Archive

事件後のタルサ、グリーンウッド地区。

Bettmann / Bettmann Archive

グリーンウッド・アベニューとイースト・アーチャー・ストリートの交差点沿い。

Oklahoma Historical Society / Getty Images

州兵により、黒人住民がタルサの拘置所に護送される様子。黒人たちは武装していないが、州兵はライフルを持っている。

Library of Congress

多くの黒人住民が家を失った。避難キャンプとなった建物のの入り口。

Bettmann / Bettmann Archive

食事の配給に並ぶ黒人住民たち。

Library of Congress

事件から数カ月後、治療を受けている黒人住民たち。1921年11月1日撮影。

事件から100年が経過した2021年6月1日、ジョー・バイデン米大統領はタルサで開催された追悼式典に参加し、演説を行った。現職の大統領として現地を訪問するのは初めてだ。

バイデン大統領は演説で、事件は「暴動ではなく虐殺だ」と強調した。

What happened in Tulsa 100 years ago was not a riot—it was a massacre.

Twitter: @JoeBiden

「追悼式典を行うのは、事件が抹消されないため。痛みとトラウマに、永遠にフタをしておくことはできない」

「歴史が沈黙しているからといって、事件が起こっていないということではない」

「不正な行為の中には、どんなに隠そうとしても埋もれないほど凶悪で、恐ろしく、悲惨なものがある。ここでもそれは同じ。真実があってこそ、癒しが得られる」

「暴徒は誰も逮捕されていない。正確な死者数もわかっていない」と語ったあと、被害者と遺族に敬意を示し黙祷した。

5月末、タルサでは式典のほかにもパレードや集会などが催され、人々は祈りを捧げた。

Brandon Bell / Getty Images

2021年5月28日撮影。タルサ人種虐殺について、壁画を見ながらいとこに教える男性。

Sue Ogrocki / AP

2021年5月28日撮影。馬車に乗った生存者の3人が、沿道の人々に手を振っている。左から、ヒュース・ヴァン・エリス・シニア、レジー・ベニングフィールド・ランドル、ヴィオラ・フレッチャー。

Polly Irungu / Reuters

2021年5月28日撮影。生存者で最年長のヴィオラ・フレッチャー(107)。

生存者3人は5月19日、米下院の司法小委員会で事件当時について証言した。

ヴィオラ・フレッチャーは、当時7歳だった。両親に起こされ、5人のきょうだいと共に家から逃げたという。通りで、白人が黒人を攻撃しているのを目にした。

「撃たれている黒人男性の姿が、道に横たわる黒人の遺体が、今でも脳裏に浮かびます」とフレッチャーは語った。

「私は毎日、あの虐殺の中を生きています」

第二次世界大戦の退役軍人でもあるヒュース・ヴァン・エリスは、フレッチャーの弟だ。エリスも、フレッチャーと同じ記憶を抱えて生きてきたと話す。

「私たちは、画面に映し出されるただの白黒写真ではありません。生身の人間です」

「正義を求めて、裁判所に行く。そう教わったはずです。でも私たちの場合は違いました。オクラホマの裁判所は、私たちの声を聞いてくれませんでした。遅すぎると言われたのです」

当時6歳だったレジー・ベニングフィールド・ランドルも、悲惨な記憶を語った。

「銃を持った白人の男たちが、私のコミュニティを破壊していきました。家や店を燃やしていました。建物から欲しいものだけを盗って、そのあと火をつけるのです。人を殺していました」

「家の外を走ったのを、覚えています。遺体の横を走りすぎたのを。素敵な光景ではありませんでしたよ。100年たった今でも、心に残っています」

生存者たちはオクラホマ州当局を批判し、事件の説明責任と賠償金の支払いを求めている。

Brandon Bell / Getty Images

2021年5月29日撮影。グリーンウッド地区で、バンドがパレードをする様子。

John Locher / AP

2021年5月31日撮影。バーノン・アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会の外にある祈りの壁に手を添えて祈る人々。

John Locher / AP

2021年5月31日撮影。追悼集会でキャンドルに火を灯し祈る人々。