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「ベルリンの壁」崩壊から30年。あの年に演奏された特別な「第九」とは

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が開放されたのは、30年前の11月9日だった。この年のクリスマス。ベルリンでは、壁の崩壊を祝う特別コンサートが開かれた。

Robert Wallis / Getty Images

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が開放されたのは、30年前の11月9日だった。

この年のクリスマス。ベルリンでは、長らく街を東西に隔てていた壁の開放を祝うコンサートが開かれた。

演奏されたのはベートーヴェンの交響曲「第九」。1824年の初演以来、第一次世界大戦の終結、バイロイト音楽祭の復活、オリンピックなど、様々な場面で歌い継がれてきた。

ただ、この時の「第九」は、1989年という時代、そして壁によって「自由」が制限され、東西に分断されたドイツ・ベルリンという街だからこその、特別なものだった。

かつて敵対した国々が「第九」を演奏

Santi Visalli / Getty Images

この歴史的なコンサートでタクトを振ったのはアメリカの指揮者レナード・バーンスタイン。20世紀を代表する指揮者だった。

演奏を担ったオーケストラも、ベルリンの壁崩壊という歴史的な出来事を象徴する構成だった。

YouTube/EuroArtsChannel / Via youtube.com

メインには西ドイツのバイエルン放送交響楽団を据え、東ドイツのシュターツカペレ・ドレスデン、アメリカのニューヨーク・フィルハーモニック、イギリスのロンドン交響楽団、フランスのパリ管弦楽団、ソ連のキーロフ歌劇場管弦楽団の計6楽団員が集った。

合唱には東西ドイツの合唱団が、ソリストにはアメリカ、ソ連、東西ドイツから4人の歌手が参加した。

アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、東ドイツ、西ドイツ……かつて敵対し合った国の音楽家たちは、ベルリンの壁が取り払われた喜びを分かち合うべく集まった。

そして、彼らを指揮したバーンスタイン自身は、ユダヤ系アメリカ人だった。

歌詞「Freude(歓喜)」→「Freiheit(自由)」に

Kei Yoshikawa / BuzzFeed Japan

「自由への讃歌/バーンスタイン・イン・ベルリン」

「第九」のハイライトといえば、最も有名な第4楽章の「歓喜の歌」だ。バーンスタインは、ここにもある演出を加えた。

歌の名前にもなった歌詞「Freude(フロイデ=歓喜)」を、「Freiheit(フライハイト=自由)」に変更して歌わせたのだ。

歌詞の変更について、バーンスタインはこう書き記している。

シラーが頌詞「歓喜に寄す」を作詩したとき、同じ詩を「自由に寄す」と読み換えられるもうひとつの草稿を残した、という説が立てられたことがあるということである。


だが今日のほとんどの学者は、これはおそらくでっち上げで、その張本人は19世紀の政治家フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンではなかったかとみなしている。


その真偽はともかく――スコア(楽譜)に「よろこび」と記されている個所は、今こそ「自由」という言葉と置きかえて歌うべく、天から与えられた機会であるように思われてならない。


人間の真の喜びのためには、学説の真偽を無視してよい歴史的な時点があるとすれば、今がそのときなのだ。


そしてベートーヴェンはわたしたちのそのことをよろこんで許し、祝福してくれると思わずにいられない。


自由よ、永遠に!


レナード・バーンスタイン「テキストをちょっと変更したことについて」
「自由への讃歌/バーンスタイン・イン・ベルリン」パンフレットより)

当時、バーンスタインの身体は肺がんに冒されていた。それでもバーンスタインはタクトを振った。ドイツの、そして人間の「自由」の喜びを表現するために。

翌年の1990年10月3日、東西ドイツは再び一つになった。バーンスタインは、まるでドイツ統一を見届けるかのように、その直後の10月20日にこの世を去った。72歳だった。

バーンスタインが命を燃やしながらタクトを振った「第九」は、「自由への讃歌(Ode an die Freiheit)」として、今なお人々の記憶に刻まれている。

1989年12月25日「自由への讃歌」の動画はこちら

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Contact Kei Yoshikawa at kei.yoshikawa@buzzfeed.com.

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