人工透析を中止し患者が死亡 提案する医師とその選択を支持する声に反論する
丁寧な話し合いさえすればいいのでしょうか? また意思の変更はどのような場合に認められるものなのでしょうか?
【立岩真也(たていわ・しんや)】立命館大学大学院先端総合学術研究科教授 1960年、佐渡島生。専攻は社会学。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。千葉大学、信州大学医療技術短期大学部を経て現在立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。単著として『私的所有論』(勁草書房、1997、第2版生活書院、2013)『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(青土社、2000)『自由の平等――簡単で別な姿の世界』(岩波書店、2004)『ALS――不動の身体と息する機械』(医学書院、2004)『希望について』(青土社、2006)『良い死』(筑摩書房、2008)『唯の生』(筑摩書房、2009)『人間の条件――そんなものない』(イースト・プレス、2010)『造反有理――精神医療現代史へ』(青土社、2013)『自閉症連続体の時代』(みすず書房、2014)『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(青土社、2015)『不如意の身体――病障害とある社会』(青土社、2018)『病者障害者の戦後――生政治史点描』(青土社、2018)
丁寧な話し合いさえすればいいのでしょうか? また意思の変更はどのような場合に認められるものなのでしょうか?
世界では資源の枯渇が言われ、人間の生活による環境負荷も問題になっています。それでも日本で「人、ものが足りない」と訴えるのは正しいのでしょうか?
「高齢者の終末期医療はカット」「生産性がない」など、特定の人を排除する言葉に私たちはどのように向き合えばいいのか。社会学者、立岩真也さんの連載が始まります。
「高齢者の終末期医療はカット」「生産性がない」など、特定の人を排除する言葉に私たちはどのように向き合えばいいのか。社会学者、立岩真也さんの連載が始まります。
丁寧な話し合いさえすればいいのでしょうか? また意思の変更はどのような場合に認められるものなのでしょうか?
世界では資源の枯渇が言われ、人間の生活による環境負荷も問題になっています。それでも日本で「人、ものが足りない」と訴えるのは正しいのでしょうか?