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『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(3) マイノリティの分断と内部対立を超えて

当事者内外の分断は埋めることができるのか?

「抗議やデモでは変わらない。対話と議論を」「政治批判に利用するな」と、かまびすしい。

しかし、かつて米国の「礼儀正しい」同性愛運動であるホモファイル運動には限界があった。スタイル批判のなかで深まる当事者間の分断を超え、自分はなにをするかを小倉東、北丸雄二、永易至文の3人で語り合った座談会報告の第3回。

* この座談会は、語り手のひとり小倉東さんが新宿二丁目で経営する「ホモ本ブックカフェ オカマルト」で、トークライブの形式で開催されました。

* 本座談会は、男性シスジェンダー・ゲイ指向の3人の視点で語る特徴と限界があります。性的マイノリティ全体を指す場合とゲイを指す場合が、区別なく「ゲイ」と表現されたり、自称として「オカマ」「ホモ」「レズ」が使われたりすることがあります。あらかじめご了承ください。

ポライト(礼儀正しい)な運動で事態が変わるか

北丸 ここで「ホモファイル運動」について話していいですか。アメリカのLGBT運動で、ストーンウォール暴動(※)やその後の70年代のリベレーション(解放運動)に先だって、ホモファイル運動と呼ばれる流れがありました。

※1969年 6月28日、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」が警察による踏み込み捜査を受けたさい、いあわせた同性愛者らが反抗し、暴動になった事件。直前に死去した女優ジュディ・ガーランドを悼む気分が警官への敵がい心を高めたという説もある。現代LGBT運動の始発点とされ、6月は北半球諸国でプライド月間としてLGBTのパレード等が催される。

変態、セックスモンスター、幼児性愛者、はては外国のスパイだとさえ言われてきた同性愛者について、「私たちは異常者ではありません」とアピールする戦術です。

男性は(反体制の象徴である長髪ではない)クルーカット、スーツにネクタイ、女性も膝下までの保守的なスカートで、シュプレヒコールをあげるでもなく、ただ「同性愛者たちにも自由を」などメッセージを書いたボードを持って整然と輪になって歩く運動を続けていました。

社会を刺激したり攻撃したりしてはいけない、理解と共感を得るにはこうしなければならない、と思った戦術です。それでも当時、大変な勇気が要った大変な行動でした。

しかし、そんなことでラチがあくわけもなく、そのうち臨界点が来たんですね。それが「ストーンウォールの暴動」でした。それをきっかけに怒濤の70年代が始まるわけです。

そのときにまず立ち上がったのは、さっき小倉さんが言った「女性的なゲイ」やレズビアンたち、いまでいえばトランスジェンダーも含む、多少エキセントリックな、コミュニティ内部からもいじめられていた人たちですよ。

ゲイ差別プラス女性差別のいちばんの矢面に立って、いちばんしわ寄せを受けていた人たちが、怒りとともに立ち上がったことが起爆剤になったわけです。黙っていれば「普通」に見えた”男っぽい”ゲイたちは後ろでオロオロ隠れてた。

日本の障害者運動だって、陳情や慈悲にすがるだけではラチがあかず、1977年の「川崎バス闘争(※)」なんかの止むに止まれぬ実力行動があって局面の転換を迎えるわけですよ。人の歴史は、忍従と、その臨界点での怒りの爆発を繰り返しながら進んできた。この史実を憶えていてほしい。

※車いすの障害者が路線バスへの乗車を断られたことに抗議し、大勢の障害者が川崎駅前でバスの車内に座り込み、運行を止めた障害者運動。

永易 でも、もっとも虐げられた人びとに矛盾はしわ寄せされ、被抑圧者はいつか立ち上がる、そして社会は変わるという、そんな知識人好みなロマン主義的革命史観でいいのか(会場笑)と問うて、「怒りと怒号では伝わらない」「保守層にも聞いてもらえるよう、こちらが配慮しなきゃダメだ」とみずから言う当事者が出てきたのが現在でして……。

北丸 だから、そっちはそっちでやってよ(会場笑)。一大国民運動にしてよ、と。こっちはこっちでやるから(笑)。

永易 私もリブ出身として、こういう直接行動、声を上げるスタイルは社会運動に必須、不可避のものと思っていますが、当事者からの嫌悪感がかくも高く、そういう人たちがつぎつぎ「抗議の声を上げ」て、それを活動家に「叩きつけて」きます。「俺たちのハッピーゲイライフの邪魔をするな」とばかりに。

ここには、「ハッピーゲイライフ」を唱導した小倉さん、あなたにも一抹の責任があるのではないでしょうか(会場笑)。

小倉 ハッピーゲイライフはともかく(苦笑)、私は日本のパレードが、ゴーゴーボーイやドラァグクイーンを「ふつーのゲイ」ではないから世の中に間違った印象を与えると、パレードから排除する傾向があるように感じて不満を覚えていました。

一時期、本当にゴーゴーやドラァグの参加が少なかったような気がします。パレード主催者は、お上品な日本版「ホモファイル運動」をしようとしているのか、と勘ぐってました。

北丸 とはいえ、日本はそういう奇抜、突飛な強いプロテストではない、「礼儀正しい」お願いスタイルのほうが受け入れられやすいのかもしれないなあ……。それは戦略としての「スタイル」だし、それで現実の事態が動くかどうかは知らないけど。

そもそもこれまでLGBTにかんして、「おだやかに、平和的に、対話の精神」で陳情を重ねることを、だれもやっていないわけ?

永易 いえいえ、自民党前行動はかなり例外的で、それでも整然と行われましたよ。また、当事者団体もパレード団体も、自民党ふくめ等距離外交につとめ、ロビイングや陳情、懇談を、自民党議員もふくめ何度も何度も繰り返しています。

それに応じて結成された国会議員の「LGBT議連」も、自民党議員が会長を務めています(関連記事)。プライドパレードに参加する自民党議員も昨今、多くなりました。

ちなみに私事で恐縮ですが、そのLGBT議連でも活躍する牧島かれん議員(自民、衆院神奈川17区)が初出馬するさい、大学時代のインカレ英会話サークルの友人だったというゲイに頼まれ、彼女にLGBTのレクチャーをしにいったことがあります(2009年。そのときは落選)。ワシントンでの留学経験もある彼女は、なんの問題もなく理解してくれました。保守政党との対話も多チャンネルで試みられているのです。

また、さきほどはキャンペーン型の運動、代理店の広告手法の多用には疑問があるなんて言いましたけど、写真などおしゃれなビジュアルで多くの人の感情にソフトに訴えかける手法が多用され、さまざまな工夫もされていますよね。

でも、運動をdisりたい側からは、結局、なにをやっても「あいつらは野党(立民、共産、社民)の一味で、安倍批判をやりたいだけ。野党側も与党批判に利用している」と、見もしないで腐すわけですね。

対話なき「分断」はそっちこそではないかと思うのだけど、「じゃあ、こちらへ出てきて一緒に議論しましょうよ」と呼びかけると、「それはカミングアウトの強制だ」「顔出しゴメン」と言って逃げるわけ……。

「政治利用するな」の声とコミュニティの党派的分断

永易 最後に、三つ目の当事者からの批判として、LGBTを政治利用するな、政権批判に使うな、という声もデカいんですね。俺たちを巻き込むな、とでもいう。

でも、LGBTとはまさに政治問題であり、この政治状況にいちばん責任があるのは政党政治の仕組み上、政権(党)なわけですから、LGBTを取り上げれば政権批判になることがあるのはあたりまえ。たとえば、選挙で沖縄問題に言及したら、「沖縄を政治利用するな」とは言わないでしょ。

パレードはお祭りだから政治問題を訴えるな、安倍批判に使うな、という人もいるけど、パレードはプラットフォーム、反LGBT言説以外はなにを表明してもいい場です。自民党支持も自民党批判も、みんなOK。「政治を持ち込むな」の人とはいつも平行線ですね。

北丸 そういう人を一人一人説得するのは無理だから、いつかパラダイムの転換が起こってトレンドが変わればその人たちもなびくに決まっていると、つい最近まで思ってたけど、実際問題として、それでも「ついていけない」人たちが残るんだろうな。

その声がSNSで拡声されてよく響く。逆に僕らの声も彼らには拡声されて響き、恐れをあおっているんだろうけど。そこに当事者の「分断」が生まれる素地があるのかな。

小倉 分断の一例として、うちによく来る、若い子が集まるゲイバーのマスターから聞いた話。お客さんから、マスターはどんなお店行くんですかと聞かれ、「オカマルトとか行くよ」と言うと、若い子のグループから「あー、僕も行きたいんだけど、あたしたちは某さんのお店に行くからオカマルトは行ってはいけないのよ」と答えたというんです(会場笑、拍手)。

私と某さんとの長年の確執はともかくとして(笑)、そんなことに無関係なお客さんまでが、なに派なに派と自分で分断を意識し、対立構造に身を当てはめることを迫られる状況があるのか、うわー、と思ったわけ。二丁目のお店の張り合いならたわいもないけど、これがネット空間上での右派・左派、保守・リベラル、活動家支持かアンチか、みたいなポジション取り争いにもいえるんじゃないかと思う。

北丸 ねえねえ、某君の店とオカマルトと、なにが違うの。

小倉 僕、おんなじだと思ってるわよ!(会場笑) それはさておき、最近、とかく踏み絵を迫る/迫られるような場面を見かけることが多いよね。

永易 私も、自民党前抗議に安倍批判のプラカードなんか見かけなかったと書いたら、永易はじつは隠れ「しばき隊」で、隠ぺい報道している、ファクトチェックとはちゃんちゃらおかしい、とネットで言われてますからね(会場笑)。もう私、潜伏キリシタンかよ。

これから自分はなにをするか?

永易 このかんの騒動からどんな問題が析出できるのかを、いろいろお話して、課題整理になったかどうかわかりませんが、最後にこれをふまえ、自分は今後なにをするのか、語っていきたいと思います。

北丸 おれはいままでとスタイル変える、やる方向性を変えるなんてとくにないんだろうな。実際、年取るともう変われない(笑)。でも、同時になに見ても驚かなくもなったよ。悲しむことはあるけど。

永易 長く生きてきちゃうと、これ10年前も見た、20年前にもあった、と思うんですよね。小倉さんは?

小倉 私も、過去に起こったことをちゃんといまの人に手渡して、それを判断の基準や材料にしてほしいと思っています。まあ、本当に辛い過去の歴史をそのまま差し出しても手にしてくれないから、ギフトラッピングぐらいはしてね。この店のスタイルは、そんなラッピングなの。

北丸 30年近くLGBTの話、やはりカムアウトとは何かを軸にいろいろ考えてきて、事典にもウィキペディアにも、どこにも書かれてないことを考えてきて、それをきちんとまとめておきたいなと思ってるんですよね。ちゃんと書き残して死にたい。

小倉 カムアウトといえば、バディの編集時代にライターが「隠れゲイ」と書いてきて、「あんた、これ語義矛盾だからね」って叱ったこと思い出した。外に向かってアウトしてはじめて「ゲイになる」のだからね、って。

永易 カミングアウトは、「ぼく、じつは……」という話だけじゃなく、マイノリティ性を引き受け政治的主体として立つかどうかという問題で、そういう人びとの政治的連帯をLGBTというわけですよね。だから「隠れホモはLGBTに非ず」と書いて北丸さん、ネットで大炎上しましたね(会場笑)。でも、その人たち、政治的に混ざりたいんだか、混ざりたくないんだか、どっちやねん(笑)。

北丸 政治的主体化もそうだけど、まずは自分のホモフォビア、自分嫌いから出ることがカムアウトの第一義ですよ。出れば、それをだれかに話したくなったり、親密なだれかとこっそり共有したくなるし、あとは自動運転が始まって逆戻りすることなんてないから。そのことをきちんと言い残したいんです。

永易 僕はどう社会の表面が荒れようが騒ごうが、当事者が生活者として地に足をつけて暮らしと老後を作っていく、それを応援する仕事はまず自分の第一だけど、あとはライターとしては、二つの道を思っています。

一つは、左派だリベラルだとネット上で叩かれるけど、そんな雑音は無視していまの論調を貫く。バックラッシュなんて無いことは最初に検討したとおりだし、レッテル貼りに反して、私たちだってこれまで十分、対話と議論のスタイルでやってきているんですから。

もう一つは、それでも活動家批判の2であげた(第2回)、松浦大悟さん的な「対話と議論」「保守にも聞いてもらう」的な物言いが目新しく映り、歓迎されるのも日本的だなと思います。

おなじものでも言い方一つで聞いてもらえるなら、じゃあ、自民党・保守派を懐柔ではないが、共感してもらう話法を、こっちのほうが開発してやるぜ、というのもオモシロいかな、と。

北丸 松浦さんの「保守にも聞いてもらえる語り」というのは、「保守に媚びる語り」とは違うはず。そのためにゲイコミュニティを強いて卑下したり貶めたりする必要はないし、リベラルという敵を措定して誹謗する必要もない。私にはそれはなんだかとても「下から目線」に読めてしまう。

永易 私も拙稿で、あなたのいう純粋に保守のための語りを見せてほしいと書きましたが、彼はいま「リベラル」なるものを措定し、それを批判し、そのことで保守としての自分の存在を印象づけようとしているように見えます。

でも、彼がリベラル批判に終始して保守のマスコットで終わり、結局、肝心の保守モードのLGBT語りを創造できないのなら、ここは一つ、ライターである私がやってみようじゃないの、と。実際やるかどうかは、これからですが……。

【1回目】『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(1) 内から、外から、バックラッシュが始まった?!

【2回目】『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(2) LGBTブームの「功罪」と、「過激な活動家批判」のゆくえ

【4回目】『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(4)あなたはここからなにを考える?



【北丸雄二(きたまる・ゆうじ)】

北海道江別市生まれ。毎日新聞記者、中日新聞(東京新聞)ニューヨーク支局長を経て、1996年にフリー。在NY25年ののち、現在は日本に足場を移す。評論著述多数、TBSラジオ「デイキャッチ」ニュースクリップ月曜担当等。小説「フロント・ランナー」翻訳のほか、劇作訳出も多い。小説家としては1983年、文芸誌『新潮』掲載がデビュー作(その後、同社より刊行)という因縁話も。

【小倉東(おぐら・とう)】

1961年東京生まれ。94年、新ゲイ雑誌『Badi』創刊にかかわり、「僕らのハッピーゲイライフ」路線が圧倒的支持を受け、現在の日本のゲイカルチャーの方向性を決定づける。ドラァグクイーン「マーガレット」としてもクラブ文化の中心で活躍。現在、その膨大なゲイ関連蔵書・資料を公開する「ホモ本ブックカフェ オ カマルト」店主。軟らか系ゲイリブの最重要人物のひとり。

【永易至文(ながやす・しぶん)】

1966年愛媛生まれ。進学・上京を機にゲイコミュニティを知り、90年代に府中青年の家裁判などゲイリベレーションに参加する。出版社勤務をへて2001年にフリー。暮らし・老後をキーワードに季刊『にじ』を創刊。2010年よりライフプランニング研究会、13年NPO法人パープル・ハンズ設立、同年行政書士事務所開設。同性カップルやおひとりさまの法・制度活用による支援に注力。