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『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(2) LGBTブームの「功罪」と、「過激な活動家批判」のゆくえ

歴史の証人3人が語り合う座談会4回連載の2回目です。

『新潮45』問題について語り合う座談会報告の第2回。抗議をふくめ、さまざまなLGBT活動へ寄せられる「差別もないのに活動家が騒ぎすぎだ」「あれは弱者ビジネス、差別商法だ」という非難が渦巻いています。

日米そして古今の当事者運動を、アメリカで、二丁目で、リブ活動の場で見て、かかわってきた3人(北丸雄二、小倉東、永易至文)は、それにどう答えるか?

* この座談会は、語り手のひとり小倉東さんが新宿二丁目で経営する「ホモ本ブックカフェ オカマルト」で、トークライブの形式で開催されました。

* この座談会は、男性シスジェンダー・ゲイ指向の3人の視点で語る特徴と限界があります。性的マイノリティ全体を指す場合とゲイを指す場合が、区別なく「ゲイ」と表現されたり、自称として「オカマ」「ホモ」「レズ」が使われたりすることがあります。あらかじめご了承ください。

LGBTブームはなにをもたらしたのか

永易 こうした社会的な「反発」が向けられているLGBTブームは、2015年、渋谷区での同性パートナーシップ条例といわれるものがきっかけになったと思います。このかんの功罪というとおかしいですが、小倉さんはどう見ておられますでしょうか。

小倉 LGBTブームの功罪ねぇ……(笑)。まずは「功」。当事者でみずからのセクシュアリティやアイデンティティを背負って、顔を出して発言する人が増えたことは喜ばしいことです。自民党前の抗議活動もそうでしたし。それによって、自分たちの存在が政治的な存在であるという認識やアピールが進んだのでは。

一方、「罪」は、SNSなどネット空間で匿名で語られる言説が、ゲイ全体の意見としてとりまとめられていく……それは、前時代のゲイ雑誌と同じですよね。

北丸 LGBTブームのなかで、とかく批判のマトにあがりやすいLGBTビジネス----講演会だの研修だのがけっこう盛んですよね。以前、あるところで講師として若いゲイ男性が来て経営者や商工界の人に「LGBTとは何か、どう向き合うか」といったテーマで講演するのを聞いたことがあります。

で、その内容が「ウソ」とは言わないけど、ちょっとあまりにマニュアル的で上っ面な危なっかしいもんなんだな。あいかわらず「〇〇さんはLGBT」と言ったり。なんで一人で四役もやれるの(笑)。

LGBTがらみだけではなくて、それ以外の社会や歴史にかんする知識にも、危うさを感じる点もある。当事者という立場だけで持ち上げられたり、たんにLGBTの用語解説ができればいいってわけじゃないからね。アメリカ人なら誰でも英語が教えられるかというのと同じことです。

永易 まあ、北丸さんのような該博な知識をお持ちのかたからは、いろいろ不十分に感じられるところもあるでしょうね。でも各地では研修ブームで、いろいろな当事者が人前で話をするなか、内容の水準が担保されているのか、たんに「苦しかった私の話聞いてください」の個人語りで終わってないか、自分の一事例を普遍化して語ってないか、立ち止まる部分はあるかもしれませんね。

私自身はLGBTブームのなか、「広告的キャンペーン」「代理店主導」な風潮が進みすぎて、中身・生活的実態が伴っていない印象があります。そして、目につくのは企業領域での対応進展ですね。

渋谷区条例に先立ちLGBTブームは2012年に経済誌2誌が最初は「眠れるLGBTマーケットを狙え!」と煽りましたが、すぐにLGBTマーケットなんてない(訪日外国人はまだしも、少なくも国内当事者には)と見抜くや、今度は人材獲得とダイバーシティ経営に方向転換。新自由主義との親和性がどうも気になります。

あるいは、「寄りそう」「理解」「受容」「ハート」「つながる」「支援」といった、ふわっとした「こころ」ワードが目につくのも気になります。実際、いまは支援ブームで、支援の必要な人より支援をしたい人のほうが多いのではないかとさえ思います。その一方で、法や制度など、確としたものへの動きや関心が、当事者も含めてなかなか高まらないのが歯がゆい思いです。

北丸 でも、あなたは法や制度が進展しないというけど、渋谷区や今度の東京都など条例レベルでの整備も動きはじめたり、あなたが代理店仕事とか新自由主義と切って捨てた企業の動きも、そこまで動かしていった当事者NPOの手腕はたいしたものじゃないですかーー僕らの時代にはできなかったし、パラダイムも違っていたわけだけれども。

実際、私が言いたいのは、さっき団体の研修に触れたけど、べつにそれを批判しようというわけでなく、いろんな活動がいろんなところで並行して進み、そっちはそっちでやって、こっちはこっちでやりますから、となればいいだけですよね。

永易 活動するひとたちのなかで暗黙の役割分担、連携プレーがやれればいいわけで、当事者相互で足をひっぱりあうのは、私もエネルギーロスだと思っています。

「日本に差別はないのに活動家が騒ぎすぎ」について

永易 ただ、一方でさっきも言いましたが、SNSの発達で、それまでは知らないですんでいたいろいろな情報が過剰に目に入る結果、「ついていけない」という感覚、さらに自分の知らないところでなにかが動いているという不安感にかられ、活動家やひいては特定の政党、さらには外国勢力が糸を引いているといった陰謀論にはまる人も出るのが多少、昔と違う気がします。

それで、つぎに当事者内部から活動家への批判が多いことについて考えてみたいと思います。

こうした活動家批判の一つ目は、「差別は無いのに」論です。

日本に差別はない。法律で禁じられてもいないし人も殺されない。昔から寛容。そしてなによりゲイである自分はなにも困っていない(性同一性障害の人の困難はあるが)。

しかし、当事者と称する手合いが「生きづらい」と嘆き話をし、活動家が「社会が悪い」と騒ぎ、それをメディアが書き立てる。甘えている、あるいは利権狙いの弱者ビジネスではないか。静かに暮らす自分たちには「迷惑」だーー。

こういう、騒ぐ活動家VS迷惑する一般当事者、という図式を過剰に言い立てる声があります。多くはツイッターなどの匿名系アカウントですがね。これについてご両所はどう感じますか。

小倉 弱者ビジネス、ですか……(苦笑)。

北丸 そんなもんがあるなら、俺もやってみたいわ(会場笑)。これはなに、「在日特権」「生活保護特権」などのデマの類いや杉田さんが言う「度が過ぎるLGBT支援」が実在し、税金が流れていると信じてるのかね?

永易 小倉さんにうかがいたいのは、それこそ昔々のゲイたちは、90年代に裁判起こしたりゲイリブ活動したりする人へ、二丁目のゲイバーでは「怖いわねえ〜」「あれはブスがやること」「男できれば止めるわよ」と揶揄してたんですが、あれこそ元祖「差別は無い」論だったんですかね。

小倉 とりあえず、昔は、女性と結婚して子を一人でも作って“夫”(?)、“家父長”(?)、のお役目を果たせば、あとはハッテンバや二丁目での男遊びも許されていたんだと思う。

でもね。どうしても女性とやれない、私のようなフェミニンなタイプの「気持ち悪い」ゲイは、ゲイとしてどう生きていくかを懸命に考えざるを得なかったと思うわけ。だから、女性的だったり、「気持ち悪い」ゲイって、僕のなかで運動のキーなんです。日本の家族像と折り合いをつけて二重生活を送って、二丁目でモテている隠れホモとの間には、そりゃ、確執はあった(笑)。

でも、それが「差別は無い」論かというと……、モテるホモとモテないゲイとの対立だっただけじゃないかな? ま、それが原動力になってドラァグクイーンを始めて、こんなになっちゃったわけですが(笑)。

永易 「利権」が一種のパワーワードになってネットで踊り、さっきもトランプ登場の背景の非マイノリティポリティクスーーマイノリティじゃないことで逆に損をするといった状況が言われましたが、アメリカではそもそも「NPOの活動家がもうけている、助成金ビジネスだ」なんて反発が沸き起こっているものでしょうか?

北丸 そんなものないよね。80年代の後半から、ゲイメンズヘルスクライシス(GMHC)など有力なエイズ支援団体ができ、レーガン後のブッシュやクリントン時代に助成金や受託金が降りるようになったけど、みんなそんなのあたりまえだと思って、だれも利権ビジネスなんて批判する人はいない。

アメリカの赤十字が災害募金ぶくれで幹部が巨額の報酬をもらっていると批判されたりするけど、エイズやLGBTQ支援組織は”ビジネス”になるほど潤うヒマはない。

永易 この「差別は無い」論については、日本は宗教的禁忌や直接的な暴力、法令での処罰はないけれど、世間や恥という感覚、バレたら身の破滅だという、どこからともない恐怖で人を黙りこませ、生きる意欲さえ奪う、見えづらい差別の不可視化モデルの国だということは、せめて共通認識になってほしいとは毎度言っていることですが……。

怒りや悲しみの表現、抗議のスタイルはさまざまだ

永易 つぎのパターンは、差別はあると認め、取り組むことの必要性も了解。だが「いまの活動家のやり方が悪い」と批判する声です。抗議! 糾弾! 辞職せよ! 廃刊せよ!ーーそうやって自分の主張ばかり叫んで自民党前へ押し掛けても、人は心を閉ざすだけ。デモで社会は変わらない、と。



しかも今回、「抗議活動は一部の過激分子に牛耳られている」というデマを語り、「あれでは伝わらないし理解も得られない。私は対話と議論、説得をします」というゲイの松浦大悟氏(元参議院議員)が登場し、メディアが注目して発言機会を与え、人びとがそれに共感するのが、なんだか新しい風景だなと思っています。

小倉 北丸さんにアメリカの同性愛者が行なう抗議・抵抗のスタイルについて聞きたいのですが、70年代に歌手のアニタ・ブライアントが反ゲイ活動を繰り広げたとき、ゲイたちが、彼女がキャンペーンガールをしていたオレンジジュースの不買運動をしましたね。

そのニュースを聞いたとき、私はまだローティーンで、日本では不買運動などという社会運動について聞いたこともなかった。今回の新潮45休刊を言論封殺だと非難する人もいるけど、これは単に雑誌という商品の不買運動ってだけなんじゃないかと思うんです。日本のゲイが抗議の意思を表すとき、不買運動という方法はありやなしや、ということを聞いてみたいけど……。

永易 アメリカでは古くはクアーズビール、近年もどこかのスパゲティなど、経営者の反ゲイ言説に抗議して不買運動が起こるし、逆に、pro-LGBT(LGBTに支援的)な企業の商品をみんなで購買することもよくありますね(アブソリュートウォッカや米国スバルなどが有名)。一方、日本では消費者運動の成功事例がほとんどない。

小倉 日本では社会的プロテストに対して、すぐ「過激な運動はけしからん」「それでは伝わらない」「対立を煽るだけ」という人が出てくるでしょ? いまの日本で、社会に不満があるとき当事者はどういう方法でそれを表明するのがいいんでしょう。

北丸 アメリカは建国時から自分たちが作った国だという意識がある。そして、この国に問題があれば自分たちでなんとかしよう、それを他人にも言葉やアクションで伝えようというのが、当然なんですね。

先日のフロリダの高校乱射事件をきっかけに高校生たちが、この国は銃を野放しにしつづけていいのかとデモ行進し、世界中に共感が広がる、ああいう行動があたりまえに起こるんです。日本は法律でも福祉でも人権でも、みな「お上」から授けられているという感覚(それゆえお上を批判してはならないという感覚)で、この精神性は一朝一夕には変わらないでしょう。

最近ね、「カランコエの花」という短編映画があった。ある高校の保健室の先生が善意でLGBTにかんする授業をする。それがきっかけで、教室でだれがそうなのか本人探しが始まるという話。

制作側の思惑と離れて、昨今の過熱ぎみの「LGBT支援」を批判する文脈でも言及されることがあるようです。当事者不在でひとりよがりの授業などすると、逆に事態を悪くするんだ、と。

でも、この種の物語がアメリカで撮られるとしたら、結論がまったく違うと思う。陰湿な本人探しに対してどうするかというと、その「本人」を知らないまでも周囲のみんなが「それは私だ」「私もゲイ(レズビアン)だ」とウソでもいいから立ち上がる展開になるはずです。

「ウソ」といったら語弊があるけど、共感を表明する。そう、♯Me Too運動ですよ。あるいは「I am her/him(私も彼女だ/彼だ)」運動。そうやって不正義の対象となった「被害者」に寄り添う、連帯する、同じ立場だと表明して共に抗議するのです。そういう思考回路ができ上がってるんですね。

マシュー・シェパードは1998年にゲイへの憎悪犯罪で殺された21歳の大学生で、憎悪犯罪規制の立法のきっかけになった人です。彼の葬儀には、キリスト教原理主義者が押し掛け、ホモは地獄に落ちろと叫んだ。

それに対し同級生の若者たちが天使のかっこうをし、棒を使った大きな布の羽でそいつらの姿を隠したんです。小さいときからの教育で、憎悪に対抗する平和的な社会行動を考えつく回路が鍛えられてるんだな。彼らのそういうアイディアはすごい。

永易 自民党前での抗議や新潮社まえでのスタンディングだって、そうやって怒りや悲しみを表明していいんだ、ってことですよね。その一つのスタイルにすぎない。



そして、今回いわゆる非当事者の人たちも参加していることに、「きのうまでホモやレズと馬鹿にしていた差別主義者が、急に時流に乗って善人ぶるんじゃねえ」みたいな揶揄をする当事者もいる。

これは、私たちの社会がこういうことを許していいのか、という、♯MeTooじゃないけど、連帯の意思表示ですよね。そう読み解けないというのは、アクションに対する感覚が、まったく違うのかなあ。

【1回目】『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(1) 内から、外から、バックラッシュが始まった?!

【3回目】『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(3) マイノリティの分断と内部対立を超えて

【4回目】『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(4)あなたはここからなにを考える?





【北丸雄二(きたまる・ゆうじ)】

北海道江別市生まれ。毎日新聞記者、中日新聞(東京新聞)ニューヨーク支局長を経て、1996年にフリー。在NY25年ののち、現在は日本に足場を移す。評論著述多数、TBSラジオ「デイキャッチ」ニュースクリップ月曜担当等。小説「フロント・ランナー」翻訳のほか、劇作訳出も多い。小説家としては1983年、文芸誌『新潮』掲載がデビュー作(その後、同社より刊行)という因縁話も。

【小倉東(おぐら・とう)】

1961年東京生まれ。94年、新ゲイ雑誌『Badi』創刊にかかわり、「僕らのハッピーゲイライフ」路線が圧倒的支持を受け、現在の日本のゲイカルチャーの方向性を決定づける。ドラァグクイーン「マーガレット」としてもクラブ文化の中心で活躍。現在、その膨大なゲイ関連蔵書・資料を公開する「ホモ本ブックカフェ オ カマルト」店主。軟らか系ゲイリブの最重要人物のひとり。

【永易至文(ながやす・しぶん)】

1966年愛媛生まれ。進学・上京を機にゲイコミュニティを知り、90年代に府中青年の家裁判などゲイリベレーションに参加する。出版社勤務をへて2001年にフリー。暮らし・老後をキーワードに季刊『にじ』を創刊。2010年よりライフプランニング研究会、13年NPO法人パープル・ハンズ設立、同年行政書士事務所開設。同性カップルやおひとりさまの法・制度活用による支援に注力。