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偶然の出会いが、生涯のパートナーに 東日本大震災で気づいたかけがえのない関係

生涯を共にするパートナーとして関係を深めても、日本では結婚ができない同性カップル。今ある制度で二人の権利を守ろうとしているゲイカップルが「家族」になるまでの道のりを聞きました。

出会いは偶然。でも一緒に過ごす時間を積み重ねているうちに、いつしか生涯を分かち合うパートナーになった。

日本では結婚が許されていないそんなゲイのカップルが選んだのは、二人の権利を守るためにパートナーシップ契約や任意後見契約を公正証書で作ることだ。

BuzzFeed Japan Medicalは、そんな二人、JOEさん(54)とけんさん(40)のカップルに、まずは二人が「家族」になるまでの物語を聞いた。

日帰り温泉で偶然の出会い 14歳の歳の差カップル

出会いは2009年1月、たまたま出かけた日帰り温泉で互いを見かけたことだった。お互いゲイだろうということは何となくわかる。好みのタイプだ。

脱衣所で帰り際、「これは声をかけないと一生後悔する」と思ったけんさんから、「今度一緒にご飯を食べに行きましょう」と、メールアドレスを書いたメモを渡した。

1週間後に、東京で会食。JOEさんも、一気にけんさんに魅かれた。

「歯並びが綺麗で、ニコッと笑われただけで『あ、素敵!』と思いました。私は常々、食事の時にその人の人柄や気遣いなどが全て表れると思っているのですが、きれいな食べ方をするし、気遣えるし、素敵な人だなと思ったのです」

当時、27歳と41歳。若いけんさんは付き合いが難しくなったら他の人に可能性を求めるのでは......と、JOEさんは交際に慎重になった。ひと月ぐらいは様子を見ようとデートを重ねた。

しかし、「僕は良いところも悪いところも含めて人間だと思っている。両方を含めて一緒に歩んでいける人がいいんだ」と若いけんさんの方から言われ、JOEさんの心は固まった。付き合うことにした。

こうして、二人が出会った1月の1週目の土日が、毎年祝う大事な記念日となった。

同居がカミングアウトのきっかけに

ちょうどその頃、けんさんは一目惚れしたマンションを買ったばかりだった。一人で住むには広い3部屋とロフトのある家。「将来誰かと一緒に住むのもいいな」とは思っていたが、相手をJOEさんと決めていたわけではなかった。

互いの自宅に泊まり合う関係が続き、JOEさんが当時一人暮らしで借りていたマンションが契約更新になるタイミングの半年後に、けんさんのマンションに引っ越してくる形で同居をスタートした。それが今も一緒に暮らす自宅だ。

「その頃はまだ生涯のパートナーとまでは思っていませんでした。私は会社でもプライベートでもゲイであることを公にしていましたが、けんは周りに言うタイプではない。近所にけんの一族が住んでいるのですが、当時は二人の関係を公にもしていませんでした」とJOEさん。

ところが二人で暮らすようになると、連れ立って歩いている時に親戚とばったり出会うことが増える。「この人が僕の付き合っている人です」と、自然にカミングアウトすることにつながった。

けんさんはその時の気持ちをこう話す。

「周りから『結婚しろ』とか『お見合いしろ』とよく言われていたので、『自分はちゃんと幸せなんだよ』と伝えたかった。30歳から順番にカミングアウトしたのですが、一人だったら死ぬまで言わなかったかもしれません」

パートナーの家族として法事や旅行にも参加

最初は複雑な気持ちもあったようだが、親族は割とすぐに二人の関係を受け入れた。盆暮れ正月、法事などの親族の集まりには必ずJOEさんも呼ばれるようになった。

「最初に呼ばれたのは8〜9年前のけんの弟の結婚式でした。親戚の前でどういう風に紹介されるのかなと思っていたら、けんの父親が私を指して『けんのパートナーです』と言ったのです。二人の関係性を認めた紹介を嬉しく思いました」

今ではけんさんの都合がつかない時は、けんさん一族の法事にJOEさんが一人で参加するまでになっている。

5 〜6年前、けんさんの両親が墓を買うことになった時、「あんたも入るでしょ」と言われ、けんさんはJOEさんのことを思って「いやあどうしようかな...」と言葉を濁した。思いを察したのか、母親はすぐにこう付け足した。

「JOEさんも入るのよ」

「ああ、そういう風に思っているんだと思いました。みんなで一緒の墓に入るなんて、もう彼を家族と思っているんだなと思いました」

そうけんさんは振り返る。

東日本大震災で「生涯のパートナー」と気づく

二人が、お互いを生涯のパートナーと思うようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災がきっかけだ。

その頃、大手町の会社に勤めていたJOEさんは、これほど大きな被害があるとは思わず、けんさんに新宿まで車で迎えに来てほしいと頼んだ。都心にいたけんさんの弟と合流して一緒に帰ろうと考えたのだ。

だが、道路の混雑で車が到着するまで5時間ぐらいかかった。けんさんが無事なのか。何か大変なことになっていないか、心配でたまらなかった。

「こんな大変な時にけんを車で呼び出したことを今でも後悔しているのですが、けんは『何かあったら車を捨てるつもりで迎えにきた』と僕のことの方を心配してくれて、胸打たれました。互いに『この人のことが大事なんだ』と気づいた出来事でした」

その時、弟となかなか電話がつながらなかったけんさんは、電話会社が違うJOEさんの携帯電話を借りて連絡を取った。

「もしこの関係性を家族にオープンにしていなかったら、連絡を取るのも難しかったと思います。そういうことからも、二人の関係性が一歩、深まりました」

けんさんの方も、震災後の不安な時に寄り添ってくれたJOEさんのことを、人生でかけがえのない人だと思うようになっていた。

「彼は僕のことだけを見てくれていて、一人ではないという安心感と信頼がありました。こうした大きな災害が起きた時に、彼の存在はとても大きい支えでした」

ただ周りでは震災の時に、逆に別れるカップルも多かった。

「震災は、原発に関する考え方や安全管理に対する考え方など、価値観の相違が現れやすくなった時でもあります。幸い、震災で我々は同じ価値観を共有していることに気づけたのだと思います」とJOEさんは言う。

二人が住む西東京市でLGBTが暮らしやすい街にするための団体「レインボーコミュニティ西東京」に参加し、地域に根ざして暮らしていく覚悟も定まった。

その後、たまに小さなけんかをしても、24時間以上は引きずらないという約束を守り、一緒にいた時間は10年を越えた。だが、順調に関係を育んでいく二人を、新たな試練が襲うことになる。

(続く)

同性婚が制度として認められておらず、性的マイノリティに対する差別や偏見がまだ根強い日本。さまざまな葛藤や障害を乗り越えて、それぞれの「家族」と生きる人々の暮らしを取材しました。

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