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「歴史の審判に耐えられるようにすべきだ」五輪のリスク評価発表へ、専門家は模索を続けた… メンバーが明かす舞台裏。

なぜ、政府の新型コロナ分科会としてではなく有志での発表となったのか。提言発表に向けて、何が起きていたのか。有志の独自提言発表をサポートした東京大学医科学研究所教授の武藤香織さんに聞く。

東京オリンピック・パラリンピックは無観客での開催が最も感染拡大リスクが少なく、望ましい。

感染症の専門家26名で構成される有志は6月18日、オリンピック・パラリンピックに関するリスク評価をまとめた独自提言を発表した。

なぜ、政府の新型コロナ分科会としてではなく有志での発表となったのか。

BuzzFeed Newsは新型コロナ分科会のメンバーで有志の独自提言発表をサポートした東京大学医科学研究所教授の武藤香織さんに話を聞いた。

分科会メンバーに聞く、独自提言の舞台裏


「国内の感染対策とオリンピック・パラリンピックに伴う感染対策、それぞれに関わるステークホルダーが一つのテーブルを囲んでリスク評価のための議論ができ、そのまとめを一緒に発表できればベストだと考えていましたが、実現することはありませんでした」

武藤さんはBuzzFeed Newsの取材にこう明かす。

国内の感染対策に関わっていた感染症の専門家たちは、オリンピックとパラリンピックが各地の感染対策に与える影響に懸念をもち、「同じ土俵の上で話したい」と願っていた。

どの会議体で議論できるかはわからなかったが、専門家の有志は、「頭の体操」として、4月頃からリスク評価の議論を進めていた。

しかし、政府の専門家助言組織と組織委員会には、直接的な接点がなかった。民間契約によって実施されるオリンピック・パラリンピックと、これを取り巻く政府と地域行政の関係性もわかりにくかった。専門家側から見ると、縦割りによる負の側面が、専門家の前に壁となって立ちはだかった状況だったのではないか。

5月になって、オリンピック・パラリンピックに関する議論が国会で紛糾する中で、専門家たちは感染状況の評価を行っている厚労省の専門家助言組織「アドバイザリーボード」で議論できないのか、内閣官房の新型コロナ分科会の正式な議題にできないのか、といった道も模索した。

しかし、アドバイザリーボードでは議題にならないことが決定し、新型コロナ分科会も開催されないままで、「まとまった意見を出せない状態が続いた」という。

「ほぼ毎週、基本的対処方針分科会で緊急事態宣言の発出や解除に関する議論が行われていた時期でもあり、政府側も全く余裕がない状態であったと思います。しかし、それ以前に、地域の感染対策とオリパラの感染対策は、互いに独立した別の事象であり、責任部署が別々にある状態で、行政面での整理が徹底されていました。そうなると、専門家が『両方を一緒に議論しないとダメだ』と主張しても、その主張は谷底に吸い込まれるだけです。国会では、『コロナ対策調整会議に専門家が2人いるから大丈夫』という説明もなされていましたが、それで間に合うスケールの話ではないし、専門家が分断されるようにも感じました」

その間にも、政府の新型コロナ分科会の会長を務める尾身茂氏は幾度となく国会の場に参考人として呼ばれ、コロナ禍におけるオリンピック開催に関して質問を受けた。

6月3日の衆議院厚生労働委員会に出席した際には、立憲民主党の打越さく良議員の質問に対して、尾身氏は「スタジアム内の感染対策はプレイブックでしっかりやろうとしている。ある程度制御するのは可能だ」と述べつつも、「それだけでは、ほとんど意味がない」と指摘し、そのうえで「本来は、パンデミックのところで(オリンピックを)やるのは普通ではない。やろうとするのなら、強い覚悟でやってもらう必要がある」と指摘している。

これらの発言が意味するところは、18日に発表された独自提言の内容と同様だ。

「歴史の審判に耐えられるように」尾身氏の投げかけ

内容については専門家の間で様々な意見が交わされた。専門家は、オリンピックの準備状況に関して持っている情報量が圧倒的に少ないことを自覚しつつも、どこまで踏み込むべきか。開催することを前提に議論すべきか、すべきではないか。

提言提出後の会見で専門家も、オリンピックの中止を選択肢に入れた提言を出すべきではないかという議論があったと認めている。

「頭の体操」をし続けるばかりでその内容を伝えるべき場所が見つからないなか、起案に関わっていた専門家の間に焦燥感が漂ったときもあったという。

「歴史の審判に耐えられるようにすべきだ」

尾身氏が投げかけたこの一言が、専門家有志をひとつにまとめ、独自の提言を有志として出す覚悟も固まったのではないかと武藤さんは振り返る。

「6月2週目になると、あちこちから、政府や組織委員会の方針は変わらないんだから、専門家が厳しい提言を出しても逆効果だ、無駄だというご心配の声が、私にまで直接届くようになりました。確かに、そうなのかもしれないですが、だからやめようという話には全くならなかったです。5年後、10年後に振り返った時に、あの時、専門家は言うべきことを言っていたと知ってもらうことはできる」

「それに今だって遅くはない。専門家側がリスク評価や取るべき対策を発信すれば、現場で悩む人たちが、動きやすくなる後押しになるかもしれないとも思いました」

6月18日、専門家有志は、オリンピックは無観客での開催が最もリスクが少ないとし、もし観客を入れる場合は、現在のイベント開催基準よりも厳しい基準を採用するべきだとする提言を発表した。名前を連ねたのは、Twitterやnoteで発信をしてきた「新型コロナ専門家有志の会」の主要なメンバーのほか、政府や各地で対策にあたってきた26名だ。

武藤さんは、約2カ月に及ぶ専門家の「頭の体操」につきあってきたが、名前を連ねることはなかった。

「私の専門は医療社会学です。リスク評価の根拠を、責任をもって述べられる専門家が提言することが重要だと考えたので、私は後方支援に徹しました」

「提言を出せたことはよかった」

専門家有志の提言を受け、政府や組織委員会は感染状況が悪化すれば無観客での開催も検討すると明言した。

観客ありきの議論が進んでいたことを踏まえれば、これも提言による「ポジティブな変化」と武藤さんは捉えている。

また、東京都の感染状況をモニタリングする専門家の会議にオリンピック・パラリンピックの担当者が出席するなど、小さな変化も見えてきた。

こうした変化を目にし、「何とか提言の発表にこぎ着けることができて良かった」と武藤さんは言う。

報道陣からの質問や提言の報じ方については、次のように語った。

「この数週間、有志の提言内容は報道関係者から過度に着目され、大事な時期にリークもされ、専門家側が追い詰められたところがあります。でも、記者会見では、なぜ分科会でやらないのか、提言が遅い、中止と言わないのは物足りない等の質問が相次ぎました。政府と専門家のあるべき姿を問いたいとおっしゃる報道関係者には、提言の科学的根拠に全く興味を持たず、政府と専門家の闘い、政治と科学の決別といった対立構造のフレームに固執したまま報じようとしていた方も少なくないと感じました」

提言発表後に専門家が提示したデータを詳細に伝える報道も一部には見られたが、その多くは政府との対立構造で伝えられるものが多かったと感じているとした。

「理想の形ではなかったにせよ、提言を出せたことはよかったです。オリンピック・パラリンピックの様々な現場担当者のなかには、尾身先生が国会で答弁していた頃から、提言が出たら受け止めて対応する準備を進めていた方もいらしたようです。直接手を携えることはできないけど、エールを送りたいです」

日本疫学会日本分子生物学会など、提言作成に携わっていない科学者コミュニティから、これまでの知見に基づいた提言だと評価するコメントを出して頂いたことも、よかったです」

パラリンピックの選手に感染拡大のしわ寄せがいく可能性も


武藤さんはオリンピック・パラリンピックの開催に関して、今、懸念していることが2つあると語る。

1つ目は、「矛盾したメッセージ」が持続的に発信され続けることだ。専門家は提言の中で大会開催による人と人との接触や人の動きの増加に伴うリスクと合わせて、「矛盾したメッセージ」が発信されることによるリスクへの懸念を示している。

「競技に興奮してマスクを外す観客、メダルに歓喜して街に繰り出す人々、厳しい感染対策の要請、医療機関の疲弊の声…これらが同じ日のニュースになる日々が続くと予想されます。パンデミックを乗り切るためには、報道機関の役割はとても大きく、人々の分断を生まない社会貢献をしてほしいと願っています。新型コロナ専門家有志の会では、日本新聞協会と民間放送連盟に対して、要望書を提出しました。人流を抑制するための報道の工夫と、自宅での応援スタイルの推奨と普及を求めています」

2つ目が新型コロナによるリスクをより受けやすいパラリンピックに出場する選手たちへの影響だ。

「ワクチン接種が加速するとはいえ、パラリンピックが開幕する8月下旬の感染状況や医療提供体制は、今よりよい状態であるとは考えにくいと思います。重症化リスクに対して脆弱な障害をもつ選手や帯同者たちに、感染拡大のしわ寄せがいくことを危惧します。障害のある方への医療が滞りなく行われる体制をつくるため、政府や組織委員会はパラリンピックが無事に終わるまで、急激な感染拡大を防ぐためのプランを提示する必要があるのではないでしょうか?」

「政府や大会関係者に、『パラリンピックなら無観客でもいい』という差別的な考えがないことも願います」