今年のメットガラのテーマ「キャンプ」って結局何なの?

    毎年5月にニューヨークで開催されるファッションの祭典、「メットガラ(METガラ)」。セレブたちが身にまとう様々な衣装が毎年注目される。あまり聞き馴染みのない今年のテーマ、「キャンプ」とは何か考えよう。

    毎年5月の第一月曜日、米ニューヨーク市のメトロポリタン美術館が、美術館の服飾研究所(コスチューム・インスティテュート)の資金集めのためにイベントを開催している。インスティテュートが毎年開くファッション展覧会のオープニング・イベントでもあり、「METガラ」と呼ばれている。

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    メットガラ ドレスをまとった美術館」というドキュメンタリーを知っている人も多いだろう。ファッション業界の最大イベントの舞台裏を、その企画から会期後の打ち上げまで追ったものだ。

    METガラは、美術館のファッション部門が最も資金を集めることができる催しだ。セレブやファッション界のリーダーたちが年に一度、祝福や啓発、そしてもちろん、募金のために集う。

    「METの祭典」の意味を持つMETガラという名で親しまれているが、「メトロポリタン美術館コスチューム・インスティテュート募金」 が正式名称だ(なぜ多くの人が略称を好むのかは、お分かりでしょう)。

    METガラでは毎年、テーマがある。今年の展覧会のテーマは、スーザン・ソンタグのエッセイ『《キャンプ》についてのノート』に着想を得て、「キャンプ:ファッションについてのノート」とされている。

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    今年の司会は、主催者であるアメリカ版『ヴォーグ』編集長のアナ・ウィンターに加えて、Gucciクリエイティブディレクターのアレッサンドロ・ミケーレ、歌手のハリー・スタイルズ、歌って踊って演じられるレディー・ガガ、そして、テニス世界チャンピオンのセリーナ・ウィリアムズだ。

    では、「キャンプ」とは何なのだろうか。

    エッセイのなかでソンタグは「キャンプ」を次のように定義している。

    「キャンプの本質は、不自然なものを愛好するところに――人工と誇張を好むところに――ある」

    (『反解釈』スーザン・ソンタグ、ちくま文芸文庫、p431)

    「25. キャンプがキャンプであることを保証するのは、常軌を逸した精神である。キャンプとは、三百万枚の羽根でできたドレスを着て歩き回っている女である」(同、p445-p446)

    でも、多くの人がそうであるように、みなさんはまだ思いを巡らせていることだろう。「『キャンプ』とは厳密にはなんなのだろうか? まだ分からない。どうやったら『キャンプ』を着られるのだろうか?」

    TV Peru

    「キャンプ」とは、夏休みに行く場所を意味しているわけではない。

    辞書を引いてみると、ばかばかしいほど大げさな個人の、または創造的な表現のスタイルやモードで、上位文化と大衆文化の要素を融合させていることが多い、と書かれている。ではこの概念をどのように服に取り入れるのだろうか?

    簡単にいえば、過度に飾り立てて大げさで、ほとんど芝居じみた大衆文化の衣服を思い起こせばいい。セレブレティが「キャンプ」ルックをどう表現するか、と複雑な気持ちの人が多かったようだが、個人的には昨年のテーマよりも分かりやすいと考えている。私にとって「キャンプ」とは単に、無限の可能性に対して心を開くことであり、なんの条件も衣服につけないことだ。

    冒険しすぎ?まったくだ。でも面白い?その通り。

    訳注:

    camp

    ―n.

    1 (話)大げさでこっけいな身ぶり[表現].

    2 (話)わざとらしさ[気取り,陳腐さ]を楽しむこと,げて物趣味;けばけばしさ,俗っぽさ,古臭さを意識的に生かした芸術表現(low camp(ポップ調の俗っぽさや泥臭さがむき出しで芸術性が低いもの)と high camp(それが芸術的に高められて効果を発揮しているもの)に分かれる.low campは kitschに通じる)

    3 (話)(特に人を楽しませるために)大げさでこっけいな身ぶり[表現]をする人.

    4 (米同性愛俗)ホモの男;なよなよした態度[話し方].

    『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』小学館

    じゃあ、いままでに「キャンプ」をやったことがある人は誰がいるだろうか?

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    これまでのMETガラを思い起こしてみたら、間違いなくみなさんは「キャンプ」を見てきている。

    昨年、リアーナがローマ法王の格好をしたのを覚えているだろうか?では、サラ・ジェシカ・パーカーが頭の上に風変わりなキリスト降誕の像を載せていたのは?ガガが過去に、過去10年くらいのあいだに着ていたもの何でもいい。

    そう、あれが「キャンプ」だ。

    マクドナルドのロゴがついていたり、フライドポテトのような小さなハンドバッグだったり、モスキーノのランウェイで見た風変わりで奇抜な装いはどうだろうか。そう、あれも「キャンプ」。シェールやデヴィッド・ボウイの織り交ぜになった扇情的なスタイルもそうだ。

    だが、トレンドになるずっと前に、有色人種のゲイ・コミュニティで「キャンプ」が始まったと言うのは、大胆だろうか。

    VH1

    ニューヨーク・ポスト紙によると、「『キャンプ』は皮肉だが誠実、魅惑的だが俗っぽい。ワルだけど最上で、過剰だけど丁度よい」なのだそうだ。

    キャンプという言葉に意味を込めようとするセレブレティに指摘できるのは、「キャンプ」スタイルの多くは、都市のコミュニティで有色人種のあいだで始まった、ということだ。

    褐色の肌に「俗っぽく」「ゲットー(抜群)」と多くの人がいうだろう大きなゴールドの輪っか、過剰な宝飾品、派手で鮮やかな衣服が、「都会っぽくて」「レトロ」に見られたいセレブや大物俳優のあいだで、すぐに引っ張りだこのファッションになった。

    メリヤム・ウエブスター英英辞書には「ホモセクシャルの俗語」と書かれている。しかしソンタグは、クィアネスやクィアなアイデンティティの重要な役割を「キャンプ」という言葉に持ち込んでいない、とモー・マイヤーのような評論家は指摘している(出典:『The Politics and Poetics of Camp』)。

    VH1

    「キャンプ」という言葉は、クィア・コミュニティに由来したかもしれないが、ソンタグは、「キャンプ」の発見の独自性を完全には認めていない。

    エッセイの終わりの方で、「53.(中略)しかし、同性愛者たちがキャンプを事実上考え出したということが、もしなかったとしても、どうせ誰かがそうしただろうと、われわれは感じる」(『反解釈』スーザン・ソンタグ、ちくま文芸文庫、p458)と書いており、排除されたコミュニティの受け入れを促そうと、この言葉が作られたことに大いなる影を投げかけている

    分かるだろうか。「kween(クイーン)」「slay(ゴシップを流す)」「yaasss(イエス)」「hunty(フレンド)」など、元々は黒人のゲイやトランスセクシュアルのコミュニティで使われ始めた言葉が、白人の消費者や視聴者向けに取り入れられ、一般大衆向けに使われるようになったのに似ている。正しく認識することなく、いまでは至るところで見聞きする。

    「ドラァグ(ドラッグ)」という言葉を見てみよう。本来「ドラァグ」は、生命のド派手な誇張であり、アイデンティティに根ざしている。それが「キャンプ」だ。

    リル・キムの仰々しい格好に、みんなが絶句したことを思い出してみよう。透け透けでこれ見よがしのセックスアピールであれ、ヴェルサーチ やGucciのような高級ブランドのリミックスであれ(紫のジャンプスーツでは胸が片方露わになっていたが)、あれも「キャンプ」だ。

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    デザイナーの名前やラベルよりも、地位、富、自己表現、服が、特定のコミュニティにとっては大きな意味を持っていた。

    キムや多くの人たちは、自分に正直でありながら「成功する」という概念を示した。言い訳や質問なしで、肩で風を切って歩く美学だ。

    「Crush On You」などのミュージック・ビデオでは、大胆な色のウィッグを被り、お揃いの色の服に身を包んでいる。変わっていて刺激的だが、他と違い、ブラック・カルチャーを要約して表していた。

    Atlantic Records

    つまり、これが「キャンプ」。意図的ではないが、自己を表現している。

    リル・キムだけではない。1990年代~2000年始めのミュージック・ビデオでは、ブラック「キャンプ」が多く見られた。

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    キャムロン、(Gucciと仕事を始める前の)ダッパーダン、ミッシー・エリオット、バスタ・ライムスは、「キャンプ」が何なのか、何になるのかという点で、その表面を引っ掻いたに過ぎない。最近は、ニッキー・ミナージュやカーディ・Bなどの女性ももちろん、キャンプを掲げている。

    「B*A*P*S」(ブラック・アメリカン・プリンセス)や「ブーメラン」のような象徴的な映画では、ハリウッドにしてみたら独特と感じられる黒人の語り口で演じられているが、黒人のコミュニティにしてみたら日常的なことであり、普通のことだ。

    New Line Cinema

    アカデミー衣装デザイン賞を獲得したルース・E・カーターが、「B*A*P*S」の衣装をデザインしている。この映画は、ハリウッドでヘアー・サロンとソール・フード・ショップをオープンさせたい二人のビジネスウーマンの話である。

    衣装について、カーターはTeen Vogue誌に次のように話している。

    見覚えはあるけど大げさな形をした型にはまらない繊維や、大胆な訴えをするように作られた繊維を使って、『B*A*P*S』は『キャンプっぽい』スタイルを生み出しました。これにより、登場人物は、上流社会で自分自身の『キャンプ』版になります。『キャンプ』と『ファルス(道化芝居)』は密に関連しています。この概念や物語は、道化芝居であり、デザインに影響を与えています。ですが、『失敗した真面目さ』という概念が、(ビバリーヒルズで金持ちに見える方法などの)明確な物語や大胆な訴えに命を吹き込むのです。これがまさに『キャンプ』なのです」

    「キャンプ」についてはもっと話すことがあるが、多くのセレブレティにとっての「キャンプ」は、芸術的な表現であり、楽しいことだということを指摘しておきたい。

    Master Sound Studios

    だが、多くの有色人種にとっては、世界に自分たちを示す方法であったし、これからもそうあり続ける。楽しいだけではなく、保存の手段なのだ。

    だから今年のMETガラは、実に興味深かった。私に言わせれば本当の定義など存在しないものを、みんなが定義しようとするからだ。

    「キャンプ」は、黒人らしさ、ゲイ文化、ストリート文化、アーバン文化の感覚であり、反映だ。芸術と文化、個人主義と自己表現の遺物と、なんとか折り合いをつけてきた。

    あえて言わせてもらえば、「キャンプ」には、圧制と反抗もおり混ざっている。これを一般大衆に向けて、みんながどう表現するのか、誰がこの話を理解しているかを見るのが面白い。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。 翻訳:五十川勇気 / 編集:BuzzFeed Japan