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「もっといい治療法があるわよ」という知人から心を守るには

あなたも「呪いの言葉」をかけていませんか? 憶測で患者の治療について無責任な言葉を投げることがどれほど罪深いか考察した連載、後編です。

前回の記事では、有名人が亡くなられたときに医療者が「あのときこうしておけばよかったのに」という内容を発信することは、多くの方にとって「呪いの言葉」になりえる、ということを書きました。

一般の人も、しばしば患者に対して、善意から「呪いの言葉」をかけることがある
Hidesy / Getty Images

一般の人も、しばしば患者に対して、善意から「呪いの言葉」をかけることがある

今回は、医療者ではない一般の方々も、患者さんや家族に「呪いの言葉」をかけていないでしょうか?というお話です。

がん患者に向けられるお節介の数々

例えば、ある患者さんの例を見てみましょう。

Aさんは40代の乳がんの患者さんです。がん検診で乳がんと診断され、紹介先の乳腺外科にて、抗がん剤治療後の手術+手術後の放射線治療、というプランを提示されました。

Aさんは、その乳腺外科の主治医が優しそうで、丁寧に説明をしてくれることに安心感をもちました。そして、がんになってしまったことはショックだけれど、前向きに治療に取り組んでいこうと考え、周囲にもその気持ちを伝えていました。

しかしある日、これまで比較的疎遠であった叔母から急に電話がかかってきたのです。

「Aちゃん、がんなんですって? いまはどこの病院に通ってるの? そんな小さな病院じゃだめよ。私の知り合いの先生が、いいところを紹介してくれるって言ってるからそっちに移った方がいいわ」

「あと、その先生のところで特別に、Aちゃんの病気に合うお薬を出してくれるって話なの。ちょっとお値段は張るみたいなんだけど、命にはかえられないでしょ? 木曜日に会ってくれるっておっしゃってくれてるから行ってみない?」

と、怒涛のようにセカンドオピニオンや代替医療の情報を勧めてきます。

Aさんがいくら、今の主治医を信頼しているという話を伝えても、聞く耳をもってくれません。結局、Aさんは押し切られる形で、とりあえず叔母の勧める「先生」という人と、会う約束をしてしまいました。

その電話が終わり一息ついていると、今度は職場の知人から電話です。

「良かれと思って」、得体の知れない健康食品を勧めてくる人も
Studiocasper / Getty Images

「良かれと思って」、得体の知れない健康食品を勧めてくる人も

「Aさん、おせっかいかとは思うんだけど…」

と、今度は人づてに手に入れた健康食品のサンプルを渡したい、というお話。丁重にお断りして電話を切ると、今度はSNSの通知やメールがいつもよりも届いていることに気づく。

もしやと思って中を開けてみると、やはりというか、健康食品から聞いたこともない○○療法のすすめ、そして宗教の勧誘など、様々なものがあふれだしてきた。

Aさんは、電話をとるのもメールを見るのも恐くなってしまい、音信不通に。心配した両親が実家から訪ねてくるという事態になってしまいました。

善意という呪い

これを読んだ皆さんは、極端な例だと思うでしょうか。

しかし、これは患者さんにとっては本当によくあることで、そして患者さんを苦しめている要因のひとつになってしまっています。

以前、BuzzFeedでインタビューをうけた、がん患者の幡野広志さんも、そのブログの中でこの「呪いの言葉」たちに苦しめられている旨を書いています。

幡野さんの場合は、1日に何十件もの勧誘やお見舞いの電話がきて、「あなたの生き方は間違っている」「残される小さな子供がかわいそう」とまで言われました。仕事だけではなく生活にも支障をきたすため、電話を解約するはめになってしまいました。

それらの言動に共通しているのは、そのほとんどが友人や親族の「善意」からくるものだということ。もちろん一部には単なる営利目的というのもあるでしょうが、多くはそうではありません。

しかし、その「善意」が、患者さんから時間を奪い、お金を奪い、そして日常を奪っていきます。そして一部の患者さんでは、その「善意」の言葉に乗ってしまった結果、本当であれば治るはずであった病気が治らなくなり、「こんなはずじゃなかった」と苦しめられる…という例を、私は何十人も見てきました。

周囲の知人や親族が、「善意」という呪いで患者さんを不幸にし、時には命すら奪う。そんなホラーのような話が日常的にあふれているのが日本の現状です。

「善意という呪い」はどこから来るのか

もちろん、知人や親族も、そのような結果を期待して患者さんに情報を伝えているわけではないでしょう。本当に患者さんを心配しての言動ということもわかります。

どうして知人や親族はこのような行動をとってしまうのでしょうか。

ここには、前回の記事で書いたような、心理の仕組みがありそうです。

例えば、ある人が友人から「がんである」ということを告げられたとします。その時に、その人はどうなるでしょうか。

大切な友人からの重たい告白です。もちろんショックを受けるでしょう。泣いてしまう方もいるかもしれません。「この友人を失いたくない」と考えるでしょうか。そして「私にできることがあったら何でも言って」と言いたくなるのではないでしょうか。

大切な人からがんという病気の告白を受ければ、誰しもが自分の心に苦しみを抱えます。それは、大切な人が目の前からいなくなるかもしれない恐怖であったり、自分もいずれ同じような病を抱えて死に向かっていくということを眼前に突きつけられた恐怖、などです。

そして多くの方は、その苦しみから自分の心を守りたいと考えます。

善意の衣をまとったプレゼントも、患者本人には迷惑なことがある
Maroke / Getty Images

善意の衣をまとったプレゼントも、患者本人には迷惑なことがある

そしてその方は大切な友人のために、他の知人や医療者から情報を集めたり、インターネットや図書館で調べたりという行動を始めます。結果として、心のつらさを、「善意」という形に置き換えて、患者本人へ返そうとします。

それを行うことで、その知人の心は楽になるはずです。自分はそのひとのために何かをしてあげた、という充足感や、自分の言うとおりにしてくれれば、大事な人の死を見ずに済むのではないかという安心感などでしょう。

そして、やはりここでも主語は「自分」になってしまっています。そこに患者さんやご家族の姿や意思は消えてしまっているのです。

呪いをかけずにできるのは、その人の話を聴くこと

では「何かをしてあげたいという自分の気持ち」は押し殺していくべきなのでしょうか。

それは一概にそうとはいえません。「何かをしてあげたい」と思うからこそ、人と人は支えあって生きていけるし、本当に困っている人に対して傍観を決めこむという世界が、必ずしも幸せとはいえないでしょう。だから「何かをしてあげたいという自分の気持ち」は、まず大切にしてほしいのです。

その上で、それを「善意という呪い」に変えないこと。つまり、「何かをしてあげたい」という気持ちが湧いてきたときに、それを自覚すること。その上で、一度立ち止まって考えること。この人にとって、何が一番いいことなんだろうかということを。

どんな人であっても、大切な人に呪いをかけることなくできることがあります。それは、「その人の話を聴くこと」です。

どんな人であっても、大切な人に呪いをかけることなくできることは、「その人の話を聴くこと」
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どんな人であっても、大切な人に呪いをかけることなくできることは、「その人の話を聴くこと」

何か言いたいことがあっても、それをぱっと口に出すのではなく、ゆっくりと、その人の想いが十分に語られるまで、静かに話を聴くこと。

それでも「さらに何かをしてあげたい」という思いが湧いてくるのなら、「何か私にできることがあるかしら」と聞く。相手に委ねるのです。それで具体的に求められることがあるなら、それはいいことだし、もし「ううん、大丈夫。今日はお話聞いてくれてありがとう」だったら、それで十分なのだと思います。

支える側も支えを必要とする

ただ、それだけだとやはり自分の気持ちがおさまらない、と感じるなら、東京であれば「マギーズ東京」、その他の地域でも「暮らしの保健室」やまちの中の相談所などに行きましょう。自分の苦しみもまた、他の誰かに聴いてもらい、支えてもらう、ということが必要です。

本当は、誰かを支えようとしている人ほど、他に支える人が必要なのです。支えてくれる人がいないから、自分がその大切な人を支えないと、というプレッシャーに押しつぶされ、思わず「善意という呪い」を出したくなってしまうのだと思います。

善意という形をとった呪いを振りまくのはもう止めにしましょう。野次馬的に関わることは、その人を苦しめ死に追いやるリスクすらあることを心に留めてください。

その上で、あなたに支えが必要なのであれば、それを支える専門家へ相談してみてください。それが、本当の意味で患者さんのためになることにつながるのです。

【前編・後編のポイント】

  1. 当事者ではない医療者や知人が「善意」という形をとって患者さんや家族に関わろうとすることは時に「呪い」となって彼らを苦しめる。その呪いは、患者さんや家族から時間もお金も、そして日常も奪い、時には命も奪うリスクがあることを自覚すべき。
  2. 「患者さんや家族のために良いことをしたい」と口では言っていても、多くの場合は「私が彼らにしてあげたいことをしたい」と、主語が入れ替わってしまっている。
  3. 患者さんや家族は、その「呪い」に耳を貸さないこと。当事者ではない医療者や知人は、自分が「善意という呪い」を発していないか自覚すること。そしてお互いに、それによって苦しめられるとしたら、専門家へ助けを求めること。


【前編】あなたも「呪いの言葉」をかけていませんか? 「別の治療法なら治る可能性があったのに」という医療者から心を守るには

【西智弘(にし・ともひろ)】 川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科医

2005年北海道大学卒。家庭医療を中心に初期研修後、緩和ケア・腫瘍内科の専門研修を受ける。2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。一方で「暮らしの保健室」を運営する会社を起業し、院外に活動の場を広げている。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。著書に『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』(中外医学社)、『「残された時間」を告げるとき』(青海社)がある。