「同性愛を奨励する」と禁じられたケニア映画、7日間の限定公開に市民の列

    女性同士の恋愛を描いたカラフルなケニア映画、『ラフィキ』。上映禁止処分を受けたが、監督の訴えを認めた裁判所が7日間の公開を決定したのを受け、若者を中心に多くの人が映画館に足を運んだ(注:映画の結末にふれています)。

    チャットアプリ「WhatsApp」の通知が立て続けに届いた。二人の女性の「禁じられた愛」を描いた映画、『ラフィキ(Rafiki)』の上映禁止措置が一時的に解かれた直後のことだ。

    ナイロビで映像編集の仕事をするマリー・アイノムジシャ(24歳)のグループチャットもダイレクトメールも、その話で持ちきりだった。友人たちが全員同じことを尋ねていると言っていいくらいだ。「『ラフィキ』が観られるみたいだけど、どうやってチケットを取ればいい?」

    『ラフィキ』を上映する映画館はナイロビ市内の「プレステージ・シネマ」だけだ。友人たちの中でそこから一番近くにいるのが自分のようだ。アイノムジシャは職場から2.5キロほど離れた映画館まで自転車を飛ばし、初回上映のチケットを数枚、確保した。日曜朝10時の回だ。土曜の夜は24歳の誕生日祝いに出かける予定だったが、取りやめることにした。この映画の方が大事だ。

    アイノムジシャのこうした行動は、『ラフィキ』をめぐる一連の動きに強い関心を寄せていたケニアの多くの若者、とりわけクリエイティブ業界とLGBTコミュニティの若い世代の思いを表していると言っていい。発端は今年4月、ケニア映像等級審査機構が国内での上映を全面的に禁止したことだった。「レズビアンを奨励し」ており、この国の価値観に反するという理由だった。その結果、ケニア映画として初めてカンヌ国際映画祭の上映作品となった本作は、ケニア国内で撮影され、監督もキャストもケニア人という国産映画でありながら、ケニアの人々は観ることがかなわなくなっていた。国内で上映禁止措置がとられて以降、南アフリカのダーバン、タンザニアのザンジバル、カナダのトロントなどで上映されている。

    その後9月12日、ワヌリ・カヒウ監督が審査機構の提訴に踏み切った。禁止措置の撤回を求め、アカデミー賞の外国語映画部門へ出品できるよう訴えた(同賞へのノミネートには、制作国において7日間連続で劇場上映されていることが条件)。

    そして結果を勝ち取った。

    9月21日、高等裁判所のウィルフリーダ・オクワニ判事は次のように述べ、カヒウ監督を支持する画期的な決定を出した。「私は、ケニア社会が、同性愛を扱った映画を上映しただけで道徳観が崩れるような脆弱な社会ではないと確信しています」。後日改めて審問を開くとして、上映禁止措置の無期限の撤回は命じなかったが、7日間にわたって国内で上映する権利はあるとして、アカデミー賞出品への道を開いた。

    劇場と上映時間の情報がソーシャルメディアで広まるにつれ、上映するプレステージ・シネマには、日曜朝の初回上映のチケットを求める電話が殺到した。映画館のロビーは、キャラメルポップコーンを手に友人と熱心におしゃべりするグループや、開演直前に何とかチケットが手に入らないかと待つ人々であふれた。『ラフィキ』を観るため早々に集まったのは、マジョリティである中流階級が中心だ。公開まで48時間を切った時点で上映決定が発表されたあと、5.5ドルのチケットをすみやかに手に入れた人たちである。そんな事情から、お金のない人にチケットを提供したLGBT団体もあった。「余っているチケット譲ります」とTwitter上で呼びかける人もいた。

    日曜朝の回に大勢の観客が詰め掛けたため、映画館は急きょ同じ時間にもう一ケ所のスクリーンを追加した。準備期間が短いせいで他にスケジュールの調整がつかなかったのもあり、当初、上演は昼間の回だけの予定だった。だが2日目の月曜からは午後と夜の回をそれぞれ追加すると発表。さらに、ケニア第二の都市モンバサ、第三の都市キスムでも上映が決まった。

    土曜夜の誕生パーティを取りやめたアイノムジシャは、代わりに映画館で仲間たちと集まり、最後は「Happy #Rafiki Day」と書かれたケーキを囲んだ。

    記者は後日、彼女に会って話を聞いた。アイノムジシャはナイロビのクリエイティブコミュニティとの関わりが深く、『ラフィキ』には衣装デザインやその他の形で関わっている知人も何人かいる。上映禁止が決まったとき、ショックではあったが驚きはしなかったという。他のアフリカ諸国をはじめ、欧州や北米など「この国以外の世界中」で映画が高く評価されるのを見るうち、悲しみは深まっていった。

    「検閲についていろいろと考えました。それがクリエイティブ業界にとってどれだけ息苦しいかについても。ケニアではメンタルヘルスやがんといった、扱いが難しいテーマの映画も制作されています。でも、どんな形であれ、セクシュアリティは表立って取り上げられることのないテーマでした」

    だが、上映する権利をめぐってカヒウ監督が審査機構を相手に訴訟を起こしたと知り、衝撃を受けた。監督の行動に、変化を起こせるかもしれないという希望をかすかに感じた。

    だからこそ、裁判所の決定を知るとすぐ、チケットを手に入れようとほぼ反射的に映画館へ駆けつけたのだった。

    初回の上映を一緒に観た友人の一人、シャロン・キオコは23歳のフォトグラファーだ。クィアだというキオコは、クリエイターとして、そしてケニアのLGBTコミュニティの一員として、二つの側面でこの映画に関わりがある。

    ナイロビ市内のカフェで取材に応じたキオコは最初の15分間、アートに携わる一人として、映画『ラフィキ』について語らずにいられない、といった様子だった。カラフルな色彩あふれる映像に魅了され、スワヒリ語とシェン語(スワヒリ語と英語を混ぜて生まれたケニアのスラング)で繰り出されるユーモアにくすりと笑わされた、という。

    『ラフィキ』は二人の女性、ケナとジキの物語だ。二人は父親同士が地方政治家の地位をめぐって敵対する関係にある。二人の間には思いがけず愛が芽生えるが、そのために同性愛を嫌う住人のうわさ話や、通っている教会、友人たちとの関係に悩み、安全な生活が脅かされ、家族を巻き込んで危険な領域へ追い込まれてゆく。やがてある暴行事件をきっかけにケナとジキの仲は引き裂かれ、片方はロンドンへ渡ることに。ラストは明確には描かれず、ケナとジキが再び一緒になれたのかは観る人にゆだねられる。

    そして実はこの希望を残すラストこそが、上映禁止とされた主な理由だった。ナイロビのゲーテ・インスティトゥートで報道陣向けに開催された上映会では、出演者であり選曲も手がけたパトリシア・キホロが背景を説明した。もし、ケナとジキのカップルを明らかにハッピーエンドではない描き方にしていたら、上映を禁止する判断にはならなかっただろう、という。

    LGBTが本作品の主要なテーマとして受け止められているのは確かだ。ただそれ以外にも、ケニアの人々が日々直面するさまざまな人生の側面が描かれていて、同性愛をどう受け止めるかにかかわらず共感できる内容になっている、と新進フォトグラファーのキオコは言う。例えば宗教もその一つで、ケニアでいかに宗教が「押しつけられ」やすいかといった事情も映し出されている。

    だがケニアで生きるクィアとしては、中心となるラブストーリーに散りばめられたサブプロットが心に深く響いたとキオコは言う。その思いをTwitterにつづり、『ラフィキ』は「混沌とした世界で自分らしく生きようと格闘する人々」や「映画の中に自分自身の現実を見て涙した人々」にとっての力強い声である、と記した。

    キオコの周りには、性的指向を知った家族から家を追い出された友人も何人かいる。LGBTコミュニティのアライ(支持者、支援者)だと思われるのを恐れ、『ラフィキ』を観るのを控える人がいるのも知っている。ケニアでは同性愛を違憲とはしていないものの、LGBTの人々は暴力や差別、脅迫、警察による暴行などを受ける危険に今もさらされている。英植民地時代から続く刑法の規定で、同性間の性行為には最長で懲役14年の刑が科される。現在、人権擁護家のグループが、規定の違憲性を問う申し立てを高等裁判所に起こしている

    こうした多層性をもつ映画だが、核にあるのはすべての人に向けたメッセージのある美しいストーリーだとキオコは言う。「この映画に多くの人が寄せた熱い思いが、ケニアの他の映画にも向けられるようになってくれればと思います」

    一方で、観た人すべてが『ラフィキ』を率直に支持しているわけではない。

    35歳のスザンヌは、Twitterのメッセージで取材に答えてくれた。同性愛は自身の宗教上の価値観には反するが、好奇心から『ラフィキ』を観ることにしたという。

    「観に行った主な理由は、ケニアのクリエイティブな力がどこまで到達したのか見てみたい、という興味でした」

    スザンヌは周囲からの反応を懸念し、フルネームを出すのは控えてほしいと断った上で感想を述べた。

    演技はすばらしく、二人の主人公の結びつきは純粋に本物なのだと感じたが、映画全体としては「まあ普通だった」という。

    また「アートには社会問題に関する議論を引き出す使命があり、この映画はそれを達成している」と述べた上で、最終的には「同性愛というテーマが強すぎて、そのために普通の人が普通にいい映画を観る力を弱めてしまっている」と付け加えた。

    『ラフィキ』が「同性愛という題材」を宣伝しているとする見方を擁護するのが、映像等級審査機構のトップ、エゼキエル・ムチュアだ。ムチュアは審査の過程で同作品を観ているが、上映禁止処分の一時撤回を命じた裁判所の決定を受け、個人のTwitterで次のように発言した。「まともな精神の人なら、少女同士のセックスを鑑賞することにいったいどんな喜びを見いだすというのか」

    記者は本作品を2回観たが、性行為を描いた場面はないことを確認している。

    ムチュアは以前から、今回の『ラフィキ』のような映画はケニアの道徳観に反すると主張してきた。しかし多くの人がこの主張を偽善的だと批判する。例えば暴力はケニア人としての道徳観念に反するはずだが、映画等に暴力シーンはあふれており、簡単に人々の目にとまるからだ。こうした点を指摘する市民の一人、アン・アンジェラ・ワンジュグ・ムゴはナイロビ市内のレストランで次のように語った。

    「ケニアの人は自分たちは保守的だと考えたがります。過度の飲酒だとか映画の中の不倫などにはとても寛容なのに、LGBTの話になるとそうではないんです」

    大学を出て間もない24歳のムゴは現在、仕事をしていない。経済的には厳しいが、『ラフィキ』の上映禁止が解かれたのを受け、チケット代を捻出して観に行くことにした。自身を「いつも疑問を抱き、境界線を広げていこうとするタイプ」と評するムゴは、『ラフィキ』は少なくとも大きな意味のある映画だったと考えている。これをきっかけに、同性愛に関する議論を社会に巻き起こしたからだ。ケニア社会にとっては間違いなく必要な議論だった。その点だけをとっても、ムゴは希望を感じている。

    最終的に、『ラフィキ』はアカデミー賞へのノミネートには至らなかった。外国語映画部門のケニア代表に選ばれたのは『Supa Modo』だった。周囲を引きつける力のある女の子が、病に冒され死の足音が近づくなか、みんなに支えられてスーパーヒーローになる夢をかなえる姿を描いた作品だ。それでも、『ラフィキ』を観ようと集まったケニアの人々が起こしたうねりは消えていない。それまで「アフリカ的ではない」として脇へ追いやられることの多かった、LGBTをめぐる議論もやんではいない。

    報道陣向けの上映会では、多くの出演者が質疑応答に立った。信仰心があつく主人公ケナを受け入れられない母親を演じたニニ・ワセラもその一人だ。ワセラは、今回の上映禁止措置のような動きのせいでケニアのクリエイティブ業界がいかに制約の多い偏狭な世界であるかを訴え、不満をあらわにした。

    「ああしろこうしろと私に指図するやつはとっとと消えなさい」


    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan