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杉田議員の「LGBT非難」の度が過ぎる

LGBT支援も、予算も、じつはほぼ皆無の国で

自由民主党の杉田水脈・衆院議員の論稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」をめぐって、騒ぎが収まりません。

7月27日には永田町の自民党本部まえで抗議行動が取り組まれ、性的マイノリティ当事者やこれまで同議員のさまざまな言動を問題視してきた人びと約5000人(主催者発表)が集まりました。

BuzzFeed Japanをはじめ、多くのメディアが伝えていましたが、私も怒りを禁じえないゲイの一人として現場へ赴きました。

この論稿は7月18日発売の月刊誌『新潮45』に掲載され、立憲民主党でレズビアンを公表している尾辻かな子衆院議員が即日、自身のツイッターで問題視しました(私もそれが初見です)。

同性カップルは「生産性」がない、なる刺激的な文言もあり、批判は燎原の火の如く広がっていまも止むことがありません。

施策もない、予算もない、これのどこが「度が過ぎる」のか?

「『LGBT』支援の度が過ぎる」というタイトルを見たとき、最初に私が思ったのは、「へ? 『過ぎる』と言われるほどのLGBT支援があったっけ??」でした。

(杉田論稿は朝日新聞の報道姿勢を批判したものですが、このことについてはあとで述べます。)

昨今の“LGBTブーム”は、2015年2月に「東京都渋谷区が同性パートナー公認を含む条例を検討」と報じられたのが幕開けです。同年11月の渋谷区とそれに続く世田谷区で制度が同時スタートしたのを第一幕のハイライトに、またたくまに日本中を覆いました。

自治体レベルは、同性パートナーシップ制度の導入がいくつか続き、独自に「LGBT支援宣言」を掲げて取り組むところもあります。また国では文科省が通知を出すなどの動きが起こりました。

企業でも商品開発や社内福利で同性パートナーに対応する動きがあり、雑誌特集やメディア企画の続出ともあいまって、動きは加速度的に高まっているようです。

しかし、同性パートナーシップは条例(渋谷区)であれ首長制定の要綱(他自治体)であれ法的権利は伴わず、社会キャンペーン的意義にとどまるのも一面の事実です。

自治体のLGBT支援も、電話相談の開設、職員研修やマニュアル策定、一般向け講演会がせいぜいで、対面相談、啓発パンフレット制作、若者向け居場所の開催、さらに職員以外の一般事業者への研修・指導などに取り組む自治体は全国で五指に足りないでしょう。

いったいそれらにいくらの予算が使われているというのか?

性的マイノリティの人権を守る法律、教育、調査もない

そもそも国内的には、性的マイノリティの人権擁護に取り組むための根拠法令がなにもなく、国会ではその制定のメドさえ立たないのが現状です。

通達レベルで「自殺総合対策大綱」(厚労省所管)を民主党政権下の2012年に改訂するさいに、重点的な自殺対策が必要な分野として性的マイノリティがはじめて明記されたことがある程度(こちらの見直しのポイント参照)。

ほかには日本学術会議が提言を取りまとめた段階ですが、あまり話題にはなっていません。

文科省の通知を受け、教員の校内研修会などは盛んのようですが、教科に格上げされた道徳のために文科省が作成した教科書『私たちの道徳』(68ページ)では、「好きな異性がいるのは自然なこと」と記するのみで、言外にそれ以外の性愛のあり方は否定されたままです。

さきごろ改訂され教科書の基準となる学習指導要領でも、多数寄せられたパブリックコメントにもかかわらず、「国民の理解が伴っていない」として性的マイノリティに関する記述が見送られました(こちらの意見40、41)。

性的マイノリティの子ども・若者の自殺未遂率は異性愛の6倍という調査があり、学校でのいじめ迫害の指摘も絶えませんが、まだ全国的で精度の高い調査はありません。科学的調査なくしてどうして施策がとれるでしょう。

しかし、そのための国家予算がとられた形跡はありません。

過度な支援とは、杉田論稿では(あとで見るように)朝日新聞の報道姿勢のことのようですが、現実社会ではそもそもLGBT支援がない、LGBT予算もない。

「度が過ぎる」というタイトルに、私は目を疑いました。杉田議員の本文に触れるまえに、その点は一言しておきたく思います。

差別はない? 「不可視化モデル」をきちんと知って

杉田議員によれば、朝日新聞などリベラルメディアは、LGBT支援の動きを報道するのが好きだそう(報道に価する事実なら報道すればいいだけで、他紙が少ないのは追いきれてないだけでは?)。

報道の背後には、彼ら彼女らの権利を守ることのほか、差別や生きづらさの解消、多様な生き方への容認があるとのことで、以下、彼女の見解が綴られてゆきます。

まず、日本には性的マイノリティに対するキリスト教国やイスラム教国のような迫害はなく、歴史上も寛容で、自分の友だちがゲイやレズビアンでも気にせずつきあえる、と、おなじみの「差別はない」論が語られます。

そうでしょうか? 

日本は、「世間体」や「恥・嫌悪感」といった「空気」のようなもので追いつめ(杉田氏が言及する「親」もその空気になじんでいます)、性的マイノリティの自己肯定感を損ない、「バレたら人生終わりだ」的感覚を刷り込み、実際、ときに人を死へ追いやります。

「不可視化(invisible)モデル」といわれる日本的差別形態は、その存在を義務教育で教えて、解消すべきものだということがすべての人の常識になってほしいとさえ思います。

また、友だちのくだりはいわゆる「I have black friends(私も黒人の友人がいるが)」論法で、社会問題を個人の感想に矮小化し、差別への問題提起を無効化する姑息な言説です。社会の構造改革に取り組む政治家が、安易に根拠としてよいものではありません。

出生を「生産性」で測れば、つぎは「よき種」を求める

つづく生きづらさの解消について、行政による解消策、すなわち税金投入の例として、異性カップルは少子化対策の大義名分で税金投入が許されるが、同性カップルは子をつくらない、つまり「生産性」がなく、税金投入する理由がない、と語られます。

もっとも炎上した部分ですが、「LGBT全体は生産性がない」と論断しているわけではありません。

しかし、出生を「生産性」でとらえ、生産性があるから税金投入の対象とする主張は、国家による「産めよ増やせよ」「産むなら『よき子孫』を」の優生思想へ、紙一枚の距離しかありません。

もっとも、すでに同性カップルへ公金支援がされているかの書きぶりですが、上述のように、同性カップルにはなんの税金投入もされておらず(証明書の用紙代ぐらい?)、具体的支援がないことは、あらためて強調しておきます。

また、「そもそも世の中は生きづらく、理不尽」「自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的」も看過できません。

政治家が世の理不尽さを肯定してどうする? 

それを自力で乗り越えよなど、教育基本法のどこにそんな酷薄な目的が書いてあるか(同法は第一次安倍政権で国家主義的に改定されたと批判されますが、それに照らしてさえもです)。俗流教育論も、ダメ政治家の愛用するところです。

多様性批判は、じつはLGBTへの批判だった

そして最後は、多様性容認への非難です。

新聞が多様性を過度に称揚するから、一過性にすぎない同性愛を自身の真の姿に勘違いする「不幸な人」が増える。三重の高校生調査で1割近くが「自分が男か女かわからない」旨を答えたのも新聞で騒ぐせい。

制服はまだしも、自分の好きな性別のトイレに入りはじめたら大混乱だ。LGBTどころかQ、I、P、X……Facebookは58も性別欄があり、わけわからん。同性婚を認めたら兄弟婚、親子婚、ペット婚、機械婚も出てくるぞ……。

いやはや、言いたい放題もここまで来れば芸のレベル。

こういう多様性言説の乱舞を招いたのは、そもそも新聞、とくに朝日新聞が「LGBT支援」の記事を書き立てるからとのこと。そして杉田議員は最後にこういいます。

「むしろ冷静に批判してしかるべきではないか」

彼女は、「新聞やメディアはLGBTを批判せよ」と言っているのです!

たしかに「生産性」という言葉がネットで一人歩きし、論稿の文脈を超えて批判点になった感はあります。全文を読んで批判せよ、との声もありました。

しかし、全文を読むと、杉田議員の本当の問題はそれどころではなかったのです。自分の信奉する「男と女、二つの性」秩序の維持と、そこから外れても仕事ができるなら付き合う、性同一性障害の保険適用は気の毒だから考える、でもそれ以外はなにもする必要がない。

むしろ彼女の本意は、新聞は彼ら彼女らの過差(身分不相応なぜいたく)をこそ批判せよ……だったのです。そして、これは彼女がこれまで慰安婦問題、待機児童問題、家族制度や女性の性被害などなどについてとってきた「逆張り」言動を思い出せば、あながち荒唐無稽な想像ではないでしょう。

これから新聞を開くたび、杉田議員にそそのかされたように、「またLGBTがデモ! 沿道に混乱広がる」「役所悩ます陳情、もうやめて」「〈社説〉過剰保護を問う」などの見出しが躍る日が来るのでしょうか。

炎暑にゾッとするのは、故 歌丸師匠の怪談噺だけにしてほしいものです。

杉田議員と自民党、この食い違いをどうする

杉田議員は議員浪人中のネットTVなど活発な右派的言論活動が目に留まり、2017年秋の衆院選で、自民党から当選予約をもらった格好で比例中国ブロックに出馬、当選しました。

櫻井よしこ氏が安倍首相につないだことを、選挙直前に収録されたネットでの百田尚樹氏との対談で櫻井氏自身が語っています。

現在の安倍一強といわれる自民党の絶対多数には、こうしてネットのファン層ごと買い取られたような候補者もかなり含まれていることでしょう。

一方、自民党はLGBT問題について、「性的指向・性自認に関する特命委員会」を設置して検討を重ね、杉田氏が当選した衆院選の公約には、「理解の増進を目的とした議員立法を目指す」旨の文言も見られます。

党と杉田議員の姿勢には大きな乖離がありますが、同党は杉田氏の言動を問題視せず(二階幹事長発言)、有力政治家からは「まちがったことは言ってない」「党の見解とも合致」との声さえあったといいます。

国会閉会中ということもあり、杉田議員は「音無し」「雲隠れ」し、党も沈黙を続けるばかりですが、ことはすでに世界にも報道されています。

性的マイノリティについてなかったことにしてやりすごす態度こそ、「不可視化モデル」の差別そのものではないでしょうか。

杉田水脈議員、そして自民党からの、なにかしらの言明を待ちたいと思います。

【永易 至文(ながやす・しぶん)】NPO法人事務局長、ライター、行政書士

1966年、愛媛県生まれ。1980年代後半よりゲイコミュニティーの活動に参加。ライター/編集者。行政書士NPO法人パープル・ハンズ事務局長。当事者の生活実感に即したゲイ/性的マイノリティーの暮らしや老後の法的・実践的サポートをライフワークとする。