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絶望した19歳。夢を叶えた38歳。精子提供で子どもを授かった女性がたどった「長い道のり」

知人男性から精子提供を受け、約1年に及ぶ不妊治療を経て子どもを授かった、長村さと子さんと茂田まみこさん。ふたりが親になるまでの道のりとは。

「私にとって息子は、私の人生を一変させた存在。チープな言葉かもしれませんが、命そのものが『奇跡』だと、出産をして強く感じました」

そう語る長村さと子さん(38)の腕の中では、長年の「夢」だったという我が子が、好奇心でいっぱいの目を輝かせながら、むずむずと手足を伸ばしていた。

パートナーの茂田まみこさん(41)が抱き上げると、ころころと笑い声を上げる。どこにでもある家族の一コマだ。

しかし、ふたりがここに辿り着くまでには、男女の夫婦では通ることのない長い道のりがあった。

子どもを産み育てる方法を求めて

長村さんと茂田さんのもとに新たな命が誕生したのは、昨年12月。茂田さんの知人男性から精子提供を受け、約1年に及ぶ不妊治療を経て、子を授かった。

だが、長村さんにとって「妊活」が始まったのは、20代の頃にさかのぼる。

「19歳のときにすごく好きな女性ができて、そのとき『(レズビアンの)自分は将来、子どもを持つことができないのかもしれない』と絶望しました」

「でも21歳になる頃、海外の精子バンクを利用して妊活をしている女性のブログを見つけて、途端に世界が広がったんです」

「それからはとにかく情報を求めて、日本で女性同士のカップルが妊娠・出産するためにはどのような方法があるのかを調べ始めました」

自分のセクシュアリティには「ウソをつきたくない」

日本には精子提供について定めた法律がない。

しかし、日本産婦人科学会の会告で、精子提供による生殖補助医療を受けられるのは「法的に婚姻している夫婦」のみなどと限定されており、多くの医療機関がその方針に従っている。

そのため、同性婚が認められていない日本で、子を望む同性カップルが妊娠・出産するためには、ドナーを見つけるところから妊娠に至るまでのすべてを、自分たちで模索することになる。

中には協力的な医療機関もあるが、それもごく一部の例外だ。「当時はどこにも情報がなく、何もかもが曖昧で、とても困難な状況でした」と長村さんは言う。

このままではダメだと、まずは仲間探しから始めた。26歳の頃に自分と同じ境遇の人々が情報交換できる場づくりの活動などを始め、2014年に妊活中の仲間と一緒に団体を立ち上げた。

それでも、新宿2丁目に自分の店をオープンした20代は、経済的にも不安定な状況が続き、子どもを迎えることは「夢のまた夢」だった。

周囲を見渡せば、異性と「友情結婚」して、子育てすることを選ぶ人もいた。

子どもを産み育てることと、同性のパートナーと共に生きること。「どちらかをとって、どちらかを諦めるしかないよ」と言われることもあったが、長村さんは「自分のセクシュアリティには絶対にウソをつきたくなかった」。

女性を好きになっても、誰と交際しても、子どもを持つことが「自分の人生の選択肢」から消えることはなかった。

「自分がなかなか具体的な一歩を踏み出せずに、ずっと夢を見続けている状態だったなか、多くの人が自分の前を通り過ぎていくのを見ているような気持ちでした」

長村さんは、当時の自分をそう振り返る。

ふたりの出会い

そんな長村さんの背中を押したのが、茂田さんとの出会いだった。長村さんの店を訪れたのだ。

「ほぼ一目惚れみたいな感じでした」と茂田さんは言う。

最初は1、2杯飲んで帰ろうかなと思ってふらりと入った店に、気付けば足繁く通うようになった。

長村さんに「付き合うとしても、自分は子どもがほしいと思ってるから…」と言われた時も、「いいじゃん!協力する!」と答えて、長村さんを拍子抜けさせた。

「海外留学したときに知り合った同年代の友人の中に、レズビアンのお母さん2人に育てられた人がいたりしたので、当時から『子どもを持つ人もいるんだな』くらいの感覚でした」

「私自身も子どもを持つことを全く考えてこなかったわけじゃないので、彼女のことも応援したいと思いました」

ある日、担当医から「ニュース見たよ」

それからドナー探しを始め、5年ほどかけて、今回協力してくれた知人から精子提供を受けられることとなった。

妊娠・出産に伴う費用は誰が負担するのか、妊活はどう行うのか、生まれた後の関係性や面会交流、子の出自を知る権利はどのように考えるかーー。

さまざまな状況を想定して、ドナーと話し合うべきことは多岐にわたる。

最初は自分自身の手で、精子を子宮に届ける方法を試みたが、どうしても不安が拭えず、病院に通うことを決めた。

それでも、ふたりの関係を説明できないことから、茂田さんは病院まで送り届けて、外で待つような日々を続けた。

だが、ある時、担当医から「ニュース見ましたよ」と声をかけられた。長村さんの地元の足立区に新設された「パートナーシップ制度」をふたりが利用したことを報じた記事だった。

無事、出産に立ち会うことができたときのことを、茂田さんは「変な感じだった」と語る。

「お腹が大きくなるのもずっと見てたし、成長している様子もエコーで見てたけど、実際に目の前に出てきた時は、小さいし、柔らかいし、不思議な生き物みたいで、『マジだ!本当にいる!』みたいな(笑)」

その言葉に「いや、私はボロボロだったのに、自分はさっさと抱っこして、すごい楽しそうだったよ」と長村さんは笑う。

彼女の胸に込み上げたのは、何よりも無事生まれてきてくれた「安堵」だったからだ。

家族とは「旅の一員」

子どもを産み育てる方法を探し始めた日から、約18年。子育てを始めてから約5ヶ月。出産前に「かわいいと思えなかったらどうしよう」と感じていた不安は、どこかへ消えてしまった。

毎日、初めての経験を前に模索し続ける日々は続く。そんな自分たちの姿を、TwitterYouTubeで発信し続けるのは、「いないことにされる」恐ろしさがあるからだ。

同性婚の実現をめぐる裁判の中で、国は「婚姻の目的は『自然生殖可能性』のある関係性の保護」「同性カップルは異性カップルと同等の『社会的承認』を得ていないから、同性婚は認められない」といった主張を続けている。

ふたりの子が大きくなったときも、男女の夫婦と同じように互いを支え合うふたりが、法律上の性別が同じであることを理由に、結婚できない社会が続いているのだろうか。

長村さんは「どうして愛し合うふたりが結婚できないのか、私は自分の子に説明することができません」と語る。

「この子にとっては、私たちふたりが親であることが『普通』の環境で育ちます。もしそれが『普通』じゃなく感じるときが来るとしたら、それは周囲の偏見の目や差別が、彼にも向けられるから。そうした環境を作る一因は、国にあると思います」

息子には「生きる」という言葉から由来した名前をつけた。

人は生まれた瞬間から「死」に向かって歩いているからこそ、どう生きるかが大切なのだと、多くの大切な人の生き死にを見て感じてきたからだ。

家族の形はひとつではない。ひとつだったことは一度もない。長村さんにとって「家族」とは、長い旅路を共にする「旅の一員」だ。

「この子もしばらくは私の保護のもとにいるけれど、またしばらくしたら、自分で自分の旅を始めるようになります」

「それまでは、私たちにできる、あらゆることをしてあげたいと思っています」


同性婚が制度として認められておらず、性的マイノリティに対する差別や偏見がまだ根強い日本。さまざまな葛藤や障害を乗り越えて、それぞれの家族と生きる人々の暮らしを取材しました。

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