ドラッグの大物売人になった男 ジャーナリストだった彼はなぜ、ケムセックスの世界に迷い込んだのか

    キャメロン・ヨークは、ジャーナリストの仕事を捨て、ケムセックス・シーンの大物売人になり、すべてを失った。「まるで降りることのできないジェットコースターでした」と彼は語る。BuzzFeed Newsによる独占取材。

    玄関の扉が激しくノックされる。それが、終わりの始まりだった。扉を叩いていたのは警察だった。近所の誰かが、隣の部屋から狂ったような叫び声が聞こえると通報したのだ。

    英国ロンドン北部にある高級住宅地ベルサイズ・パーク。金曜日の午後2時にこのような騒ぎが起きるのは珍しい。警官たちは夫婦げんかか何かだろうと思っていた。

    これから目の当たりにする光景のことなど想像すらしていなかった。

    騒音の主は、虐待的な配偶者ではなく、メタンフェタミン(覚醒剤)でハイになった男の狂気の叫び声だった。そして、玄関の扉を開けたのはドラッグの売人だった。売人の名前はキャメロン・ヨーク。2015年6月の出来事だ。

    ヨークは、教養ある都会的な中年男性だ。出身地はニュージーランドで、職業は旅行ジャーナリスト兼ライター。モデルと実業家の経験もある。

    しかし、わずか数カ月で、ヨークは社会的地位をすべて捨て去り、ロンドンのケムセックス・コミュニティーの需要を満たす大物売人になった。

    ヨークの常連客は、3000人以上のゲイ。クリスタルメスとも呼ばれるメタンフェタミンから、GBL(ガンマ・ブチロラクトン)、バイアグラ、メフェドロン、コカイン、大麻、MDMA(別名「エクスタシー」)まで、数日間のセックスパーティーに必要なあらゆる薬物を扱っていた。

    顧客リストには、超有名人、警察幹部、裁判官、医師、シェフ、教師、弁護士などが名を連ねていたという。一晩で数百人が、ヨークの自宅を訪ねてくることもあった。そのままグループセックスに発展することもあり、多くの顧客がヨークの助けを借りてクリスタルメスを注射していた。

    ヨークにドラッグを供給していた売人たちは、ヨークがケムセックス・シーンに現れるまで、ゲイとの接点がほとんどなかった。ヨークは、売人とゲイの仲介役を果たすようになった。

    金曜日の午後、警察が自宅にやって来たとき、ヨークは話術を駆使し、玄関先で時間を稼いだ。そして、数分間にわたって警察の質問に答えた後、そろそろヨークの指示が実行されたころではないかと思った。ヨークは玄関を開ける前に、リビングルームにいた裸の男たちに、すべてのものをどこかに隠すよう指示していたのだ。

    ヨークの読みは外れた。

    警察が家の中に入れるよう要求し、突入すると、ケムセックス・パーティーの真っ最中だった。慌てて服を着た5人余りの男の周りには、クリスタルメスのパイプ、筋状に並べられた白い粉、皿に入ったコカイン、注射針、大麻のジョイント、バイアル(注射剤をいれるための容器)など、ドラッグとその道具が散乱していた。

    意識を失っている男も1人いた。数分前にクリスタルメスを大量摂取し、大量の汗をかいている男もいた。台所には、5リットルのGBLが入ったドラム缶が置かれていた。

    しかし、ヨークがついに売人をやめ、投獄されたのは、その10カ月後のことだった。その間に、ヨークはもう一度逮捕され、1人の男がリビングルームで死んだ。

    そのヨークがBuzzFeed Newsの取材に応じ、どのように事態がエスカレートし、すべてが崩壊したかを語ってくれた。ヨークは、人生と健康、パートナーとの関係、正気、金を失い、最後に、自由を奪われた。

    この事実を知る者はいないが、ヨークの背後には、常にある人物の存在があった。何千キロも離れた場所で死を迎えようとしていた1人の年老いた男性が、ヨークのアパートであの日起きたことと、どう関係しているのだろう。そして、ライターとして成功したヨークはどのように転落し、短期間で英国のケムセックス・シーンの黒幕へと上り詰めたのだろう。

    ヨークは、南フランスの質素なアパートで、「もし5年前に、私はこのようなことをすると誰かに予言されたら、私は大笑いしていたでしょう」と語った。ヨークは現在52歳で、数カ月前からこのアパートに暮らしている。

    ヨークはたばこを吸いながら、大きな声でまくし立てるように話す。最悪の思い出を笑いながら振り返り、そのたびに抜けた前歯が見える。時折、警察や看守、国外退去処分を下した英内務省への怒りを爆発させるが、結局、すべての責任は自分自身にあると考えている。

    ヨークは、これまで知られていなかったケムセックス・シーンの全貌を語ってくれた。この知られざる世界に足を踏み入れたら、犯罪行為と破滅の渦に滑り落ちてしまう可能性があるということを。しかし同時に、ただ寂しいだけの人や弱いだけの人がこの世界に引き寄せられ、その結果、多くの人がさらに苦しみ、ときに依存症となり、しばしばトラウマを抱えることになるという。

    BuzzFeed Newsが2016年の記事で報じたように、ケムセックス・シーンは外の世界から完全に切り離されているため、性的暴行やレイプ、精神障害、自殺、過剰摂取を経験したり目撃したりすることは珍しくないが、多くの人は決して口外しない。そして、当局は全貌をつかもうと躍起になっている。

    ヨークは今も、自身の転落について必死に理解しようとしている。

    それは一見、テレビドラマ「ブレイキング・バッド」のゲイ・バージョンだ。ブレイキング・バッドの主人公は、高校の化学教師で、クリスタルメスの大物売人になる。

    しかし、ヨークの話を聞くとすぐ、全く違う物語であることがわかる。

    ヨークの物語はすべて現実なのだ。

    ヨークは、鼻にかかった高い声の持ち主で、ニュージーランドなまりを貫いている。しかし、19カ月の刑期を終え、2017年にニュージーランドに強制送還されたときには、母国を離れてすでに30年が経っていた。

    2017年夏のある日曜日の朝、ヨークはニュージーランド、オークランドの空港に降り立った。所持金は112ポンド(約1万6500円)。刑務所の調理場で週給12ポンド(約1770円)の仕事に従事し、3カ月で貯めた全財産だ。住む場所も仕事もなく、友人もおらず、あるものといえば犯罪歴だけ。「ぼうぜん自失の状態でした」とヨークは振り返る。

    ヨークを助けられるかもしれない人物が1人だけいた。父親だ。ただし、問題点が2つあった。

    「私たちは20年以上も口をきいていませんでした。しかも、彼はアルツハイマー病で死にかけていました」

    ヨークの物語は父親で始まり、父親で終わる。

    ヨークは、ニュージーランド北島の美しい沿岸地域ホークスベイで生まれ育った。当時、ゲイはまだ違法だった。ヨーク家は保守的な農家だった。現在のヨークは、フランス、カンヌ郊外のアパートでソファに座り、休みなく視線を動かしながら、「とても偏狭な環境でした」と振り返る。

    ヨークは19歳のとき、東京でモデルの仕事をした後、オーストラリアに移住。アデレードで1人の女性と出会い、結婚した。しかし、20代が終わるころ、2人の関係は崩壊した。

    ヨークはメルボルンに引っ越すと、同性愛を探求し始め、母親にカミングアウトした。このとき、両親はすでに離婚していた。その日、母親が電話で話す声が聞こえてきた。「来週は必ずランチに来てね。ゲイの息子が家にいるから!」

    父親は、母親ほど喜んでいなかった。翌日、ヨークは父親にカミングアウトしようとしたが、姉に先手を打たれた。電話で父親の反応を伝えられたのだ。「姉に言われました。“わざわざ父親に会いに行かなくてもいい。私が伝えておいたから。あなたが彼の家で歓迎されることはないわ”」

    結局、ニュージーランドに強制送還されるまで、ヨークが父親と話すことはなかった。ゲイであることを父親に拒絶されたと知っている状態で、ヨークは20年間を過ごすことになった。

    「私は証明しなければなりませんでした。何でもいいから、自分の力で成功できるということを」

    ヨークはまず、わかりやすい定番のやり方で証明してみせた。最初のボーイフレンドとインテリア会社を設立し、オーストラリアに3店舗を持つチェーンに育て上げたのだ。ヨークはこの経験を通じて、儲かるビジネスの基本を学んだ。素晴らしい商品、適正価格、マーケティングだ。しかし8年後、2人は別れ、すべてを売り払った。

    変化を必要としていたヨークは、ヨーロッパ旅行に出掛け、1冊の本を書き上げた。これが編集者たちの関心を引いた。ヨークは間もなく、旅行雑誌の最高峰「コンデナスト・トラベラー」のライターになり、その後、さまざまな雑誌の仕事をするようになった。

    2007年、ヨークはついにロンドンにたどり着き、ベルサイズ・パークのアパートに入居した。そして、新しいボーイフレンドと、ドキュメンタリーの制作を始めた。ボーイフレンドの名前はジョバンニとでもしておこう。ヨークの破滅の引き金になった人物だ。

    2014年前半までに、「私たちは同時に2つのドキュメンタリーをつくり上げ、カンヌ国際映画祭に出品しました」とヨークは語る。「ところが、カンヌに出発する3日前、彼は荷物をまとめて出ていきました」

    ジョバンニは、2人の関係と映画プロジェクトの両方を捨てた。しかも、「銀行口座の金をすべて引き出しました」。それでも、制作スタッフの報酬を支払わなければならない。「私は無一文でカンヌから帰ってきました。これからどうなるのだろうと思いました」

    ヨークは当時49歳で、失意に沈み、一文無しだった。

    ヨークは、友人のマークに電話をかけ、助けを求めた。マークは、ロンドン西部チズウィックの自宅に招き入れてくれた。ヨークに同情したマークは、ある提案を行った。「ひどい目に遭ったね。ドラッグをいろいろ買って、ハイにならない?」

    ヨークはあまり乗り気ではなかった。しかも、ヨークはこれまで、エクスタシーやコカインのような昔ながらのドラッグにしか手を出していなかった。「大丈夫。君の痛みはこれで必ず消えるから」とマークは言った。

    ドラッグはすぐに届いた。

    「彼は注射器を取り出し、何かを吸い上げました。“それはいったい何だ?”と私は思いました」

    マークが吸い上げていたのはクリスタルメスだった。注射すると「最高の気分」になると言われた。マークは、ヨークを安心させるため、自分は看護師の資格を持っていると告げ、絶対気に入ると断言した。

    ヨークの血管に注射針が刺され、しばらくするとクリスタルメスの効果が現れ始めた。クリスタルメスは、性欲と精力が大幅にアップすることで有名なドラッグだ。2人はハイになり、眠ることなくセックスし続けた。そして、正気を取り戻し始めたとき、マークに感想を聞かれた。ヨークは「最高だった」と答えた。

    「それは良かった」とマークは言った。「あと5人招待してあるから。1時間後にパーティーを始めよう」

    パーティーは3日続いた。ヨークはそれまで、1対1の長期的な関係しか経験したことがなかった。パーティーが終わった後、心の葛藤に苛まれたとヨークは振り返る。自分自身が怖くなったが、その一方で、興奮していたことも否定できなかった。

    この日を境に、ヨークはものすごい勢いでケムセックスにハマっていった。ゲイ専用の出会い系アプリ「Grindr」で、クリスタルメス、GHB/GBL(通称G)、メフェドロンを使ったセックスに関心がある相手を探し始めた。これらのドラッグは三位一体となり、増強効果と脱抑制効果を発揮する。

    「数週間後、これを行っている地元のグループを見つけました」とヨークは振り返る。「ベルサイズ・パークはまるで悪の巣窟でした。午後10時に通りを歩けば、セックス目当てにあちこち渡り歩く人々に出会うことができるんです」。数軒しか離れていない場所で行われることもあった。

    ヨークは、自分がこれほどはまってしまった理由を探ろうとしている。

    「私は、関係が終わったことを嘆き悲しんでいました。私は48歳の“売れ残り”で、もう魅力的ではないと悩んでいたため、受け入れられていると実感して、自信をもちたかったのだと思います」

    ヨークはしばしば、社会的地位の高い男たちと出会った。大使館職員や警察幹部もいた。こうしたすべての男たちが、ヨークに1つの確信を与えてくれた。「これは普通のことだ」という確信だ。

    そのため、数カ月後の2014年秋、ある友人から思いがけない提案を受けたとき、まだ無一文だったヨークは完全に納得した。

    「君が売人から買っているドラッグは最高だ」と友人はヨークに言った。「だからそのドラッグを、僕たち地元グループに売ってみたらどうだろう? クリスマスまで続けて、少し稼げば、今の苦境を切り抜けられるのでは?」

    ヨークはそのとき、クリスタルメスを吸っていた。「とても当たり前のことに感じられました」。まるで趣味の良い応接間を案内しているかのように、ヨークは手のひらを動かした。

    数週間だけのつもりだったが、このとき、爆弾の導火線に火がつけられた。

    ヨークの売人は、一帯で最も純度の高いクリスタルメスとGを持っていた。そのため、ヨークが提案に乗り、近所の限られた友人たちにドラッグを売り始めると、全員がすぐさま飛びついた。

    「みんな気に入ってくれました」とヨークは話す。「友人たちは上質なドラッグの入手に苦労しており、1グラムではなく0.5グラムずつ渡されていました。つまり、カモにされていたのです。私が上質なドラッグを適正価格で供給し始めると、友人からその友人、さらにその友人へと口コミで広がっていきました」

    あまりに急速に広まったため、ヨークは需要を満たすだけで精いっぱいだった。

    「3カ月足らずで顧客が1200人を超えました」

    しかし、予想外の展開だったため、違法薬物の大量販売を隠す準備が整っていなかった。安全対策も講じておらず、秘密の取引場所もない。男たちはただ、ヨークの自宅に押し寄せてきた。

    「金曜日に350人が押し寄せ、週末用のドラッグを買っていったこともあります」。いつも「30人ほどが、リビングルームでドラッグの調合を待っていました」。自分が迷い込んでしまった異常な世界が普通に見えるよう、ヨークはその間もドラッグを使用し続けていたという。その結果、ヨークは自分を止められなくなった。

    ドラッグを売れば売るほど、売人からの仕入れも増える。ヨークは、小売業界にいた経験から、この意味をよくわかっていた。値下げ交渉ができるということだ。

    「もともと、かなりの高値で買っていましたが、あるとき、“大量購入しているのだから値下げしてくれ”と言うことができるようになりました。最終的には、1グラム35ポンド(約5150円)でクリスタルメスを仕入れ、最高品質の商品として150ポンド(約2万2000円)で販売していました」

    また、ヨークは実業家だった経験から、事業拡大の方法は再投資だということをよくわかっていた。ヨークは儲けた金で購入単位を増やしていき、その後、いわゆる品ぞろえを拡大していった。

    「ワン・ストップショップのような存在でした」とヨークは説明する。「パイプ、ライター、バイアグラ、クリスタルメス、ケタミン、トリップ、大麻、MDMA、ピル、GHBなど、何でも扱っていました。クリスタルメスは常に200グラム以上ありました」

    ヨークは、ドラッグと道具だけでなく、静脈注射に慣れていない顧客へのサービスも提供した。ほとんどが立派な職業に就いている男たちだ。

    「安全な注射の方法を教え、管理者の役割を果たしました」とヨークは話す。「自宅に20人余りの顧客がいて、そのうち12人が注射を打ちたがったこともあります。私は列をつくらせて、12人分の針を用意し、一人ずつ注射していきました」

    ヨークはこのとき初めて、自分の行動を正当化しようと試みた。「やめるわけにはいきませんでした。とても多くの人が私を頼りにしていたためです」。まるで、公共サービスを提供しているかのような口ぶりだ。

    クリスタルメスは注射してもらえるし、あらゆるドラッグが手に入る。顧客たちは、ヨークの自宅のリビングルームを安全な場所と判断し、セックスパーティーに興じるようになった。

    「私は孤独を感じました。全員がペアになっているのに、私は部屋の隅で爪を磨いていたのですから」。ヨークは笑いながらこう言った後、自身も顧客の多くとセックスしていたことを認めた。

    しかし、月日とともに、セックスの魅力は失われていったとヨークは振り返る。ヨークはビジネスにのめり込んでいった。

    「私はただ事業を拡大していきました。当然ですが、私の売人たちは異性愛者で、ゲイ・コミュニティーの“一員”ではありません。そのため、私がゲイ・コミュニティーにすべてを供給していました」

    ヨークの顧客は5カ月足らずで3500人を突破し、金も増えていった。ヨークはケムセックス・コミュニティーの頼りになる売人、つまり、ロンドンのケムセックス・シーンの中心地となったのだ。

    「まるで、降りることのできないジェットコースターでした」。ヨークは当時を思い出して狼狽しているような表情を見せた。「手に負えない状況に陥っていきました。夜に店じまいしたとしても、翌日、留守番電話に300件以上のメッセージが入っているような状況でした。ドラッグが一晩手に入らないだけで、顧客たちは私を怒鳴りつけるのです」

    心理的なゆがみも大きくなっていった。あまりに多くの男たちがヨークを頼りにしていたため、純度の高いドラッグと安全な場所を提供し、自分できちんと注射できるように指導することが「道徳的責任」であるかのように感じていたという。今でさえ、こうした自己正当化は続いているように見えた。その後、ヨークの周りではさまざまなことが起きたのだが。

    「倫理に反する行動を取り続けていたとは思いません。私は常に、ドラッグを買ってくれる人々の身を案じていました」。ヨークは自分のしたことを「誇りには思っていない」が、決して恥じてもいないと断言する。「この一件に関わった多くの人と同様、私も犠牲者の一人です」

    ヨークはベルサイズ・パークの自宅で、自分なりの「ハーム・リダクション・センター」(中毒者に対してドラッグを安全に提供するための保護施設)を運営し続けた。セックスパーティーとドラッグによる精神障害が絡み合い、混乱はエスカレートしていった。

    「男たちが相手を変えながら、何時間もウサギのようにセックスしていただけではありません。バスルームのタイルをはがして床を掘り、中国に逃げなけれならない。英国のシャーロット王女が、クローゼットの中でカクテルパーティーをしている。人々はこのような幻覚を起こすようになっていました」

    ヨークは、忘却を求めてアパートにやって来る男たちと話をした。

    「ゲイ社会でも、最も傷つきやすい人々がいました」とヨークは振り返る。「トラウマを抱える人、愛する誰かを失った人、別れを経験した人、カミングアウトできない人、何かから逃げている人などです。(ケムセックスの)ターゲットはそうした人々です。幸せでバランスの取れた正気の人は、そもそもドラッグを必要としません」

    そうしたなかでヨークは、特に傷つきやすく、現実逃避と安らぎを求めていたある顧客と話をすることになった。ヨークは今でも、彼のことを思い出すと心が痛む。その顧客とは、歌手のジョージ・マイケルだ。

    「私は彼をよく知っていました」とヨークは話す。「彼も、同じ状況に置かれたほかの人たちと一緒でした。彼はクリスタルメスに依存していて、注射も吸引もしていました。彼はうつ状態で、とても悲しい状況でした。本当に魅力的な人物でしたが、私たちと同じで、ドラッグを使うと別人になりました」

    ヨークがマイケルの自宅を訪ねることもあれば、マイケルがベルサイズ・パークに来ることもあった。マイケルの自宅はハイゲートにあり、それほど離れていなかった。

    「午前2時に“今何してるんだ?”と電話をかけてきたこともあります。私は起きて電話番をしていました。注文の電話をかけてくる人々がいるためです。彼がこちらにやって来て、私たちは一緒に吸引しました。午前6時に彼が現れ、一緒にコカインを吸ったこともあります。(彼は)いつも何かが失われている、という感じでした。彼はいつも…何より寂しかったのだと思います。私が目にした中で最も悲しいことの一つでした」

    しかし、マイケルが2016年のクリスマスに死去したとき、ヨークはすでに刑務所にいた。「刑務所に送られて最も後悔したことの一つが、もし彼のそばに付いていたら、何かできたのではないかということです」。検視官はマイケルの死因を自然死と結論づけている。

    2015年6月の金曜日の午後、顧客の錯乱した叫び声が原因で、警察の訪問を受けたとき、ヨークは売人になってから1年が経過していた。しかし、あらゆる証拠がそろっていたにもかかわらず、警察はケムセックスに使われるドラッグを把握しておらず、重要な証拠を見落とした。

    「台所にGBLが入った5リットルのドラム缶があったのですが、警察は冷蔵庫の中身を見るため、そのドラム缶に乗りました。GBLはそのまま台所に残されました」

    警官たちはヨークを逮捕し、ホルボーン警察署に連行。ヨークは起訴された。しかし翌日、保釈金を支払って釈放された。

    問題はパスポートを没収されたことだった、とヨークは話す。その結果、ヨークは旅行ジャーナリストの仕事に戻ることができなくなった。ヨークは売人の仕事を続け、それが悲劇につながった。

    逮捕からわずか3カ月後の2015年9月10日夜、モハメド・サリームという男がヨークのアパートにやって来た。サリームは美容師で、妻子とは別れていた。数週間前、ゲイ用の出会い系サイト「Grindr」でヨークと出会ったばかりだった。サリームが現れたときは、すでに先客が何人かいて、そのほとんどが意識を失っていた。

    「私たちは一緒にクリスタルメスをやりました」とヨークは振り返る。「そして、彼は私とセックスをしたがり、一晩中つきまとわれました。私は彼を追い出すことができませんでした。ひどい状態で、最終的には、彼の要求を受け入れなければ解放されないことがわかりました」

    ヨークはその後で、サリームに「あっちへ行け」と言った。サリームがリビングルームに入る音が聞こえた。3日間寝ていなかったヨークはすぐ眠りに落ちた。翌朝、ヨークは遅い時間に起き、約束があったため、そのまま家を出た。午後3時ごろ、友人とともに帰宅すると、サリームが目に入った。

    「彼はリビングルームで死んでいました」。死因は過剰摂取だ。「彼は、片方の肘をソファーに乗せた状態で、しゃがみ込んでいました」。死体を見たのはこれが初めてだった。ヨークは救急車を呼んだ。救急隊がサリームのポケットからGBLの瓶を見つけたとヨークは話している。ただし、ヨークが売ったものではなく、サリームがGBLを摂取したかどうかはわからないという。

    その後、警察がやって来て、ヨークは数時間にわたって質問を受けた。

    「私はある意味で、彼が死んで悲しいとは思っていず、事態を怖がっていました」とヨークは述べる。「自分も同じ状況に陥る可能性があること、自分には止める力がなかったこと、私には人々がしていることをコントロールする力がなかったことが、恐ろしかったのです」

    地方紙の報道によれば、ヨークはサリームの死に関する審問での証言を拒否している。ヨークはこの時期の出来事を語るとき、支離滅裂とトラウマの間を行き来しているように見える。まるで、まだ心の整理ができていないかのようだ。

    2015年11月ごろには、ヨークの精神状態はかなり悪化していた。

    「私は何かに関心を持つことができなくなっていました」とヨークは話す。「すべてを終わらせたいと思いました。私がいなければ、世界はより良い場所になると自分に言い聞かせました」。ヨークは自殺の方法を考えていた。

    2度「自殺を考えましたが、どちらも実行する前に友人が現れました」とヨークは甲高い声で笑った。

    原因は、ドラッグやサリームの死、孤独だけではないとヨークは語る。「とても長い間、水面下でさまざまな気持ちが渦巻いていました」

    2016年2月前半、再び逮捕されたとき、ヨークはどうでもいいと思った。ヨークによれば、逮捕の理由は不法入国だという。市民権がなく、しばらく出入国していなかったため、ビザが無効になったそうだ。「私は不注意で怠惰になっており、アパートにはドラッグが散らばっています。だから、彼らはいろいろ調べたのでしょう」

    ヨークはペントビル刑務所で、出廷のときを待った。同じ監房に入っていたのは、麻薬取引に関わっていた62歳の大男だった。彼は、中南米の山刀「マチェテ」を誰かに「振り下ろした」という。「簡単に言えば、殺人鬼です。旅行ジャーナリストとして生計を立てていたニュージーランド出身の中流階級の小男にとっては、とてもショックな事実でした」

    ヨークは有罪になった。2016年4月、ドラッグを仕入れていた売人たちの名前を明かした後、5年の実刑判決を言い渡された。ヨークの予想をはるかに超える重い刑だった。

    「私は震え始めました」とヨークは振り返る。「とてもショックでした」

    ヨークは、ロンドン南東部にあるカテゴリーB(訳注:警備が少しゆるやかな刑務所のこと)のテムサイド刑務所に送られた。自分の殻に閉じこもることで生き延びた、とヨークは話す。ヨークは、ほかの受刑者を避けながら、おびえて暮らした。

    ただ、ヨークは刑務所の図書館で働き始め、そこで2人の友人ができた。1人は異性愛者で、もう一人はゲイだ。ヨークによれば、ゲイの友人は出所後に自殺したという。「Gの過剰摂取でした」

    図書館は気晴らしの場所だった。ヨークは、自身が体験したことを理解しようと、3冊の自伝を書いた。「書くことが乗り越える助けになりました」

    自分のためだけではなかった。ヨークは、ドラッグとケムセックス・シーンの現実を知ってもらいたいと思った。何より、愛する人が迷い込んだ世界に当惑している家族たちに向けて。

    19カ月後、ヨークは当局から取引を持ちかけられた。ニュージーランドへの強制送還を受け入れれば出所できるという内容だ。ヨークは取引に応じた。帰国する途中の最初の一晩は、Airbnbで安い部屋を借りることができた。友人はもういなかったし、家族はオーストラリアに移住してしまっていた。父を除いて。

    地元の慈善団体の助けを借り、ヨークはしばらく暮らすモーテルを見つけ、失業給付の手続きを行った。金はなく、知り合いもいない。刑務所より悲惨な状況だったとヨークは語る。「少なくとも、刑務所は1日3食付きで、暖房が完備されていました。自分だけの空間もありました。ニュージーランドに戻ったら何もなかったのです」

    2017年後半のある日、ヨークは父親を探し始めた。まだ帰国からそれほど経っていなかった。

    「父親は死にかけていました」とヨークは振り返る。アルツハイマー病で寝たきりになり、周囲に反応しないことも多かった。「ほとんど毎日彼と過ごし、いろいろな昔話をしました。眠っているときも話しかけました。“とにかく話してあげて。耳は、最後まで動く器官だから”と看護師たちに言われたためです。そして最後に、3時間座って話をした後、私は言いました。“僕たちは出だしでつまずき、自分の口から(ゲイだと)伝えることができなかった。僕はそのことを残念に思っている。姉に言われてしまい、伝えるチャンスを失ってしまったんだ”」

    父親の反応は、すべての前提を覆すものだった。

    「彼は目を開け、“そんなことは起きていない”と言いました」

    姉が父親に電話をかけて、ヨークはゲイだと伝えた事実はなかった。つまり、ヨークが家に行くことを父親が嫌がった事実もなかったのだ。ヨークは20年以上経ってから、父親の一言によってこれらを知らされた。

    「父は言いました。“おまえが出て行ったのは、私たちの顔を見たくないからだと思っていた。20年以上も口をきかなかったのは、おまえが私たちに関わりたくないからだと思っていた”」

    ヨークは、それまでと全く違う表情を見せた。驚きと苦痛が入り交じった表情で、まるで顎にパンチを食らったかのようだ。

    それ以来、ヨークは姉と口をきくのをやめた。父親が生きている間に謝罪できたことだけが救いだ。2018年に入ってすぐ、父親は他界した。

    「受け入れるのに時間がかかりました」とヨークは話す。「父親と一緒に過ごせたかもしれないのに、(刑務所で)2年間も過ごしてしまいました」

    ただし、刑務所での時間は貴重な教訓を与えてくれた。「私は自分で思っていたよりはるかにタフだとわかりました」とヨークは悲しそうに言う。しかし同時に、「もっと自信を持たなければなりません」とも述べる。

    2018年夏、ヨークはカンヌに引っ越し、新しいボーイフレンドと出会った。取材中、ボーイフレンドはせわしなく部屋を出入りしていた。「かつて私の自宅に来た3500人のうち、今信頼できるのは4人だけです」

    ヨークはたばこを巻き、ゆっくりと煙を吸い込む。もし数年前に戻ることができ、転落する前の自分に会うことができたとしたら、ヨークは自分に何を言うのだろうか?

    「どうでしょう」。ヨークは黙り込む。当時の恐怖を思い出しているのだろうか。「選択肢は必ずある。それを思い出せ、と伝えたいですね」

    最後にもう一つ質問を投げ掛けた。父親はどのような存在だったのだろうか?

    「厳しい父親でした」とヨークは答える。「彼は私に簡単には与えてくれませんでしたし、なんであれ、助けてはくれませんでした」。ヨークは一瞬下を向くと、声を落として続けた。

    「私は本当に幼いころから、自分で道を切り開くしかないとわかっていたのです」

    この記事に出てきた人物の一部は仮名を使用している。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:米井香織/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan