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自分を痛めつけるのはもうやめよう 拒食症、風俗、男性依存を超えて取り戻した私

夫の元に置いてきた娘がもし同じ病になったら、「回復できるよ」と言ってあげるために

衝動的で感情がコントロールできず、人間関係がこじれやすくなる精神疾患「境界性パーソナリティー障害」。若い女性でよく見られ、思春期には摂食障害などの自傷行為に結びつくことも多い。

BuzzFeed Japan Medicalは、二人の女性に体験談を伺った。後編では、拒食症、過食症を経て、風俗で働き、3度の結婚、離婚と、波乱万丈の人生を歩んできた30代半ばのまりなさん(仮称)のお話だ。

もう一人の女性、ひろこさんの体験談はこちらです。「どこにも私の居場所はなかった」 彼女が自分を傷つけずにはいられなかったわけ

気になる周りの目 中学1年の頃から拒食症に

まりなさんがダイエットを始めたのは、小学校6年生の修学旅行で、好きな男の子に告白した時、「こんなデブに好きと言われた」と同級生に言いふらされたのがきっかけだった。

154センチの身長で50キロだったのを、1年間で40キロまで減らした。

「今から考えると50キロでもそんな太っていなかったのに、デブと言われたのがすごくショックでした。初めは綺麗になりたいという気持ちだったのが、だんだん食べることが怖くなっていったんです」

中学1年生の頃、急激に痩せたのを心配した母親に病院に連れていかれ、1ヶ月学校を休むことになった。反動で今度は過食となってしまい、1ヶ月ですぐに10キロ戻った。

今度は、減量の代わりに勉強に打ち込んだ。

「成績がトップ3に入るとクラスで名前が呼ばれるのですが、それが快感になっていました。体重計の数字から、今度は成績表の数字に執着するようになったのです」

「痩せて綺麗にならないと価値はない」 

勉強の甲斐あって、高校は進学校に入学し、チアガールの部活動に入部した。部員はみんな細くて可愛い子ばかり。その頃には体重は60キロになっており、自己評価はガタ落ちした。

「チアガールはみんなちやほやされるのに、その中で一人、デブでブサイクの私が混じっていると思えて辛かったのです。中学までは勉強で褒められていたのに、進学校の中で成績はそこそこにしかならない。痩せなければと思いました」

再び、激しいダイエットを始め、体重は最終的に38キロまで減った。46キロぐらいになった頃、憧れていた男性の先輩が「可愛いね」と声をかけてくれた。太っていた時は見向きもしなかった人だ。

「ものすごく嬉しかったのですが、同時に、『やはり内面でなく外見なんだ』という思いが強くなりました。痩せて綺麗にならないと私には価値がないという強迫観念で痩せ続け、常に頭がぼーっとしている状態でした」

高校2年生の時に摂食障害の専門科に入院。「1800キロカロリー食べられるようになったら退院ね」と主治医に言われ、期待に応えようと必死に食べた。

ところが、2回目の入院で、入院仲間の女の子に、食べた後に吐くという方法を教えてもらった。

「太らない手段を知って嬉しいと思ったのですが、食べ吐きを始めるとどんどん症状はひどくなっていきました」

学校に行ける状態ではなくなり、高校を中退。教師の父親の期待に応えようと、通信制高校に入り、短大に進学した。

短大で彼氏ができた時、また「太っていたら嫌われる」という強迫観念が襲った。

「美味しく食べる元気な子と見られたかったので、彼氏の前でパクパク食べて、レストランのトイレに行って吐く。デートのたびにヘトヘトになっていました」

「偉くなりなさい」と言い聞かされて育った幼い頃

「周りの人の期待に応えなくてはいけない」

それが、物心つく頃からまりなさんの行動原理だった。

まりなさんは長女で弟がおり、両親と父方の祖父母と暮らす7人家族だった。一家の中で権限があるのは、学校の教頭だった祖父と地域の民生委員を務めていた祖母だ。

「二人からは常に『偉くなりなさい』と言い聞かされて育ちました。母も姑である祖母に気に入られるようにストレスを抱えていて、祖父母の元にいとこが来るたびに家をぐちゃぐちゃにされ、面倒を見させられるのが辛そうでした。逃れたかったのか、私は母にしょっちゅう突然の外出に連れて行かれていました」

「母の愚痴を聞かされるのが長女の私の役目で、祖父母や母の言うことを聞く生活を続けている中で、私は自分の本当の気持ちがわからなくなっていました。全て、周りの人からの評価を基準に動いていたし、彼らの期待に応えることが自分の喜びなのだと思い込んでいました」

不安定な母の気持ちをケアするのは、いつも長女のまりなさんで、自分の気持ちをケアしてくれる人は誰もいなかった。

続かない仕事、男性依存、そして水商売へ

短大卒業後は、銀行に就職。ところがストレスからか摂食障害がひどくなって2か月で辞め、歯科助手の仕事についた。

10歳以上年上の歯科医は、食事に誘うのと同時に当然のように体の関係を求めてきた。「好き」とも言われず、完全に遊ばれていると思ったが、考えないようにして応じた。

「その頃から、男性に求められ、ちやほやされたいという気持ちはエスカレートしていきました。もっと綺麗になってみんなに認められたいと整形を望むようになり、3日間で5万円稼げるという求人の文句に惹かれて、ガールズバーで働いてみたのです」

最初は3日で終えるつもりだったが、最終日に自宅まで車で送ってくれたマネジャーから、「君は指名をもらえるから続けてほしい」と懇願された。

「家には居場所がないし、誰かから必要とされるというのがただ嬉しかったんです。今考えると愚かだなと思うのですが、自分でもいていいのだと思える場所ができたとホッとするような気持ちでした」

夜の商売で働くうちに、昼夜逆転の生活は荒れ、身なりも派手になっていった。

風俗に勤めるようになるのも間もなかった。20歳でピンサロで出会った客に、「結婚してください」と名刺を渡され、妊娠したのを機に結婚した。

「親にも認められないし、期待もされない私が求められるだけでも嬉しかった。風俗にいると生活がぐちゃぐちゃになるので辞めたいという気持ちも手伝いました」

出産、安定した関係、しかしまた心に広がる不安

結婚して安定し、幸せな生活が続くのだと思っていた。

しかし、出産し、穏やかで代わり映えのない生活が始まると、急に不安が募り、体が動かなくなった。うつのような状態だった。

「娘も可愛いし、夫も嫌いじゃない。今の生活を壊したくないのに、どうしてもこの安定した状態に心が耐えられなくなったのです」

子育てもできなくなり、保育園に預けるようになった。その時に救いのように求めたのが風俗の仕事だった。

「今思えば幸せだったのに・・・。風俗で再び働くうちに、店に来るお客さんのことがまた好きになってしまいました」

いつまでも夫に隠しておけず、風俗で働いていて、好きな人ができたと打ち明けた。

「義父からは『汚い!』と罵倒され、殴られ、別れを告げられました。1歳半だった娘もその姿を目の前で見て泣いていました。そこで私は初めて我に帰り、なんでこんなことをしたんだろうと後悔したのです」

夫の実家に預けられた娘を追って、一緒に暮らしてやり直したいと土下座した。夫の両親はいったんは受け入れてくれたものの、「風俗で働いた嫁」という視線で常に見て、冷たい態度は崩さなかった。

過食嘔吐がひどくなった。

吐瀉物で下水管が詰まるほどになり、追い詰められて死のうと包丁を持ち出したところを義父に取り押さえられ、まりなさんは一人実家に帰された。

全てを無くして 2回目の結婚も破れた

こっそりまた水商売を初めて実家を追い出されたのが25歳の時。一人で生活していくために再び風俗で働き始め、26歳の時に出会った男性と2回目の結婚をした。

相手の連れ子とも仲良くし、二度目の結婚生活は33歳の時まで続いた。夫の持病が悪化して夫の両親と一緒に暮らすようになって、ストレスが悪化した。

義母に気を使いいい嫁を必死に演じるまりなさんに、夫が「俺には冷たいよね」と軽口を叩いたのがきっかけで、湧き上がった怒りが押さえきれなくなった。

「あなたのこと好きじゃないのになんでこんなに苦労するんだ!」「出ていく!」

修復は叶わず、2回目の離婚をすることになった。

初めて受け入れられたありのままの自分

その少し前から、依存症治療で実績のある病院から紹介を受け、摂食障害の当事者を支援する団体、「NPO法人のびの会」につながっていた。そこが運営する女性だけの自立支援の場「ミモザ」に通うようになっていた。

初めて同じような苦しみを抱えた仲間に出会い、自分を守るためにまとっていた鎧がほどけていった。

「今まで家庭でも居場所がなく、男性や風俗で認められたと思っていました。でもそれは相手の期待に応えていた自分です。いつまで経っても満たされず、空虚でした。それが、ミモザではこれまでの話をありのままに聞いてもらって、素の私を初めて認めてもらったと思えたのです」

離婚と同時にミモザの近くに越してきて、頻繁に通うようになった。摂食障害についてみんなで学び、みんなで一緒に料理を作って食べた。回復している先輩をみて勇気付けられ、安心できる場所、安心できる人とともに食べる食事は、何よりも美味しく感じた。

「そのうち過食嘔吐は治まっていきました。ここでは真面目に取り組むと『よく頑張ったね』と褒めてもらえる。そして、間違ったことをすると『それは違うよ』と叱ってくれる。怒るんじゃなくて、私のためを思って良い方向に進むように思いやってくれる」

「私は誰かが褒めてくれたり、叱ってくれたりということをこれまでの人生で経験することがありませんでした。私のためを思ってくれる人と出会い、私も今度は自分のために頑張ろうと思えるようになったのです」

娘に回復できると見せるために

少しずつ自分を立て直すことができていると気持ちが上向き、体重も安定した時に再び彼氏ができた。ある記念日の日、彼氏の友達に「なんで記念日に一人でいるの?」と声をかけられ、急に不安になった。

彼氏の友達に気持ちが移り、1週間で結婚。1か月半で離婚した。さすがに落ち込むまりなさんに、主治医は「あなたは男性依存ですよ。これは一種の自傷行為です」と告げられ、「境界性パーソナリティー障害」という診断を受けた。

境界性パーソナリティー障害は、衝動性が強く、感情がコントロールできずに、対人関係がこじれやすくなる精神疾患だ。

見捨てられ不安が強く、自傷行為を繰り返し、不適切で激しい怒りを周りの人たちにぶつけるなどの症状が見られる。

「主治医からその説明を受けた時、今までやってきたことが全てつながったように思えました。なぜいつも問題を起こしてしまうのか混乱していたのが、自分が何者でどういう問題を抱えているのかがはっきりした気がしました」

それまでは過去の自分に向き合うのが怖くて仕方なかったが、初めてしっかり向き合えるようになった。男性断ちを決め、3回目の離婚以来、誘われても応じることはなくなった。

今も苦しいことはたくさんある。でも仲間の助けを受けながら頑張ろうと思えるのは、10年以上前に夫の元に置いてきた娘の存在が心の中にあるからだ。

「娘は今、私が摂食障害を発症した年頃になっているはずです。私は娘のことを愛してあげられなかったから、娘も同じ病気を抱えることになったのではないかと心配なのです」

まりなさんは涙を拭った。

「もし娘が同じように苦しい状況になったら、私もちゃんと治ったから一緒に治そうと言ってあげたい。私ができることはそれぐらいしかない。そのために頑張ろうと思うのです」

今は福祉のボランティアを始めている。誰か辛い思いをしている人の支えになりたい。かけがえのない自分を大切にするために、新しい目標に向かって踏み出している。

5日に横浜市でイベント「自分を傷つけずにいられない」開催

8月5日午後1時から、のびの会主催で、摂食障害や境界性パーソナリティー障害の当事者が体験談を話すイベント「パーソナリティー障害とともに生きる 自分を傷つけずにはいられない」が開催される。

精神科医の松本俊彦さんを迎え、基調講演や当事者とのトークディスカッションもある。

事前申し込みが必要で、締め切りは4日午後5時。メール(kouenkai@nobinokai.or.jp)か電話(045-787-0889)で、氏名、電話番号、所属先を伝える。参加費(一般1500円、会員1200円、専門家・支援者2000円)は当日会場で支払う。問い合わせはのびの会事務局へ。


もう一人の女性、ひろこさんの体験談はこちらです。

「どこにも私の居場所はなかった」 彼女が自分を傷つけずにはいられなかったわけ