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「私の声」が世の中を変えることだってある #MeTooやLGBTムーブメントにみる希望

社会批評集『日本の気配』を出版した武田砂鉄さんインタビュー4回目

世の中を支配する「空気」ができる前から、先取りして「気配」を察知し、自ら縛られにいく私たち。4回目の最終回は、それでも個人が声を上げることで空気が変わることもあると、武田砂鉄さんが希望について語ります。

個人が声をあげることで社会が変わることもあると語る武田砂鉄さん
Naoko Iwanaga / BuzzFeed

個人が声をあげることで社会が変わることもあると語る武田砂鉄さん

個人の怒りが空気を変えた#MeTooやLGBTの動き

——武田さんの論じる空気や気配について考えると、無力感に打ちひしがれそうになります。ただ、#MeTooやLGBTのムーブメントなど、個人が声をあげて社会が変わってきたという感触もあります。

そうですね、#MeTooは個人の力で社会を動かしました。

ジャーナリスト・山口敬之氏からレイプされたと告発した伊藤詩織さんや福田淳一前財務次官からのセクハラを告発したテレビ朝日記者などの動きによって、世にはびこるセクハラがやりにくくなってきたことは間違いないと思います。

それでもまだ「おやおや、これもセクハラになっちゃうのかな?」と半笑いで過ごす下品な連中が残っていますが、彼らは確実にこれまで通りのセクハラがやりづらくなっている。ビビっている。どんどんビビらせればいいのです。

女性の役割があまりに旧態依然としているCMについてなどは、SNSから勃発する声が、食い止める機能を果たしています。

やり過ぎ、と思っている人もいるかもしれませんが、力づくで男性優位を保ってきた社会に対して、多少の強い力は必要です。セクハラを許さない、そしてセクハラまがいの行為を問い質すという空気が醸成されてきています。

#MeTooの動きは、諸外国に比べたら規模は小さいのかもしれませんが、一つの社会変革の動きとしては非常に有効です。こうやって突き上げる行為を、様々な側面でやっていかなければならない。でも、一つの動きが強まれば、反動が来る。それに耐えて、それでも言い続けなければならないのかな、と思います。

——#MeTooで言えば、伊藤詩織さんが名前と顔を出して被害を訴えたのは大きかったです。「わたくし」がはっきり見える個人が声をあげた効果は大きかった。

そうですね。もちろん、顔や名前を出すことを強制してはなりません。福田前財務次官にセクハラをされたテレビ朝日記者が「あなたも名乗れ」と強制されるようなことがあってはならない。でも、ああやって伊藤さんが表に出ることを決断された勇気による効果は大きかったと思います。

しかし、そのバッシングは想像を絶するものがありました。自分はいわゆる右派系の雑誌を毎号読むようにしていますが、そこに注がれた言葉の数々は非道なものでした。告発した人間が、人間として崩れることがあってはならないと思います。

山口敬之氏は、「『伊藤詩織』問題」と銘打った原稿を書いています(『月刊Hanada』2018年1月号)。これは明らかに「『山口敬之』問題」です。私は、伊藤さんの手記とそれを受けて発表された山口氏の手記を読み比べて、いかにして山口氏が意図的に誤読をしているかについて考察しました

日本の#MeTooムーブメントは、ジャーナリストの伊藤詩織さんが名前や顔を出して告発したことで火がついた
AFP=時事

日本の#MeTooムーブメントは、ジャーナリストの伊藤詩織さんが名前や顔を出して告発したことで火がついた

どんな社会問題も自分の問題

書籍や雑誌の特集などを中心に、フェミニズムを考える動きがあちこちで立ち上がっています。先日、「すばる」という文芸誌で男性の寄稿者のみで組むフェミニズム特集があり、自分も長文の論考を書きました。

小説家の方が少ないなと思ったので、編集者に聞いてみると、「自分の専門ジャンルじゃないので」と断られることが続いたという。

当然、疑問に思います。フェミニズムが自分の専門ジャンルじゃない人なんているんでしょうか。それって「〝生活〟って俺のジャンルじゃない。普段、社会で生活しているのは俺じゃないから」と言っているようなものです。

物書きが、自分の生活と社会問題を区分けしているのは極めて危ういなと思います。なぜ自分の問題だと引き受けないのか。

LGBTについても、自分は男性で、女性の妻がいますが、自分の問題だと思わなければいけない。LGBTも#MeTooもフェミニズムも、当然、自分の問題です。

——そうした問題を自分の問題だと感じられるのはなぜですか。

それが生活だからです。安倍政権の諸問題も、自分と切り離せば安堵できます。たとえ距離があっても、自分の問題だと引き寄せなければいけない。

例えば、新潟で幼女が誘拐されて遺体が線路上に放置されるという痛ましい事件がありました。実に悲しい事件です。連日報道されました。でもシリアで子どもたちが100人亡くなってもニュースにならない。それはいいのですか、と問い直さないといけないと思います。

世の中の多くの人は、「まぁでもさ、そうは言ってもさ……」と思うわけです。自分だって実はそう思っている。自分との精神的な距離を考えればそういう反応になる。

その反応を自分で疑わないといけない。こんなことを言うと正義漢のように言われ、それも揶揄の対象となってしまう嫌な時代なのですが。

シリアの内戦で怪我をした子供。たくさんの子供が犠牲になっている。
AFP=時事

シリアの内戦で怪我をした子供。たくさんの子供が犠牲になっている。

マニュアルでは打ち崩せない気配

——政治の話は、何度もとんでもない問題が明るみに出ているのに、一向に状況が変わりません。#MeTooやLGBTは空気が変わっている。何が違うのでしょう。

なぜなのでしょうね。先日、勝間和代さんが、私は今、女性のパートナーと暮らしています、と宣言し、好意的に受け止められました。

インフルエンサーと呼ばれる人たちの反応をSNSで見ていると、勝間さんの告白には好意的に賛同する。でも、文書を改ざんしちゃダメだろ、とは言いませんね。

インフルエンサーの発信をよく観察しているんですが、その発信は極めてテクニカルです。どういう発信をしたら、賞賛を浴びる事ができるだろうと、経験則で最適解を導きながら吐き出している。

その巧みな発信にお客さんがつき、自分の認知度が上がっていく。そういう人たちに、是非、別アカウントじゃなく、キラキラした写真に「#文書改ざんダメだろ」ってハッシュタグをつけて広めてほしい、なんて思ってしまいます。

——政治状況については、怒りの声を発することが社会を変えるところまでいくという見込みがないし、賞賛も得られないという計算が事前に働くのでしょうか。

例えば、本屋さんに行くと、ランキングコーナーには「これをしたら、これができます」という本ばかり並んでいます。目的と効能と結果が明示されていないと、商品として魅力的ではないとの圧がかかっている。

本でもSNSでも会社づきあいでも全てそうだと思うのですが、「これはこうで、こうしたらこうなりますので、やらせてください」と提示して、「うん、明確だ。やれ!」と即断できることしか許されない空気がある。

自分の本なんて、「この本、どういう本なんですか?」と聞かれたら、「いやあ、これこれこういうもの……という本じゃないんです」と歯切れの悪い説明しかできません。断言できるとすれば、「すぐには答えない本です」ということだけです。

装丁を担当してくださった鈴木成一デザイン室が、カバーデザインでうまく図示してくださったのですが、今の日本を覆っているのは、こういう感じで、ぼやーっと、なんとなくあり続けるものに支配されている。

『日本の気配』の表紙。はっきりとしない、不安を掻き立てる「気配」がある
晶文社

『日本の気配』の表紙。はっきりとしない、不安を掻き立てる「気配」がある

——それを可視化した本と言えるのでしょうか。

可視化したというか、漂わせたというか、張り巡らせたという感じでしょうか。

——それに抗う方法は、怒り続けることだということですね。

そうですね。先ほど話したように、個人の怒りと匿名のクレームをどう差異化していくかというのは難しい課題ですが。

異なる意見を反復し続ける

——さらに、意見が対立する問題をどう乗り越えるかということも重要ですね。私が取材する医療、健康分野でも、HPVワクチン、受動喫煙など意見が対立する問題があります。福島の放射能に対する不安のように、人は科学的根拠だけでは納得しないということを実感し、どうしてその不安を抱くに至ったのかを理解しなければだめだと感じるようになりました。それぞれの立場を反復するしかないのかなと思っています。

反復するしかない、というのはその通りだと思います。

先日、WIREDの前編集長で、著書『さよなら未来』を刊行された若林恵さんと対談イベントをしました。本を読んだ時点では、この人とうまく話せるかなと心配していた。一括りにはできないものの、若林さんは雑誌を通じて環境設定を考察されてきた印象が強い。

一方、こちらは人間を考察してきた。でも話してみると、当然のことなんですが、環境と人とはいくらでも交わる点があって、面白く対話できたのです。

例えば、自分はこれまで東京五輪について批判してきましたが、国立競技場のそばにあるアパートから紙切れ一枚で追い出された人たちがいます。その「人間」に注視しても、オリンピックを契機にどうやって文化をアップデートするのかなど「環境」をたちまち考えだす人たちがいる。

そういう時に、「環境のほうがクールじゃね?」と受け止められるのが今の世の中で、苦々しく見てきました。そもそも若林さんがそんな「アップデート」を連呼していたわけではないですが、環境と人間とをぶつけて対話する可能性について、諦めちゃいけないんだなと思いました。

おっしゃるように、反復するということが一番重要になると思います。1回でものを作ろうとするのではなく、何度も捏ね上げて徐々に形を作っていったり、いろいろな要素を加えて、より良き形を模索したりしなければならないはずです。

効能や成果をすぐに求める人に対して、「反復しようぜ」と言うと、「それ効能弱くね?」「結論なくね?」と、その時点で引かれてしまう時があります。

そんな人にどういう風にアプローチすればいいのか、すごく悩みます。自分の本をわざわざ読んでくださる人って、ここまで述べてきたことを概ね理解してくださる人が多いはずで、そうではない人に少しでも読んでもらうためにどうしたらいいのか、悩んだままです。

【連載1回目】「一億総忖度社会」の日本を覆う「気配」とは何か? 自ら縛られていく私たち

【連載2回目】そこに「私」の主体的な判断はあるか? 公共は自分が作る

【連載3回目】「怒り」をどう取り扱うか 匿名社会の鬱憤ばらしにならないように

【武田砂鉄(たけだ・さてつ)】フリーライター

1982年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋からライターとして独立。著書に『紋切型社会——言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論——テレビの中のわだかまり』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』(晶文社)がある。現在、新聞、雑誌、ネットメディアなどで連載中。

Naoko Iwanagaに連絡する メールアドレス:naoko.iwanaga@buzzfeed.com.

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