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対策と緩和のバランスどうするか? 専門家有志が提言を発表

新型コロナの対策緩和が次々に打ち出される中、専門家有志が対策と緩和のバランスについて提言した「これからの身近な感染対策を考えるにあたって」を出しました。中心になってまとめた岡部信彦さんに狙いを聞きました。

新型コロナウイルスの対策緩和が次々に打ち出される中、厚生労働省のアドバイザリーボードを中心とした専門家有志は1月25日、対策と緩和のバランスについて提言した「これからの身近な感染対策を考えるにあたって」をまとめた。

過剰な対策や効果に疑問のある対策を見直す必要性と共に、伝播力の高いオミクロンによる流行はこれからも続くことから、基本的な対策は今後も必要だと指摘している。

BuzzFeed Japan Medicalは、この提言を中心になってまとめた川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんに狙いを聞いた。

※インタビューは1月25日夜に行い、その時点の情報に基づいている。

不要な対策は変えるべきだが...基本的な対策は今後も必要

——最近、政府は感染症法上の2類相当から季節性インフルエンザと同じ5類への変更や、屋内でのマスク着用廃止などを打ち出しています。専門家の意見を聞く前に緩和の方針を決めているように見えますが、どのように感じていますか?

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、新たに発生したウイルスによる新たな感染症で、当初はまったくよくわからないことだらけでした。

軽症者が多い一方、感染者数が増えると肺炎の重症化で亡くなる方も増えて、治療薬も不明、ワクチンもなく、ないない尽くしの段階で医療も逼迫しました。それゆえに、古典的な感染対策に頼らざるを得なかったのです。

でもこの3年間で、少しずつウイルスの正体がわかってきました。超スピードで薬もワクチンも相次いで開発導入されましたが、一つわかればさらに新たな問題点が見つかり、解決しながらまた次の問題に対して進まなければなりませんでした。

それでも未知の感染症に対して厳しい対策を取ってきた段階から状況は変化しています。対策もそれに応じて変えていくべきです。

ただし、法的な位置付けが2類から5類に変わったとしてもウイルス自体は変わるわけではありません。5類になったとたんにこの病気が楽になることはない。当然、今後もやるべき対策はやらなければいけません。

3密を避ける、換気に気を付ける、マスクを着ける、手を洗うなどの基本的な感染対策は必要です。しかし、すべての場で一律にやるべきなのかは見直す必要があります。

生活上の自由さも大事ですし、経済も大事。子供の育ち方に影響する日常生活や教育面などでは、有効性の割には過度な負担のかかるような方法は緩めていかなければいけないでしょう。

一律に国が要請している対策の中には、外してもいいものも多くある。無駄な対策もある。対策をとることで過剰な負荷がかかっているところもある。これらの見直しは行うべきと思います。

法律的な類型の変化は対策を見直すきっかけにはなりますが、一気に全て「2から5、インフルエンザ並み」と機械的に落とすのは危うい。

医療の問題、ワクチンの問題、さまざまな補助金の問題、濃厚接触者や無症状者はどうするか、保健所の関与の程度などを一気に“インフルエンザ並み”にするのは時期尚早です。

ステップを踏んで変更していってください、と提言しています。

専門家が不要な対策と今後も必要な対策を取捨選択

——政府が対策緩和に前のめりになる中で、「いや引き続き大事な対策もありますよ」と専門家が釘を刺す意味でこの提言を出したのでしょうか?

初期に「新しい生活様式」「5つの場面」などと生活上の対策を提言してきた感染症の専門家としては、それが合わなくなってきたならば、「これは外しましょう」と言うべきだと思っています。

自然に任せて、なし崩しに「もうみんなやらなくなったからいいや」ではなく、「これはもう意味がないから、あるいは実生活には負担の方が大きくなるからやめましょう」などと吟味し、対策を切り替える提言を出すべきではないかと思います。

今まで、様々な分野のガイドラインの記載を変えようとしても、「基本的対処方針にはこう書いてあるから、ガイドラインでは変えられない」ということがしばしばありました。「今、感染症の専門家はこう考えています」と示すべきと思います。

ただし、生活上の対策は、医学的な正当性だけで決めていいわけではなく、“合理性”も重視しなければいけません。

科学的合理性はもちろんですが、経済的合理性、社会的な合理性もあるでしょう。さらに社会の受け入れがどこまで進んでいるか、という視点も必要です。もちろん、「今こうしないと危ない!」という場面では、感染症を防ぐ・抑えるという視点での対策が最優先されます

そういうことを総合的に考えて、一人ひとりが自分で対策を選択できるようにするのが理想です。

でも現実はそうもいきません。「例示してくれ」と求められることが多いのですが、例示すればしたで、「あれはどう?これはどう?」とどんどん細かい議論になるので塩梅が難しい。

でも、箸の上げ下ろしまで「こうすべき。ああすべき」とする必要はないし、してはいけないのではないかと思います。そこが成熟した社会ではないかと思います

——今回の提言をまず出して、その後、専門家が対策を取捨選択して、科学的に説明したものを改めて出すということですか?

今回の提言(基本的な考え方)を出して「後のことは誰かがやってくれるだろう」では無責任ですから、もう少し具体的な中身に踏み込んだ提言を出さなければいけないと思います。それをどういう形で出すかはまだ決まっていません。

人に感染させないのは大事だが、生活全般を制限する段階ではない

——例えば不要になった感染対策としては具体的にどんなものが想定されますか?

例えばレストランのビュッフェで、その都度使い捨て手袋をはめて食べ物を取ることが必要なのか。また、トイレには「流す時にはふたを閉めてください」という紙がいまだに貼られたままになっています。

黙食も、いまだに掲示されているとこが多々見られます。僕らは「あれはいらない」とずっと言い続けているのですが。

—— 逆にこれからも続けた方がいい対策は何でしょう?

基本的な感染対策は変わりません。新型コロナというだけではなく、いろいろな感染症に共通することは「やった方が良いこと」です。

例えばソーシャルディスタンスは感染症対策として昔から言われていることですし、「マスクを着けましょう」はインフルエンザの流行時にはいつも言っていることです。「流行時には人混みにはなるべく出ないでください」もそうです。

その時、「今まで我慢していたのだから出かけてうさを晴らすのだ」という人を止めようとしているわけではありません。

ただ、「感染したら重症化リスクの高いハンデのある人もそばにいるかもしれないので、人に感染させないようなこともちょっと考えてほしい」とは呼びかけます。

「他人のことも考えましょう」というのは、同調圧力でもなんでもなくて、人の生活ではとても大事なことだと思います。

感染予防は自分がうつらないことことをまず考えるわけですが、その次に「人にうつさないようにする」ということも大切です。

ただ、今は、人へ感染させないようにすることを強烈に呼びかけるあまり、「いつもマスクをつけましょう」「遠出は控えましょう」「お店の営業時間を制限しましょう」と国や自治体が介入して制限する状況ではありません。

未知の感染症で医療も十分対応できない時はそんな制限も必要かもしれませんが、そうではなくなってきた今、過剰な制限になってきたなら外してもいいと思うのです。

ただ、感染者が溢れるように増えてきた場合や、何かの加減で病気の重症度が強くなってきたような場合には、制限がかかるのはあり得ることとして承知しておいていただく必要があります。

ウイルスは安定しているわけではない 元に戻す可能性も視野に

人の社会に根を張っている様々な感染症と違って、このウイルスはまだ生まれたばかりで、安定しているわけではありません。

たった3年の歴史しかなく、新しい性質の変異も出てくる可能性はあります。もちろん、これまでに自然界から消え去ったウイルスもいますが、それが確実に起きるとはとても言い切れません。

この先、状況が再びコロッとひっくり返ることもあるかもしれない。そうなった時に、対策をまた元に戻す可能性も考えておかなければいけません。

——アメリカで流行中のより伝播力が強く、これまで獲得した免疫を逃れる「XBB.1.5」が日本でも流行すると言われています。

XBBもXBB.1.5も確かに免疫の逃避が見られるようです。つまり、いちど感染しても新たなウイルスに対しての免疫は弱く、またかかってしまう。人工的につけた免疫、つまりワクチンの効果も弱まるので、感染が拡大しやすくなる可能性が考えられています。

しかし、これまでのところXBBやXBB1.5によって重症度が高くなっているわけではなく、またワクチンによる重症化予防効果はみられています。

そうであるならば、基本的には具合が悪い人は医療できちんと受け入れて治療できるようにしておく。これが一番です。「病名」ではなく、病気の「症状」によって対応を変えることが重要だと思います。

残念ながら治せない時もあります。その時は穏やかに看取りができるようにする、これが行うべき正常な医療です。

——第8波がピークアウトしたところですが、救急が逼迫し、助けられる命も助けられなくなったことは問題ではないですか?

今回の救急の逼迫(搬送困難)はコロナ患者が全てではなく、半分以上はコロナ以外の病気や怪我への対応となっています。

両方に対応するために救急車が走り回っている時に、心筋梗塞や脳出血や吐血、緊急分娩や事故、傷害、大雪で滑って骨折した人が運べなくなるような状況は良くない。

ただ、本来の救急ではないと思われる人からの救急車要請というのが少なからずあるのも困ったものです。

——今、全面的に対策を緩和して、高いレベルでの感染が続き、救急が慢性的に逼迫するようなことがあってもいいのかと指摘する声もあります。

感染者の数だけではなく、その中に含まれる重症者の数が重要です。「病名」ではなく、病気の「症状」によって対応をする、ということが大切です。

ただ感染者の数がどんどん膨らんでくれば重症者も多くなるので、できるだけ感染者を少なくする努力は続ける必要があります。軽いから放っておく、というわけではありません。

救急搬送のように大変になった分野の負担を少しでも軽減する努力は、当然しなければいけません。受け入れ側の救急医療、分担、搬送、救急車の数や人材の確保など、国として医療体制そのものを考えなければいけません。

ただ、日本のようにいつでもどこでも誰でも無料で、迅速に動く救急車、というのは世界でも例外的であることも知っていただきたいです。

「海外ではマスクしていないから日本も」政治家の雑な発言

——ところが政治家の方ではバランスをあまり考えているように見えません。例えば自民党の茂木敏充幹事長は、「海外では屋内でもマスクをしている人はほとんど見かけない」と言って、日本でも海外の基準に合わせるべきだと発言しています。専門家が丁寧にバランスの議論をと呼びかける一方、政策を決める政治家が雑な発言をしているのが気になります。

それは政治家に限らず、一般の人もそうですね。

海外と比較する時には、文化的な背景や習慣がまず違うし、医療体制も違う、人の育ち方育て方も違う、などということを考慮しなければなりません。

多くの海外諸国では、医療機関は別ですが、日本ほど普段からマスクを使う習慣がまずない。

皆が嫌がるマスクを、公衆衛生学的な意義から皆にできるだけつけてもらうには、「お願い」ではなく「法的規則」にしなくてはいけない。守らせるためには罰則の規定もついてくる。その場合、規則がなくなれば元に戻ります。

マスクに対して状況が異なる日本で、外国でこうだから、ということを大きな理由にしてはいけないと思います。

なお、海外でも国や場所によってかなりの温度差があり、メディアが報じている内容は必ずしも一般的な状況を表しているわけではない、ということも理解しておきたいところです。

また、マスクは「感染が心配でつける」という以外にもいろいろな理由でつけたい人もいるわけです。感染に対する心配は小さい時でも「つけるならどうぞ」、という考え方も大切だと思います。

しかし、「このような場は着けた方が良いです」「このような場は着けて下さい」という場面は具体的に示すようにしなくてはいけないでしょう。

日本はマスクを必要なところではつけ、そうでないところでは外すことを自分で判断できる。諸外国よりは衛生概念や習慣が進んだ国として続けることは、良いことではないでしょうか。海外と同じようにする必要は全くないと思います。

子どもへの対策と、子どもの発育・発達のバランス、どう考える?

——提言の後半で、子どもに対して「すこやかな発育・発達の妨げにならないような配慮が必要」と書かれています。小児科医のベースを持つ岡部先生らしいと思いました。マスクも給食での黙食もどうするか議論がヒートアップしていますが、どうお考えですか?

感染対策の合理性を考えるにあたっては、年代による特徴を考慮すべきである。ことに子どもに おいては、すこやかな発育・発達の妨げにならないような配慮が必要である。(「これからの身近な感染対策を考えるにあたって」より)

これまで子どもには学校の給食などで「黙って食べなさい」と言う場面が多く見られました。

文科省で出しているマニュアルでも「会食に当たっては、飛沫を飛ばさないよう、例えば、机を向かい合わせにしない、大声での会話を控えるなどの対応が必要です」としています。

「黙食」の語はないのですが、基本的対処方針に「国民に対し、基本的な感染対策を徹底することに加え、飲食はなるべく少人数で黙食を基本とし、会話をする際にはマスクの着用を徹底すること(中略)等を促す。」とあるので、これに対応する学校が少なからずみられた、ということのようです。

基本的に人は触って、くっついて、ぐちゃぐちゃして、しゃべって遊びながら育っていくものです。それによって人間社会は成立しています。

感染症にかかるのは嫌なことなので感染を完全に抑えよう、とすれば、くっついて、触ってということをすべてやめたらいいのです。

でも、感染リスクがゼロになったわけではないということは認識しながら、緩められるところは緩める。緩めるというよりも、健全な社会を守るためにやらなくてすむことはやらない、という考えが必要ではないかと思います。

人は楽しみがないと生きていけない生き物

大人にしても、夜中遅くまでどんちゃん騒ぎをするような宴会はまだ許容できないかもしれませんが、人間は楽しみがないと生きていけないものです。

——コロナ流行の初期から岡部先生は感染症の専門家としては珍しくそう言っていますね。お花見も気をつけながらしていいのだと。

心配なことは、言い出せばいくらでもあります。でも心配だからと言って何もしないようにしていると、それによるマイナス面が強く出てくる可能性が高いと思います。

重症化リスクの高い高齢者や弱者への配慮を

——その一方で、重症化リスクの高い高齢者に感染が広がることは引き続き注意しなければなりませんよね。

一般社会での注意と、学校での注意と、遊びでの注意と、医療機関や高齢者施設での注意は違うわけです。でもみんな一緒くたに考えてしまいがちですね。

マスクは医療機関や高齢者施設なら、当然必要な場面が多くなります。そこを訪問する人も「できるだけ持ち込まない」という考えで、当然その対策に協力して頂かなければいけません。

——提言の中で、専門家と市民の対話の中で「性急な緩和策のなかで弱者を取りこぼすような社会変化が起こってしまうこと」に懸念が示されていたと書かれていました。確かに政府が緩和に舵を取る中で、重症化リスクの高い人たちは怖がっています。

その人たちがいるところでは「うつさない」という気持ちを持ってもらいたいし、具合が悪い時は接触しない対策を取ってほしいです。感染対策は人への「優しさ」が必要です。

——重症化リスクの高い人に接するような場面ではこれまで通りの感染対策をして、そうでないところでは、リスクもある程度取って対策を緩めていく。メリハリの取れた対策をしていくということですね。

「屋内ではマスクをつける必要はない」ではなく、「屋内で感染リスクの低いところでは外してもいい」ということです。

——政府や政治家から「屋内での着用は原則廃止」という雑な発信があるので、みんな混乱してしまいます。

屋内で人がごちゃごちゃいるようなところでは外す必要はないし、不安な人はもちろん外さなくていい。電車も、混んでる電車とガラガラの電車では異なります。

そこは規則で線を引けるものではなく、その場でのそれぞれの判断で、ということになるのではないでしょうか。場面、場面で「考える」ということも成熟した自由な社会で必要なことだと思います。

今後の対策の緩和、どう議論する?

——次回、専門家が不要な対策と今後も必要な対策を仕分けたたたき台を出すとして、その後は誰がどういう議論をしていくべきだと考えますか?

それを元に試行錯誤していくしかないのでしょうね。3年間で根付いてしまった対策は、なかなか頭や気持ちを切り替えることは難しいでしょう。

——例えば飲食店や学校関係者など、さまざまな利害関係者でそのたたき台を議論するようなことは考えていないのですか?

全ての意見を聞くのは無理なので、代表の人の意見を聞くしかない。政治家が国民を惹きつけるために思いつきで政策を打ち出すのではなく、一般の人が納得して行動できるように合意を取る手続きは必要になってくると思います。

——5類に移行するタイミングが間もなく決まります。議論している厚労省の感染症部会でも専門家たちは「段階的に緩和しろ」「5類でなく新しい分類を」「マスクと類型の議論は別」などの意見が出ていました。

2類から5類に単純に変えると色々問題も出てくると思います。そのあたりは1月11日のアドバイザリーボードで「新型コロナウイルス感染症対策に関する見解と感染症法上の位置付けに関する影響の考察」として、うまくいきそうな点、問題が生じそうな点を専門家有志として述べています。

一般の人は5類に変えることですごく簡単な病気になるように受け止めているかもしれません。でも注意の仕方が変わるだけで、今後も注意しなければならない病気であることは変わりません。

「インフルエンザ並み」と言う時、しばしば軽い普通の病気として捉えられがちですが、私たちはインフルエンザは注意すべき流行性疾患、として毎シーズン呼びかけています。

新型コロナは今のところ明確な季節性はなく、1年間に何回か流行の波を繰り返すので、厄介です。まだ安定していない出来立ての病気です。

——ワクチンに関しても4月以降も公費による接種が続きそうだと報道されています。ワクチンが急に自費になったり、コロナの治療費が通常の保険医療になって治療費が高い重症者でも自己負担が発生する形をとれば、接種控え、受診控えが起きそうです。

新型コロナは高齢者でリスクの高い病気ですが、高齢者は生活に余裕がない人が多いです。先のことを考えてできるだけ節約して暮らしたい人も多いでしょう。

高額な医療を一定割合負担してください、とするのはなかなか厳しいと思います。でもそこは感染症の専門家が考えることではなく、予算のバランスの問題になり、政治家の考えることになります。

医療側としては、全て一般の病気のような負担のあり方にすれば、医療を受けるのをためらう人も出てくるのではないかと気にしているところです。

——今回の提言を読んで、一般の皆さんには何を考えてもらいたいですか?

これは一般の方へのメッセージというよりは、政治や行政にかかわる方々に目を止めて頂き、今後の議論の進め方を考えてもらいたいと思って出したものです。

色々なところで焦るように対策緩和が進められていますが、「早く外すべきこと、問題点を整理して段階的にやっていくことなどを示すべきですが、同時に基本的な感染症対策を続けていくことが必要です」と伝えたい気持ちが、一連の提言や見解となっています

それを一般の皆さんにも理解していただければと思います。

【岡部信彦(おかべ・のぶひこ)】川崎市健康安全研究所所長

1971年、東京慈恵会医科大学卒業。同大小児科助手などを経て、1978〜80年、米国テネシー州バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長として勤務後、1991〜95年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課長を務める。1995年、慈恵医大小児科助教授、97年に国立感染症研究所感染症情報センター室長、2000年、同研究所感染症情報センター長を経て、2012年、現職(当時は川崎市衛生研究所長)。

WHOでは、予防接種の安全性に関する国際諮問委員会GACVS)委員を歴任し、 西太平洋地域事務局ポリオ根絶認定委員会議長、世界ポリオ根絶認定委員会委員などを務める。日本ワクチン学会・日本小児感染症学会名誉会員、日本ウイルス学会理事、アジア小児感染症学会会長(現在理事)など。