• covid19jp badge
  • medicaljp badge

音楽家が新型コロナ対策について感染症の専門家に問いかけた 「みなさん行き過ぎてませんか?」

世界的な音楽家が、感染症のスペシャリストに問いかける。「新型コロナ対策、やり過ぎじゃないか?」 指揮者の井上道義さんと岡部信彦さんという異色の対談がなぜ行われたのか、お二人にインタビューしました。こちらは井上さんの問いかけです。

音楽家と感染症の専門家が新型コロナウイルス対策について語り合うーー。

こんな異色の対談「のんちゃんとコロナ」が4月10日からYouTubeで公開されている。

大きな楠の下で語り合ったのは、世界的な指揮者の井上道義さんと専門家会議の構成員の一人で、国際的な新興感染症対策のスペシャリスト、川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さん。

小学校の時、楠組の同級生だったという二人は、公演が相次いで中止になっている音楽家の立場から井上さんが感染防止対策について疑問をぶつけ、それに岡部さんが答える形を取る。

BuzzFeed Japan Medicalはお二人それぞれに取材をし、緊急事態宣言後の対策について考えてみた。2回に分けてお届けする。

こちらは井上さんの問いかけの回。

※井上さんへの取材は4月13日夕方に電話で行われ、その時点での情報に基づいています。

【岡部さんのインタビュー】「劇薬を使ったからには最大限の効果を」  緊急事態宣言に感染症のスペシャリストが賛成した理由

疑問をぶつける井上さん「今の対策は行き過ぎじゃないか?」

対談を持ちかけたのは井上さん。指揮者として、5月までの公演が全てキャンセルとなった井上さんは、現在の新型コロナウイルスへの対策が行き過ぎなのではないかというスタンスで、岡部さんに疑問をぶつけていく。

「毎年インフルエンザでも世界中で50万人死んでいるのに、なぜ新型コロナウイルスではここまで大騒ぎするのか?」

「インターネットやスマホで世界中が騒ぎ過ぎている方が問題じゃないか?」

「(都市封鎖や行動制限という)副作用の大きい薬を政治家が世界中の人たちに飲ませちゃったんじゃないかと思うんだけど違うかな?」


YouTubeでこの動画を見る

youtube.com

YouTubeで公開されている「のんちゃんとコロナ」

なぜ、このような対談を申し入れたのだろうか?

「1月に、この感染症の対策はどうなるのか(のんちゃんに)尋ねたのです。僕自身は色々理不尽な十把一絡げの『自粛』の影響を受けています。のんちゃんがこの動画で話しているように、いろんな所に生えた雑草をちょぼちょぼ抜くような対策(クラスター対策)ができるなら、なぜ行動制限ももっと細かくできないのか疑問に思いました」

「命のためならば全ての自由を奪っていいと言うのだったら、みんな刑務所に入りなさいというのと全く同じだよ」(井上さんの言葉。対談より)

「これが日本だけなら、安倍政権が悪い、今の感染症対策を行う行政が悪いということで済ませられますが、世界中で同じことをやっています。僕自身も世界中で音楽をやっているので、余計に疑問でした」

井上さん自身はこれまで9公演がキャンセルになった。

「自分はもうジジイだからいいのです。大手の交響楽団ならまだ耐えられるでしょう。でもオーケストラをやっている演奏者は相当な人がエキストラ(一つのオケに所属しないゲスト演奏者)なんです。フリーランスの人たちは本当に大変だと思います」

「よくオペラを一緒にやる劇作家の野田秀樹さん、素晴らしいダンサーの森山開次さん。こういう人たちは完全に季節労働者なんです。それをライブハウスで集団感染があったからということで、日本では感染者の数が少なく、インフルエンザと比べてもそれほどの死亡者数でないのに、こうした公演も含めて全世界的に自粛が進んでいる。おかしいことだと思いました」

インターネットが同調圧力を強めている?

井上さんが、その原因の一つとして挙げるのが、インターネットやスマートフォンでの情報だ。

「インターネットとかスマートフォンでみんなが恐怖を倍化しちゃっている。『恐怖のウイルス』。ウイルスそのものじゃなくてね」(井上さんの言葉、対談より)

「明らかに原因となっているのはインターネットです。便利なものはプラスもマイナスもある。みんなで自粛することが良いことだ、だからみんな頑張ろうというような一本調子の論調が、政治家、自治体、一般の人にも全て浸透している。世界中の首班も含めてです。これには大いに疑問がある」

井上さんが得意とするのはソビエト連邦時代の作曲家ショスタコーヴィチだ。スターリン時代に体制に迎合した作曲家として語られることが多かったが、後の証言で、反体制の思いを強く持ち続け、葛藤を抱えていたことが明らかにされた。

「この人はソ連で、みんなが言う善悪に疑問を持ちかける内容をシンフォニー(交響曲)の中に入れ込み続けた人なんです。疑う、ということをうたう音楽家の最右翼だと思うのです。僕自身も『日本中が自粛しても俺はしねえぞ』と思ってしまう気持ちがある」

その気持ちが、この感染症が出始めた初期の頃から、一貫して「日常生活とのバランスを考えるべきだ」と訴えてきた岡部さんと少し重なるところがあると感じている。

3月20日〜22日の3連休、花見の自粛を呼びかける声に対し、岡部さんは「気をつけながら楽しんでもいい」と専門家で唯一語っていた人だ。

「それが真理だと思いますよ。科学的な立場で必要な注意を呼びかけ、自粛ムードの圧力に流されなかった。その同調圧力が高じると、戦争になるのではないかと思うのです。こういうことが原因で、誰かが戦争をおっ始める空気が出来上がっていくのではないか。僕はそこまで恐れています」

「みなさん善意なんです。でも一皮剝くと、人に何か言われるのが怖い。村八分を恐れる気持ちが隠れている。これは残念ながら日本だけではありません」

それが自ら発信しようという気持ちにつながった。クラシックに特化したライブストリーミングサービス「カーテンコール」で無観客の大阪フィルハーモニー交響楽団との定期演奏会を配信したのもその一環だ。

「音楽家がうちで寝ていることは非常に苦痛です。腕も落ちる。なんとかしてくれということで、普段は練習に文句言う人たちもみんな演奏したがっていた。だから、僕の目の前の100人の演奏家と一緒に演奏したわけです」

6年前に咽頭がんの経験「人はいつか死ぬ」

14歳の時に指揮者になろうと決めた井上さんは、その時に考え抜いた「人生は何のためにあるのか?」という自問を、その後の生き方のベースに置いてきたという。

「その時、俺は今、幸福か不幸かと考えたら、ものすごく幸福だと思ったのです。このままジジイになるまで生きるにはどうしたらいいのか考えて、定年もなく、若い時よりも味が出ると言われる指揮者の世界に賭けました。地球規模で動き回れるのも魅力でした」

「18歳頃からの青年期、三島由紀夫をよく読んだことも死生観に影響しました。人が命を賭けるのは、健康で長生きするという命そのものではないと強く思うようになりました。人はいつか死ぬ。そのために音楽に自分の生を燃焼して生きようと思うようになったのです」

井上さんは6年前に咽頭がんを経験した。がんの経験でその死生観は強まった。そして、新型コロナで73歳の自分が死んだとしてもおかしくないという感覚がある。それは、「目の前の患者を絶対に死なせたくない」という強い気持ちを持つ医師の岡部さんと食い違うところだ。

「がんの経験で死を見つめて生きるという気持ちが補強されたのだと思います。今の人たちが、新型コロナでは絶対に死にたくないとか、死を見ようとしないのが不思議でたまらない。70代が死ぬことをなぜ恐れるんだと僕が言ったら、岡部くんから『それは君の考えだろ』と反論されましたが(笑)」

「僕たち73歳ですよね。いつまで生きる気? 小池さん(都知事)とかは命の問題ですと叫ぶわけでしょう。僕らは命の問題は既に隣。明日なくなってもおかしくない歳なんですよ。命がどっかで終わるということと僕はいつもお付き合いしている。僕は6年前に喉のがんで死にそうになったからね。死ぬことは問題じゃないんですよ。何を恐れているの?みんな」(井上さんの言葉。対談より)

「クラシックの指揮者は死んだ作曲家と毎日付き合っているわけです。その人たちが今生きていたらどう思うだろうという姿勢でいつもやっています。だから、死者と対話しているのです。楽譜だけでない。本も読む」

「モーツァルトは常に病気と戦っていました。そういうところからも、人間は死を延期したらすればいいというものではないと感じています」

そして、クラシックコンサートも含めた大規模イベントなどが、感染を避けるために自粛を求められていることに疑問を投げかける。

「それだったら、なぜインフルエンザについては何も言わないのでしょう?インフルエンザでは毎年1万人死んでいます。たばこもみんなずっと吸っていたでしょう? 死亡者の数を見ればもっと多い。みんなそれは許すじゃないか。非常におかしい話です」

「僕が思っていることは確かにラジカルで、反抗的で、自分勝手ですけれど、科学的にもそんなに間違ってはいない。ただ、のんちゃんの言い方のほうが伝わりやすいなと思いました(笑)」

そして、この動画で伝えたかったことはこれだ。

「みなさん行き過ぎてない?と問いかけたいのです」

【井上道義(いのうえ・みちよし)】指揮者

1946年東京生まれ。桐朋学園大学にて齋藤秀雄氏に師事。1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝。1976年日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で日本デビュー。1977年から1982年までニュージーランド国立交響楽団の首席客演指揮者、1983年から1988年まで新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、1990年から1998年まで京都市交響楽団の音楽監督、常任指揮者、2014年から2017年まで大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者、2007年から2018年まではオーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督を務めた。

これまでにシカゴ響、ハンブルク響、ミュンヘン・フィル、スカラ・フィル、レニングラード響、フランス国立管、ブタペスト祝祭管、KBS響、およびベネズエラ・シモンボリバルなど世界一流のオーケストラへ登壇。

1999年から2000年にかけて新日本フィルハーモニー交響楽団と共にマーラー交響曲全曲演奏会を取り組み「日本におけるマーラー演奏の最高水準」と高く評価された。2007年日露5つのオーケストラとともに「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」を実施し、同プロジェクトを収録した「ショスタコーヴィチ交響曲全集 at日比谷公会堂」BOXを2017年2月にリリース。2014年4月に病に倒れるが、同年10月に復帰。2015年全国共同制作オペラ「フィガロの結婚」(野田秀樹演出)を総監督として、10都市14公演の巡回公演を成功させた。

1990年ザ・シンフォニーホール「国際音楽賞・クリスタル賞」、1991年「第9回中島健蔵音楽賞」、1998年「フランス政府芸術文芸勲章(シュヴァリエ賞)」、2009年「第6回三菱UFJ信託音楽賞奨励賞(歌劇イリス)」、2010年「平成22年京都市文化功労者」、社団法人企業メセナ協議会「音もてなし賞(京都ブライトンホテル・リレー音楽祭)」、2016年「渡邊暁雄基金特別賞」、「東燃ゼネラル音楽賞」、2018年「大阪文化賞」、「音楽クリティック・クラブ賞」を受賞。自宅にアヒルを飼っている。オフィシャルサイトはこちら。