子宮頸がんや肛門がんなどの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)の感染を防ぐHPVワクチン。
日本では小学校6年生から高校1年生の女子は無料でうてる定期接種となっているが、副反応の不安を煽る報道や、国が積極的に勧奨するのをやめたことで、うつ人がほとんどいなくなった。
「がんを高い確率で防げるワクチンが無料でうてるのにうとうとしない」
国際的にもこの日本の状況は不思議に思われており、世界80以上の団体が参加する「国際パピローマウイルス学会(IPVS: International Papillomavirus Society)」は2021年3月4日の「国際HPV啓発デー」で、日本を啓発の重要拠点に選んだ。
日本ではHPVワクチンの啓発団体「みんパピ!」が公式パートナーになり、様々なイベントを展開する。
このキャンペーンを仕掛けるIPVS理事で、イギリスでHPVを研究する江川長靖さんに、BuzzFeed Japan Medicalは狙いを聞いた。
【参考】BuzzFeed Japan MedicalのHPVワクチンに関する記事
海外の研究者「日本の状況はミステリーだ」
ーーHPVワクチンへのためらいは日本に限らず様々な国で起きてきました。研究者が集まるこの学会で啓発活動が始まったのはいつ頃からですか?
取り組み始めたのはこの3年ぐらいです。国際パピローマウイルス啓発デーは2018年から始まりました。ワクチンのためらいが日本で問題になったのは2013年です。70%以上あった接種率が1%未満に激減しました。
ーー接種後に体調不良を訴える女の子についてメディアがセンセーショナルに報じて、厚労省が積極的勧奨を差し控えるよう自治体に通知を送ったのが2013年6月でしたね。
そうです。アイルランドやデンマークで同じような報道をきっかけに接種率が下がったのが2015年です。コロンビアで同じような問題が起きたのはここ数年ですね。
どの国でもそうですが、このワクチンが問題になるのは、公費接種が始まり、学校の集団接種プログラムなどに組み入れられて、ほとんどの人が接種する状態になった時です。
ワクチンへのためらいということで言えば、世界各国で同じ問題は起きています。しかし、その後にどのような対応がなされたかはそれぞれの国で全く違います。
ーー実質中止状態になって8年が経とうとしている日本は、どのように海外の研究者に映っているのでしょう?
よく言われるのは、「日本の状況はミステリーだ」という言葉です。「なぜこうなっているのかわからない」というのです。
科学者は膨大なデータを検討し、それぞれの重みづけをして大まかな「科学的な正しさ」を理解しています。
「HPVワクチンの安全性は?」と問われれば、膨大な証拠から言って、「HPVワクチンは安全である」という結論を多くの科学者が受け入れています。
それを受けて、各国政府は「よし。大丈夫だ」と判断している事実があるわけです。
小さな反論や懸念があるのは当然です。それを踏まえた上で研究で補強しながら、「大丈夫だ」と判断しています。
その蓄積をもってして、なぜ日本は動けないのだろうということがミステリーだ、わからないと不思議に思われています。
行政、メディア、医療者、全員の力が必要
ーーそれは政府、行政に対してですか? メディアに対してですか?
両方ですね。
厚生労働省などの行政が「よし、大丈夫だ。このワクチンは安全で効果があって、かつ国として国民に接種する意味がある」ということを担保して、後押しするのが普通です。そうすれば自然に接種率は上がるはずです。
でも、現時点で日本ではそれがないというのがまず大きな問題です。
一方、デンマークにせよ、アイルランドにせよワクチンの副反応への不安が広がって接種率が下がった国が回復する時は、行政もメディアも全てが協力しています。国民が「これなら受けてもいいな」と思えるようにキャンペーンをしているのです。
今、健康な子どもに痛い注射をするのはそれだけで大変です。それを受ける気持ちにするためには、政府だけの努力ではなくマスコミの力も必要です。
逆に言えば、このワクチンへのためらいを作ったのは誰なのかということです。最初の報道や、それに反応した社会全体で作り上げてしまったものです。
有効な反論ができず、その問題が起きることを予想して有効な対策をたてられませんでした。それは我々医療者、専門家側のミスでもあります。
科学的に言えばワクチンは他の薬に比べてとても安全に作られています。
しかし、健康な人に病気が起きる前にうち、効果があった人は実感できないのがワクチンの特徴です。
「種痘をうてば牛になる」という不安が昔あったように、ワクチンに対するためらいを乗り越えてうってもらうためには、やはり努力や準備が必要です。それを怠ったつけを今払っています。
ーー大き過ぎるつけですね。
そうです。
ーー海外で接種率が下がった国ではまず政府が推奨の姿勢を崩しませんでした。そして大臣らが先頭に立って国をあげた啓発キャンペーンを繰り広げています。
デンマークでは皇太子妃も関わっていますね。
日本と海外の対応の違いには、文化の違いがあるのだと思います。
大事な決定をする時に一人でも嫌だと言う人がいると最終合意に到ることができないのが日本です。全会一致を求めます。
昨年9月の厚生労働相の記者会見でも、「国民の理解が十分に得られていないという認識のもと、積極的接種勧奨にはまだ戻していないと認識している」と言っています。「国民の理解が得られたら初めて動くよ」という姿勢です。
他の国は逆です。国民の理解を得るために、政府や大臣が全面的にバックアップして、安全で効果的だというキャンペーンを積極的にやる。
「なんで日本ではそういうことができないの?」というのが海外の人にとってはミステリーです。僕も正直言ってわからない。ものを決める時に合意形成を先に取りたがる日本の文化なのでしょう。
国が主導して、「こうやるよ」と責任を取ることを誰もできない。そういう文化的背景があるのではないかとなんとなく思っています。
なぜHPVの研究をしているのか? なぜワクチンのためらいに関わるのか?
ーー江川先生自身はHPVのどんな研究を?
父もHPVの研究者で子どもの頃からHPVについてずっと話を聞いてきました。父は皮膚科学の分野でHPVの研究をしていました。
父は1989年にドイツのがんセンターに留学をして、ドイツのウイルス学者でHPVが子宮頸がんの原因であることを突き止めたノーベル賞学者、ハラルド・ツア・ハウゼン教授に学んだのです。
その時に僕はツア・ハウゼンと直接会いました。「HPV研究は面白そうだ」。そういう刷り込みで自然とHPV研究の道に進みました。
ウイルスの複製の方法やどういう風に伝播するのか、なぜウイルスが何年も感染し、病変を維持し続けるのか、それを止めるにはどうしたらいいのかなど、幅広い範囲を研究しています。
ーーこれまで日本のHPVワクチンへのためらいには関わっていなかったのですね。なぜ今働きかけようと考えたのですか?
2018年に「国際HPV啓発デー」を始めた時に日本のことはもちろん話題に上がっていました。しかし、各国にパートナーを見つけて実際の運動を展開する必要がありました。でも言葉の壁もあり、当時はなかなかとり組むことができなかった。
過去に日本でも啓発イベントをやろうと国際的な企画はあったのですが、日本でこのワクチンに反対する社会的圧力もあり、「時期尚早だ」と言われて、立ち消えになったりもしました。
ところが昨年7月、この学会の理事に僕が選ばれ、3月4日の啓発デーのキャンペーン委員会にも入ることになりました。ちょうど日本で活動を始めた「みんパピ!」に「公式パートナーになってやってもらえませんか?」と呼びかけ、今回日本をターゲットにしたキャンペーンが動き出しました。
「国際HPV啓発デー」、日本で何をやるのか?
ーー「みんパピ!」は3月4日にYouTubeイベントなどをやるのですね。他には、今回、BuzzFeed Japan Medicalに声をかけていただいたように、メディアに働きかけるのでしょうか?
みんパピ!は、3月4日にYouTubeイベントをするほか、IPVSの啓発動画に日本語字幕をつけて「みんパピ!YouTube」で公開してくれたり、漫画家の青鹿ユウさんに制作してもらう漫画をSNS上で公開してくれたりします。
また、HPVワクチンに限らず、新型コロナワクチンの啓発活動をしている「こびナビ」と「コロワくん」との3団体で 「#ワクチンについて知ろう 」のタグが付いたワクチンへの質問に答えることを企画しています。
2月26日にはこの国際HPV啓発デーについて記者会見をしました。3月4日に向けて、「HPVの問題がありますよ」と伝えてほしいと呼びかけました。3月1日には自民党の「HPVワクチンの積極的勧奨再開を目指す議員連盟」で講演もしました。あるテレビ局が取り上げてくれることにもなっています。
「Awareness Day(気づいてもらう日)」なのです。
国によっては医療機関でHPVの市民講演会を開くこともあります。各国で公式パートナーが様々な働きかけをしてくれます。
IPVSとしては教育ビデオやリーフレット、ポスター、インフォグラフィックなどを用意しています。それを翻訳する作業を「みんパピ!」がやってくれています。
それをSNSなどを通じてなるべく多くの人にシェアしてもらって、HPVの問題があるんですよと知ってもらおうと考えています。
ーーキャンペーンのサイトやアカウントは作るのですか?
あります。「Ask About HPV(HPVについて尋ねよう)」で検索してもらえば、ウェブサイトもTwitterのアカウントも、Facebookのアカウントもあります。
今、日本語のウェブサイトも作っています。そこで日本語に訳した啓発資材などもダウンロードできるようにします。
リスクの伝え方 海外と日本との違い
ーーどんな薬でもワクチンでもリスクはゼロとは言えませんね。その伝え方は、日本と海外ではどう違うのでしょう?
伝えるべき内容に、科学的な重みづけがしてあるのが特徴だと思います。ワクチンに関しては、リスクよりベネフィット(利益)が遥かに大きい。
僕もなかなか「リスクはまったくない」と言いにくいです。でも、イギリスのHPVワクチンのリーフレットを見ると、副反応についての記述はありません。
「なぜHPVワクチンが必要なのか(HPVが起こす健康問題)」「HPVワクチンにどのような効果があるか」の説明に集中していて、日本人の視点から見ると清々しいほどに副反応については述べられていません。
ワクチン接種で当然生じる、発熱や痛みなどの副反応は、ワクチンとはそんなものですから特に触れられません。因果関係のはっきりしている接種時の失神やアナフィラキシー等のアレルギー反応も、情報提供の上、適切に対処する次元の問題であって、接種を控えるリスクとは捉えられていません。安全性は前提条件となっています。
炎症性の神経障害である「ギランバレー症候群」も自然発症で10万人に1人以上起こる病気なので、「HPVワクチン接種で10万接種あたり、0.06人生じるリスクが否定できない」と副反応として強調する必要も意味もないという判断です。
HPVワクチン接種後にギランバレーが起こった場合、補償やケアの対象にはなるべきだと思いますが、HPVワクチンがギランバレーを起こすと言う必要はありませんし、正しくもありません。
もちろんデータの収集は大事です。本当にHPVワクチンが原因で何か起きていた場合、気づくきっかけになります。因果関係の有無に関係なく、症状を訴える女子の治療はしっかり行われなければいけません。
しかし、現時点での結論は、「HPVワクチンはギランバレー症候群を誘発させてない」ということで、リーフレットには記述なしになります。因果関係がはっきりしない症状も「わずかでもあるかもね」と書く日本とはスタンスが違います。
ちなみにNHSでは、どうしても不安で学校接種(12、13 歳)の時に接種を見送った場合でも、25歳の誕生日までであれば無料で接種してもらえます。
あとで考えが変わることもあるわけですし、接種を焦って考えなくてもいいのですよね。こういうアプローチは本人にとっても利益がありますし、接種に対しても前向きに考えられる要素になると思います。
イギリスのメディアではもうHPVワクチンについては話題になることはほとんどありません。当たり前の予防接種になっているからです。
今は、新型コロナウイルスの流行による、子宮頸がん検診プログラム、HPVワクチンプログラムに対する影響が話題になるくらいです。
一方、子宮頸がんで亡くなったアイルランドのローラ・ブレナンさんは、最期までHPVワクチンのキャンペーンに参加しました。
行政も全面的にバックアップして、テレビやYouTubeに出て、「ワクチンで防げるからうってくれ」と訴えたのです。
日本でもここまで接種率が落ちた状況では、メディアが積極的に発信しないといけないでしょうね。
日本の人に気づいてほしいこと HPVは根絶できる
ーー日本ではもう8年近くHPVワクチンの問題はこじれていて、効果が高く安全なワクチンがうたれない状態が続いています。このキャンペーンで何を伝えたいですか?
「国民の理解が先」という姿勢を厚労省が崩さないのならば、国民の理解を得るしかないというのが僕の考えです。
「HPV感染症が深刻な健康上の問題だと認識していますか?」と皆に聞きたいです。日本では毎年1万1000人が、HPV感染が原因で子宮頸がんになり、3000人が亡くなっています。肛門がん、中咽頭がん、陰茎がんなど、男性のかかるがんの原因にもなっています。
感染者の半分は男性で、女性には多く場合男性から伝染しています。男女関係なくみんなの問題です。
我々はHPVに対して、知識に加えてHPVワクチンと検診という強力な武器があり、これを組み合わせることによって、次の世代ではHPVに関するがんは根絶できます。100年後の教科書ではHPVは過去のものとして語れる可能性があります。
しかし、このまま放っておいたら、HPV関連のがんは日本の風土病になります。将来海外で日本人が診察を受ける時に、日本人であることがHPV感染症のリスク要因と見られことになります。
こういう問題があることをまず認識してほしいのです。
そしてそれを防ぐワクチンがどれだけ効果があり、どれだけ安全か、みんなが知った時に、うちたくなると思います。
知った上でうたないと言うのであれば立派な選択だと思います。ただ、知れば知るほどうちたくなると信じているのです。
まず知った人たちから積極的にうってもらえばいい。それが少しずつ増えていけば、広がっていく。そしてどこかの時点で厚労省が「積極的勧奨を再開しよう」となればいい。
昨年から対象者に個別の通知を出すように指示するなど厚労省も変わってきていますね。そのお知らせの効果もだんだん接種率に現れてくると思います。
ただし、接種率の回復が遅れれば遅れるほどそれだけ、防げたはずの命が失われます。知らなくてうてなかったということをなくしたい。僕は、このポジションにいる3年の間、今年だけでなく来年以降もキャンペーンをやりたいと思っています。みんなで情報発信することで、一人でも多くの人を救えればと思います。
最後になりますが、特にワクチンをうっていない人にとっては検診が、子宮頸がんを防ぐ唯一の方法です。女性のパートナーがいる人は、「子宮頸がん検診に行った?」「一緒に行こうよ」と声をかけてほしい。そのことが、あなたの大切な人を守ることにつながります。
【江川長靖(えがわ・ながやす)】ケンブリッジ大学病理学部 research associate、国際パピローマウイルス学会(IPVS: International Papillomavirus Society)理事、キャンペーン委員
2000年、熊本大学医学部卒。2年の初期研修ののち、東京大学医学部博士課程(2006年博士号取得)。2013年まで国立がん研究センター研究所ウイルス部研究員として働き、その後、渡英。2013年より現職。
1989年に父の留学についてドイツに行ったのが、この研究に進んだきっかけになった。親子2代でのHPV研究者。専門は分子ウイルス学、HPV。
IPVSでは、2020年から3年間、国際HPV啓発デーの担当理事となっている。