お皿からこぼれるほどのスパイダー愛と、スパイダー優等生の限界。PS5『Marvel's Spider-Man2』をオタクが全力で解説するよ

    世界的にも高評価が相次いでいる『Marvel's Spider-Man 2』。ここではゲーム的な側面からではなく、原作コミックを愛読している“スパイダーマンオタク”の視点から、本作の魅力や惜しかったところなどを振り返ります。

    『Marvel's Spider-Man 2』は素晴らしいゲームでしたね。

    操作感などゲームとしての総評については他の方に譲るとして、スパイダーオタク的には原作の活用の仕方がユニークで、プレイするたびに新鮮な驚きがありました。

    前回の記事で予想に挙げたような「ニック・スペンサー被害者の会」「スパイダー真実」などの厄ネタは結局取り扱ってもらえなかったので少々物悲しいものの(関連記事)、スペンサー期の重要エピソードである『Hunted』や、他メディア進出の際には避けられがちだけど評価の高い、Donny Catesの『Venom』のストーリーラインをがっつり追っていましたね。

    翼の生えたヴェノムがマイルズを連れて逃げているシーン

    とにかくここ20年のスパイダーマンの歴史を複雑なパズルのように組み合わせて全部載せしているので、たとえ皿からはみ出していたとしてもそれはそれで愛おしい――というのが自分の素直な感想でした。

    例えば冒頭、原作漫画のとある時期に「ピーターが高校教師になった翌日に強敵と戦う羽目になったせいで欠勤する」というエピソードがあるのですが、それがうまく整理されて導入として使われていたりと、前作以上にいいアレンジが効いていました(細かいものは後述のおまけにまとめておきます)。

    さて、それはそれとして、本作の「スパイダーオタクとしての評価」はどうかというと……「スパイダーマンの優等生として努力した結果、足元がお留守になることもあってそこが残念」というものでした。

    Marvel's Spider-Man 2』 日本版特別トレーラー

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    スパイダーマンとは何か? に迫るゲーム体験

    話を始める前に前作のおさらいから始めましょう。もちろんネタバレ込みなので閲覧は自己責任でお願いします。

    シリーズ1作目にあたる『Marvel's Spider-Man』は、スパイダーマンという体験を通じ「ピーター・パーカーがなぜヒーローとしてああふるまうかを学んでいく過程」を描いた作品でした。

    スパイダーマンの基本である「大いなる力には大いなる責任が伴う」というオリジンの追体験や確認がなくても、プレイヤーは自然に発生するちょっとした街の犯罪に気を取られたはずですし、複雑な事情を持つ強大なヴィランに立ち向かうことにためらいを覚えず、さらにJJJの批判は聞き流していたはずですね。

    少し奇妙ですが、スパイダーマンとしてのモデルは提示されていないものの、プレイヤーは自然にスパイダーマンとしてふるまい思考するようになっていくのです。逆にDLCはピーターの周りのキャラクターがスパイダーマンとしてふるまうことで、客観的に彼の行動の問題点をあぶりだしていました。MJやブラックキャットの唐突な提案に右往左往するのはまさしくピーターとして周りの人を振り回している体験そのものでしょう。

    一方、2作目にあたる『Marvel's Spider-Man:Miles Morales』は、マイルズのスパイダーマンとしてのオリジンを改めて鮮やかに描き出しました。

    師匠であるピーターとのしばしの別れ、自分の相棒であるガンケ・リーの協力、一人で対処しなくてはならない街に現れた新たな脅威、複雑に絡み合う人間関係などなど……。スパイダーマンのヒーロー性をつかさどる「スパイダーの部分」と親愛なる隣人の部分である「マンの部分」。プレイヤーはそれぞれの課題をマイルズと共に乗り越えていくことで、スパイダーマンとして成長していく様子を見届けました。

    ここで覚えておきたいのは、ピーターとしてプレイするときは「プレイヤー≒スパイダーマンそのもの」であり、マイルズとして見るときは「プレイヤー=マイルズを見守る存在」として機能していることでしょう。この視点の違いは実は今作でも健在で、それが今作の多少のややこしさに拍車を掛けています。

    本作におけるマイルズの物語のテーマは「スパイダーマンはなぜ不殺なのか?」でした。今作においてマイルズは自身の親の仇であるミスターネガティブを追って行く過程で、復讐するのを思いとどまり、彼を助けることを選ぶ。最終的にその行為は、ミスターネガティブに影響を与え、彼は自身の能力と引き換えにピーターを助けることを選ぶことになります。

    なぜスパイダーマンは人を救い続け、その助ける範囲に悲劇を引き起こすヴィランさえも範囲に入れるのか。自身の過ちからベンおじさんを失ったスパイダーマンのように、誰にでもやり直すチャンスが必要だからです。

    Marvel Comics『The Amazing Spider-Man #655』

    マイルズ視点におけるクレイヴンはただの“今週のヴィラン”です。さまざまな人々が頻繁に現れる彼の日常にとって、さほど重要なヴィランではない。その後に続くヴェノムもそうで、街に大きな影響を与えたのは確かですが、ミスターネガティブほど彼にとって重要ではない。彼はいつものように事件をピーターとともに解決するし、その後いつものように新しい人物が彼の前に現れる。ただその日常を切り取っただけです。

    一方、今作におけるピーターの物語のテーマは、マイルズの話を受けて「スパイダーマン世界のメカニズムを描くこと」にあります。

    では、そもそもスパイダーマンの世界では“今週のヴィラン”がなぜ現れるのでしょう? それはクレイヴンがそうだったように、死による虚無を他人へと押し付けようとした結果です。

    彼らが死を飾ろうとすればするほど被害は大きくなり、被害はさらなる被害を生んでいきます。なぜ冒頭でサンドマンが暴れていたかというとクレイヴンからの追跡から逃れられないと感じたためです。他にもクレイヴンが活動さえしなければシンビオートもおとなしいままだったかもしれません。

    そこに対する根本的な解決として原作の漫画で提示されていたのは、世界を道連れに滅ぼそうと思う人たちが思わずためらうくらい「よりよい世界へと作り替えること」です。

    本編のハリーが「世界を癒そう」と言い出した後、NY中を実質作り替えようとしたのは、原作のこの要素を拾おうと思ったからでしょう。もっとも、原作の漫画では最終的にこの理想を乗っ取られそうになったためピーター自らが破棄しており、本作で最終的にヴェノムおよびシンビオートを「相いれないもの」として描いたそのオマージュでしょうね。

    つまり、スパイダーマンとして“無敵の人たち”の攻撃を防いでいる間に、無敵の人たちを減らしていこうね、というのが恐らく一時期の原作漫画のメッセージです。

    社長となったピーターが「世界を救うのではなく、世界を救う価値のあるものに変えてく必要がある」と説くシーン

    スパイダーマンへの重い愛が少しずつ自身へと牙をむいていった本作

    このように同じゲームを進めているはずなのに二人で視点が異なっており、マイルズはスパイダーマンに関する“個の話”をしていて、ピーターは“世界に対しての話”を展開しています。そしてここからが面白いのですが、なまじ原作知識があると話に入り込むのが難しかったりするのです。

    例えば、マイルズの視点で話を追っていくならば、反省の芽を摘ませないために「誰も死なせないこと」が肝心といえるでしょう。しかもそれは先達たるピーターから続いている流儀で、作中でも彼らはそれにのっとりミスターネガティブを善き道に戻すことに成功した。ならば、なぜあの二人はヴェノムおよびシンビオートと対話する道を模索せず、消滅させる方法ばかり探ろうとしたのでしょうか。

    というのも、原作の漫画におけるヴェノムはまさしく“やり直しの象徴”ともいえるキャラクターです。ヴェノムになった人間は何人かいるのですが、とりわけ作中で取り上げられているいじめっ子のフラッシュ・トンプソンはスパイダーマンにあこがれ、後にヴェノムおよびその種族との対話に成功し、融合を安定化させています。

    元いじめっ子フラッシュ・トンプソンがシンビオートと対話するシーン

    また、逆に本作では全く言及されなかった初代ヴェノムことエディ・ブロックもまたヴェノムとの関係は良好であり、荒れていたのはスパイダーマンが憎かった初期くらいのものです。つまり、シンビオートとの対話は不可能ではないんですね(映画『ヴェノム』シリーズもこの立場に立っているようです)。

    確かにスパイダーマンがシンビオートと相容れないのは原作の漫画通りではあるのですが、その通り再現してしまうと本作のメッセージ性と真っ向から対立してしまう。実際は対話の余地があるのに、スパイダーメンたちが「ない」と判断したら駆除するのでは話が変わってきてしまうのではないでしょうか。  

    シンビオートがピーターも音が弱点と勘違いして庇ってくれたシーン

    ときおり見られるアンバランスさの理由

    前述のように本作は「多岐にわたるメディアのスパイダーマンの活躍をまとめる」という点においては、うまくはまっているときは強いです。

    例えば、エミリー・メイ財団のミッションが終わった後に手に入れるライフストーリー・スーツは、「スパイダーマンがもしわれわれと同じように時間を歩んでいたら」というifを描いた短編『スパイダーマンライフストーリー』において、ピーターが人生の最後に着ていたものです。

    このことから察するに、あれは「死がふたりを分かつまで末永くやっていこう」といったメッセージかもしれないと原作漫画を読んでいる人ににおわせているわけです。

    逆に、改変した結果原作をうまく使えなくなったときや、スパイダーマンの原作の先に行こうとするときは少しアンバランスになります。

    上記のヴェノムまわりのように、原作に忠実にしていきながら結果として設定間の問題で元のテーマとずれてしまった話もそうですが、「原作群の天井がそのまま作品の天井になってしまう」側面もあり、例えばMJがその一例でしょう。

    彼女は本シリーズにおいて、真実を追い求める事件記者を目指していたのですが、最終的に自身のまわりのニュースをポッドキャストで配信する道を選びます。

    ジャーナリストとして真実を追い求めていく理想と生活していけないという現実について悩んだ結果、ポッドキャストにして自分のコントロールできる範囲に縮小する(折り合いをつける)のは分かるのですが、扱うニュースのジャンルそのものが大きく変わるのは正直よく分からないのです。

    ただ、これは元ネタである漫画の方の『The Ultimate Spider-Man』でもはっきりしていないからだと推測します。  

    最後に

    というわけで長々と語ってきましたが、本作は「スパイダーマンへの多方面の愛に溢れすぎて少しこぼれている作品」であるのは間違いありません。またそのバランスを欠いている理由というのも、スパイダーマンを外に出しても恥ずかしくないヒーローにしようと懸命に努力しているからでしょう。

    実は原作漫画の『The Amazing Spider-Man』はみなさんの想像と異なり、実際は『銀魂』や『おそ松さん』などの“超人系日常ギャグ”に近い漫画です。残念ながら各種実写版の“きれいなピーターさんたち”よりは、アニメ映画『スパイダーバース』シリーズに登場する、だらしのないピーター・B・パーカーの方が原作に近いのです。

    ゆえに、他メディアに移植される際には「そのままでは外にお出しできない」とおのおの趣向を凝らしている跡が垣間見え、そこもファンにとっては楽しいポイントではあります。

    しかし、本シリーズは明確にピーターを好青年のロールモデルとして、さらに皆の待ち望んでいる「きれいなスパイダーマン」として描写するように心掛けており、「スパイダーマンはスーパーヒーローなんだ」という、送り出す側の社会的責任をひしひしと感じます。そのへんは原作にない要素なのでときおりコンフリクトが起きてはいますが、そこも「スパイダーマンを胸を張って好きといってもいい」と言いたげでまた愛おしいじゃないですか。

    なので、原作の『The Amazing Spider-Man』、それからスパイダーマンの作品群がもっともっと豊かになれば、インソムニアックスパイダーマンによるその先が見られると思うので、これからも楽しみにしています。

    (※編注:インソムニアック=ゲームの開発会社)

    おまけ

    本文で記載するには文量として不足していたり、組み込めなかったものをここに供養します。以下、おおむね本編の時系列および登場順に沿ってメモを残します。

    カーネイジに操られた人たち

    ハリー・オズボーン/ヴェノム

    原作漫画では大学時代にできたピーターの友人で、父親のノーマンが殺された復讐をすべく、彼もまたグリーンゴブリンとなってスパイダーマンおよびハリー自身の家族を大いに困らせました。

    今作のハリーは主に映画『アメイジング・スパイダーマン2』のはかない幼馴染要素を中心に、アニメ『アルティメット・スパイダーマン』でヴェノムになったときの要素、それから原作漫画でグリーンゴブリンになっていたころの要素をうまく足し合わせたようです。

    それにしても個人的にガッツポーズしたくなってしまったのは、映画『アメイジング・スパイダーマン2』でハリーが摂取した蜘蛛の毒をヴェノムおよびシンビオートの文脈で捉えていたことで、これなら確かに無理なくヴェノムとしてグリーンゴブリンの原作ネタを使える……スパイダーマン原作群の読み込みを感じます。

    カート・コナーズ/リザード

    原作漫画では遺伝子学者で、右腕を取り戻すためにトカゲのDNAを使って再生させようとしたところ、冷血なトカゲ人間となってしまいました。その後スパイダーマンの活躍で元に戻ったものの、ことあるごとにリザードに戻されてしまう不幸な体質に……。

    本作の彼は結構原作漫画に忠実で、元ネタになったエピソードは、クレイヴンの娘にリザードの要素を強化されて我を失ってしまう『Shed』と、90年代に放送されていたアニメシリーズから続く“シンビオート解説要員”を組み合わせたようです。

    それにしても家族と別居したのは作中でも言われていますが英断ですね、先述の『Shed』では我を忘れて家族を食い殺してしまったので。インソムニアックのスパイダーマンにはまだクローン技術がないから生き返れないですしね。

    ヴェノムおよびシンビオート関連

    最近の漫画の設定では、もともと邪神ヌールが上位存在を倒すための装備として鍛造、その後そのまま全宇宙を滅ぼす侵略兵器として運用されていたことが明らかになりました。

    後半の街がシンビオートに浸食されているイメージは、地球侵略に来た邪神ヌールをマーベルヒーロー総出で迎え撃つ、原作での大型イベント『キング・イン・ブラック』、それからPS3用ゲーム『Spider-man: Web of Shadows』が元ネタでしょう。

    漫画中では「ヌールに従わなければ対話はできる」というのが示唆されているので、今作では敵として戦いやすいようにわざと話が分からない側面を強調したのだと思われます。そういえば予告で使われたシーンはほとんどゲーム内になかったですね。

    ピーターとマイルズの関係

    複雑になりすぎるので上では書かなかったのですが、ピーターとマイルズの師弟関係を、そのまま原作漫画の連載時期の空気感とだぶらせているのは興味深い使い方だと思いました。

    原作漫画の『The Amazing Spider-Man』は、クリエイター陣が入れ代わり立ち代わりしながら書いていて、マイルズの話の元ネタは2010~2018年にダン・スロットが担当していた時期。一方ピーターは前述のダン・スロット期後期で描かれた、多国籍企業パーカーインダストリーズの社長になっていたころから、2018~2021年のニック・スペンサー期が元ネタでしょうね。

    それにしても映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』で、「ピーターの物語の後追いではなくマイルズ自身の物語を……!」と語っているのと同じ年に、「ピーターの後追いの話」をしているのは興味深いですね。

    個人的にはインソムニアックのマイルズはほとんど原作を無視しているようなものなので、今まで通りマイルズ自身のオリジナルの話をやっていた方が“らしい”と思うのですが、こと今作に限っては原作との親和性の方が優先されたのかもしれませんね。

    フリント・マルコ/サンドマン

    「仕方なく凶行に走った男」としてサンドマンを使ったのは原作漫画を読んでいると結構納得できました。原作漫画でも彼はヴィランとヒーローを行き来する存在で、映画『スパイダーマン3』もそのへんをうまくまとめていましたね。

    セルゲイ・クラヴィノフ/クレイヴン・ザ・ハンター

    本作の彼のキャラクターは、原作漫画でも有名なエピソードである『Last Hunt』および、結果として彼の最後の狩りとなった『Hunted』が元でしょう。

    『Last Hunt』では死期を悟った彼がスパイダーマンに打ち勝ち優れていることを証明して自殺しました。ところがそれで終われないのがスパイダーマンの世界の悲しいところで、その後『Grim Hunt』でクレイヴンの家族が怪しげな儀式で彼をよみがえらせてしまいます。

    ただ生き返っただけでなく不死の呪いにまでかかってしまったクレイヴンは、そのことに不満を抱き自らの手で家族を殺害。さらにその後、自身を完璧に殺してもらうためにNY中の“動物モチーフのキャラクター”を集めてデスゲームを行う「Hunted事件」を起こし、最終的に無事死亡できました。

    さらに踏み込んで解釈するのであれば、クレイヴンの着想元である1924年の小説『猟奇島』では、当時「もっともどう猛な動物だから」という理由で人間を狩りの対象に選んでいましたが、今作はより危険な生物がいるからターゲットのレベルを上げたのでしょう。元ネタまでさかのぼっているのは面白いですね。

    クレタス・キャサディ/フレイム

    ゲーム中では暗示に終わりましたが、原作漫画では強力なヴィランの一人・カーネイジとして登場します。クレタスはサイコパスのシリアルキラーで、今回の元ネタであるDonny Cates期の『Venom』では「Absolute Carnage」というイベントで、ヌール復活をもくろむカルト教団の長となり、NYに破壊と混乱をもたらしました。

    クエンティン・ベック/ミステリオ

    ミステリオといったら遊園地、本当によく分かってます。原作漫画でのミステリオは映像技師かつエンジニアで、VFXを利用した幻覚やお手製のロボットなどでスパイダーマンに挑むのですが、ゲームやアニメになるとなぜか映画の撮影所とかではなく遊園地にいる率が高いんですよね。こういう分かってる描写を見たときにグッときます。

    ミステリオとマイルズといえば、原作では次元が分かれていたピーターとマイルズが初めて会うことになったきっかけがミステリオでした。ピーター側のミステリオがマイルズの世界に干渉し、争った結果ピーターがマイルズの世界に迷い込んでしまい……。映画『スパイダーマン:スパイダーバース』にもこの『Spider-Men』のエピソードが一部流用されていましたね。

    それはそうと遊園地のアトラクション名。それぞれスパイダーマンのヴィランから名前をとられているので、この世界のピーターは思ったより対戦経験が豊富なのかもしれません。

    ロニー・リンカーン/トゥームストーン

    原作漫画ではNYを縄張りにするマフィアのボスの一人です。彼の娘は最近、ロビー・ロバートソン(今作でNYの街並みの写真を撮ってくるよう依頼する人)の息子と結婚しました。トゥームストーンとロビーの二人は実は腐れ縁なのですが、尺の問題でしょうけど、それは再現されなかったみたいですね。

    重いものを持ち上げる演出

    スパイダーマンでは「重いものを持ち上げる」というのは、有名なエピソードにちなんでスパイダーマンがさまざまなプレッシャーを押しのけることができる暗喩として長らく機能しています。今作では観覧車を持ち上げるのをハリーが手伝ってくれたので、それで「一人で抱え込む必要はない≒Be Greater Together」を表現していたのだと思われます。

    ディミトリ・クラヴィノフ/カメレオン

    原作漫画『The Amazing Spider-Man』では実質、初のスパイダーマンのスーパーヴィランで、本作中でも説明があった通り変装の名人で、クレイヴンの腹違いの兄弟です。

    原作漫画ではクレイヴンが死んでからというもの自我が崩壊しかけながら、スパイダーマンに責任を取らせようと執着していましたが、次回作ではどうなることやら。彼にまつわるエピソードではピーターの妹テレサとのエピソードが悪趣味で好きなのですが、恐らく今後採用されることのないエピソードなので割愛しますね。

    やたらMJが強い件

    MJが強化されたという話ですが、原作漫画ではブラックキャットと一緒に怪盗として活動できるほど身体能力のある人です。最近は「スロットを回してランダムでスーパーパワーを手に入れる能力」まで得たので、まだまだ上を目指せます。原作プールの充実が間に合っていればと悔やまれます。

    シンビオートの設定について

    それにしても、シンビオートの欲望のコントロールが効きづらくなる設定が本作ではあまり生きていないのが気になるのですが、これは原作漫画でもそのエピソードがないのが影響しているかもしれません。

    というのも、原作で登場した段階でのシンビオートの脅威は「ピーターの肉体を乗っ取りそうになること」で、「シンビオートと結びついていると興奮状態になりやすくなる」と判明したのは既にピーターがコスチュームを脱いだ後だったりします。

    あまり感情のたかぶりが話に影響を与えないピーターよりは、どちらかというと復讐心を抑えられないマイルズに宿った方が「ブレーキが壊れてもなお止めたんだから」とドラマ性は上がったような気はします。アンチヴェノムも原作にあった“治療”の側面がかなり薄れているので「ただ安全に使えるシンビオート」になってしまっています。

    スクリーム

    今作ではハリーにシンビオートを植え付けられたMJがスクリームに変身していましたが、原作漫画ではMJではなく別の人です。今作はアニメ『アルティメット・スパイダーマン』でシンビオートに取りつかれたことのある設定を輸入したようです。

    ノーマンが作っていた薬

    ノーマンが作っているのは恐らく、ゴブリンフォーミュラというグリーンゴブリンになるための薬。原作の『The Amazing Spider-Man』だと摂取した人の狂気度を上げる代わりに身体能力を増強し、蘇生能力も付与できます。本作をプレイして気付かされましたけど、確かにシンビオートとの共通点は多いですね。

    シンディ・ムーン/シルク

    スタッフロール後にマイルズの母に紹介されて出てきた少女はシンディ・ムーンことシルク。原作の『The Amazing Spider-Man』ではピーター・パーカーと同じく蜘蛛にかまれて能力を得た女性で、スパイダーズの多元宇宙の存在証明を支える重要人物の一人です。

    『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』では原作通り進行するカノンイベントを守れと言いながら(関連記事)、こういった原作の重要設定は反映させていないので、やっぱりカノンイベントなんて気のせいだと思います。