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「売国奴」「スパイ」千人計画でバッシングに。日本人研究者たちが鳴らす警鐘とは?

「日本学術会議は、中国の千人計画に積極的に協力している」。自民党・甘利明議員のブログをきっかけにネット上を駆け巡った言説。その矛先は計画に参加している日本人研究者に向かっている。一方で、日本の科学技術と学術振興策に関する大きな問題点も浮かび上がってきた。

学術会議の問題で、大きく注目されることになった中国の人材招聘プロジェクト「千人計画」。

この計画に参加することは「中国の軍事研究」に加わることを意味するとして参加している研究者のリストが作られて拡散。「反日」「スパイ」「売国奴」などとバッシングする声が上がっている。

一方、研究者の側からは、バッシングへの困惑とともに、日本の科学技術と学術振興策の行く末を不安視する声もあがる。その声を聞いた。

「売国奴」。中国で研究をし、千人計画に参加もしている基礎研究分野の研究者のAさんは、今回の学術会議問題を機に、日本に暮らす親類からそう言われた。

きっかけは、自民党の甘利明議員が学術会議と「千人計画」の関係にテレビの情報番組で言及したことだった、という。

さらなるバッシングへの危機感から、匿名を条件にBuzzFeed Newsの取材に応じたAさんは、そもそも千人計画とは「研究室を立ち上げるにあたってのスタートアップ予算の補助の一環、というようなイメージです」という。

「中国の大学に着任する前後に応募し、研究を始めるための予算に使います。私の場合の金額は、大きい研究装置を一台購入すれば消える程度のものです。これも極端に高いものではありません。アメリカのスタートアップ予算と同程度くらいでしょうか」

基礎研究の分野に携わるAさんは、「私の研究は軍事、産業に応用できるようなものではない」と語る。

「『軍事研究をしている』などというのは、冗談としかいいようがありません。基本的にどこの国でも、大学教員の査定や評価は論文や外部予算獲得などが大きなウェイトを占めています。しかし、軍事研究は論文にはつながらず、さらに評価基準にも入らなければ、国際研究コミュニティ評価にもつながりません。大学にいながらそのために多くの時間を割く研究者が、いるのでしょうか」

また、同じく千人計画に参加する基礎研究分野の研究者Bさんも「そもそも中国の大学で軍事に関する補助金を受けるためには、中国籍が必要です。実際にホームページ上の公募欄にも、そう記されています」と語る。

「海外からオープンに招聘した外国人研究者は原理的に関わることができません。中国だって、そうした軍事機密が海外に流出するのは避けたいことのはずですよね」

「基礎研究分野が結果として中国の軍事研究につながるのだ、という声もありますが、それは『風が吹けば桶屋が儲かる』と同じ。私たちの研究結果は論文で世界中に発表されていますから、中国で研究をしていても、日本で研究していても同じロジックで非難することができてしまいます」

「千人計画」とは何か?

そもそも「千人計画」とは、中国政府が各国の優秀な研究者を招致するため、2008年にはじまった国家的プロジェクトだ。アメリカ議会上院委員会の報告書(写真)によると、2017年までに7000人が参加したという。

文部科学省の資料によると「急速な科学技術の発展を遂げ、先進国レベルへとキャッチアップする」目的がある、とされている。

主な狙いは「海外人材呼び戻し」にあるが、2011年からは海外経験のある若手研究者を対象にした事業もはじまった。

若手の場合は数千万円の研究スタートアップ資金など、シニアの場合はさらに高額なインセンティブがあるため、「ヘッドハンティングプラン」とも言われ、技術流出、盗用、さらには軍事転用への懸念も少なくない。

アメリカではFBIが捜査に乗り出し、参加する研究者が助成金の虚偽申告をした米国人研究者や、帰国前に機密情報のダウンロードした中国人研究者が摘発される事態にまで発展。アメリカ上院議会委員会も報告書でそうした点に警鐘を鳴らしている。

こうしたアメリカ側の動きのあと、中国側が参加者の名簿を削除。研究者に中傷などが集まったためとする見方もあるが、一方でさらに疑惑の目が向けられるようにもなった。

中国が国策として「軍民融合」を推進していることも、こうした懸念が広がる背景にある。日本の防衛白書(2019年度)でも、「ハイテク分野をはじめとする民間技術」などの転用が軍事力強化に関して、影響を及ぼす可能性が指摘されている。

中国政府には、科学技術を振興して日米に追いつき、国際的に強い競争力を確保したいたいという狙いがあることは、間違いないだろう。

こうした前提があったとしても、現状の日本人研究者による「千人計画」への参加が、そのまま「軍事研究への参加」に結びつくと言えるような状況ではない基礎研究の分野で、国際的な協力や研究者の国家間の移動は、決して珍しいことではない。

中国だけでなく、アメリカなど各国に日本の研究者が移動しているし、逆に日本で研究活動する外国人もいる。こうしたことから、全体的な規制をすべきではない、という指摘もある。

甘利氏のブログが発端に…

日本でもアメリカ側の動きに歩調を合わせるように、危機感を指摘する声は広がっていた。きっかけになったのは、「千人計画」に関する読売新聞の連載記事(5月4日)だ。

この読売新聞の連載では技術流出や軍事転用などへの懸念を示すなかで、「学術会議」にも触れている。論点は「日本では、千人計画への参加に関する規制はない」ということに対して警鐘を鳴らし、学術会議側に問題意識を持つように促す点にあった。

「千人計画」に参加する日本人研究者へのインタビューなどもしており、この記事は一部の保守論壇で徐々に拡散。6月2日には自民党の有村治子参議院議員が参議院財政金融委員会で、読売新聞と同じ論点の質問をしている。

こうしたなかで、今回の学術会議をめぐる「任命拒否問題」がきっかけとなり、「千人計画=軍事研究」というようなイメージが拡散することになった。

その発端は、自民党の甘利明議員のブログだ。甘利氏は8月6日付のブログで学術会議が千人計画に「積極的に協力」と記した。また「高額な年棒で招聘」「研究者には千人計画への参加を厳秘にする事を条件」「民間学者の研究は人民解放軍の軍事研究と一体」などとも言及している。

明確な根拠などは一切示されていないブログだったが、今回の任命拒否問題を機にまとめサイト「アノニマスポスト」などにより拡散。複数のメディアやテレビ番組でも取り上げられ、学術会議に批判的な世論形成につながり、「学術会議の会員で千人計画に参加している研究者がいる」との報道もされるようになった。

なお、千人計画は甘利氏が指摘するような「極秘計画」という類のものでもない。研究の募集などはホームページ上でオープンにされていたし、先述の通り、アメリカ側が問題化する以前は名簿なども公開されていた。

また、先述の通り基礎研究分野などに関する招聘も多い。「千人計画=軍事研究」とする見方も、やはり先述の通り正しいとはいえないだろう。高額の報酬についても、BuzzFeed Newsの取材に答えたBさんは自らの年収を数百万円と明かし、「全員ではない」と否定している。

甘利氏はその後、学術会議に関する記述について、「間接的に協力していることになりはしないか」とブログを書き換えた。一方で、「日本のリスク」などとして、千人計画への批判を一層強めている。

テレビ番組などでも計画に日本人研究者が複数人、参加していることなどに言及。学術会議と中国科学技術協会の覚書を批判するようにもなった。

なお、この覚書は、会議やセミナーなどを通じた「情報交換」や、研究者間の交流、共同ワークショップの開催などの取り組みを進めていくことに関するものであり、中国での研究計画に参加するような内容のものではない。また、これに基づいた取り組みも一切実施されていない。

とはいえ、同じく自民党の山谷えり子参議院議員も、10月8日の参議院内閣委員会で同様の質問をしている。政治家たちのこのような言説は、結果として、研究者たちのバッシングにつながっていると言えるだろう。

「結果的に日本が損する」

「知財流出や軍事研究などのケースが存在するのであれば、それをしっかり個別に問題化していくべきであって、陰謀論を根拠に参加する無実な科学者たちをバッシングするような動きが広がっていることは、残念でしかありません」

Bさんは、そう語る。実際ネット上では、「千人計画」に参加する日本人研究者の名前などをリスト化し「売国奴」「反日」「スパイ」などと煽るような言説も拡大しつつある。

「悪化する米中関係や世界の分断、さらに日本でも広がる反中感情に影響を受け、関係ない基礎科学者、そして日本の学術全体がダメージを受けるという構図になってしまっているように感じます。今回の学術会議を発端に広がった知に対する嫌悪は、あまりにも極端な方向に向かっている」

自身もそうした被害に遭っているというBさんは「こうして事実に基づかないまま規制を強めれば、それは結果的に日本が損をすることになる」とも指摘する。

「流出、流出というけれども、そもそも中国と日本どちらが進んでいるのか、という前提から考え直すべきではないでしょうか。日本の基礎研究分野の予算は削減、縮小の一途であり、スタートアップ予算もなければ、若手研究者が入ることのできるポジションもなくなってきてしまっています」

「それが、中国を含む海外に研究者が向かう理由のひとつでもある。そういった状況のなかで国際的なネットワークを閉鎖的にしてしまうのでは、結果として日本の基礎研究分野にさらなる悪影響を及ぼすだけではないでしょうか」

Bさんのいう通り、日本の基礎研究分野の予算は削減の一途を辿っている。2004年の国立大学法人化以降、大学の運営費交付金や教員の削減が進んでいるからだ。

退職者の後任は補充されず、若い研究者の正規雇用先にもつながらない。研究者は不安定な待遇となり、結果として研究力、ひいては日本の国際競争力の低下につながるーー。こうした懸念は、かねてからあげられていた。

「選択と集中」の政策とも言われるが、功を奏しているとは言えない。実際、英教育専門誌による「世界大学ランキング」(2021年版)でも、中国の清華大学(20位)や北京大学(23位)などが日本(東京大学=36位、京都大学、54位)よりも上位にランクインし、アジアトップの座となっている。

国際的な研究成力を示すランキング指標である「Nature Index」(2020年)でも、中国の「シェア値」と呼ばれる82の自然科学ジャーナルにおける掲載論文数をもとにした数値は18026で、アメリカ(28403)に次ぐ2位。日本は5位(4905)で、大きく差をつけられている。

こうした日本の現状こそが、まさに研究者の「流出」を招いている。批判すべきは中国だけなのか。Bさんはそう指摘し、警鐘を鳴らす。

「なぜ政治家の人たちは…」

冒頭に記したように「売国奴」という戦時中を彷彿とさせる言葉を浴びたAさんも、「自分にとって一番いい環境で研究をすることがプライオリティですから、日本人である限り同じ環境なら日本で研究したいですよ」という。

「しかし募集の数は限られており、実際にすべて、落ちてしまいました。だからこうして中国で研究をしています。給料などは日本や米国に比べそれほど高いわけではありませんが、日本と違ってスタートアップ資金もありますし、中国の学生が各国に比べてとても優秀であることは、大きなインセンティブになっています」

こう吐露するAさんも、Bさんと同様の見解を示しながら、やはり科学コミュニティにおける「中国排除」を目指そうとする動きに対し、懸念を示している。

「日本は、国際的なネットワークからちょっとずつ外れているんですよね。十数年前ならアジアのどこかの国と共同研究するといえば日本一択でしたが、中国が台頭し、アメリカなどと共同研究を活発化させるなかで、日本は研究者の数でも、質でも負けてきてしまっている」

「中国や中国人研究者を排除してしまえば、国内における研究者人口はさらに減り、質も落ちてしまうでしょう。一方で残念ながら、日本が抜けても世界的には影響ありません。そうした状況で過度な規制に走るということは、日本の科学コミュニティの自殺以外の何者でもないと思っています」

そのうえで、甘利議員ら政治家を発端にした「バッシング」ともみられる動きが広がることについても、こう指摘した。

「政治家の方たちは何のメリットがあって根拠のない情報を流すのか、私たちには理解できません。研究者が話をするときに、データに基づいた事実と仮説を混同して話すと、それは信用を失いますし、そういうことをしないために大学院生の時にトレーニングを受けています」

「なぜ、政治家の人たちは事実と仮説を分けないで語ることが許されているのだろうな、と疑問に感じています。そうして叩きやすい対象を個別に叩くのではなく、本来であれば示すべきは、日本における長期的な科学技術政策のビジョンではないでしょうか」