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フランシスコ教皇は被爆地で何を語る。38年ぶり来日「ローマ教皇」は「キリストの代理人」

人類の「過ち」の遺産である長崎、そして広島で、フランシスコ教皇は何を語るのだろうか。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が11月23日に来日した。「空飛ぶ教皇」として崇敬を集めたヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり2度目の教皇来日となる。

フランシスコ教皇は24日に被爆地の長崎と広島を訪問する予定。それぞれ「核兵器に関するメッセージ」「平和のための集い」やミサで何を語るのか注目が集まる。

バチカン外交の「光」と「闇」

バチカン外交の「光」と「闇」キリスト教の最大宗派であるローマ・カトリック教会の信徒数は、全世界に13億人いるとされる。

そのトップで「キリストの代理人」たる教皇の行動や発言は、国際社会でも影響力を持ってきた。

近現代のローマ教皇、そしてバチカンは、カトリックの理念に基づき人権や人道的な姿勢を重んじる外交を展開した歴史がある。

第一次世界大戦では、当時の教皇ベネディクト15世が停戦調停を試みたほか、国際連盟の理念にもバチカンの提案が含まれていた。

一方、戦間期にはイタリアの独裁者ムッソリーニとラテラノ条約を、ナチス・ドイツと政教条約を締結した。

第二次世界大戦と前後して、反宗教の共産主義勢力に対抗するため独裁者と結んだことは、「ホロコースト」を黙認したとして批判を受けた。

「空飛ぶ教皇」ヨハネ・パウロ2世の功績

戦後、ローマ教皇が国際社会の支持を集めることができたのは、ヨハネ・パウロ2世の功績だろう。

ヨハネ・パウロ2世は、ナチスとソ連の侵略、ホロコーストの主な舞台となったポーランド出身の教皇だった。

26年超の在位期間中に世界各国を精力的に歴訪。「空飛ぶ教皇」として尊敬を集めたことでも知られる。

東方正教会やプロテスタントとの融和など、他宗教との緊張緩和や交流にも積極的だった。

カトリックに反ユダヤ主義があったことを認め、ホロコーストにつながった部分もあったと謝罪したことも大きな話題になった。

1986年には京都・栂尾の高山寺を祝福。高山寺はアッシジの聖フランシスコ教会と兄弟教会の約束を結んだ。

冷戦崩壊の前後にも、ヨハネ・パウロ2世は存在感を発揮した。ポーランドの自主管理労組「連帯」を支持したことは、後の「東欧革命」、そしてソ連崩壊へとつながった。

反戦と平和へのアピールも功績の一つだ。1981年2月、史上初めて来日したローマ教皇となったヨハネ・パウロ2世は、広島「平和アピール」で核兵器の廃絶を訴えた。

「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」

「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」

「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです」

「広島を考えることは、核戦争を拒否することです」

「広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです」

フランシスコ教皇、被爆地で語る言葉とは

あれから38年が経った。「キリストの代理人」はアルゼンチン出身のフランシスコ教皇が務めている。

過去にフランシスコ教皇は、被爆後の広島で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を関係者に配ったことがある。

核兵器の悲惨さに胸を痛め、名もなき人の安寧を祈る姿は、ヨハネ・パウロ2世を彷彿とさせる。

写真に「戦争がもたらすもの」とのメッセージを添えた教皇は、「写真を見て胸を打たれた。このような写真が1000の言葉よりも多くを語る。だから分かち合いたいと思った」と語った。

自ら選んだ教皇名「フランシスコ」は、清貧を旨としたアッシジの聖者フランチェスコに由来する。

その思想は、質素を好み、専用の宮殿ではなく職員と同じアパートで暮らすフランシスコ教皇ともつながる。

教皇就任前のブエノスアイレス大司教だったころも地下鉄やバスを利用していたほどだ。サッカー好きという意外な一面に親しみを覚える人もいるだろう。

人類の「過ち」の遺産である長崎、そして広島で何を語るのだろうか。教皇の声に耳を傾けたい。

【中継】核兵器に関するメッセージ(24日午前10時15分頃〜)

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【中継】平和のための集い(24日 午後6時40分頃〜)

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*参考資料
・松本佐保著『バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘』(中公新書)

・松本佐保著『バチカンと国際政治 ― 宗教と国際機構の交錯』(千倉書房)