中国の李鵬元首相が7月22日、死去した。23日に新華社が報じた。1989年天安門事件では、民主化運動の弾圧を主張した強硬派だったこともあり、当時の学生リーダーらが訃報に反応した。
天安門事件で「戒厳令」に関与
李氏は1928年生まれ。父は中国共産党員だったが、当時の国民党政府に処刑されている。
1945年、中国共産党に入党。ソ連留学を経て発電所に勤務。その後、電力工業部長などを皮切りに養父・周恩来と同じく国務院総理(首相)のほか、全国人民代表大会(全人代)の常務委員長(国会議長に相当)などを歴任。保守派の代表的人物として知られた。
首相在任中の1989年に発生した天安門事件では、当時の最高指導者・鄧小平氏の意向を受けて戒厳令の布告に関与。民主化運動の弾圧を主導した。
新華社通信は23日、李鵬氏の死去を報道。業績や高潔な人物評とともに「李鵬同志は永遠に不滅だ!」と訃報記事を締めくくった。
元学生リーダーたちが反応
天安門事件で弾圧された民主化運動の元学生リーダーたちも、李氏の訃報に反応した。
学生リーダーの一人だったウーアルカイシ氏は23日、自身のFacebookに「李鵬が死んだ?本当に?本当だといいけど」「彼は死んだが、天安門事件の遺族の慰めにはならない」と記した。
Twitterでも「李鵬が死んだ。彼はゲス野郎だった」と批判的に綴った。
同じく、元学生リーダーの王丹氏も「彼が死んだからといって、責任追及は放棄されない」と批判した。
今年は奇しくも、天安門事件から30年の節目の年にあたる。