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PTAという「国家的組織」に組み込まれる親 あきらめる前に知っておくべきこと

PTAは、社会教育組織としても地域組織としても日本最大規模だ。

子どものために、と親たちが奉仕活動をするPTA。積極的に関わる親も、みんながやっているから仕方なく参加するという親もいる。

BuzzFeed NewsはPTAの実情について報じてきた。批判も多い組織だが、その活動が「国家に統制されたものだ」と言われると、多くの人はきょとんとすることだろう。

実は、PTAは社会教育組織としても地域組織としても、日本最大規模だ。

ヘルシンキ大学非常勤教授の岩竹美加子さん(民俗学)は著書『PTAという国家装置』で、「多くのPTA会員はその組織の全貌を知らず、自分が全国的組織の末端に位置していることは認識していない」と書いている。

登校の見守りや運動会の手伝いなど、わが子が通う学校のための身近なボランティアが、どのように「国家」と結びつくのだろうか。BuzzFeed Newsはフィンランド・ヘルシンキで岩竹さんと会い、話を聞いた。

「国難」をチラつかせるPTA

2017年9月、安倍晋三首相は、戦前から戦時中に使われていた「国難」という表現を用いて衆議院を解散した。

少子高齢化、北朝鮮情勢、まさに国難とも呼べる事態に、強いリーダーシップを発揮する。(中略)この解散は「国難突破解散」であります。

岩竹さんはこの「国難」という言葉を引き、語り始めた。

「PTAもまさに『国難』をチラつかせ、子どもを守るために大人が団結しなければならない、と統制しようとしています」

一体、どういうことなのか。岩竹さんは次のように語る。


悪しき子ども像

「PTA実践事例集」という冊子があります。日本PTA全国協議会が全国の小中学校PTAの活動を審査し、PTAをよりよくする活動事例を掲載したもので、1984年から毎年または隔年で発行されています。

この「まえがき」には毎回のように、否定的な子ども観が羅列されています。

子どもたちの問題行動の多発、暴力行為、学級崩壊、いじめや不登校、社会性や規範意識の欠如、携帯電話やインターネットに絡む問題......

子どもの犯罪や不良化を懸念するものばかりですが、問題は本当に子どもでしょうか。子どもを見る否定的で画一的な枠組みのほうではないでしょうか。

しかしPTAは、「だからこそ学校・家庭・地域社会が協力して子どもを教育しなければならない」と介入を正当化します。

「家庭の危機」「地域社会の喪失」といったもっともらしい言説が、こうした「悪しき子ども像」にリアリティをもたせてきたのです。

そこには「非常時」と「日常」の二つのレトリックがあります。最もわかりやすい「非常時」は戦前や戦時中、つまり「国難」ですが、戦後にもありました。

私の印象に残った「非常時」は、2001年に大阪教育大付属池田小学校に刃物を持った男が侵入し、児童8人が亡くなった事件です。事件後、集団登下校や親たちによる見守りなど、学校の安全が全国的な取り組みになりました。

私が住んでいた地域の学校でも、フェンスに「連れ去り事件発生」とイラスト入りのポスターが貼られるなど、何か事件があるたびにすべての子どもにあてはまるかのように注意喚起されました。事件そのものの恐怖よりも、地域が団結して自衛しなければ子どもが襲われる、と危機感をあおる圧力のほうに違和感を覚えました。

また、少年犯罪が起きると「子どもが襲われるのを防ぐだけでなく、襲う子どもにしないためには」という議論が盛り上がり、それもやはり「地域社会の結びつきが課題」といった結論になるのです。

やがて「非常時」だけでなく「日常」にもその圧力ははたらくようになります。

犯罪や不良化の防止からさらに範囲を広げた「基本的生活習慣や規範意識の欠落」を課題にすることで、すべての子どもの日常に介入しようとする動きです。象徴的なのが、2006年に文部科学省がはじめた「早寝早起き朝ごはん」の国民運動です。

早寝早起き朝ごはん運動は、国が実施するとかそういうものではなく、我々父親であり母親であり、祖父であり祖母であるような方々が力を合わせて、これからの子どもたちをよりよい人間に育てるべく努力をしていきたいと考えます。

具体の取り組みについては、PTA等の様々な関係団体の協力を得て、「早寝早起き朝ごはん」運動として国民運動を展開し、

(以下略、「早寝早起き朝ごはん」全国協議会設立趣意書より)

「PTA実践事例集」には、「六時半、みそ汁運動」や「ラジオ体操」「あいさつ運動」などが挙げられています。こうした運動は戦前を想起させもします。

直感的に、PTAがやっているのは広い意味での「国防活動」ではないか、と思ったのです。戦前や戦時中、兵隊として武器を扱うことだけが国防ではなく、統率されて奉仕や修養に励むのも「国難」に立ち向かうためだったわけですから。


PTAが推進してきた「早寝早起き朝ごはん」などの国民運動と国防活動の類似性を指摘する岩竹さん。ここで一旦、歴史を振り返る。

PTAは第二次世界大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)の指導のもと導入された。日本PTA全国協議会のホームページには「PTAの誕生と発展」がこう記されている。

GHQ は、昭和21年(1946)秋(10月頃か)、文部省社会教育局にアメリカのPTA資料を提示し、日本におけるPTAの結成を指導した。これを受けて、昭和21年(1946)10月19日、文部省内に「父母と先生の会委員会」が設置された。

1年半後の昭和23年(1948)4月時点で、すでに全国の約7割の小中学校と約4割の高校が、PTAを設置している。しかしこのとき、PTAと呼ばれる新組織のほかに「旧来の団体」と呼ばれたものが存在していた。

ただし、学校後援会、父兄会などの旧来の組織のみがある学校、あるいはそれと新組織が併存している学校もかなり(3割ほど)残っている状況もあると見られる。

岩竹さんはここで「旧来の団体」と呼ばれていた、戦前からもともと学校にあった保護者組織に注目した。PTAの母体となったこれらの保護者組織こそ、戦前からの「古い体制」を今のPTAに引き継いでいるのではないか、と。

再び、岩竹さんの話に戻る。


あくまで従属的な組織

戦前の学校には、さまざまな名前の保護者組織がありました。後援会、父兄会などは男性が会員となり、寄付金集めなどを通して財政的な学校後援をしていました。母の会、母姉会などは女性を会員としており「奉仕と修養」を主眼として、1920年代半ば以降、全国各地の国民学校に組織されていきました。

「母の会」に関する文献によると、母の会に求められたのは「子どもの教育を中心とした奉仕と修養」や「会員相互の強調、親和」であり、子どもが通っている学校に「母の会」があれば全員が参加するものでした。

主な事業は「毎月の例会、講演会・実修会・研究会開催、会報(親心)の配布、隣組町会(郷土)に関する事項、国防献金、陸軍病院慰問...」など、戦時色が濃い活動のほかは、現在のPTAと共通しています。

こうした事業を主催するわけではなく、あくまで従属的に実践するという点も、「母の会」はPTAと似ています。

PTAは任意加入であることはあまり知られておらず、実質的には全員参加です。父親よりも母親が活動することが多いです。

またPTAは、他のさまざまな組織に関連づけられたり組み込まれたりしています。地域に広がる「横」のつながりとしては町内会、青少年育成委員会などの住民組織。「縦」のつながりとしては市区町村→都道府県→国につながる連合組織です。

恒例となっている行事をPTAの判断でやめられなかったり、議論ができなかったりするのは、PTAがこうした縦横の組織の網目の中にある「従属的」な「末端組織」だからです。

こうした構造は外側からも内側からも見えづらく、PTAの会員は負担感や不公平感からくる不満や敵対心、罪悪感を、構造に対してではなく、目の前にいる会員同士でぶつけ合うことになるのです。


自発的服従、牽制、抑圧......

岩竹さんが指摘するように、戦前からあった「母の会」の活動は、現在のPTAと共通するものだった。

PTAは地域や学校に「従属」しており、市区町村→都道府県→国につながる連合組織の「末端」にある。だからこそ、各PTAでは現場の声を生かした柔軟な運用が難しく、多くの人が不満をためている。

その不満を解消するためや、共働き世帯の増加に伴う負担軽減のために、業務効率化など「PTA改革」の必要性が議論されるようになった。

しかし岩竹さんは「PTA改革は『自発的服従』にすぎない」と言い切る。

「どうせやるなら分担してラクに楽しく、という提案は問題解決にならないばかりか、より多くの親を動員し、組織の維持に無自覚に加担することになるのです」

一方、PTA役員を務めた経験から『PTA再活用論』を書いた文筆家の川端裕人さんは、

「岩竹さんの現状分析は胸がすくものがあります。ほんとどのPTA改革が結果的に現状追認になってきたことも事実だと思います」

と話したうえで、現場の親が抱える葛藤に目を向ける。

「それでも、いっさい加担すべきでないという提言は、今のPTAをなんとかしようとしている人たちには響きにくいのがつらいところですね。また、いまこの瞬間に大変な目にあっている人にも『離脱できるんなら、とっくにやってるよ』と言われそうです。『関わらない』という選択自体に圧力がかかることが普通にありますから」

実は岩竹さんも、PTA研究の原点は、自らが保護者としてPTAと関わらざるをえなかったことだった。岩竹さん自身の経験を聞いてみる。


子どもが小学校に入学してすぐ、PTA入会申込書が渡されました。「入会しない」に丸をつけて提出したら、副会長と名乗る女性から電話がかかってきたんです。

「入会しないのなら、お子さんはPTA主催の催しに参加できません」

担任からも、他のクラスの母親と知り合う機会になるからと穏やかに勧められましたが、それはPTAである必要はないと感じました。

それでも結局、私はPTAに入会せざるを得ませんでした。

実際には、PTA主催の催しはほとんどありませんでした。PTAは青少年育成委員会の行事を手伝っているだけで、その行事には地域住民は誰でも参加できました。

私に電話をかけてきた副会長は、別の役員から「態度が甘い」とクギを刺されて精神的に追い詰められていたそうです。「自発的」に見えていただけで、抑圧や無力感だらけでした。

翌年度、役員決めのくじ引きで、私はくじを引くのを拒否しました。3回ほど役員から電話がかかってきて説得されたあげく、「役員をしなくてもいいけど、このことを他の母親には言わないで」と念を押されました。

私はその後、フィンランドに移住しましたが、ずっと日本にいてPTAの参加を拒否し続けていたら、さぞ居心地が悪かっただろうと思います。

仕事や介護の理由に関係なく、なぜ「やりたくないからやりません」と言えないのか。なぜ「子どものために」の大義のもと我慢し続けているのか。なぜ権利を主張できないよう当事者が牽制し抑圧し合っているのか。その力学のもとにあるものを調べるうちに「国家」につながりました。


暴走する巨大組織

岩竹さんがPTAの存在を真っ向から否定するのは、今のPTA改革の文脈で語られているような負担の重さからではない。この巨大組織が「国家」に「利用」される可能性を危惧しているからだ。

PTAは戦前の「母の会」の目的だった「奉仕と修養、家庭教育振興」を引き継いでいるうえ、「母の会」は成し遂げなかった全国的な連合組織となった。いざ「国難」に直面したときに、これほど利用価値が高い組織は他にないのではないかーー。

杞憂だろうか。川端さんの見方はこうだ。

「国家的な『真の意図』といった明確なものはないでしょう。戦前の『母の会』からの流れを見出したのは岩竹さんの大きな発見だと思いますが、それでも、PTAの歴史において、誰かが具体的に仕組んで意図的にコントロールしてきたようには到底、思えません。むしろ行き当たりばったりです」

川端さんは続ける。

「それはつまり、PTAはそのときどきで誰かに都合よく使われてしまう一貫性のない力だともいえます。『真の意図』が何であろうとなかろうと、別の暴走をしかねない。一時的に市民運動の器だったとしても、長期的に自治体なり国家なりに寄せるよう修正されてきた経緯があるのも事実です」

「たとえば、学校の統廃合や校庭確保などでPTAが自治体の方針に反対して要求を実現するといったことはこれまでにもありましたが、何年か経って当時の保護者がいなくなると、学校や自治体寄りのPTAになっていたりということです」

「現状ではPTAはあまりに周辺的で放置されており、国家権力にとっては、むしろ『まだ活用していない含み資産』みたいなものかもしれません。それゆえに、多くの人が無意識に加担して維持している権力性をなんとかして弱めておくのは大事だとは切実に思います」

国からひとりの保護者までピラミッド型に系統づけられていながら、外側からも内側からも構造が見えづらい。巨大組織・PTAはその危うさすら未知数だ。

岩竹さんはこのように補足する。

「国家は、そのときの状況や利害によってコロッと主張を変えます。家庭教育が大事だと言っていたとしても、戦時中はそれどころではなくなるように。その国家さえ実体があるものではないですから、必然性なんてどこにもない。PTAの仕事をやらなければならない、という根拠も何もないわけです」

ひとりの保護者が割り当てられるPTAの仕事の多くは簡単な雑用に過ぎないが、そこには確かな実体がある。「みんながやっているから当たり前にすべきこと」なのか、誰が何のためにやりたいことなのか、手を止めて考えることはできる。

「子どものため」に何気なく加入したけれど、PTAってどんな組織なんだっけ、ということも。

BuzzFeed NewsはPTAについて継続的に発信しています。

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