「71年前。明るく、雲ひとつない朝。空から死が落ちてきて、世界は変わった」。広島を訪れたオバマ大統領のスピーチは、こう始まった。現職の米大統領の初訪問。日本は歓迎ムードに包まれたが、本当に被爆者の思いに向き合っていたのか。
消えた主語
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局長、田中熙巳さん(84)は8月3日、ゆっくりと強い口調で、BuzzFeed Newsに語った。
「死が降ってきたんじゃない。彼らが落とした爆弾で、見るに堪えない死の状態をつくったわけですよ。アメリカという国が死をつくった。それも残忍な殺し方で、何万人もの死を」
空から死が降ってきたのではない。アメリカが原爆を落とし、人々が死んだ。
オバマ大統領が避けたのは責任の所在だけではない、と田中さんは振り返る。
「魂を揺り動かされるようなことをしてほしかった。(広島平和記念)資料館を見て、何人かの体験者の話を聞いて、そのうえで慰霊碑、公園の雰囲気、囲んでいる空気を感じたら、『変わる』と信じて疑わないんですよ」
「核兵器は人間としてやってはいけない。使ってはいけないものであるという考え方をアメリカに定着させると、大統領として方針転換をして欲しかった」
だが、オバマ大統領はわずか10分で資料館を出た。スピーチは「所感」とも訳された。
「所感じゃない。所感は感じたところを書くのに、あの人は何も感じていませんよ。予定されたことを言っただけ」
冒頭の発言は予定稿の通りだった。訪問に先立って、大統領自ら推敲を重ねたという大統領の手書きの原稿が、ローズ大統領副補佐官のブログに載る。
予定調和の外交劇
原爆投下は正しかったという意見が過半を占めるアメリカ。核抑止力を信奉する「世界の警察」トップとして、スピーチには現実的に可能なぎりぎりの内容を盛り込んだかもしれない。しかし、こんな批判がある。
「アメリカを代表して謝罪すると言えたはずだ。そして日本も大戦で犯した罪を謝るべきだと言えたはずだ。そうすれば日米両国を突き動かし、道徳的勝者になれた」
こう、BuzzFeed Newsに語ったのは、在日ドイツ人のフェリックス・リル記者。1970年、西ドイツ(当時)のブラント首相が取った行動と対照的だと指摘する。
ワルシャワのひざまずき
ブラント首相は1970年、ポーランド・ワルシャワのゲットー英雄記念碑を訪れた。まだヨーロッパ中に反独感情が渦巻いていた。
ゲットーとはユダヤ人強制居住区のこと。1939年にポーランドに侵攻したドイツ軍が、約35万人を集め、高い壁の中に閉じ込めた。生き残ったのは数千人。飢えや病気で亡くなり、強制収容所に送られた。記念碑は1943年のユダヤ人蜂起を伝えている。
世論を超えて
実は、ブラント首相自身は反ナチス運動に身を投じていた。ひざまずきについて、回想録にこう書かれている。
「ドイツ史の破滅の淵に立ったわたしは、何百万もの殺された人々の重圧を感じ、人が言葉では言い表せないときなすべきことをしたのです」
当時、西ドイツの世論は二分された。シュピーゲル誌の直後の調査では、ひざまずきは「やりすぎ(48%)」が「適切(41%)」を上回った。
ブラント首相とオバマ大統領を比較して、さきのリル記者はこう言う。
「こんな明確なビジョンを持った人たち(visionary)、つまり筋書きを超えて、正しいと思うことをする人たちは今日、いない。オバマはノーベル平和賞を受け、数ヶ月で職を離れるというのに、何も手放さなかった。本当にチープだ」
なくならない核兵器
あの日から71年目を迎える、今日。世界から核兵器はなくならず、核実験も進められている。
日本被団協の田中さんは被爆者の思いをこう話す。
「もう71年も経っているよ。もう人々よ変わってくれよ」