翌朝、メルケルは会見で容疑者の詳細を明かさないまま、事件について、テロ行為だと「想定しなければならない」と発言。それでも寛容さを失わない重要性を強調していた。「ドイツで、望むように生活をする強さを取り戻すのです。自由に、手を携えて、開かれた心の中に」
「リベラルな西側諸国の最後の擁護者」と呼ばれるメルケル。だが2015年に100万人の難民が押し寄せたドイツでは、その受け入れ策を巡って、激しい議論が交わされる。
事件を政治化
「これはメルケルがもたらした死だ!」。反移民を掲げる政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の欧州議会議員マルクス・プレッツェルのツイートだ。
事件発生直後、パキスタン国籍の男性が拘束されたと報道されると、極右政党は首相の難民受け入れ策を一斉に攻撃した。(この男性は後に釈放)
「幻想を抱いてはいけない。こうした犯罪の温床は、過去1年半に過失によって、構造的に作られたものだ」。Politicoによると、AfD党首フラウケ・ペトリもこう非難した。
「ドイツのトランプ」とも呼ばれるペトリ率いるAfD。その支持率は今年に入って2桁台に乗り、現在、13%まで伸ばしている。
非難はドイツ国内にとどまらない。反感を煽る着火剤として外国人犯罪を取り上げる構図は、ヨーロッパ共通だ。
「メルケル、(オランダ首相の)ルッテ、そしてすべての臆病な政治家たちが、開かれた国境政策によって、難民の津波とイスラムのテロを許した」
オランダ自由党(PVV)の党首ヘルト・ウィルダースは20日、こうツイートした。反移民の過激な発言を繰り返し、「オランダのトランプ」と呼ばれるウィルダース。血まみれに見えるメルケルの画像も投稿した。
「イスラムのテロリストは移民だ。メルケルに責任がある。フランスでも欧州でも、無自覚な指導者を止めよう」
これは、フランス国民戦線(FN)党首マリーヌ・ルペンの姪で国民議会議員マリオン・マレシャル=ルペンのツイートだ。
中東やアフリカから流れ込む移民や難民が急増し、生活が苦しい国民からは、まずは自国民を優先するべきだと不満が漏れる。「キリスト教・白人」アイデンティティへの挑戦だと受け止められ、国境を閉じようとする勢力が支持を集める。
2017年春にそれぞれ総選挙と大統領選挙を控えるオランダとフランス。すでにPVVは支持率トップに躍り出ており、FNの党首ルペンは決戦に進むとみられている。
ヨーロッパを動き回った
テロ事件の容疑者はアニス・アムリ(24)。イタリアで23日未明、射殺された。ヨーロッパを揺るがした男は、どんな経緯でドイツに入ったのか。
英テレグラフや英タイムズなどによると、9人きょうだいの末っ子として、チュニジア中部ウエスラティアに生まれた。両親に障害があり、生活は豊かではなかった。
13歳で学校を退学し、飲酒や盗みを繰り返した。有罪判決も受けている。
チュニジアの政権が崩壊した「ジャスミン革命」直後の2011年春、船でイタリアへ不法入国。イタリアでも放火など罪に問われ、4年間服役した。家族はこの間に過激思想に染まったのではないかと話している。
2015年5月に出所。チュニジア側から必要な書類が届かなかったため送還されず、国外追放となった。スイスを経由して、ドイツへ移った。
会見したドイツ西部ノルトライン・ウェストファーレン州首相によると、2016年2月からベルリンに滞在。難民申請は6月に却下されたが、チュニジア側が自国民であることを認めず、またしても送還されなかった。
11月にはテロを準備した疑いで監視の対象になっていた。ネットに投稿された動画では、ISに忠誠を誓う容疑者が写っている。
アムリ容疑者は犯行後、フランスを経由してイタリアへ移動したとみられる。仏シャンベリーから伊ミラノまでの切符を持っていた。
欧州を自由に動き回った容疑者ーー。事件をきっかけに、移動を制限する論調が勢いを増している。それはEUの根幹に関わる動きだ。
EUの理想
過去、戦争に明け暮れたヨーロッパ。その統合を象徴するのが域内の自由な移動を決める「シェンゲン協定」だ。
1995年に実施され、その後EU法に組み込まれた。EUではイギリスとアイルランド、新加盟4カ国は加入しておらず、EU未加盟のスイスやアイスランドなどは加入している。
「シェンゲン協定エリアによる完全なる治安の崩壊」
FN党首のマリーヌ・ルペンは23日、容疑者が複数国間を移動したことを挙げて、ブログで批判。「フランスに主権を取り戻し、シェンゲン協定を廃止する。欧州の自由な移動という神話は葬り去るべきだ」と訴えた。
来春のフランス大統領選でFNが勝てば、EUは存続の危機を迎える。人・モノ・カネの統合を目指した理想は根底から覆される。
「ミラノで射殺された男がベルリンの殺人犯なら、シェンゲン協定エリアは治安を脅かすと証明される。廃止するべきだ」
EU離脱を主導したイギリス独立党(UKIP)元党首ナイジェル・ファラージも23日に息巻いた。
足元のドイツは・・・
首相4期目を目指して、来秋の連邦議会(下院)選挙に出馬を表明しているメルケル。だが、事件前から、その難民受け入れ策は瀬戸際にあった。
「できることなら何年も何年もさかのぼって、もっとちゃんと準備したい」(BBC)
メルケル率いる「キリスト教民主同盟(CDU)」は9月18日のベルリン市議選で過去最低の得票率に沈んだ。翌日にメルケルは、移民受け入れ策が大敗につながったと振り返り、できるなら時計の針を戻し、移民政策を再考したいとまで言及した。
その2週間前にあった北東部メクレンブルク・フォアポンメルン州議会選でも、連立与党政権に参加する社会民主党(SPD)が第1党を維持する中、CDUはAfDに敗れ、第3党に退いている。
CDUの姉妹政党「キリスト教社会同盟(CSU)」は首相の難民受け入れ策に批判的で、受け入れ数に制限をかけるよう求めてきた。首相は拒んできたが、再選に向けて、政治的駆け引きの行方は不透明だ。
「ドイツの過去に起因する道徳的行為、歴史的な贖罪」(Die Zeit紙発行編集人のヨーゼフ・ヨッフェ)として、難民に門戸を開いてきたドイツ。
メルケルはテロ対策に明確な指針を打ち出し、国民の支持を集めることができるか。そうでなければ、どんな未来が待っているのか。
EU政治専門家ダニエラ・シュワツァーはニューヨークタイムズにこう話す。
「反移民、反リベラル、何にでも『反』の勢力が伸びるだろう」
文中敬称略