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菅首相、党首討論で1964年の東京五輪の思い出話をはじめる。「なぜ五輪を開催?」という質問には回答せず

「例えば、東洋の魔女と言われたバレーの選手。回転レシーブというのもありました」「何よりも私自身、記憶に残っていますのはオランダのヘーシンク選手」感染対策の説明後、始まったのは「思い出話」だ。

首相と野党党首による党首討論が6月9日、2年ぶりに開催された。

菅義偉首相は「五輪についての考えをぜひ説明させていただきたい」と切り出し、感染対策などを説明したが、その後に始まったのは1964年の東京五輪の「思い出話」だった。

これに対し、立憲民主党の枝野幸男代表は「総理の後段のお話は、ここにはふさわしくなかったのではないか」と苦言を呈した。

繰り返し強調される感染対策の徹底

菅首相は7日の参議院決算委員会で、今夏の東京五輪開催は「国民の命と健康を守ることが前提条件」「前提が崩れれば、そうしたことを行わない」と語っていた。

この点について、枝野代表は「国民の命と健康を守るというのは、大会参加者などによる直接的な感染拡大だけでなく、開催を契機として国内で感染が広がり、命と健康が脅かされるような事態を招かない、ということも含むという意味で良いのか?」と質問。

菅首相は以下のような感染対策を徹底すると強調した。

  • 日本を訪れる大会関係者を半分以下に絞り、さらに縮小する方向で調整
  • 選手などの8割以上がワクチン接種した上で参加
  • 入国前、入国後の検査を徹底
  • メディア関係者は組織委員会が管理するホテルに集約


菅首相の話は、そこから個人的な思い出話へと移っていった。

「実は私自身…」首相が語った1964年大会の記憶

「よく新しいオリンピックについて聞かれるわけですけれども、実は私自身、57年前の東京オリンピック大会、高校生でした」

「いまだに鮮明に記憶しています。例えば、東洋の魔女と言われたバレーの選手。回転レシーブというのもありました。食いつくようにボールを拾って得点を上げておりました。非常に印象に残ってます。人間の能力というものも感じました。マラソンのアベベ選手、非常に印象に残っています」

「そして何よりも私自身、記憶に残っていますのはオランダのヘーシンク選手、日本柔道が国際社会の中で初めて負けた試合でしたけど、悔しかったですけれども、その後の対応がすごく印象に残っています。

「興奮したオランダの役員の人たちがヘーシンク選手に抱きついてくるのを制して、敗者である神永選手に対して敬意を払った。あの瞬間というのは私はずっと忘れることができなかったんです。そうしたことを子どもたちにも、やはり見てほしい」

「こうした様子を、テレビで40億の人が見るとも言われてます。東日本大震災から復興した姿というものを、ぜひ見てほしいという風に思います。新型コロナという大きな困難に立ち向かい、世界が団結してこれを乗り越えることができた。そうしたことも、やはり世界に日本から発信したい」

首相の回想を受け、枝野代表は「2年ぶりの党首討論ということで、多くの国民がオリンピックに関して、感染症から命と暮らしをどう守るのか注目しています。総理の後段のお話は、ここにはふさわしくなかったのではないかと言わざるを得ません」と苦言を呈した。

なぜ五輪を開催しなければならない?→回答せず

共産党の志位和夫委員長は、「今、命をリスクにさらしてまでオリンピックを開催しなければならない理由を答えてください」と質問した。

菅首相は「開催しなければならない理由」については明言を避け、次のように述べた。

「国民の命と安全を守るのは私の責務ですから、そうでなければできないということを私は申し上げているじゃないですか。守るのが私の責任であります。守れなくなったらやらない、これは当然だと思います。それが前提であると先般申し上げました」

こうした返答を受け、志位委員長は「なぜ開催するのか理由を聞いたけど、お答えがない」「国民の命よりも大事なものはないんです。日本国民の命を、私はギャンブルにかけるようなことは絶対にやるべきでない」と訴えた。