生活保護費引き下げを容認する判決は法治国家の放棄? 木村草太教授「法律の文言も趣旨も無視している」

    名古屋地裁は6月25日、生活保護費の引き下げは「生存権」を保障する憲法25条などに違反するとして、取り消しを求めていた生活保護受給者らの訴えを棄却した。この判決について、憲法学者の木村草太さんはどのように捉えているのだろうか。

    生活保護費の引き下げは「生存権」を保障する憲法25条などに違反するとして、取り消しを求めていた生活保護受給者らの訴えが棄却された判決

    憲法学者の木村草太さんは、この判決を「法治国家の放棄」と強く批判する。

    どういうことなのか。BuzzFeed Newsは木村さんに話を聞いた。

    判決の内容は…

    政府はデフレによる物価の下落が2008年から2011年にかけて確認されていることなどを理由に、2013年に生活保護費の引き下げを行った。

    原告は、この生活保護費引き下げの根拠となっている物価の下落率が、厚生労働省の専門部会で適切な手続きを経て承認されたものではないことを問題視していた。

    物価の下落率の計算方法についても、生活保護世帯の消費実態に基づく調査結果の数字ではなく、一般世帯の消費支出をもとに計算されているため、実態とかけ離れたものであると主張している。

    こうした原告の主張を受け、名古屋地裁の角谷昌毅裁判長が下した判決は以下の通りだ。

    (1)憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」は具体的な水準が変動し得ることを予定しており、生活保護制度の後退を禁じていない

    (2)物価下落を反映したことで実質的に当時の生活保護費は増えたと評価でき、判断が不合理であるとは言えない

    (3)一般世帯の消費支出をもとに支給額を算出することは不合理であるとは言えない

    (4)専門家の検討を経ることは通例ではあるが、専門家の検討を経ていないことをもって、その判断過程や手続きに過誤、欠落があったと言うことはできない

    その上で、生活保護費を引き下げるという当時の厚生労働大臣の判断は「国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」であり、生活扶助基準を改定するにあたり、これらの事情を考慮することができることは「明らかである」とした。

    法律の文言も趣旨も無視している

    ーー判決文全文をお読みになった上で、どのような点で「法治国家の放棄」と感じられたのでしょうか?

    当たり前のことですが、生活保護基準は、生活保護制度を利用する人が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができるかどうかによって定めるべきです。

    生活保護法8条2項は、基準を定めるときに考慮すべき事項を、「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情」と定めています。

    原告は、2013年の基準改定で「国の財政事情、国民感情、政権与党の公約」を考慮して基準を定めることは、違法・違憲だと主張しました。

    〈国の財政事情が悪くなったり、政権与党が基準引き下げを公約したりすれば、より少ない金額で従来と同レベルの生活が可能になる〉という事実関係があるなら話は別ですが、そんなわけはないでしょう。

    「国民感情」についても同様です。これらの事柄が生活保護法8条2項で定められている「保護の種類に応じて必要な事情」に該当しないのは明らかです。

    ところが、裁判所は、原告らの主張は採用できないとして、国民感情や政権与党の公約を考慮して基準を定めてもよいとしました。

    法律の文言も趣旨も無視しているわけですから、この判示は法治国原理の放棄です。

    ——判決は、国民感情と国の財政状況を理由に、生活保護基準の引き下げを適法としたのですか?

    名古屋地裁は、〈国民が生活保護基準を引き下げろという感情を持っていたから、2013年の基準改定は適法だった〉と、ド直球に述べているわけではありません。

    しかし、その内容を精査すると、急所の論証(重要なポイントの検証)があまりにもあいまいで、理論が示されていない。

    国民感情云々の判示を前提にすると、裁判官は、〈国民感情が認めてくれるから、このくらいの論証でよいだろう〉と考えたということでしょう。

    〈国のやっていることを正当化するには、国民感情を持ち出さざるを得ない〉と認めるのは、ある意味では誠実です。

    もちろん、私が強調したいのは、「誠実」ではなく「ある意味」のところです。

    生活できなくなったときのため、保障されている生存権

    ーー原告はこの生活保護費の引き下げは生存権を脅かすものであると主張しています。そもそも、生存権とは、どのような権利なのでしょうか?

    日本は市場経済あるいは自由主義経済と呼ばれる経済体制を採用しています。

    市場経済とは、お金・モノ・サービス・労働・情報などを人々が市場で自由に交換できる体制です。

    この経済体制では、生産者に創意工夫や需要の高い財の供給を促す一方、消費者は自分の需要に応じて、好きな財を得ることができる。人々の自律的意思による活動を促すことで、経済や文化を発展させることができる優れた経済体制です。

    ところが、この市場経済には重大な欠陥があります。それは、老齢、病気、失業、貧困などが原因で交換すべき財を持たない人は、市場経済に参加できず、生活ができなくなってしまうことです。

    そこで、憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定し、国民に生存権を保障したのです。

    ——この訴訟で問題となった生活保護基準とは、どのようなものなのですか?

    憲法25条1項には、困窮した場合に、具体的にどのような援助を受けることができるのかは書いてありません。

    このため、国会には〈生存権の内容を具体化する法律〉を定める憲法上の義務があるとされます。

    この義務を受けて、国会が制定したのが「生活保護法」です。生活保護法の11条は、困窮した者は、次の八種類の保護を受けることができると定めています。

    【生活保護法11条】
    保護の種類は、次のとおりとする。
    一 生活扶助
    二 教育扶助
    三 住宅扶助
    四 医療扶助
    五 介護扶助
    六 出産扶助
    七 生業扶助
    八 葬祭扶助

    2 前項各号の扶助は、要保護者の必要に応じ、単給又は併給として行われる。

    厚生労働大臣は、それぞれの扶助の種類ごとに、基準となる金額や現物支給の条件を定めます。

    今回問題となったのは、食料や衣料、娯楽費など、日常の生活費に使う「生活扶助」の基準でした。

    ーー生活扶助基準は、誰が定めるのですか?

    生活保護法の8条・9条では、次のように定められています。

    (基準及び程度の原則)

    第八条 保護は、厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。

    2 前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない。

    (必要即応の原則)

    第九条 保護は、要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行うものとする。

    適切な生活扶助基準を定めるのは、厚生労働大臣の責務です。

    論証不足を無理矢理補うため、国民感情等を考慮?

    ーー今回の訴訟で原告は、どのような主張をしたのでしょうか?

    厚労省は、一般世帯(生活保護を利用していない世帯)の消費支出の金額との均衡(バランス)で生活保護基準を決定する、という方式を採用しています。これを消費水準均衡方式と言います。

    2013年の基準改定は、①一般低所得世帯(一般世帯を所得順に10のグループに分けたうち、最も所得の低いグループ)の平均支出額をベースに、②前回基準決定後のデフレによる物価下落率を掛け合わせて決定されました。

    ①は「ゆがみ調整」、②は「デフレ調整」と言われています。

    原告らは、①ゆがみ調整については、そもそも、「一般世帯」とのバランスが問題なはずなのに、一般低所得世帯と比べるのは不合理だ、と主張しました。

    日本では、最低限度の生活ができておらず、本来なら生活保護を利用できるにもかかわらず、実際には生活保護を利用していない人がかなりいます。つまり、一般低所得世帯には、最低限度未満の生活をしている人(生活保護を受けられるのに、受けていない人)が多数含まれている。一般低所得世帯の消費支出を最低限度生活の基準としたのでは、〈最低限度の生活〉の内容は際限なく切り下げられることになるでしょう。

    ②デフレ調整はさらに問題です。消費支出は、物価に連動します。つまり、生活に必要な物はそう簡単には減りませんから、消費支出が下がったということは、物価が下落しているということです。

    消費支出の動向を基準に生活保護の金額を決定すれば、そこには物価の下落はすでに反映されているはず。一般世帯の消費支出の低下を反映して基準額を算定した後で、さらにデフレ調整を行うのは、物価下落の二重計上になります。

    さらに、物価下落の計算方式にも、多数怪しい点があると主張しました。

    ーー判決は、①ゆがみ調整と②デフレ調整をどう評価したのでしょう?

    名古屋地裁は、一般低所得世帯の消費支出は、主として、中間所得世帯の50~60%程度に達しているという理由を挙げて、①ゆがみ調整を妥当としています。

    また、②デフレ調整については、物価下落は、実質的な可処分所得の増加になるのだから、合理的な調整だとしています。

    ーーこの評価について、木村さんはどのように捉えますか?

    ①ゆがみ調整の根拠については、全く理由になってないでしょう。「中間所得世帯の50~60%」が、最低限度の生活を満たしているのか否かは、精密な検証をしないと分からないのに、それをした形跡はない。

    また、中間所得世帯の何%に達しているかは、世帯構成によってもバラバラです。さらに、中間所得世帯と比べるなら、一般低所得世帯の消費水準との比較を持ち出す必要はなく、端的に、「生活保護基準が中間所得世帯の60%に達しているかどうか」を検討すればよいはずです。

    判決の認定を前提にしても、国が、①ゆがみ調整で不合理なごまかしをしたのがわかります。

    ②デフレ調整についての論証も、全く不可解です。生活保護基準は、一般世帯の消費水準を基準に決定されてきました。ところが、国側は〈実質的可処分所得額評価方式〉とでも名付けるべきような基準を唐突に持ち出してきて、裁判所がそれを是認してしまった。基準決定方式を変えてしまっています。

    このように、今回の判決は、急所のところで論証不足です。

    国民感情等を考慮してもよいという判示は、この論証不足を無理矢理補うために置かれていると考えられます。

    ーー今回の判決は、国民感情と国の財政状況を踏まえた上で生活保護基準を引き下げることは容認されると読み取れるものだと考えています。法律ではなく、国民感情や国の財政状況によって判決が下されることをどのように捉えますか?

    人が、最低限度の生活をできているかどうかは、一部の人が抱く生活保護受給者への反感や、国の財政状況によって決まる事柄ではありません。

    裁判所には、国が、適切な資料・根拠に基づき、合理的な判断をしているかを監視する責任があります。

    控訴審では、生活保護は、「要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行う」という原則(生活保護法9条)をしっかり確認すべきでしょう。