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コロナ死亡者を減らすため社会はどこまでコストを払う?無視できない自殺者増加や経済損失。専門家が問題提起

ワクチン接種後の社会について「国民的議論」が求められる中、経済学の専門家は何を考えているのか。新型コロナに関連する様々な数理モデル分析を行っている東京大学准教授・仲田泰祐さんに聞いた。

政府の新型コロナ分科会はワクチン接種済みであることや検査結果などを使い、他の人に感染させるリスクが低いことを示す「ワクチン・検査パッケージ」など、今後の感染対策のあり方のたたき台を示し、「国民的な議論を求めたい」と呼びかけている。

経済の専門家の目線から見た場合に、今後の見通しはどのようなものになっているのか。

BuzzFeed Newsは経済学の専門家で新型コロナに関連する様々な数理モデル分析を行っている東京大学准教授・仲田泰祐さんに話を聞いた。

医療提供体制が現状のままでは、4回の緊急事態宣言が必要?

感染症の専門家で厚労省クラスター対策班メンバーでもある京都大学准教授・古瀬祐気さんは複数のシナリオ分析を実施。

ワクチン接種だけでは2019年以前の生活を取り戻すことは難しく、ワクチンの接種率次第では今後も強い感染対策が必要となるという見通しを示している。

一方、経済学の専門家の見立てはどのようなものなのだろうか。

仲田さんは8月31日、「ワクチン接種完了後の世界:コロナ感染と経済の長期見通し」と題した数理モデル分析の結果を発表している。

ここでは今後5年間の東京都におけるコロナ感染と経済活動の見通しを予測。

年末までに接種を希望する人の多くがワクチン接種を終えることを前提に、

(1)ワクチン接種率:基本シナリオでは人口の約75%が接種、希望シナリオでは人口の約85%が接種、悲観シナリオでは人口の約75%が接種

(2)ワクチンの感染予防効果:基本シナリオでは2回目の接種後に81.5%、希望シナリオでは2回目の接種後に81.5%、悲観シナリオでは2回目の接種後に70%

(3)ウイルスの基本再生産数(1人の感染者が免疫を持たず、対策をしていない集団に加わった場合に直接感染させる人数):4もしくは5

(4)医療提供体制のキャパシティ:現状維持、現在の2倍、現在の3倍の3パターン

(5)将来の緊急事態宣言に関する仮定:医療提供体制が現状維持のケースでは約7000人、2倍のケースでは約12000人で、3倍のケースでは約19000人で宣言発令 / 新規感染者数が1000人を下回った時点で宣言解除

5つの要素を設定し、今後の見通しを分析した。

デルタ株の基本再生産数は5〜9の間であると推定されている。仮に、基本再生産数を5と置いた場合の結果はどのようなものか。

基本シナリオ(人口の約75%がワクチンを接種し、感染予防効果は81.5%)では、医療提供体制が現状のままでは、4回の緊急事態宣言が必要となる。その際の経済損失は約10兆円、累計の死者数は約9000人だ。

仮に医療提供体制が2倍に拡充された場合には、緊急事態宣言の回数は2回に半減。経済損失は約7兆円。累計の死者数は約9100人に。

医療提供体制が3倍に拡充された場合は、緊急事態宣言の回数は1回、経済損失は約5兆円、累計の死者数は約10000人となる。

この基本シナリオでは医療提供体制の拡充によって緊急事態宣言の発出回数が減少し、経済損失が減少するという傾向が浮かび上がる。

もしも、ワクチン接種率が人口全体の85%まで高まればどうか。

同じくウイルスの基本再生産数が5と仮定すると、医療提供体制が現状維持の場合は、緊急事態宣言の回数は1回、経済損失は約5兆円、累計死者数は約6300人に。

医療提供体制が2倍となれば、緊急事態宣言は1回、経済損失は約5兆円、累計死者数は約5400人。

3倍となれば、緊急事態宣言は1回、経済損失は約5兆円、累計死者数は約5900人となる。

希望シナリオではワクチン接種率の向上が、医療提供体制の拡充以上に累計の死亡者数を減らす傾向が見えてきた。

ワクチン接種で減るのは死亡者だけではない

この数理モデル分析を実施した仲田さんはBuzzFeed Newsの取材に対し、「新型コロナに関する見通しは短期的にも不確実で、長期的な見通しとなるとさらに不確実性が増す。実際にどうなるかはわからないが、様々な可能性を踏まえて政策を決めていく必要がある」と語る。

不確実性が高くとも、どのような未来を目指したいのか、そのためには何をすべきかを議論する上での参考材料としてもらうために、今回の結果を公表したとした。

今回の数理モデル分析で見えたことは3つだ。

まず第一に、ワクチン接種率の上昇は、経済損失も減少させる。第二に、ワクチン接種率が上昇すれば、累計死亡者数も減る。そして第三に、医療提供体制の拡充が緊急事態宣言発出の回数を減らすためには重要だ。

仲田さんも「ワクチン接種率の上昇は死亡者を減少させるためだけでなく、社会経済活動にとってもプラスとなる」と強調した。

緊急事態宣言の目的も今後は変化?

ワクチン接種が開始する前までは、緊急事態宣言で感染を抑制することには、ワクチン到来までの時間を稼ぎ、累計の死亡者数および経済損失を減らすという効果があった。

しかし、ワクチン接種が希望者に行き渡った後は、「これまでのロジックは必ずしも当てはまらない」と仲田さんは言う。

「ワクチン接種開始前は、感染拡大の波を遅らせることでワクチン到来までの時間を稼ぎ、重症化・死亡のリスクを下げることが期待されていました。しかしながら、当たり前ですが『ワクチン到来までの時間を稼ぐ』というベネフィットは接種完了後の世界では存在しません」

「画期的な治療薬開発までの時間を稼ぐ、医療体制強化までの時間を稼ぐ、3回目接種までの時間を稼ぐ、といったベネフィットは存在し得ます。しかしながら、そういったベネフィットがある程度大きくないのならば、今後の緊急事態宣言は、感染の波を先送りにするけれど累計死亡者数を大幅に減少させる効果は期待できないと言えます。その一方で緊急事態宣言の社会・経済への負の影響はこれまでと変わりません」

ワクチンを接種しないリスクは高く、ワクチン接種によって重症化や死亡を高い確率で防ぐことは間違いない。

しかし、集団免疫の成立は困難となる中では、ワクチン未接種者や一部の接種者の間で感染が引き続き起きることが予想される。

鍵は「医療提供体制」に。実現可能性の模索のため実態把握を

では、累計死亡者数を増やすことなく、社会・経済活動を正常化させていくためには何が必要か。鍵を握るのは、医療提供体制だ。

「我々の分析から見えてくるのは医療提供体制のキャパシティが拡充されればされるほど、累計死亡者数を大きく増やすことなく、緊急事態宣言の回数を減らし、社会経済活動を再開していくことが可能になるということです」

「コロナ医療キャパシティの拡大という時に、重要なポイントの一つは、未来永劫拡大するのではなく、一時的な拡大・必要なときの拡大でよいという点です。緊急事態宣言による社会・経済活動の制限というコストの大きさを考えると、コロナ医療提供体制を一時的に大幅に拡大する可能性を模索する価値は十分にあると考えます」

医療提供体制強化に向けた議論のためには、現在どの程度のコロナ病床が稼働し、どの程度のコロナ病床がどのような理由から稼働していないのか等を丁寧に分析する必要がある。

しかし、「そのために必要なデータが十分にない」「実態が掴めない」と仲田さんは言う。

「データを集め、実態を調査したら、これ以上、医療提供体制の受け入れ態勢を大幅に拡充することは無理だという結論に至る可能性もあります。コロナ対応は通常医療にも影響をきたし、そちらを長期間制限することは難しいといった事情もあるかもしれません」

「でも、そうした実態を掴むためのデータが不足しています。医療の現場からは、まだ出来ることがあるという声もあれば、すでに限界であるという声もあります。何を根拠に今後の医療体制を決めれば良いのか、見えない状況です」

検討すべきは「感染症のリスク評価」だけではない

今回の数理モデル分析の累計死亡者数は、あくまで新型コロナに感染したことによる死亡者数であることに注意が必要だ。

コロナ対応によって通常医療が制限されることによる影響や、度重なる緊急事態宣言などで社会経済活動が停滞することによる自殺者数増加などの可能性は考慮されていない。

仲田さんは、今年7月から毎月、コロナ禍の自殺者への影響を分析。最新の分析では、新型コロナによる経済危機などで増加した自殺者数(追加的自殺)によって失われた余命年数は「コロナ感染によって失われた余命年数と同じ、もしくはやや多い」との結果を示した。

なお、コロナ危機による追加的自殺者には若い世代が多く、コロナ感染による死亡者は高齢者が多い。

「まだ完成はしていませんが、現在は、世界各国の累計死亡者数と経済損失のデータを分析しています。それぞれの国、地域で累計死者数と経済損失に大きな違いがあって、そういった違いは様々な要因によるのですが、数理モデルと経済学の考え方をうまく組み合わせると、それぞれの国、地域における命に対する価値観の違いが見えてきます」

「日本では、コロナによる死亡者を1人減らすために社会全体で約20億円を払いたい、という価値観であるという結果が得られました。この20億円という数字は様々な社会経済活動を停止させることによる経済的な損失の平均値です。都市部以外では、コロナの死者数を最小化するために、社会経済活動をかなり制限している地域もあります。いくつかの県では、コロナ死者数を一人減少させるために100億円以上の犠牲を払いたいという価値観である、という結果が得られました」

「コロナの死亡者を減らすために社会はどれだけのコストを掛けたいのかをこのように可視化すると、命とお金を比べるべきではないという批判もあるかもしれません。ですが、この20億円、100億円といった数字は多くの人々の生活が詰まった数字です。『お金』ではなく、先ほど申し上げた自殺者の増加のようなコロナ危機の社会・経済・文化への負の影響を要約した数字として受け止めてもらえればと思います。また、現在コロナ危機によって生活が困難な状況にある人々の苦難をどのくらい和らげることが出来るかを表す数字、と捉えることも出来ます」

「ひとつの正解があるわけありませんが、コロナ死者数を減少させるためにどのくらいの犠牲を払いたいか、どのくらいのコロナ死者数を許容するか、という議論をすることは、今後のコロナ対策を考えていく上で本質的であると考えています」

感染者数や重症者数のデータは毎日更新される。目に見えてわかりやすい感染症のリスクばかりに目が向きがちだが、その他の社会全体への影響にも目を配る必要があると仲田さんは強調する。

私たちはどのような社会を生きたいのか、どのような生活を送りたいのか、数字の先にあるものを見据えた上で一人ひとりが考え、「国民的議論」をすることが求められている。

「コロナ危機は公衆衛生の危機だけではなく、社会経済の危機であると考えています。コロナ危機は、多くの人々に多様な形で影響を与えています。公衆衛生と社会経済の両方の側面を考えつつ、社会が目指す方向性を決めることが、より多くの人が納得して前に進むためには不可欠だと考えています」

「コロナ危機におけるリスク評価、という言葉を聞くと、多くの人は感染のリスク評価を思い浮かべると思います。しかし、社会的・経済的な負の影響というリスク評価も感染のリスク評価と同じくらい重要です。コロナによる自殺者増加だけでなく、教育面での負の影響、格差・貧困の拡大というリスク、運動不足による長期的な健康リスク、文化活動停滞のリスク、様々なリスク評価をした上でどんな社会を目指すのかを議論する必要があるのではないでしょうか」