厚労省のクラスター対策班のメンバーで京都大学准教授の古瀬祐気さんがまとめた、この夏のシナリオ分析。
複数のシナリオを用意した上で、変異ウイルスの影響が小さく、人の流れがこれ以上増加せず、五輪の影響がなかったとしても7月中に1日の新規感染者数は1000人を超えると予測している。
そこには緊急事態宣言を出さずに、感染拡大を防ぐシナリオは用意されていない。
「これは僕から皆さんへの挑戦状です」
専門家がシナリオ分析に込めた願いとは。
【前編】五輪開催で感染爆発の可能性は?4度目の緊急事態宣言に効果はあるの?専門家の分析は…
医療提供体制の負荷を減らすのは、感染者数1000人での緊急事態宣言
ーー今回のシナリオ分析は、ワクチン接種による影響も踏まえた数字となっています。ワクチン接種は進んでいますが、感染拡大を劇的に食い止めるような影響はまだまだ期待できないと考えていいのでしょうか?
7月、8月の時点では、重症者数を減らす効果を発揮することはたしかですが、まだまだ感染拡大が抑えられるレベルには達しません。
ーー感染者数が増えれば、遅れて重症者数も増えてくるのでしょうか?
はい、高齢者へのワクチン接種が進みつつあるとはいえ、楽観視はできない状況です。
先ほどお伝えした通り、感染状況はかけ算です。
以前よりは重症化率が下がることも事実ですが、感染の波が大きければ大きいほど、感染する人の数も、入院を要する人の数も、重症化する人の数も増えます。
今回のシナリオ分析では、デルタ株の影響や五輪の影響、人流増加の幅がたとえ大きくとも1日に報告される感染者数が1000人に達した段階で緊急事態宣言を出せば、医療提供体制はそこまで逼迫しないという結果が出ています。
なお、1日の感染者数が2000人に達するまで様子見をしたとしても、病床は溢れないであろうということも見えてきていますが、強い対策を講じるタイミングが遅くなればなるほど医療提供体制への負荷は高まります。
ーーシナリオ分析の前提を確認すると、緊急事態宣言に関しては感染者数が1000人もしくは2000人を超えた時点で緊急事態宣言よりも前にアナウンス効果で実効再生産数(一人の感染者が何人に感染させるのかを示す値)が20%低下すると仮定しています。これは、緊急事態宣言の発出が遅れ、先にアナウンス効果によって感染の波が抑えられることを想定しているのでしょうか?
いえ、今回のシナリオ分析を行う上ではそのような緊急事態宣言発出の遅れは想定していません。
現実問題として、そのような事態が起きる可能性はあると専門家の間で議論はしていますが、今回のシナリオ分析ではそのような要素は加味していません。
ーーシナリオ分析をする中で見えた最悪のシナリオはどのようなものですか?
最悪のシナリオは第4波の大阪のような状況です。
入院が必要であるにもかかわらず入院できない人が増え、人工呼吸器の装着が必要であるにもかかわらず装着できない人が出てしまう。
感染状況次第では、そのようなことが東京でも起きます。
今回のシナリオ分析は「わざと悪いシナリオを見せ、恐怖心を与えることで危機意識を高めてもらおう」といった意図から行ったわけではなく、フラットな視点から実施しています。しかし、感染症の専門家として言えることは、感染状況が悪化した場合には早めに対策を講じることで、そのダメージを最小限にすることができるということです。
ワクチン接種も十分には広がっていない状況では、重点措置や緊急事態宣言といった対策を何も講じなければ、感染が拡大の波が押し寄せることは必至です。
私たちの我慢はいつまで続く?
ーーワクチン接種が進む今、私たちはいつまで我慢すれば良いのでしょうか?夏を何とか乗り越えれば、希望の光は見えてきますか?
おそらく今年中に集団免疫を獲得し、コロナ以前のような生活を取り戻すということは難しいと思います。
実効再生産数ベースで、今後の見通しを考えてみましょう。実効再生産数は1を超えると、感染者数が増加傾向へ転じます。
(1)実効再生産数が2の場合
たとえば実効再生産数が2の場合、これは2020年の年末年始の東京・大阪のような状況です。みんなマスクをしているし、例年よりは忘年会も少なかった。
単純計算ではありますが、国民の50%がワクチンを接種していれば、実効再生産数は「実効再生産数(2)×ワクチンを接種していない人の割合(0.5)=1」となる。
よって、国民の半数がワクチンを接種すれば、2020年の年末年始のような生活を送っても感染拡大は起きないと考えられます。
(2)実効再生産数が1.3の場合
実効再生産数が1.3の場合、これは2021年の3月末から4月頃の状況です。
国民の25%がワクチンを接種していれば、「実効再生産数(1.3)×ワクチンを接種していない人の割合(0.75)=0.97」となります。つまり、国民の4分の1がワクチン接種をすれば2021年春のような生活を送っても感染拡大は起きません。
今後の見通しを考える上では、こうした仮定を踏まえるのが良いでしょう。
現実的には今年中に2019年のような生活を取り戻すことは難しそうです。
でも、2020年冬のように飲み会は少人数かつ頻度が少なけば問題ない、という生活を取り戻すことができる可能性はあると思います。
ただし、こうした仮定を計算する上で注意しなければいけないのは変異ウイルスの影響です。変異によって新型コロナウイルスは感染性が増していますし、ワクチンの効果が減弱してしまう可能性もあります。
そうした変異による影響は上の計算式では加味されていないことに注意が必要です。
シナリオ分析は、専門家から市民への「挑戦状」
ーー今後の感染拡大を防ぐために、何がポイントとなるのでしょうか?
基本的なことの繰り返しとなってしまいますが、私たち一人ひとりの行動次第で今後の感染状況は変化します。
この感染症の拡大は自分と関係のないところで起きていると感じる人もいるかもしれませんが、そうではありません。
一人ひとりが少しだけ行動を変えることで、感染状況は劇的に変わります。
ーー今回のような予測は「プロジェクション」と呼ばれ、様々な仮定に基づき今後の予測を提供するものです。しかし、「予測が当たった」「外れた」といった批判も少なくありません。こうした予測に、私たちはどのように向き合うべきなのでしょうか?
私はこうした予測を「シナリオ分析」と呼ぶようにしています。言葉の通り、現実を分析しているのではなく、それぞれのシナリオを分析しているからです。
こうなった場合には感染状況はこうなります、というパターンを示しているだけなので、その前提が変化すれば当然結果も変わります。
こうした予測に向き合う上では、当たり/外れに注目するのではなく、それぞれのパターンの中でも「1日あたりの感染者数が1000人以下の段階で緊急事態宣言を出せば、医療提供体制への負荷は下げられる」といった最大公約数を見出すことが重要です。
その上で一つひとつのシナリオを確認し、どんな将来が望ましいのかを考え、自分たちでこれからのシナリオを選択できるのだということを意識してほしいと思っています。
さらに踏み込んで言えば、今回の僕のシナリオ分析では「緊急事態宣言が発出されていないが、人流が減る」というシナリオを想定していません。
これは裏を返せば、僕は緊急事態宣言が出ない限り、人々の行動は変わらないだろうと考えているということです。
これは、僕から皆さん一人ひとりへの挑戦状です。
偉そうな言い方になってしまいますが、皆さんには緊急事態宣言が出なくとも人流は減らせる、感染者数が増えてくればしっかりと行動は変えると、僕ら専門家に見せ付けてほしい。
僕らのシナリオ分析の前提を良い意味で崩してほしいと願っています。