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あの日広島で電車を運転していたのは少女たちだった ドラマ化の名作漫画が公開

75年前に原爆が投下された広島で、路面電車の運転台に座っていたのは、10代の少女たちだった。知られざる事実を描いたノンフィクション漫画が公開されている。

75年前に原爆が投下された広島。今も昔も路面電車が交通の主役の街だ。

市内で当時、路面電車を運転していたのは、大人の運転手だけでない。多くの10代の少女らが、運転手や車掌などとして働いていたという事実がある。

広島県が平和情報を発信する「国際平和拠点ひろしま」で、電車を運転していた少女らの姿を描いたノンフィクション漫画「原爆に遭った少女の話」が公開されている。運転手だった女性の孫が描いた。

祖母の話をもとにしたノンフィクション

この漫画を描いたのは「さすらいのカナブン」さん。自らの祖母、児玉豊子さんに被爆体験を聞き取り、漫画化した。すべてが、事実に基づいている。

さすらいのカナブンさんは、小学生のころ「近所の被爆者の人から体験を聞く」という宿題が出た。

広島では、平和学習の一環として、こうした課題が出ることがある。近所のおじいさんに話を聞いていたところ、祖母の豊子さんが「わしも原爆におうたんで」と語り始めたという。しかも、広島市内で路面電車を運転していたという。

広島県北部の農村地帯で暮らしていた祖母が被爆していたことも、かつて広島市中心部で路面電車を運転していたことも知らなかった。

さすらいのカナブンさんはその話をメモに取り、文章にまとめた。

「わしが見たものを描いてくれ」

絵が好きなさすらいのカナブンさんは、豊子さんから「わしが御幸橋の上でみた被爆者の姿を描いてくれ」と頼まれたこともあり、漫画にする構想を練りはじめた。

BuzzFeed Newsの取材に「被爆者が描いた『原爆の絵』がありますが、祖母の体験も残しておきたいと思いました。でも、一枚の絵では『原爆の絵ね、はいはい』と一見で終わってしまいそうで、より情報を多く伝えられるのは漫画だろうと思い、漫画で描くことにしました」と振り返る。

時間をかけて構想を練り、さまざまな資料を集め、2013年に『原爆に遭った少女』を完成させた。

戦時中の交通を支えた少女たち

広島市内には戦時中、広島電鉄家政女学校という、全寮制の実業学校があった。

路面電車の運転手や車掌が次々と軍に召集されて足りなくなったため、代わりを県北部や近隣の島根県などから若い女性を集めて育成し、補おうとしたのだ。

豊子さんはこの家政女学校に1943年、当時15歳で入学した。やがて授業はなくなり、路面電車を運転し続ける日々となった。

「原爆に遭った少女の話」は、この学校に入学した豊子さんとクラスメートたちの姿を描く。

原爆が投下された8月6日も、豊子さんは市内を運転中だった。御幸橋という橋を越えたあたりで、すさまじい閃光と衝撃が襲った。

なんとか生き延び、炎の中を逃れ、傷ついた人々の救護にあたった。

広島では、被爆からわずか3日後の8月9日、一部区間で路面電車が奇跡的に復旧した。
豊子さんも乗務に復帰した。戦後、「被爆後も広島から逃げ出さずに運転し続けたことは、一生の誇り」と語っている。

しかし、負傷や放射線障害などで、多くの被爆者だけでなくクラスメートも次々と倒れ、遺体をかついで火葬する日々を送った。やがて、豊子さんも体調を崩し、倒れる。

そして原爆投下と終戦のどさくさのなか、少女たちの夢を集めていた学校は、卒業式もないまま解散し、姿を消したーー。

大きな反響。ドラマ化も

作品は自らのホームページpixivのほか、集英社のジャンプ・ルーキーなどで掲載された。さらにAmazon kindleでも公開した。

柔らかい絵柄と事実に基づいたストーリーは高い評価を得て、被爆70年の2015年にはNHKが「一番電車が走った」のタイトルでドラマ化。黒島結菜と阿部寛が主演した。

この作品が、被爆75年にあわせ、改めて広島県のHPで7月から公開された。

さすらいのカナブンさんのもとには、読んだ人々から多くの反響が寄せられている。その一部を抜粋してご紹介する。

「当時の凄惨な状況を知り涙が出ました。 戦時中の女学生も現在の自分達と同様に、様々な事を感じたり、悩んだりしていたことは、文献などでは読み取れない貴重な話だと感じました。 これは、漫画だからこそ出来る表現ではないかと思います」

「実は、私の祖母も戦時中に女学生でした。私は、幼い頃から戦時中の話を興味津々で聞いており、大きくなるにつれ、その一つ一つが忘れてはいけない大事な話だと感じるようになっていきました。祖母は数年前に亡くなりました。 後書きでさすらいのカナブンさんが『祖母が生きているうちに完成してよかった』と書かれていた気持ちも、その重要性も痛いほどよく分かります」

「近頃は残念ながら戦争について”どっちが正しいのか”という議論ばかりがなされているような気がしますが、本当に大事なことは「二度と戦争をひきおこしてはならない」ということだと私は思っています。この漫画ではそのことが大切に、丁寧に描かれていましたので、一人でも多くの人に読んでもらいたいなと思いました」 

「無我夢中で読み続け、最後のページを開いたとき初めて息をつくことができました。よかった。主人公は幸せを掴むことができたんだーそう安心すると同時に、この物語がフィクションなどではなく、実在する人間の、実在する世界の話であったことを思い出しなんとも言えない気持ちに襲われました」

若い世代に届けたい

さすらいのカナブンさんは、この漫画を小学生〜高校生の世代に届けたいと思っている。

「 これから大人になる次の世代の子供たちが、18歳となり選挙権を持ち、自らの判断で投票するときに、かつての戦争について知っているかいないかは大変重要です」

そして、こう語る。

「被爆者の『再び戦争を起こさないでほしい』『こんな思いは自分たちで終わりにしてほしい』という願い。漫画を読んでいただき、戦争とはこういうことなのか、何が起こるのかとまずは知って、それから考えてほしいのです。自分一人の思考だけでなく、できたら周りの人と意見を交換しあって」


広島では、原爆を生き延びた「650形」と呼ばれる車両が、修復されて今も使われている。豊子さんら、当時の電鉄家政女学校の生徒らも乗務していた。

この「被爆電車」の特別運行が8月6日と9日に行われる。電車は6日午後1時に出発し、ライブ中継される。