【全文つき】「被爆地出身」岸田首相の長崎原爆の日のあいさつは、ほぼコピペだった

    被爆地出身をアピールする岸田首相。しかし長崎原爆の日でのあいさつの内容は広島でのものと酷似しており、核兵器禁止条約への参加を求める被爆者の言葉にも無回答だった。

    長崎原爆の日の8月9日、平和記念式典で岸田文雄首相があいさつした。その内容は、6日に広島で読み上げたものと「コピペ」と言えるほど似通っており、前年に菅義偉前首相が読んだあいさつ文とも、ほぼ同じ構成だった。

    広島と長崎での首相のあいさつは、菅義偉氏や安倍晋三氏の時代、「中身がコピペ」という批判があった。衆院広島1区選出の岸田氏は「被爆地出身」をしばしばアピールしてきた。

    しかし、あいさつの内容は新味に乏しいうえ、広島と長崎でほとんど同じという面でも、「前例踏襲」だった。

    地名以外はほぼ同じ

    岸田首相は長崎でのあいさつを、こう切り出した。

    「77年前の今日、一発の原子爆弾が長崎の街を一瞬にして破壊しつくし、7万とも言われる人々の命を、未来を、そして、人生を奪いました。全てが焼き尽くされ、街でも川でも、数限りない人々が倒れました。惨状の中で何とか一命をとりとめた方々も長く健康被害に苦しまれてきました」

    広島での語り出しは、こうだった。

    「本日、広島は、被爆から77年となる朝を迎えました。真夏の太陽が照りつける暑い朝、一発の原子爆弾が広島の街を一瞬にして破壊し尽くし、十数万とも言われる人々の命を、未来を、そして人生を奪いました。川では数多の人が倒れ、街中には水を求めてさまよう人々の姿。そうした惨状の中でなんとか一命をとりとめた方々も長く健康被害に苦しまれてきました」

    文言の主要部分は同じだ。

    あいさつ全体の構成も、

    ・あの日の惨状の描写から、犠牲者を追悼する言葉

    ・惨禍を繰り返してはならないという総理としての誓い

    ・非核三原則と核不拡散条約(NPT)堅持の表明

    ・被爆の実相の理解を促すべく努力

    ・被爆者援護の姿勢を示し、結語

    という流れで、同じだった。

    これは2021年の菅義偉氏、さらに2020年の安倍晋三氏のあいさつ文とも共通した構成だ。

    首相は被爆地の願いにどう向き合ったのか

    岸田首相のあいさつに先立った平和宣言で、長崎市の田上富久市長は「唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約を批准し、核兵器のない世界の原動力となることを求めます」と語り、首相に対して核兵器禁止条約への参加を求めた。

    核兵器の開発、実験、製造、保有、使用、威嚇などの一切を禁じる条約で、2021年1月に発効した。

    条約は前文で「核兵器の被害者(被爆者=英語の原文でもHibakusha)が受けた容認しがたい苦しみ」に触れたうえで、「核兵器廃絶のため被爆者が行ってきた努力を認識する」と、何度も被爆者の苦しみと核廃絶の願いに触れている。

    長崎・広島両市は日本の参加を強く求めてきた。

    しかし日本政府は、「米軍の核の傘の下にいる」などとして条約に背を向けてきた。

    被爆者代表の宮田隆さん(82)も、こう訴えた。

    「特に、被爆地選出の岸田首相の被爆者の心に響く大胆な行動に期待します」

    「日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください。昨年発効した核兵器禁止条約は、被爆者と人類の宝です」

    岸田首相の答えは

    岸田首相はあいさつで、核兵器禁止条約について触れなかった。岸田氏は8月6日に広島の被爆者代表らとの面会でも、核禁条約参加に否定的な考えを示している。

    岸田首相は一方で、「日本の首相として初めて会議に参加した」とアピールしたNPT体制を堅持する姿勢を示した。

    NPTは「米ロ英仏中以外には核兵器を持たせない」とする条約で、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則とともに、日本の国是となってきた。

    しかし岸田氏は、NPTを拒否して核兵器を開発したインドに対し、日本が原子力協定を結んで核開発を支援する姿勢を示している矛盾には、長崎のあいさつでも触れなかった。

    インドとの原子力協定締結に外相として関わったのは、岸田氏だった。

    岸田首相の長崎でのあいさつ

    77年前の今日、一発の原子爆弾が長崎の街を一瞬にして破壊しつくし、7万とも言われる人々の命を、未来を、そして、人生を奪いました。全てが焼き尽くされ、街でも川でも、数限りない人々が倒れました。惨状の中で何とか一命をとりとめた方々も、長く健康被害に苦しまれてきました。内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠をささげますとともに、今なお後遺症に苦しむ方々に対し、心からのお見舞いを申し上げます。

    77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは唯一の戦争被爆国である我が国の責務であり、総理大臣としての私の誓いです。核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、核兵器のない世界への機運が後退していると言われている今こそ、私は核兵器使用の惨禍を繰り返してはならないと訴え続けてまいります。

    我が国は、いかに細く、険しく、難しかろうとも、核兵器のない世界への道のりを歩んでまいります。このため、非核三原則を堅持しつつ、厳しい安全保障環境という「現実」を核兵器のない世界という「理想」に結びつける努力を行ってまいります。

    そうした歩みの基礎となるのは、核兵器不拡散条約(NPT)です。その運用検討会議が、まさに今、ニューヨークで行われています。私は先日、日本の総理大臣として初めてこの会議に参加をし、50年余りにわたり、世界の平和と安全を支えてきたNPTを、国際社会が結束して維持強化していくべきである旨、訴えてまいりました。

    厳しい安全保障環境の中にあっても、核使用の歴史を継続し、長崎を最後の被爆地とし続けなければなりません。透明性の確保、核兵器の削減の継続、核不拡散も変わらず重要な取り組みです。

    また、核兵器のない世界の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて、核兵器使用の惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。我が国は、被爆者の方々をはじめ、核兵器のない世界を願う多くの方々と共に、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

    被爆者の方々には保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受けとめ、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも総合的な援護政策を推進してまいります。

    結びに、市民の皆様のたゆみないご努力により、国際文化都市として見事に発展を遂げられたここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様並びに参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

    (テレビ中継より聞き取り)

    広島でのあいさつ

    本日、広島は、被爆から77年となる朝を迎えました。真夏の太陽が照りつける暑い朝、一発の原子爆弾が広島の街を一瞬にして破壊し尽くし、十数万とも言われる人々の命を、未来を、そして人生を奪いました。川では数多の人が斃れ、街中には水を求めてさまよう人々の姿。そうした惨状の中でなんとか一命をとりとめた方々も長く健康被害に苦しまれてきました。内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げますとともに、今なお、後遺症に苦しむ方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。

    77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務であり、被爆地広島出身の総理大臣としての私の誓いです。核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から、私は、「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と、声を大にして、世界の人々に訴えます。

    我が国は、いかに細く、険しく、難しかろうとも、「核兵器のない世界」への道のりを歩んでまいります。このため、非核三原則を堅持しつつ、「厳しい安全保障環境」という「現実」を「核兵器のない世界」という「理想」に結び付ける努力を行ってまいります。

    そうした努力の基礎となるのは核兵器不拡散条約(NPT)です。その運用検討会議が正に今、ニューヨークで行われています。私は、先日、日本の総理大臣として初めてこの会議に参加し、50年余りにわたり世界の平和と安全を支えてきたNPTを国際社会が結束して維持・強化していくべきである旨訴えてまいりました。

    来年は、この広島の地で、G7サミットを開催します。核兵器使用の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓いを世界に示し、G7首脳と共に、平和のモニュメントの前で、平和と国際秩序、そして自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的な価値観を守るために結束していくことを確認したいと考えています。

    「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍を語り伝え、記憶を継承する取組です。我が国は、被爆者の方々を始め、「核兵器のない世界」を願う多くの方々と共に、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

    被爆者の方々には、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

    結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々の御冥福と、御遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様の御平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

    (首相官邸HPより)

    菅義偉前首相の2021年の長崎でのあいさつ

    本日ここに、被爆76周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

    世界は今も新型コロナウイルス感染症という試練に直面し、この試練に打ち勝つための奮闘が続いております。我が国においても、全国的な感染拡大が続いておりますが、何としても、この感染症を克服し、一日も早く安心とにぎわいのある日常を取り戻せるよう、全力を尽くしてまいります。

    今から76年前の今日、原子爆弾によって一瞬にして焦土と化しましたが、市民の皆様の並々ならぬ御努力により、長崎は焦土から立ち上がり、平和と文化を象徴する国際文化都市として、めざましい復興を遂げられました。この地が美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。

    長崎及び広島への原爆投下から75年を迎えた昨年、私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、「ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします。」と世界に発信しました。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩ずつ、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。

     現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。核兵器不拡散条約(NPT)は、核兵器国及び非核兵器国を含む191の国と地域が参加する国際的な核軍縮・不拡散体制の基礎となるものです。日本政府としては、次回NPT運用検討会議において意義ある成果を収めるべく、核軍縮に関する「賢人会議」の議論等の成果も活かして、各国が共に取り組むことのできる具体的措置を見出す努力を、引き続き粘り強く続けてまいります。

    被爆者の高齢化が進む中、被爆の実相を世代と国境を越えて広めていく重要性はますます高まっております。我が国は、被爆者の方々とも協力しながら、核兵器使用の惨禍に関する記憶を受け継いでいく取組を継続していく決意であります。被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。特に、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うよう努めてまいります。

    結びに、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々の御冥福と、御遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の御平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

    (首相官邸HPより)