イランで反政府デモが再燃している。
きっかけは首都テヘランで起きたウクライナ航空機に対するミサイル誤射事件だ。この誤射で乗員乗客176人が全員死亡し、うち82人はイラン人、つまり自国民だった。
イラン政府が当初、誤射を認めず、「航空機は技術的な問題で墜落した」という立場を取ったことに対し、「政府がウソをついて国民の死を隠蔽した」という批判が高まっているのだ。
イランがウクライナ機の誤射を認めたのは事故から3日後の1月11日。イランが導入しているロシア製対空ミサイルの破片などが現場で見つかったことや、米軍のミサイル発射監視網からの情報などから、もはやこれ以上の隠蔽は不可能と判断したとみられる。
デモが始まったのは1月11日。テヘランの大学前で開かれた犠牲者の追悼集会が、そのまま反政府デモに発展した。政府の対応だけでなく、最高指導者ハメネイ師を批判する声も上がったという。デモは3日連続で発生し、警官隊がデモ参加者らに実弾を発砲したとの情報もある。イラン政府は発砲を否定している。
さらに、2016年のリオ五輪でテコンドー(女子57キロ級)で銅メダルを獲得したキミヤ・アリザデ選手が1月11日、インスタグラムで亡命する意向を表明した。滞在先のオランダに留まるとみられている。
「私は英雄ではなく、抑圧された女性の一人だ。私は体制の道具に過ぎなかった」などと書き込み、女性の権利を抑圧するイランの体制を批判した。
イランが英国の大使を一時拘束
デモを巡り、外交面でのつばぜり合いも起きた。イラン治安当局は、大学前の追悼集会に参列していた英国のマケリー・駐イラン大使を一時拘束した。現場の治安当局者が、大使がデモを煽ったという見方をしたとみられる。
英国政府は「大使は追悼集会の参列者が反政府スローガンを叫び始める前にその場を離れた」として「外交官の拘束は国際法違反」と批判した。
これにイランの国営メディアが「学生団体が英国外交団の追放を求める」「議員団も英国外交団の追放を求める」といった記事を相次いで配信し、相互の非難合戦となっている。
昨年から続いていた反政府デモが再燃
イラン政府が批判やデモに神経をとがらせるのは、昨年秋に激化した反政府デモの再燃を恐れているからだ。
イランでは2019年10月、政府がガソリンの値上げを発表したことから値上げ反対デモが始まり、国内各地に飛び火。デモ隊は次第に政府のあり方そのものを批判するようになった。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは12月16日、一連のデモ弾圧で少なくとも304人が治安部隊の発砲などで死亡し、大勢の市民が拘束されて拷問の危機にある、と発表している。
この状況に、イラン政府は11月に一時、インターネットを遮断して、デモの情報が国外に流出するのを防ごうとした。
最高指導者ハメネイ師は国営テレビで「破壊行為や放火はわが国民ではなく、反革命者とイランの敵の仕業だ」と演説し、デモを批判する強硬姿勢を取った。
ハメネイ師は1月1日、「人々は経済的要求を持っている。そのほとんどは正しいものだ。しかし11月に起きたのは、人々を誘惑する手先を敵が準備していたということであり、国に害をなそうとした」と改めてツイート。デモを「外敵の仕業」とし、沈静化を求めていた。
中東では比較的「民主的」なイラン
イランでは2009年にも、改革派のムサビ氏と保守強硬派の現職アフマディネジャド氏との争いとなった大統領選挙で、アフマディネジャド氏の再選に「選挙に不正があった」とするムサビ氏支持の若者らが抗議デモを始めた。
この時、イランでは絶対的なタブーとされる最高指導者ハメネイ師批判のスローガンも叫ばれたことから、治安部隊が強硬な弾圧策を取る騒ぎが起きた。
なぜ、こうしたデモが起きるのか。イランは実は、中東では比較的、「民主的」とされる社会だ。もちろん日本や欧米とは比べるべくもないが、少なくとも大統領や国会議員を、国民が選挙で選ぶことができる。
立候補には政府の審査を受ける必要があり、言論の自由にも制約があるとはいえ、選挙が機能している分、中東の多くの国よりも国民が意思を表示するチャンスがある。
これに対し、サウジアラビアはサウド王家による支配が続き、国民が指導者を選ぶことはできない。国会議員選挙も存在しない。
シリアには大統領選挙があるが、実態は「信任投票」だ。2011年の市民デモ「アラブの春」で一時は自由選挙が行われたエジプトも、2013年のクーデター以降は軍部出身の大統領による強権支配に戻り、エジプト最大の野党勢力だった「ムスリム同胞団」は非合法化された。
一方でイラン政府は、こうしたデモの背景に「外国の介入」を常に疑っている。それが、ハメネイ師のデモ批判や、治安当局による英国大使の拘束などにつながっている。
米国のトランプ大統領は英語とペルシャ語で「イランの指導者よ、抗議する人々を殺すな」「世界と米国は見ているぞ」とツイートし、事態に「口先介入」している。
イラン政府側の意図は裏目に
1月12日に会見した革命防衛隊の航空部隊を統括するハジザデ司令官は、墜落から間もなく連絡を受け、ウクライナ機を「敵」と間違えてミサイルを誤射した可能性を知ったと明かした。
「私たちに隠蔽の意図はなかった。軍司令部と慎重な検討を重ね、原因を究明するのに時間が掛かった。大変申し訳ない。何が起きたかを確認し、私は死にたい気持ちになった」と語った。
イランの軍部が、自らのミスを公に認めることは珍しい。今回の事件では多くの自国民も犠牲になったことから、こうした釈明と謝罪をしたとみられる。
イラン政府と革命防衛隊は昨年秋からの反政府デモの動きを沈静化しようとしていた。1月3日に起きた米軍による革命防衛隊のソレイマニ司令官殺害と、それに対する報復ミサイル攻撃は、国民の目を内政から米国に向ける好機となった。
ソレイマニ司令官の葬列には膨大な数の群衆が集まった。民兵組織を傘下に持つ革命防衛隊など政府側の呼びかけや動員もあったとみられる。
しかし、同じ革命防衛隊が起こした誤射で、一時は「外敵」に向けられた国民の目は「自国民が犠牲になった誤射を隠した政府」への批判として、再び自らに跳ね返ってきたかたちだ。
BuzzFeed Newsではイランと米国の対立をさまざまな角度から報じています。
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