女優さんのインスタ投稿が騒ぎに
先週、妊娠中の女優、佐々木希さんがinstagramに、共演中の方々と共にローストビーフを食べたことを投稿し、SNS上で大きな騒ぎとなりました。
「食べないで」というコメントがある一方で、「表面が焼かれているから大丈夫」「妊婦だけど、生もの気にせず食べています」などの意見もあり、両論併記的に取り上げるウェブメディアも現れて大混乱です。
科学的な正解は、「確率は低いけれど、肉の内部にまで入り込んでいる寄生虫が不活化していない可能性があるので、妊婦は食べない方がよい」です。
食中毒防止の方策は、食品や原因(菌やウイルス、寄生虫などの種類)により大きく異なります。もう一つのポイントは、食べる側が、感染した時に重症化しやすく深刻な影響を被るハイリスクグループであるかどうか、です。
食中毒の原因となる微生物は実は、環境中にごく普通にいて、口にすることも少なくないのです。健康だと症状が出ないことも多く、気付かないまま。しかし、妊娠中はホルモンバランスが変化し、免疫機能の低下も起きていて食中毒を発症しやすくなっています。高齢者、乳幼児や病気の人などもハイリスクグループで、発症しやすくなっています。
食中毒に関する主な注意点を、整理してお伝えしましょう。
<寄生虫(トキソプラズマ)>
妊婦の感染は流産、子どもの障害にもつながる恐れ
ローストビーフで心配されるのは、トキソプラズマという寄生虫です。哺乳類の中枢神経系や筋肉内にいます。幅3μm、長さ5-7μm(1μmは、1万分の1cm)という小ささで、肉を食べることにより感染が起きます。
トキソプラズマは、豚や羊に比較的多いとされ、牛では少ないそうですがゼロとは言えません。トキソプラズマは67℃以上での加熱、あるいは55℃で5分以上加熱することで不活化する、という報告があります。一方、ローストビーフは調理によってかける温度や時間に違いがありますが、一般的に中心部が52℃〜63℃程度になるように焼きます。
飲食店は適切に焼き上がるように努力していると思いますが、場合によってはトキソプラズマが不活化していない恐れもあります。
感染しても症状が出ない人が多いのですが、頭痛や軽い発熱を起こす場合があります。病気などにより免疫系が弱くなっている人など、ハイリスクグループはとくに注意。肺炎やリンパ節炎などになりやすく、死亡例もあります。
妊婦で怖いのは、トキソプラズマが胎盤を通して胎児に移行し、影響を及ぼすこと。脳に障害を負ったり、流産や死産などになったりしたケースも報告されています。
もし牛肉の中にトキソプラズマがいて、不十分な加熱により死んでいなかったら......と心配になってしまうのです。
猫の糞便から感染する場合も
トキソプラズマは、猫からの感染も考えられ、糞便を処理する際などに移るケースがある、とされています。
感染すると抗体ができ、抗体を持っている人は新たに感染しても症状は出ません。宮崎県で、1997年から2004年まで約7年半にわたって計4,466例の妊婦を調べた研究報告があります。
妊婦の抗体保有率は10%程度。しかし、妊娠中に陰性から陽性に変わり感染したとみられる人たちが0.25%いました。「妊娠中の感染なんてめったに起きないよ」と言っていられるような数字ではない、と私は思います。
妊婦の年齢が上がるにつれて抗体保有率が上昇しており、日常の中に感染するリスクがあることを示しています。研究は感染の主要原因は生肉を食べることではないか、と推定しています。
トキソプラズマを、けっして軽視してはいけないことはわかっていただけたことでしょう。胎児への影響を考えて、やっぱり妊娠中の女性にはとくに気をつけていただきたい。肉はしっかり中まで加熱したものを食べてほしい。
飼い猫のトキソプラズマ陽性率は低い、とされていますが、野外でほかの猫と接触してうつることなどもあり得ますので万一を考えて、妊娠期間中の糞便処理は極力控えて家族で分担してあげて、と思います。
知らずに加熱不足の肉を食べてしまった、猫の糞便処理をしていた、など心配が募る人もいるでしょう。NHKが、「妊娠時 寄生虫 "トキソプラズマ"の危険」という番組を制作したことがあり、ウェブでも記事が紹介されていてこれがとてもわかりやすいので、読むのをお勧めします。
宮崎県での調査も手がけた小島俊行医師が登場し解説しています。感染の有無を調べる検査や、胎児にトキソプラズマが移るリスクを大きく減らす薬などもあることが、きちんと紹介されています。
<O157などの腸管出血性大腸菌>
死亡例、深刻な後遺症も多発
SNSのコメントなどでかなり多くの人がトキソプラズマと混同していたのが、O157など腸管出血性大腸菌の問題です。
「ローストビーフは表面がしっかり加熱してあるから大丈夫」という意見は、たしかに腸管出血性大腸菌対策には当てはまりますが、トキソプラズマは表面加熱では防げません。
とはいえ、腸管出血性大腸菌も非常に怖い病原菌で、アメリカでは1週間ほど前からロメインレタスが原因とみられるアウトブレイクが起きていますので、解説しておきましょう。
食品中に腸管出血性大腸菌が付いており食べてしまうと、菌は消化酵素や胃酸をかいくぐり人の腸に到達してそこで増殖し強い毒素を出します。高齢者や子どもなどは、菌を数個〜数十個食べるだけでも発症する可能性がある、とされています。
腹痛や血便などに見舞われ、重症化すると溶血性尿毒症症候群や脳症となり死にも至ります。後遺症として腎臓透析が必要になる場合もあります。1996年に大阪府堺市で学校給食により起きた食中毒事件では、20年後に患者が後遺症により亡くなっています。
2011年にはユッケが原因で5人が亡くなりました。牛の1〜2割はこの菌を腸に保有しており、肉や内臓は汚染されやすいのです。ただし、トキソプラズマと異なり細菌なので、肉の組織内部には入り込みません。
そのため、ユッケや牛たたきなどは、かたまり肉の表面を加熱し、清潔な環境で加熱した部分をそぎ落として中だけを提供する「規格基準」が国によって定められ、その方法をとったものだけが飲食店で提供されるようになりました。
レバ刺しは、内部にまで菌が入り込んでいる可能性を否定できず、表面加熱では中の菌までは殺せないので、2012年には禁止となっています。
腸管出血性大腸菌は、75℃で1分以上加熱することで死滅しますので、牛肉はしっかり加熱を。外側だけが焼け中が赤い“生焼けハンバーグ”を出す店がありますが、腸管出血性大腸菌が中にまで入り込み生き残っている可能性があります。店は提供すべきではありません。
野菜からも感染する
最近目立つようになっているのが野菜からの感染。2012年には、北海道で白菜の浅漬けにより腸管出血性大腸菌の食中毒事故が起き、8人が亡くなりました。
また、14年には静岡県で露天商が販売した冷やしキュウリにより患者が510人も出ました。野菜に付いていた腸管出血性大腸菌を除去しきれなかった可能性があります。土壌中には腸管出血性大腸菌がいるので、野菜も要注意なのです。
昨年、惣菜店で売られたポテトサラダが原因ではないか、とみられる食中毒事件が発生したのは記憶に新しいところ。しかし、同じ系列店の炒め物を食べた3歳児が死亡し、その後の国立感染症研究所等の調査で、同一遺伝子型の O157の食中毒が広域で多発していることがわかりました。原因食材は不明のまま、です。
アメリカでは今、ロメインレタスが原因とみられるアウトブレイクでかなりの騒ぎに。なにせ、16州で53人の患者が発生しており31人が入院、5人は溶血性尿毒症症候群になっています。
ユマ州とアリゾナ州で栽培されたロメインレタスが問題視されていますが、どの農場産のものが問題か、あるいは流通業者やカットするなど加工した業者が原因なのかはっきりせず、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)は「どこ産かわからなければ捨てなさい」と強く呼びかけているのです。
よくテレビのグルメ番組などで、芸能人が畑に行きもぎたてのキュウリなどを「こんなにおいしい」と食べてみせるパフォーマンスをやっていますが、あれはよくない。見かけはきれいでも、菌は付いていますよ。野菜は水でしっかり洗って泥や菌などを除去して食べましょう。
ミニトマトのへたの部分は菌が付きやすくとれにくいので、注意を。高齢者や乳幼児、病気の人、妊婦などはとくに、野菜を加熱したりミニトマトもへたをとるなどしたり工夫してください。
<カンピロバクター>
鶏肉・内臓の生食で多発
牛肉の生食に厳しい規格基準ができてレバ刺しは禁止。豚肉や豚内臓の生食も禁じられました。そのためか、最近目立つのが鶏肉・内臓の生食によるカンピロバクターという細菌の食中毒です。
感染すると下痢や腹痛、発熱などに見舞われます。死亡するのはまれですが、感染して数週間後に手足や顔面の麻痺、呼吸困難などの「ギラン・バレー症候群」を発症する場合がある、とされています。鶏の多くが保有しており、菌を100個程度食べただけでも人は発症するとみられます。
よく、「新鮮だから安全です」という店がありますが、鶏肉や内臓が新鮮であっても、100個程度のカンピロバクターが付いている可能性は十分にあり、鮮度は安全の証とはなり得ません。
カンピロバクターの食中毒は厚労省統計では年間に300〜400件、2000人程度の患者が発生しています。これは氷山の一角で、実際にはもっと多いとみられています。主な原因は、鶏たたきや鶏刺し、鶏レバ刺しなど、生食です。
2016年には肉フェスで「新鮮だからこそできる鶏ささみ寿司」とうたって提供した店が500人を超える患者を出してしまいました。厚労省は、飲食店に対して「鶏肉は中心部まで、75度で1分間以上加熱してから提供するように」と呼びかけています。
健康な人は食べても問題ない場合があるだけに、どうしても「たいしたことがない」と受け止めがち。禁止などの法的な規制は今のところなく、厚労省や地域の保健所も注意を促しているにとどまっているので、飲食店は気軽に提供しています。でも、食中毒が多発し、そのたびに営業停止処分を受けているのが実情です。
ハイリスクの妊娠中の女性、高齢者、疾患を抱える人たちは、避けるべきです。子どもにも、食べさせてはダメですよ。
<黄色ブドウ球菌>
この菌は人や動物に常在し、毒素を作ります。怖いのは、手荒れや小さな傷口で菌が増殖している場合があること。調理した人の小さな傷口から移って食中毒事件に、というケースが少なくありません。
2016年4月、熊本地震で避難所生活をしていた人たち約50人がおう吐や下痢等に見舞われたことがありました。熊本市保健所が調べ、市内の飲食店が作ったおかかおにぎりが原因と断定しました。黄色ブドウ球菌は、食べてから発症まで1〜3時間と短いことが特徴。菌は加熱により死にますが、毒素は加熱しても分解等されず毒性をそのまま保持します。
家庭で手で握ったおにぎりが原因で食中毒に、という事例は相当数起きている、と考えられています。「愛情たっぷり 素手でおにぎりを握って」というのが実は危ないかもしれない。私は用心のため、おにぎりを作る時は、ラップに包んで握ります。
よくある食中毒なのでどうしても注意が向かなくなりますが、この手のよくある食中毒であっても、妊婦や高齢者などハイリスクグループの人たちは、体調を崩すきっかけになりがちです。
<リステリア>
WHO、日本の厚労省も、妊婦に注意促す
世界保健機関(WHO)や日本の厚労省がとくに、妊婦向けに強く注意喚起しているのがリステリアです。この菌は、河川や動物の体内など、環境中に普通にいて、感染すると発熱や筋肉の痛み、下痢などの症状を引き起こします。
高齢者や、免疫反応が下がるような疾患を持っている人はリスクが高く、摂取する菌数が少なくても、髄膜炎や敗血症など非常に重い症状につながりやすいとされています。
また、妊婦もリスクが高く、菌が胎盤や胎児へ感染し、流産や死産につながりやすいため、警戒されています。
リステリアは、低温と塩分に強い、というほかの菌にない特徴があります。65℃で数分加熱すれば死にますが、マイナス0.4℃から45℃まで増殖可能なので、冷蔵庫内でも増えるのです。また、一般的な梅干し並みの塩分濃度11%強でも増殖可能です。
生ハム、未殺菌ナチュラルチーズ、スモークサーモン
したがって、要注意なのは生ハムなどの食肉加工品、未殺菌で作られるナチュラルチーズ、スモークサーモンなど。これらは塩分が強く冷蔵されていて食中毒とは縁遠い、となんとなく思っていませんか? その思い込みは捨ててください。
プロセスチーズや缶入り輸入カマンベールチーズなどは加熱済みなので安全です。デパートなどで「昔ながらの手作り」「ホンモノ」として売られる高価な輸入ナチュラルチーズの方が、リステリア菌に関しては要注意。妊娠中だから高価なホンモノを、なんて考えないでくださいね。
欧米ではサラダや生のくだものなどでも、リステリア菌食中毒がしばしば発生しています。アメリカでは、2011年にカンタロープというメロンで大規模な食中毒事件が発生し、147人が感染し33人が亡くなり、1人が流産しました。
コロラド州の農場が発生源で、収穫したメロンを集めて包装する施設がリステリア菌に汚染されており、メロンの編み目にリステリア菌が入り込んで増殖していたとみられます。
発症したのは高齢者が多く、大きなメロンを購入し、切って食べ、残りは冷蔵庫に保管して後で食べたため、冷蔵庫に保管中に菌が増えたのではないか、という見方もあります。
日本では、リステリア菌による食中毒は報告例がないのですが、これは日本にリステリア菌がいないためではなく、検査の難しさなどにより事故が表面化しにくいからかもしれない、と考えられています。生野菜や果物は、食べる前によく洗って食べるように心がけた方がよいでしょう。
ちなみに、母子手帳には「妊娠中と産後の食事」という欄があり、「妊婦にとって特に注意が必要な病原体として、リステリア菌とトキソプラズマ原虫が挙げられます」と記述されています。
妊婦、高齢者、乳幼児、病気の人などは十分に注意を
あれはダメ、これはダメ。じゃあ、いったいなにを食べたらいいんだ!? ここまで読んでそう感じた人もいるでしょう。だから、なんでも気にせず食べて良い、と極端に走らないでください。
健康な人であればまったく問題がない場合も、免疫機能が低下しているケース、つまり高齢になったり幼かったり、病気、妊娠などにより、体の状態はまったく変わりますので、自分の体力、体調に合わせたこまやかな管理を、それぞれが心がけてほしいのです。
中でも、やっぱり生ものは微生物や寄生虫のリスクが非常に高いと断言できます。
最近は、市販品で、加熱せずにそのまま食べる加工食品(Ready to eat food、RTE食品などと呼ばれています)が増え、原材料が持つ微生物を除去できていなかったり加工中に汚染され長期保存されて微生物が増え、食中毒につながるケースが懸念されています。浅漬け、生ハム、スモークサーモン等は、RTE食品です。
妊娠中の女性だけでなく、高齢者や免疫機能が低下している患者、乳幼児などは、生肉等わかりやすい生ものだけでなく、RTE食品にも注意を。気になる方は、なるべく加熱したものを食べた方がよいと思います。自分の体調に合わせて、十分に注意してください。
<参考文献>
国立感染症研究所・トキソプラズマ症妊婦さんおよび妊娠を希望されている方へ
NHK生活情報ブログ・妊娠時 寄生虫 "トキソプラズマ"の危険
厚労省・腸管出血性大腸菌感染症・食中毒事例の調査結果取りまとめについて
アメリカ疾病予防管理センター・Multistate Outbreak of E. coli O157:H7 Infections Linked to Romaine Lettuce
日本小児科学会・母子健康手帳の任意様式の改正について(厚生労働省)
アメリカ食品医薬品局・Food Safety: It's Especially Important for At-Risk Groups
世界保健機関(WHO)・妊娠中および授乳期の食品安全と栄養
【松永和紀(まつなが・わき)】 科学ジャーナリスト
京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち独立。食品の安全性や生産技術、環境影響等を主な専門領域として、執筆や講演活動などを続けている。「メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学」(光文社新書)で科学ジャーナリスト賞2008を受賞。新刊は「効かない健康食品 危ない天然・自然」(同)