人は、生きていれば誰しもが病気にかかります。そして時にはがんのような、命に関わるような大きな病気にも。
では、人はどのときから「患者」になるのでしょうか。
その病気が体に巣食ったとき?
病気によって何か症状がでてきたとき?
それとも医者に「あなたはがんです」と診断されたときでしょうか。
私たち医師が、病院で出会う患者たちは、みな「患者」です。少なくとも私たちはそういった見方をしています。そして、病院に通っている方々も、そのほとんどは「患者」として通院しているでしょう。
ただ、この関係性は時に、患者という役割を着せられた個々人から生きる力を奪ってしまっているのではないかと感じることがあります。
病院で生きる力を失っていったAさんの物語
Aさんは、70代の女性。若いころから居酒屋を切り盛りしてきた女将さんで、人を笑わすのが大好きな方だったそうです。家の近くにある広い畑で収穫された野菜をお店で出し、その料理の味と人柄に惹かれて、多くの方が店の常連として通っていました。
「私は、タタミ500畳分の畑を持っているんだ」
それが彼女の自慢でした。
常連客は「この都心部で、そんなに広い土地を持っているわけないだろう」
と思いながらも、彼女なりのホラ話なのだろうと大いに笑っていました。
歳を取ってからは、店を開く回数は減ってきていたものの、自慢の畑には毎日通い、野菜の世話をしていたそうです。
夫を早くに亡くし、息子さんを一人で育て、息子さんが独立してからも一人暮らしで頑張ってきたAさん。しかし最近、どうにも無理がきかなくなり、久しぶりに近くの診療所へ行ってみることにしました。
その診療所での血液検査で、極度の貧血を指摘されたAさん。すぐに大きな病院へ行くようにと指示され、精密検査の結果、かなり進行した胃がんと診断されたのです。
診察に同行した息子さんは、「久しぶりに母に会ってみたら、こんなにやせてしまっていて…。早く入院させて、母を元気にしてください!」と、担当医に迫りました。
医師も、「では、追加の検査もありますので入院にしましょうか」
とAさんへ告げます。
Aさんは、「畑の世話ができなくなるじゃないか」と、最初は拒否していましたが、息子さんの説得もあり最終的には入院を承諾したのでした。
入院しているうちに失った生気
Aさんは入院してからというもの、CTやMRI、血液検査や腸のカメラなど様々な検査を受ける毎日。
最初のうちこそ、
「早く家に帰らしておくれ」
「500畳の畑がダメになっちまうよ」
と言っていたAさんも、次第に元気がなくなり、ベッドの上で大人しくしていることが増えてきました。
そして精密検査の結果、胃がんは肝臓と肺に転移していることがわかり、主治医から
「手術の適応はありませんから、治療は抗がん剤になります。専門の先生を紹介しますので、これからはその先生に診てもらってください」と告げられました。
そして、私が腫瘍内科医として初めてAさんにお会いした時、話に聞いていた彼女とは全く違う方がそこにはいたのです。
なんとか歩けはするけれども、顔には生気がなく、表情にも乏しい。「居酒屋を切り盛りしていた人気者の女将さん」にはとても見えなかったのです。
確かめた本人の希望
私は、もう一度病状について説明した後、Aさんに問いかけました。
「あなたはこれからどうしていきたいと思っていますか?」
するとAさんは、「胃がんだって言われて、足腰も弱ってしまって、もう駄目だね。先生の言うとおりにするよ。できればこのままずっと入院させておいてくれたら楽なんだけど」と、ボソボソ答えます。
「私の言う通りではなく、Aさんがどうしたいかを聞かせて下さい。本当に、このまま入院を続けるということでいいんですか?」
そう重ねて尋ねると、本人は黙ってしまい、同席していた息子さんが「前の先生は抗がん剤治療をした方がいいと言いました。私も母に長く生きてほしい。先生、治療をしてあげてください」と代わりに言ってきました。
そこで私は抗がん剤のメリット・デメリットを伝えたうえで、こう伝えました。
「あなたがこれから何を大切にしたいかによって、抗がん剤をした方がいいか、しない方がいいかは変わります。私の一存で決められるものではありません。だから、私はあなたに、これからどうしていきたいのか考えてほしいんです」
こんなやりとりが数回続いたでしょうか。
最後にAさんは、こう答えました。
「抗がん剤した方が、息子も喜ぶし…。先生、そうするよ。それで、やっぱり家に帰りたい」
退院してようやく言えた「畑の世話をもう一度したい」
私はAさんをすぐに退院とし、外来で抗がん剤治療を開始しました。
幸いなことに、副作用はほとんどなく、Aさんも「思っていたよりも楽だね。これなら大丈夫そうだよ」と笑顔で話されていたくらいでした。
しかし、2回目の抗がん剤治療をしようかとしたとき、Aさんから「実はね。先生に謝らなきゃいけないことがある」と切り出されました。
「先生にもらった薬、途中から飲むの止めてたんだ。それで、もう抗がん剤はしない。息子のため、なんて思ってたけどよく考えたらバカバカしい」
「そうですか。それはご自身で決められたことなんですね」
「そう。それでやりたいことがある」
「それは何でしょう?」
「畑の世話をもう一度したい。しばらく放っておいたけど、うちのお客さんで世話を手伝ってくれる人がいてね。そろそろ収穫も近いから」
「そうですか。でも、大丈夫ですか?」
「そうだね。畑が勝つか、私が勝つか。負けた時にはおしまいってことだね」
そう言うと、Aさんは大きく笑いました。
会いたい人に最後に会って、再入院
その後、畑の世話を何とかしていたAさん。しかし、病気の進行は早く、2か月後には通院するのもやっとという状況に。食事もほとんど食べられなくなってきている、という報告を訪問看護師から受け、私は電話で再入院を勧めました。
「先生、まだ入院しない」
「まだ入院しないって、もう家の中でもほとんど動けないと伺いましたよ」
「そうだね。でも明後日までは入院しない」
「なぜ明後日なんですか?」
「・・・会いたい人がいるんだ。その人が明日家に来る。そしたら、明後日はもう入院してもいいから」
次の日、私はAさん宅に往診に行くことにしました。
そこには、その「会いたい人」と言っていた老紳士が心配そうに付き添っていました。彼が、Aさんの入院中に畑の世話をしてくれていた人だったのでしょうか。
「わがまま言ってすまないね、先生」
部屋の真ん中に敷かれた布団で、さらに一回り小さくなったAさんは、いつもの笑顔で私を迎えました。老紳士のことにはあえて触れず、ゆっくりと診察をし、そしてこう尋ねました。
「明日、入院ということでいいのかな」
「うん、もうやりたいことは全てやった。500畳の畑も、友人にあげられたし、思い残すことは何もない。あとは先生のところに行くだけだ」
そう言って、Aさんは私の手を握りました。
そして翌日、彼女は緩和ケア病棟に入院し、1週間後に大きな苦痛なく息を引き取りました。
人はいつから「患者」になるのか?
Aさんは、いつから「患者」でしたでしょうか。
少なくとも、入院するまではAさんはAさんだったと思います。それが、入院をして、検査にさらされて、他人と会話をするでもなく、役割も奪われて…Aさんは「患者」になってしまった、と私は感じました。
病院は、確かに集中的に検査や治療を行うためには優れた施設です。
しかし、そこにしばらく滞在して、生活を管理されるようになってしまうと、誰しもが「○○さん」ではなく「○○病の患者さん」になってしまうリスクを抱えます。「病院の中にいると、自分が自分ではなくなるようだ」と表現された方もいました。
「入院して、元気にさせてください」という訴えは、患者本人のみならず家族からもよく受けますが、がんや加齢による衰弱などの病態では、入院しても在宅や外来と治療法はほとんど変わりません。
むしろ入院することで体力・気力が落ち、「患者化」によって病院へ順応してしまうことで二度と家に帰れなくなる、ということだってあるのです。本人や家族の不安はよくわかりますが、「病院にさえ入って医者に任せていれば元気になる」という神話は、疾病構造の変化によって過去のものになりつつあるのです。
Aさんは、「これからどうしていきたいか『自分で』考えてほしい」という、しつこいくらいの問いかけを受けて、ようやく患者としての自分から、本当に生きたい自分を取り戻していきました。
ベッドの上で小さくなって「ずっと入院でいい、先生にお任せ」と言っていたのが、「息子が望む抗がん剤をして家に帰る」に変化し、そして「自分のために抗がん剤はしない」となって、最後は「入院するよりも大切な人に会うことを優先したい」と自分でその生き方を決めました。
医療者から見れば、「言うことを聞かずに方針をコロコロ変える困った患者」なのでしょうが、私は人間というのはこれくらい正直に生きたっていいと思っています。そのほうがその方の人生が輝くのなら。
「がんになった。でも私はそのことも含めて私としての人生を生きたい」
そんな思いを、これからも支えていける私たちでありたいです。
【西智弘(にし・ともひろ)】 川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科医
2005年北海道大学卒。家庭医療を中心に初期研修後、緩和ケア・腫瘍内科の専門研修を受ける。2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。一方で「暮らしの保健室」を運営する会社を起業し、院外に活動の場を広げている。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。著書に『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』(中外医学社)、『「残された時間」を告げるとき』(青海社)がある。