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がんになる前から、人生を通じて対話をしよう

隠された本心は分かり合えなかったとしても

あなたは、自分ががんなどの大きな病気になったときに、どういった医療を受けたいか、どんな生き方をしたいか、自分の大切な人と話し合ったことがあるでしょうか?

誰しもが、いつ、どんなときに大きな病気になるかもわからないのに、そしてそういった未来はほぼ確実に来るにもかかわらず、その未来に向けて自分がどう生きたいか、何を大切にして生きたいかを話し合うことを、多くの人が先送りにしていないでしょうか。

そのような、人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族など大切な人や医療スタッフと繰り返し話し合うことの愛称が「人生会議」に決定した、と2018年11月末に厚生労働省から発表されました。

この「人生会議」、医療用語ではアドバンス・ケア・プランニングと呼ばれます。単に「心臓が止まった時に人工呼吸器をつけるか」「食事が取れなくなったら胃瘻をつけるか」といったことだけを決めるのではなく、その決定をした本人の価値観・死生観などを周囲の人たちと共有することが目的です。

では、このような「人生会議」を行えば、果たして本当にその人の希望がわかるようになるのでしょうか?

抗がん剤治療を受けながら緩和ケア外来にも通院したAさんの物語

Aさんは、78歳の男性。最近、腰が痛いということで精密検査を受けたところ、すい臓がん・肺転移と診断されました。

すぐに大学病院に紹介されたAさんは、腫瘍内科医から抗がん剤治療を勧められ、それに同意しましたが、

「すい臓がんで、それが全身に広がっているってことは、そんなに長くないということでしょう。今のうちから、地元で何かあった時にかかれる病院も探しておきたい」

と、主治医に希望し、当院を紹介されてきました。

Aさんは元々、とある省庁の官僚として勤められた方で、退職したのちも地元議員の後援をするなど、精力的に活動されていた方です。そして、近郊に大きな邸宅を構える名家の出身でもあり、地元が誇る名士の一人でした。

「先生、私は大学病院ですい臓がんと言われました。肺に散らばっていて、根治の見込みはないそうです。その大学病院の先生は信用していますが、なにぶん遠方で、何かあった時に心配です。できれば、こちらにも通わせてもらって、いずれはホスピスのお世話になりたい」

「よろしいですよ。では、大学病院で抗がん剤治療を受けてもらいながら、私の外来にも時折通っていただく形で良いですか?」

私の外来に来た時には、大学病院から処方された薬で痛みもなく、困っていることは何もありませんでした。私は1ヶ月に1度Aさんに来て頂き、大学病院での治療の様子や副作用などについてお話をすることにしました。

終末期に向けた話し合い「人生会議」

1年ほどたったある日の外来で、Aさんは私に、抗がん剤が効かずに、がんが大きくなってしまったと告げました。その日は、Aさんの長女さんも不安そうな顔で付き添ってきていました。

「もう1種類抗がん剤をすることを勧められたのですが…。正直、私も齢ですからね…。これ以上抗がん剤をするのもどうかなとも思うのです」

「そうですか…。Aさんは、抗がん剤をする目標については主治医の先生から聞かされていますか?」

「はい。少しでも寿命を延ばすためには、それが一番だと」

「なるほど。それを聞いてAさんはどう思いましたか?」

Aさんは、娘さんのほうをちらりと見て、

「できれば長く生きたいとは思っていますが。ただ、そのためにあんまり苦しい思いもしたくないのです」

「抗がん剤を続けて、長く生きる可能性は高めたいけど、苦しい思いをしたくないという面もあるのですね。Aさんは、これから何を大切にして生きたいと考えられていますか」

「家族と過ごす時間ですね。妻を早くに亡くし、私にはこの娘しか家族がいません。娘と少しでも一緒に過ごせたらなと」

「抗がん剤をしながら、その延びた時間を大切にするという考えもあれば、緩和ケアに専念して抗がん剤の副作用に悩まされず、体力を温存し、時間の質を大切にするという選択肢もあるかもしれませんが」

「うーん…。迷いますが、まず一度抗がん剤やってみようかと思います。それでダメだった時は先生、よろしくお願いします」

「わかりました。ところで今日は、娘さんもいらっしゃっていることですし、もう少しお話をさせて頂いてもいいですか?今後についてどう考えているのか、少しお聞きしたくて」

私は終末期になった場合にどこでどのように過ごしたいか、人工呼吸器などは希望するのか、余命などについて知りたいと思ったことはあるか、などといったことについてAさんと話をしました。

ひととおり話をした後でAさんは、こう言いました。

「今日は、先生とこういう話ができて良かったです。ずっとこういう話をしたいと思っていました。年寄りは会話に飢えているんです。若い人とは人生観についての話なんてできないし、昔からの友人もみんないなくなって話す相手もいないんですよ」

そして、にっこりと笑い、外来を後にしたのでした。しかし傍らにいた娘さんが、結局のところ一言もしゃべらなかったのは気になりました。

変化する希望

Aさんは2種類目の抗がん剤を始めました。

しかし、その効果も半年程度しか続かず、緩和ケアに専念することに。それから1年程度は安定して過ごせていましたが、徐々に胸水がたまり、自宅で過ごせなくなったAさんはついに入院となりました。

「もうそろそろですかね…先生」

少し苦しそうな息遣いで、Aさんは問いかけてきました。

「もうそろそろ、というのは」

「もう、残された時間が少ないということです。私は、がんの最期はもっと苦しむものだと思っていました。私が苦しんでいる姿を娘に見せたくなかった。だから以前に、『最期はホスピスに入院して過ごしたい』と先生に言いました」

「そうですね。確かにAさんはそうご希望されましたね」

「でも、入院してみたら思った以上に苦しくなくしてもらえて」

長く話すとゼイゼイという音が。本当に苦しくないのだろうか、と思いながら私は次の言葉を待ちました。

「これくらいなのであれば、やっぱり家に帰りたいと思うんです。私の家に、父も、母も、そこで最期を迎えた部屋があるんです。妻も……。できるなら、自分もそこで最期を迎えたいんです」

「それが、いまのAさんのご希望なのですね」

「そうです。わがままを言ってすみません…」

「娘さんとも相談してみましょう。それで帰れそうなら、私たちが訪問診療でご自宅にお伺いしますよ」

Aさんの見えない本心と「埋められない溝」

私は娘さんに、現在の病状では残り時間がわずかであること、症状については何とか緩和できていること、そしてAさんのご希望と訪問診療への切り替えについて伝えました。

娘さんは少し考えていましたが、挑むような眼で私を見据えながら言ったのです。

「父にできることはもうないんでしょうか。できることがあるなら何でもやってほしいんです。自宅に帰るということは、そういうことを全て諦めてしまうということになりませんか。体が弱って、父は気持ちまで弱くなってしまっているんだと思います」

「現在の病状で、病院にいることと、自宅にいることでできることに大きな差はないと思います。ご希望であれば、病院で過ごすということもできますが、Aさん本人としては自宅がいいということをおっしゃっているんです」

「先生は、家族じゃないからそんなことが言えるんです。本人は、本当は生きたいと思っているはずです。外来でも、人工呼吸器とか余命とか、縁起でもない話をして……。それを聞かされる家族の気持ちを少しでも考えたことがありますか?」

最後の方は声を荒げ、娘さんは一気にまくし立てました。

「先生は、家族のことを全く分かっていません。医者と家族との間には決して埋められない深い溝があると思います」

声を震わせてそう告げる娘さんを、私は冷静に見つめていました。Aさんが心配していたのは、これだったんだろうなと。

外来で、終末期をどこで過ごすのか、余命の話を聞きたいかどうか、など話していたときも、Aさんはどこか本心を言っていないような違和感を、私は感じていました。医師である私と話しているのに、娘さんの心情を汲み、娘さんに語りかけているような違和感です。

娘さんは結婚していません。Aさんがいなくなれば、広い邸宅に、娘さん一人だけが残されます。娘さんは、Aさんが少しでも長く生きたいはずだ、と言いながら、その実「自分がAさんを失いたくない」と言っています。ずっと前からAさんには、娘さんがそう言うのがわかっていたのかもしれません。

だからこそ「最期は病院で過ごしたい」と言っていたのです。しかしいま、Aさんは「自宅に帰りたい」と言っている。それは何を意味するのか、ということです。

私は、少し間をおいて、娘さんにこう告げました。

「そうですね。確かに、私とご家族との間には埋められない溝があるかもしれません。でも、その溝はあるとして、その上でAさんにとって何が一番いいことなのかというのを一緒に考えませんか?」

その話をした夜、病室でAさんと娘さんは長く話をしていました。

翌日Aさんは、お話の内容について多くは語りませんでしたが、娘さんも自宅に帰ることを納得してくれたとのことでした。

1週間程度で自宅に戻る準備を整え、Aさんは退院。その後1ヶ月ほど、訪問診療でAさんの大邸宅に伺いましたが、娘さんはもう「できることはないんでしょうか」とは一言も言いませんでした。そしてAさんは徐々に眠っている時間が増えていき、娘さんと、ご先祖様たちの遺影に見守られながら、息を引き取りました。

娘さんは泣いていましたが、

「父は、私のことをずっと気にかけていました。私が最後に、父の望むようにしてあげられてよかった」

と、晴れやかな表情で、看取りに来た私たちを見送ってくださいました。

「人生会議」とは人生全てを通しての対話である

終末期に向けて「人生会議」を繰り返しても、その方の本心は見えてこない場合は多々あります。患者さんが医師に見せる姿は、看護師に見せる姿とは異なるし、それはまた家族に見せる姿とも違います。

一般的にいう「会議」のように、クリアカットに答えが出るものでもありません。この物語でも、「隠された本心」がまだまだたくさんありそうだということにお気づきになるでしょうか。

ただ、患者さんに対話が足りないというのは事実としてあります。医療者との対話も、家族との対話も。

「私は会話に飢えている」

とAさんは言いました。

おそらくは、お互いに言葉を尽くしたとしても、人の全てをわかることなんてできません。でも言葉を尽くさなければ、何も分からないまま、家族自身の生き方を本人に押し付けることになるかもしれません。そしてそれは結果的に家族も本人も傷つけます。

自分の大切な人を守るために、そして自分を守るために、分かり合えないことも前提に、人生という時間を通して対話をしましょう。

【西智弘(にし・ともひろ)】 川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科医

2005年北海道大学卒。家庭医療を中心に初期研修後、緩和ケア・腫瘍内科の専門研修を受ける。2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。一方で「暮らしの保健室」を運営する会社を起業し、院外に活動の場を広げている。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。著書に『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』(中外医学社)、『「残された時間」を告げるとき』(青海社)がある。