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病院残酷物語 緩和ケア医の私がコロナ禍の3年間で見てきたもの

新型コロナウイルスのために医療の現場は一変しました。残酷な死別の現場を経験してきた緩和ケア医が、この3年見てきたつらい思い出を記します。誰もが「心の痛み止め」を必要とする今、何ができるでしょうか?


医療の現場は、新型コロナウイルスのために一変しました。

この2020年から3年間の間に、自分のクリニックでの在宅医療と、もう一つの職場である病院で、実際に体験した残酷な死別の様子を、きちんと記しておかなくてはならないと思うに至りました。

なぜなら、私の心の中に残る残像を書き記すことが、死者への弔いになると思うと同時に、終末期医療の現場に何が起きているのか皆さんに知っていただきたいからです。

※この内容は、患者と家族のプライバシーが守られるようにフィクションにしてあります。

言葉のない、手も握れない親子の別れ


私が勤務している病院でその方とは出会いました。私より年下の40代の男性の方でした。普段私が診療する高齢者と違い、その肌と目には身体が生きよう生きようとする力を感じました。

しかし腹部にできたがんのため食事は食べられなくなり、その身体は痩せ細っていました。そして、さらに脳の中に転移したがんのために、頭の痛みや吐き気が続いていました。

私は緩和ケアの医師として彼に関わり治療をしました。いくらか症状は軽くなりましたが、病室で彼はいつもひとりぼっちでした。私が雑談しようとしても、知り合ってからの時間がなさ過ぎて、医療上必要なやりとりで終わってしまいます。とても心をケアするどころではありませんでした。

私は長年緩和ケアに関わってきました。麻薬を含む薬で、苦痛は軽くすることができるようになりました。

しかし、人の全ての苦痛がなくなることはありません。

取り切れず残った苦痛は、ケアの力でできる限り緩和します。そのケアの中でも一番大切なものは、人との交流を通じて人の温もりに触れることです。

痛みのある場所をさする、ただ手を握るといった手当て (therapeutic touch)、言葉を交わすことはなくとも、そばにいるという誰かの存在が、薬で取りきれない苦痛をとるクスリになるのです。

例えその場限りの気持ちでも構いません。心が動き思わず相手に触れてしまう。それがケアの源泉です。

コロナの感染予防対策で、特に医療者は患者に触れることをしなくなりました。

以前から「聴診器も当ててくれない、体に触れることもない」という患者の不平を何度も聞いたことがあります。今の時代には、触るケアは病院では禁じ手となってしまいました。

平野啓一郎氏が書いた小説『本心』の中でこんな一節があります。

人間は、一人では生きていけない。だけど、死は、自分一人で引き受けるしかないと思われている。僕は違うと思います。死こそ、他者と共有されるべきじゃないか。生きている人は、死にゆく人を一人で死なせてはいけない。一緒に死を分かち合うべきです。——そうして、自分が死ぬときには、誰かに手を握ってもらい、やはり死を分かち合ってもらう。さもなくば、死は余りにも恐怖です。(平野啓一郎『本心』より)

そう、手を握ること、体に触れることは、握る方にも握られる方にどちらにとっても、死の恐怖を軽減する大切なことなのです。

彼には老いた母親がいました。もっと傍にいたいという母親を看護師が制し、1時間にも満たないわずかな時間で医療者が面会を終わらせることが続いていました。

病院の滞在時間が短すぎて、子どもを亡くすつらさは、さらに大きくなったことでしょう。

医療現場でできなくなった「聞く」のぐるぐる連鎖

2019年までなら、家族が望むだけ十分に付き添いができ、やがて患者にも家族にも病室での日常が生まれ、それが死別のつらさを軽くしていたのです。

医療者は身近な家族らの悲しみを聞き、さらにその家族を支えるために、別の誰かが一緒に面会するように助言していました。話を聞くときはどんな聞き方でも構いません。

聞くための特別なメソッドや技術があればなお良いのですが、ただ人の話を聞いてあげるだけで、ケアになるのです。気の利いた助言、慰めをしなくとも「聞く」を続けるだけでも十分なケアになります。

私はいつも家族にこう助言していました。


「家族一人ひとりが24時間、絶え間なく付き添いするのではなく、できるだけ家族が同時に複数になる時間を作って下さい。そのために患者が一人になる時間ができてしまったとしても」

患者の話を家族が聞いて、その家族の話をまた別の家族が聞いて、さらにその話を別の誰かが聞いてと、「聞く」をぐるぐると連鎖させていくことが大切なのです。

「聞く」を連鎖させていくと、患者や家族の苦痛は不思議と軽くなってきます。人に話しを聞いてもらうことは、心の痛み止めなのです。

もちろん話を「聞く」医療者も患者と家族の話を聞く連鎖の中に入り、そして医療者同士の「聞く」もぐるぐると連鎖させていくことで、また医療者は次の患者に向かうことが日々できるようになるのです。

コロナによる面会制限は、面会時間だけではなく、面会できる人数も制限するため、この「聞く」のぐるぐる連鎖を完全に壊してしまいました。そして、医療者が家族の話しを「聞く」ケアの機会もほとんどなくなってしまいました。

病院に入院すると会えなくなるから

もう一人の患者の話をします。

病状が落ち着き退院した腹部のがんの男性でした。「病院にいては家族と一緒にいる時間がない、家に帰りたい」と言われ、私が自宅に往診する事になりました。

よく喋る老夫婦で、傍目にはケンカしているような言葉のやりとりを繰り返していました。こういうケンカはどこか微笑ましく、お約束のじゃれ合いのようなもので、お互いの存在と愛情を日々確かめ合うようです。

ある日、男性は急に眠り込んでしまいました。起こしても起きないということで、私に連絡があり往診をしました。

診察すると、今までにない何か重大な問題が起こっている、恐らく脳卒中だろうと見立てました。いつもなら、「脳に何か大きな異変があったようです。今すぐ救急車を呼びましょう」と言うのですが、その時はまずこう言いました。


「この状況ならいつもなら救急車を呼びます。病院に入院することになるでしょう。入院すれば、今のコロナの状況では会うことがほとんどできなくなるでしょう。それでも病院へ行きますか?」

今まではしなかった説明の仕方で妻に問いかけました。

さらに、「これも寿命と考えて、このまま家で最期を看取るなら、私も覚悟を決めてずっとお供します」と続けました。

妻は本当は気が弱い方で、心の支えなしでは自宅で看病できないだろうと経験的に分かりました。他の家族が誰かしばらく一緒にこの家で生活してくれれば何とかなるかもしれない、そう思い言葉を続けました。

「お子さん方は、ここでしばらく一緒に居ることはできますか?」

そう妻に尋ねると、「無理です、いや子ども達には迷惑をかけたくない」と答えます。

この状況ならもう1週間も生きてはいられないだろうと思いました。短い期間なら、お子さん方はきっと協力してくれるかもしれない。でもこの男性の状態は緊急事態で、考えている時間の猶予はない。

また、妻の気の弱さと自責感の強さを考えれば、やっぱりこのまま自宅で一緒に最期をみていくのは無理だなと、妻の表情を見ながら私は思い至りました。

医師にとって大切なのは、迷ったとしても最後はきちんと決断し言葉をかけることです。引導を渡し諦めさせる、これが私の役割だろうと思っています。誰かがやらなくては、患者も家族も救えません。

私はこう言いました。

「やっぱりすぐ救急車で病院へ行きましょう。その後のことは、またその後考えましょう」

そうきっぱりと言い、救急車を呼びました。間もなく来た救急車で、すぐ近くの病院に運ばれ、脳卒中のため入院となりました。

妻がこぼした悔し涙

私は、入院してから数日後、妻だけが居る家を訪ねました。

妻は、泣きながらこう話していました。

「病院では面会ができず、できても15分だけ。時には大目に見てくれる看護師さんもいるけど、やっぱり上の方が来て『そろそろ時間ですよ』と声をかけられてしまう。もっと一緒に居たくても仕方なく帰ってくるんです」

「もっと私がしっかりしていたら、今も家で看病することができたのに」

悔しい涙でした。何に気持ちをぶつけたら良いのか分からない様子でした。

本人は意識もなく眠ったままで、もう残った時間は数日だろうと話を聞いて分かりました。

病院の医師や看護師も、心を持った人間です。一人ひとりは、家族に一日中付き添わせてあげたいと思っていても、組織で働いていれば全体のルールに従うほかありません。

私のように「自分の責任は自分でとる、自分が決められる」とルールを自分で決める開業医とは違います。働く医療者の一人一人の感情と、それを管理する病院の方針は相容れないこともあります。

私が「病院の人達の言うことは無視して、ずっと一緒に居たらどうだろうか。さすがに警備員を呼んで追い出されることはないのではないか」と言うと、妻は下を向きながらこう答えたのです。

「もしも自分が勝手なことをしたら、もう二度と会わせてもらえなくなるかもしれない。やっぱり規則を破れば次に会うこともできなくなるかもしれないから。それに私がしっかり看病できなかったのだから、会えないのは仕方がない」

患者も家族も、管理された病院の中では、反論できない弱い立場なんだと知りました。妻は、夫との間もなくの死別を前にしても、医療者に何も言えないのです。

このように入院した患者と家族はコロナに感染していなくても、自由に会うことができないのです。

拘置所や刑務所は、人と人との交流を制限し、法の下に人権を制限します。コロナの面会制限はすなわち人権制限と同じことなのです。

患者の人権は奪われている


ここに書いた2人の方はもうこの世にはいません。この3年間、紆余曲折、試行錯誤の後、社会の行動制限は現時点(2022から23年の冬)で、なくなりました。

しかし、いまだに入院患者は面会をかなり制限されています。

ほとんどの病院は、15分間、1名の家族に限り、病院側が許可すれば面会ができる程度です。今、私の親類も入院していますが、家族であっても全く会うことができません。

亡くなる直前なら時間制限が緩くなることもありますが、同時に面会できる人数は、かなり制限され厳しい制限が今なお続いています。

少しずつコロナの院内流行を防ぐ方策も蓄積されてきました。

しかし、十分な対策なくコロナの感染者が病室を行き来すると、院内では簡単に二次感染者が発生します。事前にコロナ感染者を的確に見つけ出すことができないため、病院の入院病棟では、病院の内部(患者、医療従事者)と外部(家族、見舞い客)との間に線を引いているのです。

病院内のコロナ患者の大量発生(いわゆるクラスタ)の始まりは、医療者であることも多々あります。

2020年から3年間、病院で患者と死別した家族は、患者を弔う喪の機会を奪われたままです。

亡くなった後の葬送儀礼だけが喪の機会ではありません。

亡くなる前から弱っていく姿を感じ、医療従事者のケアと慰めを受けながら過ごし、そして息を引き取る死に立ち会い、さらにその後の葬送儀礼を通じて、家族が集まり、故人を思いながら生活していく——。その長い時間が人にとっての死なのです。

その時間のかなり多くを、コロナと病院は人々から奪ってしまいました。

「聞く」を回すことで「心の痛み止め」に

医療者は、毎週のように更新されるエビデンス(科学的根拠)を重視し、コロナの治療と予防に専念してきました。

しかし、エビデンスに偏り、リスク回避を重視した私たち医療者は、死者とその家族に与えた不条理の犠牲を過小評価しています。まだこれからも感染予防を目的とした病院の面会制限は続くでしょう。

制限を続けるのであれば、せめて私たち医療者が人々に与えている不条理の意味を知ろうとしなくては、無口な死者と、思慮深い遺族は、その思いを私たち医療者に教えてくれることはないのです。

患者も家族も医療者も、そして皆さんも、「心の痛み止め」が必要な毎日を過ごしていることと思います。

だからこそ、どんな小さな人の輪でもよいので、その中で「聞く」をぐるぐると回してみてください。きっと今よりも何かがましになると思うのです。

【新城拓也(しんじょう・たくや)】しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。