駅前や路上で、赤い帽子やジャケットを身につけ、雑誌を売っている人を見たことはあるだろうか。
日本各地の路上100箇所以上で売られ、ホームレス状態の人たちの自立をサポートする雑誌『ビッグイシュー』だ。
雑誌の定価450円のうち、230円が販売者の収入になる。販売者はその収入で資金を貯め、アパートへの入居や経済的な自立を目指す。
東京で日々雑誌を売り、路上生活を脱却、人生を立て直そうと奮闘する40代の男性に話を聞いた。
家賃が払えなくなり、スーツ姿で路上生活に
田中さん(仮名)が本格的に路上生活を始めたのは、2008年のこと。
2001年ごろから「家があったりなかったりの状況が続き、たびたび野宿をしていた」という。
「野宿をしながらも住み込みの仕事を探して、応募して採用が決まったら出発前夜にホテルに泊まります。そこで身なりを整えて、長野県などに仕事に行っていました」
住み込みで働いた仕事は、バス会社や鉄道会社、農家など様々だった。
それでも生活は厳しく、アパートを借りても家賃を払えなくなることが度々あった。
ある日、仕事から帰ると、ドアの鍵が不動産屋に変えられていた。家賃を5ヶ月滞納し、家を失ったのだ。
部屋の中の荷物なども持ち出せないまま、突如として路上生活がスタート。本格的に「路上に根を生やす」暮らしに突入した。
日雇い派遣の仕事帰りだったので、スーツの上下にビジネスバッグといういでたち。文字通り、着の身着のままの状態だった。
日雇いで手渡された給料を握りしめ、都内の公園で寝泊りを始めた。
「ホームレスに見えないように過ごした」
7月は蚊が多く、「一晩で20箇所くらい刺された」。
公園に住み始めてからも、日雇い派遣の会社や仕事仲間にはその事実を隠していた。
「公園の公衆電話から日雇い派遣の会社に電話をして、大手の不動産会社なんかの仕事も受けていました。仕事仲間には、うわべだけの話で生活のことには触れないようにして、野宿生活についてバレずにどうにかやっていました」
「寝るのもスーツ、起きてもスーツ」。服が一着しかないため、苦労が絶えなかった。
「おしゃれなピンク色のワイシャツが焦げ茶色に変色してきて。有り金はたいてワイシャツを1枚買い、何食わぬ顔をして仕事に行っていました」
「2日連続して働くと1万1千円くらい入ってくるので、新しく服を買いました。もうスーツでの現場はやりにくいので、配送助手のような軽い肉体労働を始めました」
仕事の必要に迫られて、ズボンを試着した時のこと。自分のサイズより大きかったが、「臭うかな」と気になって返すことができず、そのまま買った。
「ベルトでどうにかすればいいか…と思いました」
Tシャツは100均で買った。そうやって、どうにか日雇いの仕事を続けていた。
「自分がホームレスと言っているようなもの」「自分には関係ない」
その頃から『ビッグイシュー』のことは知っていたが、自分が販売を始めることは考えもしなかった。田中さんはこう語る。
「ビッグイシューは新宿などの街角で見て知っていました。ホームレスがやっているのも知っていた。けど『自分には関係ない』と思っていました」
「街角に立ってビッグイシューを販売することは『自分がホームレスだ』と言って立っているようなものなので、自分には関係ないしできない。そういう無神経さはないーーという感じで見ていました」
1週間、少しずつ食べた1キロのあんこが尽きた時
食事に事欠くと、スーパーで業務用のあんこ1キログラムを買い「毎日少しずつ食べていた」。
「夏場は腐りますが、それ以外の季節は1kg買うと、1週間くらい持つ。あとは1個30円ほどの豆腐を買ってあんこを乗せて食べ、次の仕事について考えていました」
当時、田中さんははじめに寝泊まりしていた公園を離れて、多くのホームレスの人々が住む別の場所に移動しており、「そこで初めて、ビッグイシューを販売しているホームレスの人に知り合った」。
販売者が雑誌を整理する様子などを眺めていると「やらないか」と声をかけられた。
「(収入は)安いよ」とも言われ、その時は決断できなかった。とはいえ、もう日雇いの仕事はない。もしもの時に備えて「あんこ」を買うお金さえ尽きた。そこで初めて、雑誌販売に踏み出すことを決意した。
「この仕事…いいな」。客商売をしていた昔の自分を重ねた
2009年、37才の頃にビッグイシューで雑誌販売の研修を受け、大企業のビルが並ぶ大手町で販売をスタートした。
「声を出したりと工夫をしていったら、ついに代金の小銭を握りしめたお客さんが来てくれました。衝撃的でした」
「以前、日雇いで働いていた時も客商売が得意でした。しかしその時はお客さんと接すること自体が久しぶりで。この仕事…いいなって思ったんです」
平日は大手町、週末は新宿西口で雑誌を売り、販売者仲間にアドバイスをもらった。
「もともと販売や営業、ホテルマンの仕事の経験もあったので、自分の『過去のデータ』が出てきた感じでした」
「販売成績が良い先輩の売り場を見学に行ったりして、勉強をしました。自分の売り場は売り場になっていない、と思い改善を重ねました」
「財布から小銭を出すのではなく、コインケースを使ったほうがいい」
仲間に教えられ、100円ショップに連れていってもらったこともあった。
硬貨の種類ごとに分けて整理できるプラスチックのケースを購入し、スムーズにお釣りを渡せるようになった。
そうやって、少しずつ売り上げを上げていった。
夏の暑さや冬の寒さよりも「売れないことが一番辛い」と田中さんは語る。
通勤客に朝7時に1冊目を売ったあと、午後2時前までずっとお客さんが来なかったことも。
「それまでの間はずっと無収入になります。無収入だし人と全く喋らないんです。休憩を取ろうと思っても、休憩取ってじゃあ何食べるの?という状態になることもありました」
しかし売り方に改善を重ね、少しずつ、朝や夕方の通勤ラッシュ、昼休みの時間帯などに絞って、時間を決めてテンポよく販売できるようになったという。
嬉しかったのは「あてにされること」
雑誌販売していて、喜びを感じる瞬間は?と聞くと、田中さんは「あてにされること」と答えた。
「やりがいは、あてにされることです。『いつ来てるの?なんでいなかったの?』とお客さんに、いち人間としてあてにされていると感じると、それに応えたいという思いになります。それが一番嬉しい」
「何気ない話ができるような常連のお客さんもできました。一人の人間として会話ができることも嬉しかったです」
雑誌販売で貯めた資金でアパートに。成績はトップレベル
雑誌を売って資金を貯め、2017年には遂にアパートに入居した。以降は安定して、アパートに住み続けている。
そこに至るまでには、雑誌販売の仕事を辞めて生活保護を受給したり、仕事が見つからずに、また路上生活に舞い戻ったりと紆余曲折あったが、ようやく生活が安定してきた。
販売成績も好調で、最近は常に全国のトップ5に入っている。
今の田中さんの販売スタイルは、声かけはせずに、真っ直ぐ背筋と腕を伸ばし、雑誌を見えやすく掲げること。きちんと始業時間と就業時間を決め、メリハリをつけて仕事をしているという。
「社会的に信頼のある人に」という目標掲げ
田中さんに今後の展望を尋ねると、こう答えた。
「まずは、体を健康な状態で保ち、社会的に信用のある人間に戻りたいです。年金や税金、保険を払いたい」
「それができたときに、またやりたいことが出てくるんじゃないかと思います。信用は大切です」
住んでいるアパートの家賃も安定的に払い、税金なども納め始めた矢先に、コロナ禍がやってきた。
「今年はコロナで売り上げが落ちてしまいました。緊急事態宣言のときは人通りも激減し、売り上げは半分。それでも(税金などの)支払いはしないといけないという状況でした」
4〜5月の1度目の緊急事態宣言の際など厳しい時期もあったが、ビッグイシュー側が4月に始めたコロナ緊急3ヵ月通信販売で、なんとか乗り越えることができたという。
ビッグイシュー日本・東京事務所の佐野未来さんは、田中さんについて「立ち姿が美しいともっぱらの噂です」と話し、こう続けた。
「お客様が買ってくださる一冊一冊が販売者の生活を支えています」
「彼のように、工夫を重ねて販売実績をあげ、路上生活からアパートに入る人もいます。そのことを、ぜひ知ってもらえたら」
田中さんは「お客さん皆さんに、販売のレベルをあげて頂きました」と振り返る。
今日も彼は都内の交差点で、真っ直ぐ腕を伸ばし、ビッグイシューを掲げている。