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HIV患者が戦うのはウイルス、だけではない

台湾最大級の現代美術館で、HIV・エイズをテーマにした美術展が開かれている。展示実現の背景には、社会が抱えるこれからの課題がありました。

無機質な洗面ボウルに転がるオレンジに、延々と水道水が流れ続ける。その様子はまるで、神経質に果物を洗い続けているように見える。

これは台北市にある美術館「台北當代藝術館(MOCA)」に展示されているアート作品だ。微生物学や現代医学の発展とともに人類が直面した「目に見えない悪魔」つまり病原体に対する恐怖を表現している。

この作品は、美術館の前の屋外スペースに設置されたポップな赤い建物の中に展示されている。内外には他にもいくつもの作品があり、道ゆく人々は足を止めて興味深そうに作品を鑑賞している。

これらの作品に共通するテーマは「HIV・エイズ」。企画展「瘟疫的慢性處方」(訳:疫病への終わりのない処方)は、世界エイズデーの時期に合わせて行う同館はじめての試みだ。

「これまで、台湾ではHIV・エイズに特化したアート表現は非常に少なく、一部の舞台や小説で言及される程度でした」

企画展のキュレーターを務めた写真家の劉仁凱(リュウ・レンカイ)さんは言う。

「台湾社会では、STD(性感染症)の議論はされていますが、病気とスティグマの関係性についてまだ十分に理解されていないと思います。そんななか今回の展示が実現した理由は、ウイルスと身体的・精神的に戦っている人にとって、それが必要だったからだと考えています」

「美術館がいっせいに閉まる日」を、台湾でも

劉さんがHIVをテーマにしたアート活動を始めたのは、2017年。「宿主計畫(Humans as Hosts)」と題したHIV陽性者のポートレートを撮りはじめた。

「宿主計畫」では、被写体となる人々の私生活を表現する日用品とともに、HIV陽性者のリアルな姿を切り取った。

しかし作品をよく見ると、すべてのポートレートに治療薬の容器やりんごが写り込んでいる。これらは、完全に消し去ることのできないウイルスの存在と、そのスティグマを想起させるモチーフだ。

翌年、劉さんはニューヨークを訪れ、HIV陽性のアーティスト達によるNGO団体Visual AIDSに出会う。

ニューヨークと台湾で作品制作に取り組む中で、大きなカルチャーショックを経験した。それはHIV陽性者、特に女性を取り巻く環境の違いだ。

「当時、台湾のHIV陽性の女性で、ポートレート撮影に協力してくれる人はいませんでした。そのような人に会うことはできても、作品のためのインタビューや、顔を隠しての撮影にさえも応じてもらえなかったんです。

ニューヨークでは、多くの女性患者が喜んで撮影に参加してくれましたから、ショックでした。同じ問題を抱えていても、場所や性別によって、より大きな恐怖を抱えている人がいるわけです」

Visual AIDSの活動のなかでも、劉さんが特に感銘を受けたのが、Day With(out) Artというイベントだ。世界エイズデーの12月1日、ニューヨークじゅうの美術館やギャラリーが展示を中止し、HIV・エイズの啓発イベントを行うというものだ。

「台湾でも同じようなことをしたいと、常に考えていました」

劉さんはまず、台湾国内外でポートレート作品の展示を行い、手応えをつかんだ。2018年に複数のギャラリーでの展示を成功させた後、満を持して台湾最大級の現代美術館・MOCAとTaiwan HivStory Associationとの企画にこぎつけた。

「もちろん、MOCAのような大きな美術館にいきなり、HIVのためにまる1日閉鎖してくれと頼むのは無理な話です。なので、まずはロビーなどで映像作品の上映イベントができないかとお願いしたんです。結果的にはそれだけでなく、HIV・エイズに関する実験的な企画展を全面的にサポートしてもらえることになりました」

日本と同様、台湾においても性感染症についての議論はオープンにされづらいと劉さんは話す。資金調達にも苦労したが、結果的に複数のNGOから協力を得ることができた。なかでも国家人權博物館がSTD関連のイベントに資金援助をするのは珍しく、感謝しているという。

いま戦うべき相手はHIVウイルス、だけではない

台湾ではじめてHIV感染が報告されたのは1984年。衛生福利部疾病管制署の発表によると、これまでの感染者の総数は約3万8000人にのぼる。また、2018年の新規感染者の86%が男性間の性交渉(MSM)によって感染している。

近年、台湾はHIVの感染拡大予防に力を入れており、2016年からはPrEP(曝露前予防内服)を配布するプログラムを開始した。経口薬でHIV感染を予防するPrEPは、その高い効果が複数の研究によって示されている。

なお、台湾における2018年のMSMによる新規感染者は1705人。前年と比べると461人減り、2005年以降初めて減少に転じた。(もちろん、これがPrEPによる効果と言い切れるわけではない)

PrEPに使われる薬・ツルバダは、アジアでは台湾の他にタイや韓国などで認可されているが、日本では未だ認可されていない。男性間の性交渉をする人を対象にぷれいす東京が実施した調査によると、「PrEPが何かを知っている」という回答は4割以下にとどまっており、そもそも認知が広まっていない現状がある。

日本に比べて先進的な対策を行っているように見える台湾だが、劉さんは国内の状況について楽観視しているわけではない。

「PrEPのプログラムはHIVの感染拡大を防ぐ目的で実施され、現在では多くの人が予防法として認知しています。しかし一方で、すでに感染した人も適切な治療によってウイルスを抑制することができるということは、もっと知られるべきだと思います」

「そもそも現在は、公衆衛生の観点でHIV・エイズの啓蒙をしようという段階ではありません。こんにちの問題はむしろ、スティグマと共に生きる人々に対して社会がどのように接するかということです」

「スティグマ」は本来、奴隷などに押される烙印を意味する言葉だが、転じて社会からの偏見や差別を含む、ネガティブなラベリングという意味で用いられる。例えばHIV陽性の患者は、性生活やセクシュアリティに関する偏見にさらされることが少なくない。

「スティグマは、梅毒が『天罰』と考えられていた例に代表される、過去の時代の話ではありません。『肺がんになるのはヘビースモーカーだから』『肝がんになる人はアルコール中毒だ』というように、我々は日常的に、疾病と行動とを結びつけて他人をジャッジしています。

このような言説は一体どこから来たのか、私達はよく考えなければいけません」

薬のボトルの色・音さえも、スティグマのきっかけになる

現在、感染者のHIVウイルスを完全に無くす治療法はまだ確立されていない。つまり、スティグマとの戦いにも、終わりはない。

「新肌實驗室(The New Skin Lab)」は、そんな日々の苦悩をテーマにした作品だ。

作品の素材に使われたのは、抗HIV薬のボトル。HIV感染者は毎日、こうしたボトルに入った薬を飲むことで、通常の社会生活を問題なく送ることができるようになった。

一方で、この薬の服用という習慣は、毎日「自分は普通ではない」と思い知らされる瞬間でもあるという。

「HIV陽性者は薬の容器を見たり、手にした時の音を聞くたびに、『自分は普通になるため、そして他人に危害を与えないために、毎日薬を飲まなければいけない』という現実を突きつけられるわけです。これはつまり、毎日自分をスティグマタイズして(自分に負の烙印を押して)いるのと同じことです」

今回の展示では、薬のボトルのネガティブなイメージを楽しいものに変えようと、ボトルを使ってウェアラブルデザインを作るワークショップが開催された。

間接的なアートでアクティビズムをする理由

芸術とアクティビズムの関係については様々な考え方があるとした上で、劉さんはアートをアクティビズムの一つのかたちだと考えている。

「HIV・エイズの問題について、なぜNGOなどで直接的な活動をしないのかと、人に聞かれることがあります。でも私は、あえてアートを使うことでリーチできる人々もいると考えています。つまりNGOの情報をチェックしないような人々も、偶然この展示に出会うことで、問題について知り、話すことができるのです」

「これまでに何度か展示をしてきましたが、来場者の約半分は、HIV・エイズの問題やアクティビズムに関わりのない人々でした。これは大きな成果ですし、だからこそ、議論を広げるための新しい方法を模索し続けなければならないのだと思います」

今回の企画展はゾーニングのないオープンスペースで行われているが、展示に対する反応はほとんどがポジティブなものだという。作品のメッセージに共感する声は、HIV陽性者だけでなく、闘病中のこどもを持つ母親や、LGBT当事者の家族を持つ来場者からも寄せられた。

筆者が11月3日に行われた舞台作品の上映イベントに足を運ぶと、こちらも扉のない開放的な会場に、多くの来場者が集まっていた。その多くが10代〜20代の若者だ。

「叛徒馬密可能的回憶錄(The Possible Memoirs of a Traitor)」はHIV感染者達の関係性を描いた少々重いテーマの作品ではあるが、コミカルな演出に時おり笑いが起こる。続くアーティストのトークショーも、明るい雰囲気のまま幕を閉じた。

文字通りオープンな空間で、改めてHIV・エイズについて知り、考える空間。それは新鮮で、希望を感じさせるものだった。

展示は世界エイズデーの12月1日まで開催予定。無料で観覧できる。