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コロナ禍で医療者にも広がる「隠れ優生思想」

「高齢者がコロナで死ぬのは寿命だ」「高齢者に人工呼吸器を使うから不足する」——。コロナ禍で医療者からさえも優生思想を思わせる発信が目立ちました。この「隠れ優生思想」にどう抗うか。緩和ケア医の大津秀一さんが考えます。

「優生思想」とは、身体的、精神的に優良な者の遺伝子を保ち、逆に劣っている人は排除して、強く優秀な人類を次世代に残そうとする思想のことを指す。

この思想は、身体的あるいは精神的に劣った者、弱い者は、淘汰されても仕方ないという考えにつながる。

例えば過去には、2016年に神奈川県の知的障害者施設で起きた相模原事件で、犯人の男が「障害者は不幸を作ることしかできません」などと殺傷の動機を明かして話題になることはあった。

実は、この2年半あまりのコロナ禍において、この命を選別する思想の広がりを強く感じさせる発信がおびただしく見られた。それは一般の人からだったり、有識者や医療者と呼ばれる人からだったりもした。もしかすると、それは優生思想として意識されていないのかもしれない。

筆者は緩和ケア医として、生命を脅かす病を持つ患者さんと向き合う仕事をしており、人の命に優劣をつけて選別するこうした思想が広がるのを強く懸念している。

改めて、広がるこの「隠れ優生思想」について注意を呼びかけたいと思う。

コロナ以前の延命治療の発信

私は、15年以上、本やネットメディアなどで医療情報の発信を行ってきた。

医学や医療の情報を理解することは決して容易ではない。それをわかりやすい言葉でお伝えし、その上で判断してもらう。その広まりが、個々の悔いのない判断につながると考えたのだ。

緩和ケア医という仕事柄、「延命治療」は取り組むべきテーマの一つでもあり、かねてより発信してきた。

延命治療の最大の問題は、「その選択が本当に本人の意思かどうかがわからない」ということに尽きる。

本人が正当な情報をもとに正当な判断力をもって、意思決定が為されるのが医療においては重要なことだ。

ところが延命治療においては、例えば認知症が進行して、しばしば本人の意思がわからない中で、家族などが代わりに判断しなければいけないことで問題が生まれる。それは正確にはご本人の意思と全く同じとは言えないからだ。

もちろん、高齢の人が濃厚な治療を受けるという行為自体に様々な意見はあるだろう。ただ、延命治療の最大の問題は、本人の意思が正しく反映されているのかが究極的にはわからないケースが散見されることだ。

元気なうちからこのような問題が起き得ることを知り、家族や大切な人と皆で、いざとなったどうしたいか普段から話し合うなどして備えておく必要性を私は伝えてきた。

同じ頃から、書物などでこの問題を発信していた医療者もいて、私は同じ気持ちで発信しているのだと思っていた。つまりご本人の意思決定を尊重する立場から、本人が望まぬ延命治療や、過剰な延命治療に反対しているものだと思っていた。

しかしコロナ禍で、それは勘違いだったことを知った。

コロナ禍で幅を利かせた「高齢患者の死亡は寿命」という主張

私の仕事である緩和ケアは、患者さんやご家族の不安に応えることが重要な仕事である。

新型コロナの上陸前から、様々な不安や恐怖の声が上がっていた。この病気の最新情報を皆と共有することで不安を和らげ、そして一人一人がこの病気に備える一助となればと願い、YouTube等で新型コロナに関する発信を始めた。

YouTubeでこの動画を見る

youtube.com

大津さんが発信するYouTubeチャンネル「緩和ケアちゃんねる・かんわいんちょー」では、新型コロナウイルスに関する噂のファクトチェックも行っていた

感染症は他の病気とは違った特色がある。

人から人に感染するという病気の性質上、感染性が高い病気の場合、患者数が大変多くなることだ。

そこで問題になるのが医療の負担増だ。

特にデルタ株までの新型コロナは肺病変が多く、酸素吸入や人工呼吸器などを必要とする率が高かった。そのため限りある重症者向けのベッドが不足し、病院の機能にも大きな影響を与える。

新型コロナ患者ばかりではなく、他の病気の人や、健康な人も不意に病気になったり外傷を負ったりする可能性があることを考えると、社会に大きな悪影響を及ぼすことは明白だった。

ところが、新型コロナ感染者で亡くなる人の割合に関して、高齢の方が多かったことから、早期の段階から「コロナの死は寿命」などといった論が幅を利かすこととなった。

「これまでも肺炎で高齢者は亡くなってきた」などは、その代表的な主張の一つである。「これまで高齢者が肺炎になっても人工呼吸器を装着してこなかったのに、新型コロナに関しては積極的に延命策を行うから呼吸器不足になるのだろう」などという論もしばしばあった。

だが、以前からあった死因としての肺炎の少なからずは、終末期の誤嚥性肺炎など、全身衰弱が進行し誤嚥を繰り返す状態だ。それこそ人生の最終段階においての最後の病気、死病としての肺炎であったのに対して、新型コロナの肺炎は元気な高齢者の方でも一気に死に至るなど、病状が大きく異なっていた。

実際、日本ECMOnetが出している「COVID-19 重症患者状況の集計」によると、人工呼吸器を装着した70代において、死亡は30.9%に留まり、生存例が7割弱ある。誤嚥性肺炎を繰り返すような患者だったら、ここまでの生存割合は期待できないだろう。

コロナ禍でも広義の終末期の状態にある人は人工呼吸器を装着しなかったことが知られており、全ての患者に問答無用で人工呼吸器を装着したから人工呼吸器不足になったのではない。それは新型コロナという病気の特性からだった。

ところがこの点を認めようとしない発信も数多かった。

高齢者やハイリスクな人より、若者の生活を考えろという主張

さらには「過剰な対策が社会に様々な悪影響を与えているから、緩めるべきだ。それで高齢の方が亡くなっても寿命であり、若年者にしわ寄せが来るのをやめろ」という論も相当な勢いがあった。

だが、むしろ適切に(緩くない)感染対策を行った国のほうが、経済的な被害が少ない傾向があるというデータが示されていた。

対策を緩めると感染者が増えて、社会経済的な悪影響がさらに大きくなるなど、ことは簡単ではない。

感染が広がれば、当然、重症リスクの高い病や重い障害を持つ人も守られなくなる。また、コロナにかかれば若者にも後遺症があるため、感染対策を緩めたほうが良かったとは、若年者の将来も見据えた健康面の点からも到底言えないだろう。

実際、緩い対策での高感染率の許容は、子供や若者の教育機会を損ね、慢性的な健康問題を引き起こし、経済的な負の影響を与えうることは何度も指摘されてきた【参考文献1~3】。つまり、主張と裏腹に、子供や若者に害を為す可能性がある。

また確かに、世界中の感染対策の強弱に差はあれど、日本以外で自殺が増えた国は多くない。だがそれは、感染対策それ自体のまずさというよりは、経済的、精神的に追い詰められた時に頼れるセーフティネットの不足など、日本の自殺対策の脆弱性をこそ指摘するべきところだろう。

感染対策を軽くしたから多くの問題が解決するどころか、むしろ長期的な面を鑑みても悪化したり、逆効果になり得たりする可能性があり、ことは簡単ではないのだ。

だが、世の中の不満を代弁するかのような「感染対策が過剰」「若者が高齢者の犠牲になっている」という見解は一定の支持を得た。実際に識者も、そして私自身も交流があった医療者が何人もその主張に手を染めるようになった。

感染対策の緩和は、新型コロナ以外の医療や他の分野(例えば経済面)などにも悪影響を与えるため、過剰に緩めることは得策ではない。それは諸研究からも明らかだった【参考文献4~7】。

ところが、「感染対策をしなければ経済面が好転し、自殺なども減る」という根拠がない説が大手を振るうこととなった。それで亡くなるのはもっぱら高齢者で、それは寿命だろうとも主張されていた。

医療者が年齢などで一律に寿命を判断

さらには恐ろしいこととして、一部の医療者は「新型コロナは高齢者の病気で、コロナによる死は寿命。対策は不要。死生観が不足しているから、何でもかんでも延命しようとする日本人はあさましい」などの説を唱えたことさえあった。

繰り返すが、延命医療の問題は、終末期で意思決定ができない人が、自分の意思とは異なる意思決定がされてしまう可能性があることが最大の問題だ。

他人が「あなたの年齢なら、ここで死ぬのは寿命だから治療は無意味。感染対策も緩め、高齢者が亡くなるのは是認し、若者に犠牲が少ないような社会に」と一律に決めてかかることとは異なる。

それどころか、個々を重視する考え方から最も遠いのが、年齢などの属性をもとにひとまとめに判断・表現するこのような言説であった。

私の衝撃は大きかった。

これまで医療の情報発信を積極的に行って来た医療者の一部が、個人の意思決定が反映されているとは言い難いことに異を唱えて「延命治療反対」としていたのではないことに気づいたからだ。つまり、個々の意思と命を大切にする視点から、本人の望まない延命治療に反対していたのではなかったのだ。

個人の意思を超えた、あるいは個々の病状に不相応な延命医療が勝手に行われることは、もちろん良くないことだ。

だがそれを第三者が、「高齢者が新型コロナにかかって亡くなるのは寿命だから、感染対策などは緩めて良い」などと、個別の事情を鑑みる視点が希薄な発信を行うのはおかしい。そこには、命の優劣に価値をつける優生思想的な背景があるのではないかと感じたのだ。

さらには若年者や小児であっても、基礎疾患があるようなケースでの死には冷淡な発信も散見された。「健康ならば子供は死なない」「基礎疾患で死んだのだろう」という決めつけもあった。

SNSでの承認欲求を背景に「隠れ優生思想」が支持される現実

コロナ禍ではゼロイチ思考、両極端な思考のまん延もまたよく見られる。

このようなことを書くと、「高齢者を無理に延命させることを是とするのか」という批判がまたあるかもしれない。

だがそのような一律に「高齢者だからこう」「若者はこう」という考え方や発信が分断のもとになってきたことを意識することは必要だ。またその主張には、他者が命の価値を勝手に、一律に決める「隠れ優生思想」が潜んでいないか、注意したほうが良いと考えるのだ。

個々が自分の希望にそくした範囲の治療を受け、そして望むような形での人生の最終段階を過ごすこと。それが叶う社会が、真の文明的な国家と言えるだろう。それを他者がお仕着せで決めるような考えは、むしろ進んできた時代の流れに逆行するようなものにさえ見える。

それでも、そのような優生思想的な言論が一部に幅を利かせ、また賛同者により強く支持されてきたことも無視できない現実である。

SNSが発達した現在、世間と反対の主張である逆張りを唱えたり、社会のある一部の層の代弁をしたりする行為が、フォロワーと支持者を増やし、ビジネスや自己承認欲求の充足につながるのはすでに指摘されてきた通りだ。実際それをうまく活用してメディアに露出している識者も少なくない。

今回、図らずも、そのような識者の中に、当人の意思にあまり気を払わず、優生思想的な発信を行う者が少なくなかったことは気に留めておくべきだろう。そしてそれに賛同するようなむきが、決して狭い範囲ではなく見られたことも気にかかる。

「隠れ優生思想」にどう対抗する?

このような言説に対してどう対処していけば良いだろうか。

まずは「隠れ優生思想」を見極めることである。

  • 個別性を無視していないか
  • 本人の意思を無視した言論になっていないか
  • 医療や公衆衛生に関して、全体のことを慮って、ある属性の者は医療を我慢すべき、寿命を受け入れるべきという論でないか

これらがチェックポイントとなるだろう。

そして、そのような論を、一部の専門家や医療者がもし発信した時は「それは隠れ優生思想ではないか」と指摘することも大切だ。

玉石混交の様々な情報が拡散しやすくなった一方で、問題のある発信に対する指摘もまたしやすくなっている。

専門家や医療者がそのような言説を主張するのは良くないことであるという認識が広く持たれることが重要だろう。

また、こうした言説を気軽に拡散する人がいるために、「隠れ優生思想」がはびこる側面は否めない。

もし自分が当事者であったら、あるいは当事者の家族であったら。

個別の事情を酌まない大所高所から「この病気にかかった高齢者は寿命」という言葉が投げかけられたらどう思うか。SNSなどで拡散する前にそれをよく考えてもらいたい。

日本人は死生観がないから新型コロナで高齢者に積極的な治療を行った」という一部の主張は、私は正しくないと考える。そのような主張をする人は、むしろ個々の死生観を重視していないから、「高齢者は延命せずに寿命だと死を受け入れるべき」という論者自身の死生観を押しつけているのだ。

「隠れ優生思想」に引き続き注視していきたいところだ。

【参考文献】

Failure to consider long Covid impact will hit UK economy, says expert

Mass infection is not an option: we must do more to protect our young

The benefits, costs and feasibility of a low incidence COVID-19 strategy

SARS-CoV-2 elimination, not mitigation, creates best outcomes for health, the economy, and civil liberties

The benefits, costs and feasibility of a low incidence COVID-19 strategy

The impact of government responses to the COVID-19 pandemic on GDP growth: Does strategy matter?

The elimination strategy continues to protect people, economies and freedoms more effectively

【大津秀一(おおつ・しゅういち)】早期緩和ケア大津秀一クリニック院長

茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。日本緩和医療学会 緩和医療専門医、総合内科専門医、がん治療認定医、日本老年医学会専門医、日本消化器病学会専門医、2006 年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科専門研修後、2005年より3年間京都市左京区の日本バプテスト病院ホスピスに勤務したのち、2008年より東京都世田谷区の入院設備のある往診クリニック(在宅療養支援診療所)に勤務し、入院・在宅(往診)双方でがん患者・非がん患者を問わない緩和医療、終末期医療を実践、2010年6月から東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンターに所属し、緩和ケアセンター長を経て、2018年8月より現職。オンライン相談を導入した日本最初の早期からの(診断時や治療中から。対象をがんに限らない)緩和ケア専業外来クリニックを運営し、全国の患者さんに対応している。全国相談可能な『どこでも緩和』ネットワークを運営。著書に25万部のベストセラー『死ぬときに後悔すること25』(新潮文庫)、『死ぬときに人はどうなる 10の質問』(光文社文庫)、『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』(幻冬舎)、『「いい人生だった」と言える10の習慣』(青春出版社)、『大切な人を看取る作法』『傾聴力』(大和書房)、『死ぬときに後悔しない医療』(小学館文庫)などがある。