「君はカレーの匂いがする」その一言で、バーをクビになった

    インドで育った者にとって、カレーとはある特定の匂いではない。本来、カレーという言葉すらない。だがその日、働いていたブリュッセルのバーで、私はカレーの匂いがすると言われた。その瞬間、カレーはひとくくりの料理に格下げされた。

    インドで育った者にとって、カレーとはある特定の匂いではない。本来、カレーという言葉すらない。だが、2015年4月のある日、働いていたブリュッセルのバーで、私はカレーの匂いがすると言われた。その瞬間、カレーはひとくくりの料理に格下げされた。

    何年ものあいだ海外での暮らしを思い描いた末に、私は海を渡った。ベルギーの首都であり西欧の中心であるブリュッセルは複合的な都市だった。今もそうだ。だからこそ、私にとって世界の中でも好きな場所のひとつである。多様性がありながら均質であり、冷淡であると同時に親切で、植民地的なバイアスに満ちていながらヨーロッパ有数の移民コミュニティを抱える町。この町へやってきた私は、新しい生活が広げるネットワークに全時間を投じた。授業をさぼり、新しくできた友人たちとの約束すべてに駆けつけた。半年ごとにアパートを引越し、あらゆるカフェのコーヒーを飲み、親しい友人をつくり、何度か失恋し、いつしか、それまで私の心の風景に存在しなかった町は私のホームになった。

    解雇されたバーはブリュッセルでも人気の店だった。ダークウッドのテーブルに、あらゆるチーズを取り揃えた定番メニューを備え、平凡といえば平凡なのだが、日々客足は絶えなかった。最後の勤務となったその日、テーブルを拭いていた私は上機嫌で、よく働いた自分に満足していた。

    「ジュリアンがあなたに話があるって」。私が部屋に入ると、同僚のアンヌが可憐で流暢なフランス語でそう言った。

    アンヌはスリランカ生まれだが、フランス人夫婦の養子に迎えられパリで育った。パティシェとしての野心を胸に、5年前にブリュッセルへやってきた。私の方が30センチ背が高く、年は15歳下で目の色も違うが、私はときどき彼女と間違えられることがあった。二人とも英語を話せるが、彼女は私と英語で話すのを拒み、私が理解できないのを知りながらいつもフランス語で話しかけてきた。ジュリアンは背の高いブロンド男性で店のオーナーだ。私が地下へ下りていくと、請求書の束を手に、ジューサーをじっと見つめたまま待っていた。

    「ああ、来たか。これ、つけて、今」。いつものとおり短く切る言い回しとともに、ピンク色のコロンのボトルを差し出された。甘い匂いがした。花というのはこういう匂いがするものだろうと誰かが頭の中で考えた、本物の花とは違う匂い。はっきりと主張の強い、私の母親が髪につけていたような匂い。「遠慮します、好きじゃないので」。母親を思い、家を思い、化粧品の強い匂いは誰でもみんな嫌いなはずだと思いながら答えた。

    「そうか、わかった、じゃ、君はクビだ」。たたみかけるように短い言葉が続いた。「クビですか?」私は訊いた。

    「そうだ。君はカレーの匂いがする。お客から苦情を言われたくない」

    私はその場に立ったまま考え込んだ。人がカレーの匂いがするなんてあり得るのだろうか。私の思考プロセスは切り替わった。そもそもカレーってどんな匂いなの? どのスパイスのことを言ってるわけ?

    「でも、コロンは毛穴によくないですよ」。10分も経ったかと思うような沈黙の後、私は答えた。「いや、いいんだ。君にはやめてもらう」。ジュリアンはジューサーを手に部屋を出て行った。

    自分が人種というくくりで扱われたのだと自覚したのは初めてだったが、劇的なことは何もなかった。ガラスが粉々に割られたわけでも、革命を起こすような怒りがわいたわけでもない。ただ困惑し、どうやって家賃を払っていけばいいのだろうと不安がよぎっただけだ。その年はさんざんな年だった。成績は下がり、失恋した。バーでの仕事は大変で報酬も低く、疎外感もあったが、それでも他のことに比べればうまくいっていた。ジュリアンが出て行ったあと、続いて部屋を出て上のフロアへ行くと、アンヌが初めて完璧な英語で私に言った。「私も言われたの。私はつけた。あなたもそうした方がいい」

    ザヒール・ジャンムハンマドとソレイユ・ホーがホストを務める、アメリカの食と人種をテーマにした「レイシスト・サンドイッチ」というポッドキャスト番組がある。「ナマステ、マザーファッカー」と題した回で、出演したミタリ・デサイという女性が、高校生のときに白人男子同級生から「おまえのあそこはカレーの匂いがするのか?」と言われた体験を書いた詩を読んでいる。番組内で指摘されているように、カレーという言葉はそもそもインドを植民地化した側が作り出したもので、複雑で多層からなるインドの文化を包括的にひとくくりにする言葉になっている。番組ホストのジャンムハンマドは「英国の言葉でインドの料理を指すカレーという言葉は、火を通して料理することを意味するフランス語のcuireから来ているとも言われます」とコメントしている。これに対し私の母は「korma(コルマ。ヨーグルトやクリーム等を使って煮込んだ料理。元は宮廷等で出された高級料理)が言えなかったからじゃないの」と寝床から反論しているが。

    こうして、一見害がなく無邪気な、これという意図もなく受け入れられているカレーという言葉は、私にとって初めて白人を意識させる体験になった。じつに平然と言葉を取り上げ、ゆがめ、その言葉を取り上げた相手に向けて振りかざす権力構造に初めて気づかせてくれた。自分が褐色の肌を持っていること、異質な人種であること、「ホーム」だと感じはじめていた場所で自分が自動的に疎外される存在であることを、初めて知らしめてくれた。ロンドンには「インドカレー」をうたう店が無数にある。「カレーケチャップつけます?」ブリュッセルのフライドポテト店ではそう訊かれた。「カレーチキンをお試しください」アントワープのスーパーでは、自信に満ちた表情の店員から勧められた。緑色をした、不快な匂いのするサンドイッチ用スプレッドだったが、他の人はみんな好物らしかった。こうした多様なカレーはどれも不可解だったが、カレーみたいな人間というのは――私の身体が、私自身がカレーみたいだとなると――何より私の心を乱した。

    あれから、同じ経験を何度もした。もしかしたらそれまでもあったのに気がついていなかっただけかもしれない。「なんであの子に服を貸したりするの、あの子匂うのに」。長身のロシア人女性が、私が部屋にいるのを知らずに私の親友に話すのを聞いた。「うわっ、カレーだ!」イタリア人の友人たちが私の好きなパルミジャーナを作っているとき、煙が立ち込めるキッチンに入ってきたセルビア人ルームメイトは眉をひそめてそう言った。

    イタリア人たちがトマトの歌を歌っている脇で、彼は言い捨てた。「せめて窓は開けてやってくれよ。俺の部屋まで匂うと嫌だから」

    君はカレーの匂いがすると初めて言われたとき、私は気がついた。白人が遠い存在だった子どものころから、白人とは神秘的で魅力的な肌の色をした人々のことなのだと思っていたが、そうではない。大きな力を有し、測り知れず存在するひとつのシステムなのだ。

    白人たちは私の褐色の肌について尋ねた。バーへ行けば「アラジン」の王女ジャスミンみたいだと言われ、この褐色はどこからきたのかと問われ、バーでウェイターとして客に「ハロー」と丁寧に話しかければ自信たっぷりに「アッサラーム・アライクム」と返された。私が完璧な英語を話せば白人たちはびっくりし、お酒に強いと知れば驚き、そしてついには私にとって何としても必要だった仕事をクビにした。カレーの匂いがすると言われたあの日以来、白人という集合体はあらゆる形で私に向かってきた。ときにフレンドリーで、ときに意地悪く、ときにはうるさいほど親切だが、同時にいつだって単純化がすぎ、無知で、著しくフェアでなかった。

    あれから3年間、私はこの件をずっと心に抱え、カレーという言葉に深い嫌悪を抱き、どうしたらその匂いを落とせるのかと困惑した。やがてポッドキャストで聞いた詩を書いた彼女と番組ホストのザヒール・ジャンムハンマドに心を引かれ、実際に会ってこのことについて話しあった。そしてブリュッセルのそこかしこにいる、カレーの匂いをさせた南アジア人たちに、さらには自分たちが愛する料理の匂いをさせていることをみっともないと告げられた世界中の人々に、思いをはせた。

    先日インドへ帰ったとき、友人たちと飲みながらこの話をした。ニューデリーらしい喧騒の中、テーブルの半分を埋めた友人たちはどっと笑った。

    「待って、でもカレーって何?」親友の一人が疑問を口にした。「それに、そもそもそれの何が悪いわけ?」

    「クミンだったとか? クミンパウダーの匂いがしたからクビにされたってこと?」別の一人も半ば当惑し、半ば面白がってそう言った。

    ふと、みんな考え込んだ。クビだと言われた日に私の心によぎったのと同じことを。そしてカレーの匂いについて、それがどの匂いだったのかについても。

    「私なら自分がクミンの匂いだったらいいなと思う。その店主も自分がクミンの匂いだったらいいなと思ってるよ」友人はそう付け加えた。

    カレーの匂いがすると言われたあの日、私は言い返せる語彙を持ち合わせていなかった。あの日、私は褐色の肌をした異邦人で、カレーの匂いがして、不安で、疎外されて、自信も力もなかった。他人から押される烙印をすべて受け止め、自分の中に内面化していた。でも今、匂いをさせるならどのスパイスがいいだろうかと話し合い、それを愛し、認め受け入れている友人たちに囲まれている私は、もうあのときとは違った。何のカレーかは知らないが、たぶん今でもカレーの匂いをさせているかもしれない。それでも私は確かに自分を誇らしく思えた。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan