6月24日、世界のレベルから大きく引き離されていたある競技において、日本は劇的な形でその差を詰めた。
競技とは、2.0kgの円盤を投げて飛距離を競う、陸上の円盤投。この日、開催されていた国内最高峰の舞台である日本選手権で、1人の選手が1試合で日本記録を3回、塗り替え、62m16の記録で優勝した。
その選手こそ、トヨタ自動車所属の湯上剛輝(ゆがみ・まさてる)さん。湯上さんについて付け加えるとすれば、重度難聴の障がいがあることだ。
先天性の聴覚障がいを持ち、小学6年生で人工内耳と呼ばれる器具を埋め込む手術を受けた。マイクなどの体外装置を身につけないと、音はほとんど聴こえない。
湯上さんは現在25歳。東京五輪に向けて注目を集める新王者は、障がいとどう付き合い、競技に取り組んでいるのか。BuzzFeed Japan Medicalが話を聞いた。
「トレーニングの虫」「トレーニングルームの主」
ーーさすが、デカイですね。
ありがとうございます(笑)。
ーー小さい頃から、体が大きかったんですか?
いえ、昔から背は高かったのですが、今のように筋肉があったわけではないんです。
高校から投てき(*)を始めて、ウエイトトレーニングを練習に取り入れたことで、どんどん体が大きくなっていきました。
*やり・砲丸・円盤・ハンマーといった投てき物を投げて飛距離を競う競技の総称。
ーー中京大学時代のコーチである田内健二さんからは「トレーニングの虫」、陸上仲間たちからは「トレーニングルームの主」と評されています。トレーニングはお好きですか?
大好きです(笑)。
試合期は週5日で半日、試合のない冬の間は毎日一日中、練習をしています。
ーー1回の練習でトレーニングルームに6時間以上、籠もることもあるとか。本当にお好きなんですね……。
YouTubeでトレーニング動画を漁るのが趣味です。“これいいな”と思ったトレーニングは、すぐに練習にも取り入れたりして。
ーー努力は苦にならないのですか?
ぜんぜん苦じゃないですね。自分が強くなるためと考えたら、当たり前のようにできるんです。
ーーそれもひとつの才能かもしれません。
うーん、どうだろう。自分ではわからないですが……。
努力は自分が強くなるため、自分を超えるためのものだと思います。
障がいを「武器」にするアスリート
ーー障がいの程度は2級と、重度の難聴にあたりますが、自然にコミュニケーションできるのですね。
人工内耳で聴こえる音と読話(*)によって相手の話を理解しています。日常生活に支障はあまりないですね。周りが静かであれば、電話も可能です。もちろん、周りが騒がしいと聞き取りにくいですが。
*口の動きや表情から音声言語を読み取ること。
ーー湯上さんはトップアスリートです。微妙な感覚の差が、競技に強く影響することもあるのでは。障がいは支障になりませんか?
たしかに、これ(体外装置)を取ったら、ほとんど何も聴こえないんですけど。でも、僕にとって障がいは決してマイナスじゃない、むしろ武器にもなると思っています。
ーー「障がいが武器になる」とは、どういうことですか?
円盤を投げる前に、僕はこれを外すんです。すると、無音になる。
音が消えることで、自分の世界に入れます。気持ちが切り替わり、集中力が高まるんです。
ーー日本選手権での活躍でスタジアムが大きく湧いたときも、音はほとんど聴こえなかったんですよね。
そうですね。音以外の感覚で、声援をいただいていることはわかりましたが。
ーーなかなか想像がつきません。当たり前のことですが、自分ではない他の誰かが受け取っている感覚というのは、人によってまったく違うのですね。
人はみんな違って、みんないい、ってことですね(笑)。
鉄人・室伏広治さんの影響
ーー湯上さんは「夢と希望、勇気と感動を与えられる選手になる」ことを掲げて競技に取り組んでいます。
はい。なぜ自分が競技をするのか明確になったのは、大学3年生のときで。運良く、室伏広治さんの講義を受ける機会があったんです。
室伏さんに最初に言われたのが、「“目的”と“目標”を作れ」「その違いをしっかり認識してほしい」ということ。じゃあ、僕が競技をする目的ってなんだろうと考えたときに“夢と希望、勇気と感動を与えられる選手になる”ことだ、と。
ーー障がいのことは関係していますか?
はい、それはもちろん。僕は障がいを持っています。その僕が活躍することによって、聴覚障がい者の方、何かしら“ハンデ“とされるものを持っている方に、一歩踏み出すきっかけというか、“自分も挑戦してみようかな”と思ってもらえたら。
世界との差をどう受け止めているのか?
ーー今回の日本選手権について、試合前はインタビューやTwitterなどで、自信ものぞかせていました。
日本新は正直わからなかったけれど、自己新を投げられる自信はありました。
ーーまさに有言実行です。プレッシャーはありませんでしたか?
今回の日本選手権についていえば、まったくプレッシャーは感じなかったんです。もちろん、周囲の期待が高まっているのはわかっていたんですが。
もともとプレッシャーは、うーん、あんまり感じないんですよね。けっこう、お気楽なタイプで(笑)。
ーーシーズン前の冬季練習では、トヨタ自動車のラグビー部のトレーナーの指導も取り入れるなどして、弱点だった体幹や腰周辺の筋力の強化に取り組んだそうですね。
そうなんです。練習をしっかり積み重ねてきたからこそ、「やってきたことが結果として出るだろう」という自信につながったというのはあります。「負けるかも」とかはまったく思わなかったです。
ーーアジア大会の代表に内定しましたが、今後の目標についてはいかがでしょうか。
まずは世界標準の65m。それを越えていきたいなと思っています。
日本選手権の投げ自体には、実はあまり納得していなくて。今の段階でもしっかりと投げられれば、63mから64mは行けるはずだと思います。
ーー円盤投の世界記録は74m08、リオ五輪のときの参加標準記録は65mと、世界のレベルとの差が大きな競技です。この差にひるむことはありませんか?
「勝てないかも」と思うことは、よくありますよ。
ーーあっ、あるんですね。
だって、世界には身長2m、体重150kgの怪物みたいな選手がごろごろいるので。「こんな人たちに勝てるんかな」とか、やっぱり思うんですけど。
でも、今回の日本新記録もそうですが、最近になって、どんどん差を詰めることができているから。一歩一歩、日々のトレーニングを積み重ねていく。そうすれば、必ず記録は伸びると思っています。
ーーこのタイミングで、調子を上げてきています。東京五輪も視野にあるでしょうか。
僕の中の最高のビジョンとしては、2020年までに65〜66mを投げて、オリンピックで67mを投げること。本当に、最高のビジョンですが。
ーー日本選手権で大きな注目を集めて、変化はありましたか? さすがにプレッシャーは増したのでは……?
こんなふうに、取材に来てもらえるようになったのは変わりました(笑)。それ以外は、そんなに変わらないですよ。
しっかり結果を出すので、待っといてくださいって感じですね。