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「できない理由を考えるクセ、つけないで」 注目集めるロボット開発者が訴えるわけ

寝たきりで外出もままならなかった親友と語り合った夢が、実現した。

港区赤坂にある日本財団ビルの1Fでは、現在、少し変わったカフェが営業中だ。コーヒーを運ぶのは、人ではなくロボット。難病や障害などが理由で体を自由に動かせない人が、遠隔操作で接客する。

これは、日本財団、ANAホールディングス株式会社、そして株式会社オリィ研究所の共同プロジェクト『分身ロボットカフェ「DAWN ver.β」』。「分身」として稼働するロボットは、同研究所が開発した『OriHime』シリーズだ。

同研究所代表の吉藤オリィさんは、ロボット開発者としてこれまでさまざまな発明を世に送り出してきた。今回のカフェは、そんなオリィさんと、今は亡き親友の「夢」だったという。

BuzzFeed Japan Medicalは、12月7日まで分身ロボットカフェの運営に取り組むオリィさんに、分身ロボットカフェができるまでの経緯、そして親友・番田雄太さんへの想いを語ってもらった。

「プランになかった」親友の死

11月26日に実施された記者会見で、オリィさんはカフェという業態にした理由を、「番田と語り合った夢だった」と説明した。

「以前から、番田と“カフェとかやれたらいいよね”という会話をしていて。友人たちと一緒に集まることのできる“寝たきりカフェ”なんていいんじゃないかと」

番田さんは4歳で交通事故に遭い、脊椎損傷により首から下が動かなくなった。20年以上、盛岡の病院で寝たきりの状態で生活していたが、転機が訪れる。ネット上でオリィさんの存在を知ったことだ。

あごを動かしてパソコンを操作し、Facebookでオリィさんにメッセージを送ったのは2013年。その内容は以下のようなものだった(オリィさんの読み上げた弔事より引用)。

“子どもの頃からずっと病院で過ごした。そこには病により外の世界をほとんど見ることなく旅立ってしまう子ども達がいる。それを見るたびに自分の無力さに強く心が痛んだ。重度肢体不自由者のために、力を合わせませんか。”

このメッセージをきっかけに、番田さんは2014年からオリィさんの開発パートナー兼、秘書として、そして2015年には正式にオリィ研究所のメンバーとして、働き始める。そのときの感動を、番田さんはこう、つづっている。

“採用通知をいただきました、宝物だね”“生きる意味を感じる瞬間は、いろんなところに隠されているんだね”

「番田は一緒に開発した『OriHime』で、盛岡からリモートワークで私の秘書の仕事をしてくれていました。半年に一度くらいのペースで上京し、共に時間を過ごすこともしていました」

今回のプロジェクトの中心である大型『OriHime-D』の開発のきっかけも番田さんだ。あるとき、オリィさんは同世代の友人として、番田さんに「秘書なんだからお客さん出迎えたり、コーヒーを淹れたりしてくれよ」と冗談を言った。

「それには大きさや機能が足りないね」ーーそんなやりとりから、会話をしたり、手を振ったりといった従来の機能に加えて、何かを運んだり、移動したりといったことのできる、大型のOriHme開発というアイディアが生まれた。

大型のOriHimeは、カフェの構想にもつながった。“大きなOriHimeを操作すれば番田も店でウェイターができるよ””自分の口に食べものを運んでつまみ食いもできるな!”なんてことを話していました」(オリィさん)。

悲しい知らせが届いたのは、二人の夢がこうして、現実味を帯び始めた頃のことだった。

2017年9月7日、番田さんは200回を超える講演や、テレビ・新聞などのメディアへの露出で勇気を与えたたくさんの人たちに惜しまれながら、この世を去った。28歳だった。そのときの心境を、オリィさんはこう書き残している。

“2人で3年間毎日のように語り合っていたプランの中にこんなスケジュールは想定されていなかった”“目指すもののために全力で準備し生きてきたのに、ここで力尽きるのかと、悔しさに震えが止まらない”

「人類の進化が少し遅れるかもしれない」

番田さんの死で一度は、分身ロボットカフェへのモチベーションを失いかけたオリィさんだが、「心が自由なら、どこへでも行き、なんでもできる」という番田さんの言葉に励まされるように、再び奮起した。

構想から2年半。ついに実現した分身ロボットカフェの中で、オリィさんに番田さんへの想いを尋ねた。

「私は番田の“諦めきれない感じ”がすごく好きだったんですよね。普通に考えたら、小さい頃から寝たきりで、いろんなことを諦めてしまうだろうに、番田は上京して、パーティーに参加してと、ただでさえチャレンジ精神が旺盛だった」

「でも、それだけじゃなくて、今度は“パーティーで挨拶したいなあ”“車イスに乗れるようにしたいなあ”と、さらに難しいことをしたくなる。その“諦めきれない感じ”をエネルギーに、二人でいろんなものを開発してきました」

オリィさんは分身ロボットカフェが始まった後の12月5日、Facebookに“できない理由を考える癖をつけるな!”と投稿している。

「寝たきりの人は就職できない」という常識を覆し、番田さんを雇用した。そうすると、「番田さんはあごでパソコンを操作できる」という人もいた。そこで、オリィさんはパソコンの視線入力装置を開発した。

今度は「番田とオリィ研究所が特別なんだ」と言われた。でも、そうじゃない。だから、カフェで難病や障害を持った10人のパイロットが働くことができる、という事例を打ち立てた。

「心が自由なら、どこへでも行き、なんでもできる」ーー今もなお、オリィさんと番田さんの挑戦は、続いているようだ。しかし、「番田がここにいたら」と思うことはある、という。

「あいつがいたらもっと、私が思いついていないようなアイディアを思いついていたでしょうね。番田の諦めてない感から来る発想というのは、それだけ得がたかった」

「親友として、ここにいてほしいというのはもちろんだけど、分身ロボットの未来を想像し、開発するパートナーとしても、やはり、ここにいてほしかった」

オリィさんは「番田がいないことで、人類の進化が少し遅れたかもしれない、とすら思っています」と、少し寂しそうに笑った。

AI時代に人間が「働く」ということ

オリィさんと番田さんの夢だった分身ロボットカフェは、実際に、多くの人たちを励ましている。記者は初日の26日と28日に、カフェを訪れた。両日とも、カフェは満席状態で賑わいを見せていた。

記者を接客してくれた分身ロボットのパイロットは、この10年、病気が理由で家から出られない「さえ」さん。埼玉から遠隔操作をしている。「もともと社会人経験があり、初めは働かなくちゃいけないという気持ちが強かった」そうだ。

「でも、家にずっといるうちに、働いて社会に参加したい、貢献したい、誰かの役に立ちたいという気持ちがどんどん強くなりました。今日、ひさしぶりに“働いた”という感覚になって、一言で言うととても楽しかったです」

また、別のパイロットの「みか」さんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という、運動機能が衰える難病を患っている。以前の仕事は辞めざるを得ず、長らく「母親らしいことができていない」と悔しい想いをしていたそうだ。

分身ロボットカフェの期間中、みかさんの娘さんは誕生日を迎えた。カフェで働いて得た報酬で、プレゼントを買ってあげるという。

一方、オリィさんは、分身ロボットカフェを開設することを「“働くとは何か”を考える試み」だと捉えている。AIが人の仕事を奪うことに危機感が抱かれている時代だからこそ、だ。

「簡単に言えば、働くためには何が必要で、何が必要でないかということが、分身ロボットを通じてわかってくるのではないかと思っています」

例えば、よりロボットのアームの動きの精度を上げて、コーヒーをトレイからテーブルに受け渡すこと。あるいは、ボディにコーヒーメーカーを内蔵し、筐体がパカっと開いて、コーヒーが出てくるようにすること。

これらは「技術的には普通にできる」。しかし、「それができなくても、来店者のみなさんが、こんなに満足してくれている」(オリィさん)。

「アームについて言えば、来店者の方がトレイから自分で取ってくれれば要らない機能ですよね。そう考えたときに、例えば、手を細かく動かせない人も、本来はカフェ店員ができるんじゃないか、と」

オリィさんは「非合理な部分こそ人間らしさであり、それが新時代の労働の価値になる」という。

「効率だけを追い求めるなら、飲み物は自動販売機でいいし、食べ物も回転寿司のようにベルトコンベアーでいい。翻って、カフェに人が集まる理由は何かといえば、店員や雰囲気感ですよね。これは分身ロボットでも十分に醸成できます」

分身ロボットカフェを共同開催する日本財団によれば、日本で障害を持つ人の中で、社会で働くことのできる可能性がある人は約600万人いるという。

同財団会長の笹川陽平さんは、記者会見で「障がい者イコール“社会からの支援がないと生活できない人”たちと考えがちだが、これは大きな誤り」「訂正していく必要がある」とした。

働きたいのに、働けない人がいる。その声を、番田さんら当事者との関わりの中でよく知るオリィさんも「新時代の労働革命」に強い意欲を示す。

「必ずしも自分がそこにいなくても、体が不自由でも、働きたいと思う人は、分身ロボットで誰でも“労働力”になり、誰かを喜ばせる存在になれる」

「誰しも身体が動かせなくなりうる長寿時代だからこそ、このようなテクノロジーによって、”孤独にならない新しい生き方”を実現していきたいと思います」