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「9割が非正規雇用」は事実だけど… 京都大学iPS細胞研究所「財政難」の誤解

「今は山中先生が所長だからいい。しかし……」とiPS細胞研究所の関係者。

2017年9月中旬、ノーベル医学・生理学賞受賞者で京都大学iPS細胞研究所(CiRA:サイラ)所長の山中伸弥教授の「メッセージ」が注目を集めた。

京都大学iPS細胞研究所 / Via cira.kyoto-u.ac.jp

体のさまざまな組織や臓器の細胞になり、ほぼ無限に増殖する能力をもつiPS細胞(人工多能性幹細胞)には、再生医療や新薬開発の面で大きな期待がかかる。

世界をリードする日本の研究者による寄付の呼びかけ、そして「9割以上が非正規雇用」という表現が財政難を思わせ、ネットを中心に話題になった。

しかし、この騒動を受けて、CiRAは公式サイトのQ&Aを更新。「当面の研究費は十分に確保されております」として、同研究所が財政難であるとの見方を否定した。

#iPS細胞 研究 #基金 についてTwitter上で諸々ご質問や説明が必要そうなポイントが見られたのでCiRAウェブサイトのFAQを更新しました。 https://t.co/fF3IZvCkJe

「当面の研究費は十分に確保」されていながら「9割以上が非正規雇用」で寄付を呼びかけるのはなぜか。BuzzFeed Japan MedicalはCiRAの所長室基金グループ長・渡邉文隆氏を取材した。

結論から言うと、研究に使えるお金はある。しかし、そのお金は長期の雇用には使いにくい。そしてこのことは、研究を続ける上でもさまざまな弊害を生んでいる。CiRAは世界をリードし続けるために、寄付を呼びかけるのだ。

5年間「1割の正規雇用を維持するのがやっと」の状態。正規雇用のニーズは一般の感覚との差も。

CiRAが「iPS細胞研究基金」を創設し、寄付の呼びかけを始めたのは2009年4月。2017年9月現在、基金の目的は2030年までに「日本最高レベルの研究支援体制と研究環境の整備」をするため、とされている。

この寄付の呼びかけが最初に注目を集めたのは、所長である山中教授が2012年にノーベル賞を受賞したタイミングだった。

実はそれ以来、公式サイトの内容は「ほとんど変わっていない」(渡邉氏)。つまり「9割が非正規雇用」という状態は、この5年、ずっと継続していることになる。

「ですので、私どもが今回、何か新しい発表をした、というわけではありません。むしろ、(受賞時に話題になったタイミングから)“5年も経ったのに何も変わっていないのか”といった反響も寄せられました」

もちろん、この5年で“何も変わっていない”わけではない。「山中教授の精力的な呼びかけの効果もあり、寄付の総額は増え続けています」と渡邉氏も認める。

寄付集めも兼ねて出場したマラソン完走後、取材に応じる山中教授。
時事通信

寄付集めも兼ねて出場したマラソン完走後、取材に応じる山中教授。

寄付金額の目標は年間10億円。この2年、目標は達成され続けていて、2016年の寄付総額は約23億7000万円だった。

「しかし、この5年でさらに研究は発展し、研究者・研究支援者の数も増え続けています。その結果、“常に1割の正規雇用者を確保するのがやっと”というほどしか、(後述する)長期雇用に使える財源がない状態、ともいえます」

一方で、「9割が非正規雇用」という状態は、研究者にとって「一般の方の感覚とは少し違う受け止め方かもしれない」と渡邉氏。

「若い教員(研究者)は、正規雇用にこだわらず、あちこちの研究機関を渡り歩いて腕を磨くことも多いと思います。ですから、研究者が100%正規雇用であればよい、というわけではないと考えています」

「一方、研究者を支える専門職員(研究支援者)は、非正規雇用だと優秀な人が集まりにくいため、やはり教職員の9割が非正規雇用というのは大きな課題です」

期限つきの予算は潤沢。しかし、この予算だけでは正規雇用は増やせず、さまざまな弊害も。

現在、「iPS細胞研究基金」の残高は、約70億6000万円。対して、2016年度の基金からの支出は約3億7000万円。この数字からは、基金の運営が順調であるように見える。

さらに、日本を代表する研究所となれば、国からも予算がつく。実際、2016年度の予算のうち、84%は国などからの「産学連携等研究費」。基金からの支出は4%に過ぎない。

2016年度のCiRA予算の内訳。
京都大学iPS細胞研究所 / Via cira.kyoto-u.ac.jp

2016年度のCiRA予算の内訳。

CiRAが「当面の研究費は十分に確保されております」と述べるのは、このためだ。では、これだけの予算がありながら、正規雇用者数がたった1割なのはなぜか。

「それは、産学連携等研究費のような予算は、期限つきの予算だからです。つまり、どんなにお金をいただいても、1年〜数年のプロジェクト期間内に使う必要があります。このような財源では、正規雇用者は雇えません」

渡邉氏は正規雇用にかかる予算を、こう説明する。例えば、年収500〜600万の35歳の若手研究者には、年間約1000万円の人件費がかかると仮定する。仮に人件費が年齢に関係なく一定のままだとしても、定年まで雇用すると、約3億円だ。

この場合、正規雇用の研究者や同程度の給与の職員を200人確保するとなれば、30年で合計600億円の予算を確保する見通しを立てる必要がある。研究所が期限付き財源だけに依存していては、長期的な見通しを立てることは非常に困難だ。

そのため、どうしても正規ではなく、非正規での雇用が多数になってしまう。しかし、非正規雇用が増えすぎることには、問題もあると渡邉氏は指摘する。

「研究というのは、数年で成果が出る性質のものばかりではなく、また何世代にも渡って積み重ねられていくものです」

「例えば、山中と共同でノーベル賞を受賞したジョン・ガードン先生がiPS細胞の基礎になる研究成果を上げてから、山中がその研究を基にiPS細胞の論文を発表するまでには、約40年の歳月を要しています」

ノーベル賞受賞のスピーチをするガードン氏。
AFP=時事

ノーベル賞受賞のスピーチをするガードン氏。

ガードン氏の功績がなければ、山中教授のノーベル賞も成し得なかったとされる。一方、雇用が非正規、数年単位だけになってしまうと、このような息の長い研究ができず、「研究が小粒になってしまうことも懸念される」(渡邉氏)。

正規雇用者の人件費にも使えるのが、期限のない財源、つまり寄付のような財源だ。また、使い道を限定されない財源により「研究はさらに加速・発展する」と渡邉氏は期待をのぞかせる。

「研究の過程で、ある予想外の結果が得られたとしましょう。研究に対して、何らかのヒントや突破口になる可能性があっても、その研究プロジェクトの範囲外に出てしまうような追加実験は、既存の予算では実施できません」

期限やプロジェクト内容が事前に定められた予算だけで研究している組織は「新しい研究を機動的にスタートしたり、方向修正するのは難しいと思う」と渡邉氏は言う。

「その点、寄付のような財源であれば、寄付者のご意向に沿っている限りは、“よし、これに賭けてみよう”という判断をしやすくなります。選択肢を広げるという意味でも、このような用意があるということは、重要なことです」

「寄付金を運用する」海外の研究機関。質の高い研究でも、継続できなければ意味がない。

しかし、年間10億円という寄付では、400人の教職員を擁するCiRAが目指す規模の正規雇用は、実現できないのではないか。

そう質問すると、渡邉氏は海外の研究機関では一般的な「ファンドレイザー」(資金集めをする人)による基金の募集や、研究所による基金の運用を例に挙げた。

「海外の同規模の研究所には、300億円ほどの基金を持っているところもあります。“ファンドレイザー”は研究所の職員として、その基金を募る仕事をしています」

「また、研究所は基金を元手に投資活動をして運用益を確保し、それを研究費や長期雇用人件費に回しているのです」

海外、特にアメリカなどでこのような「基金の募集や運用」が一般的なのは、政府による政策の変換に左右されずに、安定した研究を継続するためでもあるという。

昨今はトランプ大統領の科学軽視政策が話題だが、アメリカではブッシュ政権下で、受精卵を使うES細胞(iPS細胞同様に、再生医療や新薬開発が期待される技術)の研究が、宗教的観点から問題視され、一時タブー視されたこともある。

たとえこのような状況になり、国からの予算がつかなくなったとしても、自前の財源から研究費が確保できれば、影響を最小限に抑えることができるのだ。

世界的な研究では、CiRAとは桁違いの基金を持つ研究機関が「人材獲得などのライバルとなることもあります」(渡邉氏)。また、科学研究に豊富な予算を投じる国も多い。

「日本がこの分野で世界をリードし続けるには、現状では寄付という方法をお願いせざるを得ません」

「寄付により目標金額が集まったら、それを運用するという方法にもチャレンジできるかもしれません。少なくとも、選択肢としてそれを検討できます」

このような状況を誰よりも理解し、それゆえ先頭に立って寄付を呼びかけてきたのが、山中教授だ。

「今は山中のノーベル賞受賞があったからこそ、寄付が集まっていると言えます。しかし、繰り返しになりますが、研究には息の長いものもある。山中の退官後も、質の高い研究を継続するためのシステムを構築する必要があるのです」

難病に苦しむ人たちからも託される寄付。研究所には「想像を絶する重さ」の責任。

「iPS細胞研究基金」に寄付をするのは、どのような人たちなのか。渡邉氏によれば「自身も難病のため、治療方法の開発に一縷の望みを託して、寄付してくださる方もいます」。

例えば、iPS細胞の研究が治療につながると考えられているのは、難病のパーキンソン病。CiRAはiPS細胞による治療の治験開始を、早ければ2018年としている。

「治療方法の開発が間に合わず、難病で命を落とされた寄付者の方々もいます。あるいは、自分の人生のうちにはそれが間に合わないことを悟り、それでも“孫の代ために”と寄付を続けてくださる方々も」

「寄付をいただく責任というのは、私たちが研究を続ける限り負っていくべき大変な重さがあります。その思いに応えるためにも、私たちは研究を何としても継続し、成功させなければいけないのです」

山中教授が基金の背景について説明する動画はこちら。「iPS細胞研究基金」についての詳細は、公式サイトからも確認できる。


Seiichiro Kuchikiに連絡する メールアドレス:seiichiro.kuchiki@buzzfeed.com.

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