とにかく投票に行こう!って言われても……
10月22日は、衆院選の投開票日——。そして、今日はその前日だ。
これから当日にかけて、インターネットでも「若い人は投票に行こう!」「行かないのはだめだ!」といった意見があふれるだろう。
《うーん、いつものことですよね。
投票は大事だ、大事だと上から目線でお説教をする人が出てくるんですけど、とにかく行けというだけで、その先がないんです。
投票は「権利」なので、使うかどうかはあくまで個人の判断。他人に行動を促すなら、説得が必要でしょ?》
そう問いかけるのは、政治学者の吉田徹さん(北海道大学教授)だ。だいたい、と続ける。
投票するか、しないかの裏にあるいろんな考え
《投票するか、しないかにはいろんな考えがあります。ぱっと思いつくだけでも、4パターンにわけられる。
① じっくり考えて投票する人
② じっくり考えて投票しない人
③ あまり考えないで投票する人=支持政党が決まっている
④ あまり考えないで投票しない人
今回は安倍晋三首相の主導による、いきなりの解散で、野党もいきなりバラバラになった。
政治の側がなにを考えて選挙をしているのかわからないし、政権選択だと言われても、そもそも選択肢が与えられてない。
これで政権を選べと言われても……。いわゆる「無理ゲー」というやつです。
良い問いが投げかけられないと、良い答えも返ってきません。
今回の選挙は良い問いではないから、有権者も困っているし、イマイチ盛り上がりに欠けているんですよ。
こうなると「考えてもよくわかんないから棄権したい」だって十分、合理的な判断です。
若い人や投票にいかない人のことを非難するのではなく、なぜいかないのか?を考えなければ良い政治にはつながりません。》
いきなり関心を持て、と言われましても……
吉田さんは「一票の価値って本当に言われるほど高いんだろうか」と考えてほしい、という。
《この時代の国政選挙で、一票差で決まるなんてことはほとんど想定できないし、しかも世論調査も発達しているから結果もだいたいわかる。
あえて言い切れば、選挙での一票の価値は、言われるほど重くはない。
それなのに、普段、政治の話なんてしていないのに、選挙になったから突然関心を持て、と言われる。
「主権者として!」とか「有権者なんだから!」目覚めろと言われても難しいですよね。》
選挙ばかりを重視して、一票の価値を過剰に高く見積もる言葉があふれる。
その裏返しにあるのは「そんなに大事な選挙で勝ったんだから、なにをやってもいいだろう」という、選挙至上主義的な政治だ。
いま、選挙の意味はなんだろうか?
《日本を含めて、民主主義の国だと認められる条件のひとつは「定期的に自由な選挙」があること。
日本でも大きな国政選挙は参院選が3年に1回、衆院選も平均して2年半に1回行われている。2〜3年に1回は選挙をしているんです。
でも、いまの時代の大きな課題、例えば原発をどうするか、格差をどうするか、地球温暖化をどうするかといった大きな問題は、2〜3年で結論がでる話ではないんです。
選挙というのは実質2年〜3年の間の大まかな方針を決めるという程度のものでしかない。
だから、一票はそのおおまかの方針を決めるためにつかうもの。
重すぎず、かといってと軽くみすぎる必要もない。》
「正しく考えれば、正しく投票できるはず!」
選挙について、よく聞くのが、何を判断基準にすればよいかわからないというものだ。
吉田さんはどう答えるのだろうか。
《自分なりに考えて、判断したならどれも正解です。
いまの政治の語り方って、とてもお勉強主義。「正しく考えれば、正しく投票できるはず!」という感じでしょうか。
メディアでも政治に関心がある人は、関心がない人たちに向かって、上から目線で「こうすれば知識が身につく、だから絶対投票しよう」みたいな物言いをするんですよね。
優等生的な主権者像になっている。
それが逆に「権利を正しく使わないといけない」って思わせて、かえって萎縮させてしまっている部分がある。
実際に、今回は勉強不足だから棄権しちゃおうかな、という高校生なんかもいます。
でも政治での「正しい知識」ってよくわからないですよね。だって、今回の選挙でなにを争点にしていいかなんて、政治学者の僕でもわからない。
政治っていうのは正解を選ぶことではなく、正解を作り出すことですから。
そのクリエイティブなところを圧迫すると民主主義の良さがなくなってしまう。》
優等生的な物言いが、結果的にクリエイティブなことを押しつぶす力になる。どこにもであることだ。
民主主義のいいところは、間違ってもやり直しがきくところ
では、民主主義の良さとは?
《間違っても、やり直しがきくことです。
選挙で投票して間違った結果になっちゃったと思ったら、次に反省して投票の仕方を変えたらいいんです。
失敗は挽回できるし、ダメならやり直せる。
少しずつ学んで、次につなげられるのが民主主義のいいところなんですよ。》
投票は、たくさんある政治参加の一つにすぎない、と吉田さんは語る。
《安保法制や共謀罪に反対してデモに参加した若い人たちが、「そんなの意味ないじゃん」ってバカにされたことがありましたよね。
デモに参加してみる、ツイッターやフェイスブックで意思表示してみる。
本当は、それだけでも十分な政治参加ですよ。
政治が正解を作り出す行為だということは、政治は実践から始まるということ。
正しく行動しなければ政治に関わるなといわれてしまえば、関わってもろくなことがないって思いますよね。
これで萎縮しないで、政治を考えようっていうのは、若い人にかなり高い要求を突きつけているということになります。》
政治参加のバランス
大事なのは、バランスだと吉田さんは何度も強調する。
《結局、「政治」の語り方です。投票だけが政治じゃないし、かといってデモこそ政治というわけでもない。
いろんな政治参加のルートがあるからこそ、民主主義はそれだけ厚みのあるものになっていくはず。
今回の選挙で関心が高まっているのは、普段から政治に関心があるよって人たちだけの間でのこと。
2005年の郵政解散にしても、2009年の民主党の政権交代にしても、投票率は高かった。
それは良くも悪くも、多くの人に政治に関心を持ってもらえたから。
投票率が低いことを問題にするなら、党首同士の討論も低調で、争点が何かも明らかにならないまま、有権者に生煮えのまま判断を迫る政治の側に責任がある、と考えたほうがいい。
政治にないものねだりはできないんです。》
争点もよくわからない
争点の語られ方もやっぱり問題が多い。
現実は複雑なのに、シンプルに考えて、シンプルに答えろと言われているような気持ちになる。
《これこそが争点、とメディアで言われている憲法改正や原発の是非にしても、そもそもオール・オア・ナッシングで捉えられる問題じゃないですよね。
改憲に賛成ですか、反対ですかっていわれても答えようがないんですよ。
どこをどう改憲するか、なぜ改憲するかが問われなければ、そもそも答えようのない問題です。
原発にしても同じですよね。
いきなりゼロにしたいのか、どれくらいのスパンで代替エネルギーを準備していくのか、そのための費用はどれくらいなのか。
アベノミクスの是非だって、専門家の間ですら議論が分かれているんだから、素人は判断しようがない。
反対するなら、信頼に足る違う経済政策を示してくれなければ選びようがない。
どの争点でもグレーゾーンが広がっているんです。それを政治家が十分に議論し尽くして、問うているのか。
繰り返しになりますが、問いが曖昧なら、その分答えも曖昧になる。
問われても答えようがない。結果として投票率が下がるんです。》
投票先の決めかたってありますか?
あらためて、聞いてみる。迷うけど、それでも、投票に行こうって思う人に向けての質問だ。
明日の投票先って、どうやって決めたらいいんですか?
《自分が普通に生活しているなかで、なにを一番大事にしているのか。それを考えたらいいと思うんです。
その上で候補者の言葉に耳を傾けてほしい。個人的なことは政治的なこと、という言葉があります。
自分はどういう社会に生きることを期待しているのか?
自分はなにを欲しているのか?
報われない感じがするのだとしたらそれはなぜなのか?
ひとりひとりに「正解」があると思うんです。だから、その答えは多様になる。
僕が言えるのは、自分の中の答えを大事にしていいんだよ、というところまでです。それさえあれば、民主主義はこれからも、うまくいくはず。
自分の欲望を大事にしつつ、でもその欲望は他人や社会を通じてでしか満たされない。
自分から社会を、社会から自分を眺めてみる。
政治へのとっかかりはそこにしかないはずです。》